第二話 勇者
カルヴァの背にくくりつけられた荷物袋の中から、弓と矢を取り出す。
平べったく開いたM字を描く弓の両端には滑車が付き、何本もの弦が交差している。
僅かな力でも強力な矢を放てる、コンパウンドボウ(化合弓)。
無論、俺用に特別強化してある。
「書けたか?」
「はい、これです。
ですが、やはり戦うのは危険です。この地を捨ててでも撤退すべきと」
「逃げたきゃ逃げな。
俺には領主としての責任も、魔王一族の名もかかってるからな」
「ですが、トゥーン様ご自身がヤツと剣を交えるなど、あまりに危険で御座います」
「俺以外に兵がいない、そりゃ俺が領地の治安や防衛を舐めて、兵を連れてこなかったせいだ。
自分のケツは自分で拭かなきゃな」
紙片を受け取り、矢にくくりつける。
クレメンタインは逃げようとはしない。どうやら口先だけの頭でっかちじゃなかったようだ。
スリットから覗く外の風景。風は無い。
ヤツは遙か前方、こちらから見下ろす位置、森の端を歩いている。
まだこちらには気付いていない。
矢文だからって外す気はない。ヤツが魔族の話を聞かないのは知っている。ただのオマケだ。
矢の速度、ヤツの歩速、距離、矢の重さ、弓の強さ……。全て計算し、ヤツを狙う。
「トゥーン様ぁ、決めちゃって下さいねぇ」
「ああ」
「まともな実戦は初めてですけどぉ、トゥーン様ならやれますよぉ」
「たりめーだ」
大丈夫。
訓練通りやれば当たる。
兄貴達、特にベウルのヤツにはさんざん鍛えられた。ほとんど実戦って感じのヤツもタップリだ。
魔界の王子の名も伊達じゃねえんだ、体内に溜め込んだ魔力量もハンパじゃねえ。
相手が勇者だからって、遅れはとらねえぜ!
意識集中、呼吸を整える。
弓を引く手に力が入り、右目はヤツを捉え続ける。
見た目は、夏とはいえ万年雪が積もるインターラーケンを登山するための防寒服を着た、ただの人間。
十年以上も最前線で戦い続けているのだから、それなりの年のハズだ。なのにまるで若者のように見える。
目つき鋭く、見るからに引き締まった無駄のない身体。
どこか見覚えのある顔……当然か、手配書は俺も見てる。すっかり忘れてたけど。
あの山を越えてきたとは思えない、疲労を感じさせない歩き。
その森を歩く標的を狙い……止まった?
勇者は、こっちを見た。
俺と目があった。
「ッ!?」
放つ。
矢が風を貫く。
僅かな放物線を描き、ヤツの頭へと……?
間違いなく勇者のヤツは俺に、矢にも気付いてる。
だが全く動揺してない。
落ち着いて矢を見つめていやがる!
カツッ!
よ、避けられた。
僅かに頭を横へずらしただけだ。
木に刺さった矢が振動する。
見切られたか、さすがだぜ。
ヤツは矢にくくられた文をチラリと見た。
俺は次の矢を構えたりせず、カルヴァにまたがったままヤツを見下ろし続ける。
あれには『去れ』の一言だけが書かれている。
それを見ての対応次第で、こちらも出方を考え……え?
視線をこっちへ戻した。
防寒服を脱ぎ捨てる。下には鎧を着込んでいた。
な……なんだあの鎧は?
妙にゴテゴテした飾りが付き、赤青黄と無駄に色鮮やか。
もう目立って目立ってしょうがない。
戦場であんなの着ていたら、狙って下さい殺して下さいと言わんばかりだろう。
いや、にも関わらず、ヤツは死なない。殺せない。
見た目からして常識はずれの恐ろしいヤツ、ということか。
そしてヤツは剣に手をかけて、俺の方へ向かって駆けてくる。
手紙は無視かよ!?
「信じられねえ、本当に話を聞かねえのか?」
「情報通りですな」
「次の矢を構えず突っ立ってる意味くらい考えろよっ!」
カルヴァを回れ右させる。
そのまま走らせながら左斜め後ろへ、追ってくるヤツへ矢を放つ。
矢を2~3本同時に、次々と放つ。
その全てをかわされる。
最初から外れる矢は、たとえ自分の頬をかすめる軌道であっても無視。
当たる軌道の矢だけを、最小限の動きで紙一重で避けていく。
全く無駄のない、理想的な動きで駆けてくる。俺達へ向けて、真っ直ぐ斜面を登ってくる。
恐怖を欠片ほども感じていないとしか思えない。
勇者の名は伊達じゃない。
「トゥーン殿! 正面切って戦うのは無謀ですぞ!」
「わーってるよ」
カルヴァの腹を強く蹴る。
大犬の爪は草原の土に食い込み泥を巻き上げ、泉は軽々と飛び越えていく。
城へ向けて全力で走る。
「リア、城の連中も避難済みだったな?」
「もちろん。準備も全部済んでるわぁ」
「よしっ!」
後ろを僅かに振り返れば、勇者の駆けてくる姿が見える。
相変わらず一分の無駄もなく、二本足で駆けてくるとは思えない速さで追いかけてくる……追いかけてくる?
カルヴァの足は速い。そして別にゆっくり走らせているわけじゃない。
少なくとも足が速いわけじゃない人間に、追いかけられる速度じゃないはずだ。
にも関わらず、ヤツは追ってくる。
それだけじゃない、ヤツは呼吸すら乱していない!
無表情なまま追いかけてくる!
そんなバカな!?
「何なんだアイツは!?」
「ヤツの身体能力は人間を超えているとの話です。不思議はありますまい」
「インターラーケンを山越えしてきたはずなのにぃ。
なんて体力なのぉ? 信じらんないぃ……」
そうだ、あり得ない。
俺は以前、インターラーケンの山を登って死にかけた。
初夏とはいえ万年雪しかない、空気すらもほとんどない山だぞ。
「おい、もしかしてアイツ、よっぽど強力な魔法を使えるのか?」
「いえ。過去の戦闘記録において、勇者が何らかの魔法を使ったという報告はありませんでした」
「んじゃもしかして、すげえマジックアイテムとか仕込んでるんじゃ」
「恐らく。宝玉は当然仕込んでいるでしょう。ですが、少なくとも魔法使用については全く記録がありませんぞ」
「むぅ~、正体不明ってやつぅ?」
リアが頭を捻る。
そう、確かに正体不明だ。訳の分からない化け物。
情報が少なすぎる。正面切って戦うのは危険。
やはり城に誘い込もう。
さらに腹を蹴り、白い大犬はさらに加速する。
斜面を覆う草原の向こう、山の麓にある俺の城へ。