第四話 来訪者
今までの様な時間稼ぎや演技や単に考え込んでいただけの時間ではない。
凍てつく様な、鋭いトゲの生えた沈黙。
それを破るのは、どうあっても熱を持たないルヴァンの言葉。
《あくまで、戦うと?》
「そうだ」
《魔族滅亡。
この広大な世界の片隅に暮らす一種族に過ぎない人間が、多種多様で数限りないその他種族全てを、皆殺しにする。
そんなものが可能だとお考えですか?》
「無論」
《皇国の支配者層には宗教による洗脳がなされていないことは確認済みです。
ならば、あなたは信仰以外の理由で魔族殲滅を、自らの意志で望むのですね》
「私は皇国軍人だ。
魔族と戦うのが仕事であり、存在理由だ。
そして皇国は人間の世界。
私は人間の軍人として、皇国繁栄のため、魔王討伐と魔族殲滅の勅命を得た。
そして私自身は、任務に私情も迷いも挟まないことを誇りとしている」
《閣下は立派な軍人でいらっしゃる》
「お褒めに預かり光栄だ」
皮肉は笑顔で流された。
《分かりました。
では、答えましょう》
「うむ。
で、どっちにするんだね?
撤退か、全滅か」
《どちらでもありません》
「ほう?」
ルヴァンの声は、あくまで冷静。
その内容にもかかわらず、事務的だった。
《この通信機を大事にしておいて下さい。
あなたが降伏せずとも、部下の方々が降伏を望むかもしれません。
交渉にも応じますよ》
聞かされたペーサロは、面食らった。
彼が予想していたのは激怒、罵声、怨嗟、呪詛、そして回線を叩き切ること。
だが実際には、全くもって冷静な言葉。
再度の降伏勧告と、交渉継続。しかも司令官たるペーサロ以外との。
「どういう意味だ?」
《選択肢を選ぶのは私達魔族ではなく、あなた達……ということです》
「なんだと?」
《それでは戦闘を再開しましょう。
そちらもそろそろ、隣にいる方の報告を聞いてあげて下さい。
退屈しておられるでしょうから》
それだけ言って、通信は切られた。
ふん、と鼻で笑う将軍は、再びアッバース隊へ通信を繋げ、戦闘再開を命じる。
そして通信機を近くに控えていたノエミへ返し、改めて報告に来た兵士の方へ目を向けた。
「では報告せよ」
「はっはい!」
フードを被った兵が踵を鳴らし直立不動。
中年男の低い声が響く。
「移動砲台が奪われた模様です!
魔族達がとりついた砲台が、こちらに向かってきています!」
「分かった。
問題ない、すぐに片づく」
こともなげ、大したことではないという態度。
直立不動のまま動かない兵士へ、軽く手を振る。
だが兵士は持ち場へ戻らない。直立不動のまま立っている。
いや、その顔はアンクへと向けられている。
フードの下にある目が巨大宝玉を見つめる。
「ボサッとしている暇はない。持ち場に戻れ」
威厳に満ちたペーサロの言葉も上の空で、兵士はアンクを見つめ続けている。
「おい! 何をしている、さっさと……」
怒鳴りつけようとした上級大将だが、言葉が止まった。
何か違和感のような物を感じ、数回まばたきをする。
今度はペーサロが兵士を凝視した。
「驚いたなぁ~」
緊迫した状況で、気の抜けた声が漏れた。
地上の劣勢も、地下の大事故も、全く気にしないかの様に、呆けてアンクを見つめる男。
司令官は一瞬、その姿に緊迫感を忘れて呆れてしまう。
「のんきに驚いてる場合か。
一応言っておくが、これは軍の最高機密だ。
故郷に帰っても他言無用だぞ」
「いやあ、無理ですよ。
我が家ではコレの話でもちきりですから」
「な、なんだと?」
我が家がアンクの話でもちきり。
そんなはずはない、とペーサロは考えている。
情報管理は完璧で、噂としてすら出回っていないと報告を受けているから。
そんな情報漏れを起こしては一大事だ。
「おい、お前はどこの出身だ?」
「僕は、ええっと……そう、パラティーノです。
ほら、ナプレの近くに」
「ああ、陛下の御生家があらせられる地だ。
無論知っている。黒髪黒目が多い地域……くそ、そんな場所では情報も出回りかねないな」
「あ、でも、今は別の場所で住んでるんですけどね。
ずっと前に引っ越して」
「お前の身の上話はいらんよ」
将軍が呟く間に、兵士はフードを下ろした。
そこには確かに黒髪黒目、ついでに黒のあごひげを生やした初老の男の姿があった。
ただ初老といっても、衰えた感じは全くない。ペーサロと同じように生気に満ち若々しい。
その姿に、近くで兵達に指示を飛ばし続けていたノエミや、礼拝車両でアンクを操作し続けていた導師も横目で見る。
「まぁ、そんなことは今はどうでもいい。
ともかく他言は無用。早く部隊に戻るんだ」
「昔に見たのは、もっと大きかったなぁ。
まさか、完成してるなんて思わなかったよ」
「?」
命令は通じず、話も成立しなかった。
兵士は一方的に言葉を連ね続ける。
彼の思い出話らしいものを。
「昔の思い出はほとんどおぼろげだけど、これは良く覚えてるよ。
うん、肉体を失って、本当の顔まで忘れちゃったけど、このアンクは覚えてる。
いやー、懐かしい……子供の頃や若い頃のこと、どんどん思い出してきた」
「お前は……?」
「離れるんじゃっ!」
導師の叫びが響く。
同時に銃の光が走る。
アンクを見上げる兵士へ向けて。
光は、分解された。
兵士の手前で、七色の光が散乱する。
デタラメに反射され、トンネル内を駆け回る。
銃撃が当たったはずの男の胸には、何の変化もない。
いや、僅かに変化があった。
青黒い霧のようなものが漂っている。
そしてそれは徐々に濃さを増していた。
ノエミが通信機を抱き締めながら金切り声を上げる。
「こ、殺せっ! 撃ち殺しなさいっ!!」
光が満ちる。
周囲にいた兵士全てが、導師と我に返ったペーサロも発砲する。
銃が魔力を光へと変換し、術式と魔力で輝くアンクをも上回る光度を放つ。
薄暗いトンネルに真昼の太陽も越える輝きが現れる。
同時に、七色の光も散乱する。
兵達が放った光が、全て分解され反射されている。
男に当たらなかった光がトンネルの壁を焼くが、男には全く当たらない。
兵達の中には、男を挟んだ反対側にいた兵に当ててしまい、同士討ちになる者までいる。
銃撃を加え続ける兵達の中から、カキンッ、という金属音が幾つも響く。
「止めろっ! トンネルがっ!」
ペーサロの怒鳴り声は、間に合わなかった。
棒の様なものが数本、アンクのすぐ近くにいる男へ投げつけられる。
銃撃していた兵達が慌てて離れる。
ノエミも導師も物陰に飛び込む。
ズッ……。
鈍い音。
光や炎は無かった。
爆発を予想し大きく離れて身を伏た兵達の前には、さっきと同じ光景がある。
何事もなかったかのように立ち続ける男。
いや、変化はあった。
さっきまでは薄く僅かに漂っていただけの青黒い霧が、男の周囲へ急速に集まっている。
どこからか流れてくる霧は男の周囲で渦を巻き、確かな存在へと成長していく。
青黒い霧の中心に立つ男は、相変わらず輝くアンクを見上げている。
爆弾は霧に包まれて爆発を吸収されて、いや、握り潰されていた。
その光景に、礼拝車両の上で身を伏せていた導師が愕然とする。
「ん、んなバカなっ!?
これほどの魔力があって、どうして上の連中をすり抜けてこれたんじゃ!?」
「いやあ、僕の得意技なんですよ」
男はアンクを見上げながら、その近くに伏せる導師の問いに答える。
「魔力を霧状にして広げることとか出来るんです。
実は魔力はほとんど失っちゃったけど、おかげで薄く広げれば、もう空気と変わらないんですよ。
残った体は魔力がほとんど無いから、君達トリニティ軍の兵隊さんと同じ格好してれば、怪しまれませんでしたね。
もちろん『探査』も受けてきましたが、バレませんでした。
あとは魔力の霧と一緒に走ってここまで来たわけですよ」
「そ、その魔力で、『ほとんど失っちゃった』じゃと!?
ば、バカな、それでは、元はどれほどの……?」
導師は驚きワナワナと震え、動けない。
だが第四魔導師隊隊長は的確に動いた。
ノエミの手が高速で印を組み、呪文が紡がれる。
組まれた印から青く輝く炎が噴き出した。
「燃えなさいっ!」
トンネル自体を燃やし、溶かすかの様な青い炎。
だがそれすらも、男の顔色を変えることすら出来なかった。
全て青黒い霧に吸われ、全ての熱量を失い、消えてしまう。
「き……貴様は……?」
銃を向けつつも驚愕に目を見開くペーサロが呻くように問う。
アンクを見上げていた男が、ようやく司令官へ向き直る。
そして、深々と頭を下げた。
「初めまして、魔王です」
次回、第二十三部第五話
『魔王』
2010年12月01日01:00投稿予定