第七話 その名は
戦いは決した。
神聖フォルノーヴォ皇国トリニティ軍総司令、ジュニオ・アルベルト・シピオーネ・ペーサロ上級大将は、死んだ。
アンクを唯一運用できる導師も死んだ。
しかも魔族との戦いによる戦死でも、信徒としての殉教でもなく、同士討ち。
部下に殺された。
およそ軍人として、指揮官として、最も不名誉な死。
指揮官を失った第三陣は混乱。
トンネルの出口付近では、地上に置かれていた作業用の魔道車を囲んで兵士同士の小競り合いが続いている。
勇者の空戦力を失った第一・第二陣も数を減らし続けている。
それでも抵抗を止めない、事情をいまだ知らない人間達は、神を讃え魔王を呪詛しながら最後の突撃と自爆を繰り返す。
その様子は月に照らされて、ノエミと通信を続ける旗艦の司令室からも見えていた。
ノエミは淡々と、自暴自棄な様子で、魔王が去った後に何が起こったかを伝えた。
彼女をはじめ、まだ魔力を残し『治癒』を使える者達は、慌てて子供達の救護に走った。
ペーサロは困惑し混乱する部下達へ、箝口令と戦闘継続を命じた。
だが、幾人かが命令を無視し、『さっきの人間は本当に魔王か、ヤツの言葉は真実か』と導師に詰め寄る。
将軍は詰め寄る兵達へ銃を向け、『神の御子として、皇国兵士として魔族と戦え。魔物の讒言に耳を貸すな』と命令する。
兵士が叫んだ。『同じ孤児院にいた友達が、突然消えた。魔力炉にされたのかっ!?』と。
別の兵士が神へ祈った。『神よ、神よ、あなたは我らを等しく愛して下さっていたのではないのですか?』と。
他の兵士達も騒ぎ始めた。『人間が魔王だって!?』『地獄から這い出したんじゃなくて、魔導師達が生み出したのか?』『いや、魔物共の大嘘かもしれないぞ』『人間に化けてただけかもしれん』と。
さらには議論まで巻き起こった。『魔力炉に閉じこめられた子供達……これは尊き殉教の一つではないか? 我らが聖戦に赴くことと何が違う?』『違い過ぎッしょ。俺達は自分の意志で来たけど、子供達は無理矢理でなくね?』『つか、まだ死んでねーし。死なない程度に死ぬほど苦しめられてただけっしょ』『……外道だな』
そして、決定的な一言が響いた。『他の魔力炉にも、今も、子供達が閉じこめられて苦しめられているのかっ!?』と。
この言葉に、兵達は動揺する。
トリニティ軍が極めて士気高く規律正しい、そして人間と皇国の繁栄という正義大義に燃えていることが、裏目に出た。
皇国の完全な情報統制が、臣民全てに行き渡る信仰が、人間の繁栄のために礎となる覚悟を秘めた兵達を集めたことが、全て仇となった。
彼らは教会で、魔族は地獄よりの使者であり、神に反逆し世界を闇におとしめる悪鬼と教えられた。
実際には、魔王は同じ人間で、礼儀正しく身の上話を語り、切々と和平を訴えた。
事実として、彼は長きにわたり皇国の領土臣民を侵そうとはしなかったことは、最前線の兵士である彼らはよく知っている。
つい先ほども、誰も殺さなかった。
兵達が魔界へ来たのは、人間の幸福と皇国の未来のため。
だが彼らが守るべき臣民を、皇国を担う子供達を苦しめているのは、自分達自身だと気付いてしまった。
戦闘を継続するには、魔道車からの魔力供給が必須。今後の皇国発展には魔力炉が必要。それは魔力炉内の子供達をさらに苦しめることだ、と。
これが身も心も戦いに捧げた真の兵士であれば、目の前に迫る魔族達と戦うため、魔道車内の子供のことは頭から振り払うだろう。
単なる狂信者なら、魔王や魔族の言葉など耳を貸さず、盲目的に神の御名を唱えながら魔族へ突撃するだろう。
独身で子供が嫌いな者なら、苦しむ子供達の姿に何も感じなかったろう。
聖戦に命を投じる覚悟の者なら、子供達にも殉教を強いたろう。
無論、そういう兵士もいた。
だが全員がそうではなかった。
今すぐ第三陣車列最後尾の予備魔道車を調べに行こうとする者、これを制止して魔族掃討を続けようと訴える者、兵達は真っ二つに割れる。
己の罪を魔王の前に白状した導師は、詰め寄った兵達の怒りをぶつけられ、力の限りに殴られる。
司令官の命令も無視し、魔王が立ち去って呆けていた導師の首を締め上げ、さらに真相を聞き出そうとする者もいた。
導師を殴って締め上げる兵達へ向けてペーサロが発砲。彼らの頭を撃ち抜いた。
そして、さらに何かを白状しようとしていた導師の頭も撃ち抜いた。
その銃声が、崩壊を告げる鐘となった。
睨み合う兵達が殴り合った。
次に剣が抜かれた。
そして銃声が響いた。
彼らの持つ皇国の技術を結集した宝玉が、敵である魔族ではなく、同じ皇国臣民である人間達に向けられた。
礼拝車両から離れた場所にいて、魔王の来訪を知らなかった兵達には、何がなんだか分からない。
騒乱を抜け出し、騒ぎを聞きつけて駆け寄ってくる兵達を突き飛ばし、車両最後尾へ走っていく一団を呆然と見送ってしまう。
礼拝車両へ駆けつけた者達の前には、何故か殺し合いを始めた戦友達。
司令官ペーサロは乱闘の中に飲み込まれて姿も見えない。
ともかく力ずくで制止しようとする者まで混じって、大混乱に陥る。
どうすればいいのか分からない者達を尻目に、魔道車にとりついた一団が魔道車へ向けて『魔法探知』『探査』を放つ。
無論、魔道車は最高機密ゆえ、その中身を暴こうとする行動は軍法会議もの。
警備する兵も当然いて、一団を制止しようとはした。
が、数と勢いと覚悟が違った。制止できなかった。
魔道車表面には、探知系魔法を遮断する術式も組まれてはいた。
が、最精鋭の兵達と皇国技術を結集した探知系宝玉が相手では、完全に遮断は出来なかった。
極めておぼろげながら、小さな人型らしきものが知覚されてしまう。
技術力の高さまでが裏目に出た。
一部の兵達は、トンネル入り口に置いてあった掘削用魔道車へも向かっていた。
そこかしこで発生する『調べさせろ!』『軍事機密だ!』の押し問答。
殺気立ちつつも事情を聞かされた者達の間でも動揺が、疑念がわき起こる。
ついさっきトンネルから飛び出した謎の魔力の塊、そしてトンネル内で起きた争乱を見れば、単なる流言飛語とも思えない。
そして決定的なのは、暗く寒いトンネルから運び出されてきた瀕死の子供達の姿。
結果、礼拝車両で起きたことが、全ての魔道車へ飛び火した。
いや、それ以上の騒乱が起きた。
魔道車を調べる者達と、それを阻止する者達とで殴り合いになった。
人命救助と魔族討伐、二つの大義が正面から衝突した。
結局、魔道車は次々と分解破壊され、子供達が救出された。
その際の衝突で幾人もの兵士が殺された。
魔力供給を失い、トンネル周辺の部隊は戦闘不能となり、活動を停止。
魔族と戦う大義をも失い、士気は地に墜ちた。
そして騒乱が移動した後には、導師だけでなくペーサロも蜂の巣にされて転がっていた。
以上のことを、ノエミは話した。
彼女の言葉の合間にも、胸に抱く子供の苦しげな呼吸や、男達の怒鳴り声、殴り合う打撃音が聞こえてくる。
トンネル特有の、音の反響は無くなっていた。どうやら歩きながら話をして、外へ出たらしい。
《もう、トリニティ軍は戦えない。
私達の負けよ。
魔王、私は降伏するわ。
私の命は差し出すから、どうか子供達だけでも助けて欲しいの》
「分かったよ、安全は保証する。
ただ、一つお願いがあるんだ」
《何かしら?》
「まだ戦っている人間達へ、停戦を呼びかけて欲しい。
こちらも全軍を下がらせる」
《分かったわ》
すぐに通信は切れた。
だが魔王が持つ通信機の宝玉は、何かの反応を示して点滅している。
言われたとおり、他の部隊への停戦を勧めているらしい。
魔王も、全軍に戦闘の終結と後退を命じた。
銀色の満月が輝く夜。
もはや戦闘を継続しているのは、前線にいたため事情を知らないままの兵士達のみ。
既に作戦も連携も無くし、無謀無意味な突撃ばかりになっていった。
魔王の戦闘集結命令を受け、波が引く様に後退する魔族達。
同時にトンネル出口からも何色かの光を放つ照明弾が上がる。
即時集合を示すものだったらしく、人間達も突撃を止めて後退を開始した。
既に深夜。
昨日までの勢いを失い、疲れ果て肩を落とし足を引きずる兵士達。
負傷した戦友に肩を貸し、タンカで運びながら、トボトボとトンネル出口へと集合していく。
そして、その光景を撮影する者の姿もあった。
彼は泥だらけになった栗色の髪を乱し、肩にカメラを担ぎながら、撮影と実況を続けている。
「ツェルマットより、タルクィーニョ=テルニが……報告、します。
神の光をもって魔界を浄化する本聖戦は、信徒達の篤き信仰心と日々の鍛錬を示すべく、激闘を続けて、います。
ですが、戦いは暗き夜にまで至りました。
汚れた魔族は神の加護を得た我らの勇猛果敢さに恐れを成し、無様にも逃げていきました。
現在は今後の追撃に備え、一旦転進し部隊の再編成をしている最中です。
ピエトロの丘にまします福音の奇跡もあり、明日にはさらなる戦果を示すことでしょう……」
雄々しい言葉を並べて解説する彼だが、言葉に力がない。息が切れて途切れ途切れ。
そして撮影班の他の隊員もいない。
トリニティ軍の被害には触れず、何とか被害の少ない部隊を映そうとしているが、それでもカメラには疲れ果てボロボロになった兵達が映ってしまう。
彼自身も頭や足に包帯を巻いていた。
結局、兵達がトンネル周囲に集まるまで、夜明け近くまでかかった。
もちろん戻ってきた者達は、仲間達の手でバラバラにされた魔道車に唖然とする。
大きな焚き火の側で必死に体を温められている瀕死の子供達の姿に仰天する。
総司令官の死を伝えられて呆然とする。
魔王の来訪と、彼の伝えた真実に愕然とする。
自分達が騙されていたことに憤然とする者。
神と信仰を捨てず突撃しようと叫ぶ者。
現状では、ようやく魔王軍と皇国軍は互角になっただけなのだから、このまま戦闘を続けても問題はないと分析する者。
オルタからの援軍が来るまで動くべきでないと主張する者。
総司令官が死に、意見は分裂し、組織だった行動が出来なくなったため、戦闘不能に陥ったことは確かだった。
そして、彼らは不安を抱いていた。
最初はぼんやりとした、だが徐々に明確な不安へと育っていく。
それは、「知りすぎた者の末路」だ。
戦闘を継続し、勝利してツェルマットを占領したとしても、最重要国家機密を知った一般人・下っ端兵士の末路は口封じに抹殺……という不安。
彼らも軍の精鋭、ゆえに軍がきれい事だけで動いているわけではないのは百も承知。
このままおめおめと帰れば背教徒扱いで処刑。
殺されずとも魔物に背を向けた臆病者として、人間社会での居場所を失う。存在を抹消される。
昨日起こったことを隠して知らないフリをしようにも、この人数では無理がある。
焚き火の側で生死の境をさ迷ってる子供達は隠しようがない。
だが魔界に居場所も家族もない。
このままこの地に留まれば、今度は魔族に殺されるという恐怖。
人間達は進むも戻るも出来なくなった。
夜の闇を切り裂き、万年雪を頂く山脈の峰に光が駆け抜ける。
夜明けだ。
昨夜の豪雨が嘘の様に、晴れ渡った秋の空が黒から青へと塗り変わっていく。
森林火災は昨日の魔王の雨で大方が消えていた。今はあちこちでくすぶっているだけでしかない。
そして戦火に燃えなかった大森林は、紅葉で燃える様に赤と黄色へ染まっていた。
そして日の出と共に、旗艦の通信機からノエミの声が響く。
昨夜と変わらぬ姿で司令官席に座っていた魔王が、眠そうに答えた。
彼の子供達は、ようやく狭い船室で深い睡眠を取っていた。なので、ノエミからの報告を聞くことはできなかった。
戦いが終わり多くの者が休憩に入ったため、最小限しかいない静かな司令室に、二人の声が響く。
「……うん、分かった。
こちらでもトリニティ軍の様子は見ていたよ。
本当に大変だったね」
《大変なのはこれからよ。
恐らく、近いうちに皇国から援軍が来るわ。
そうなったら、私達は消されてしまうでしょうね。
子供達も、一緒に》
「そうだね、それもなんとか考えないと。
とにかくお疲れ様でした。
今後のことは、こちらでも考えておくから、また後で相談しよう」
《そうしましょう。
あ……そうそう、一つ聞いていいかしら?》
「なにかな?」
《あなた、人間だった頃の本当の名前は、なんていうの?》
「僕の、名……」
その問いに、魔王は少し上を見上げた。
声を出そうと口を開けたが、息が漏れるばかり。
そしてうつむき、軽く左右に首を振って、答えた。
「……僕は、魔王。
今は、ただの魔王さ」
《そう……》
少し、沈黙が流れる。
そして彼女の吹っ切れたような言葉が続いた。
《ツェルマットって、素敵な所ねえ。
水が豊富で、紅葉がとっても綺麗だわ》
「良い所でしょ。
僕らの言葉ではインターラーケンって呼んでるよ。
山深くて冬が厳しいけど、代わりに夏はとっても爽やかなんだ」
《そうなの?
知らなかったなぁ……魔界も人間界も、何も変わらない世界だったなんて。
早く知りたかったわ》
「今から、これからでも遅くないさ」
こうして長い通信は、ようやく切れた。
魔王は席を立ち、最小限の指示だけ残して、大あくびと共に司令室を去る。
ようやく彼も、まるでただの人間の様にベッドでグッスリ寝ることにした。
戦いは、終わった。
これほどの激闘であっても、人間と魔族の果てしない殺し合いの歴史では、小さな一場面でしかない。
だが小さな種が芽吹くとき、大きな木が育つこともある。
次回、第二十四部第一話
『セドルントンネル』
2010年12月7日01:00投稿予定