第一部 第一話 トゥーン
俺は魔王になる。
魔力で全魔族をひれ伏させる。
力で敵をなぎ倒す。
陰謀で神を地に堕とす。
オヤジを超える、大魔王になってみせる!
そうだ、俺は魔界の王子なのだから。
だから、こんなところで倒れはしない。
目の前の試練に背を向けたりしない。
全ては、俺の黒く長い爪で引き裂き、あふれ出る魔力でチリに帰すのだ。
「ごたくはいーからさぁ、チャッチャと殺っちゃってよぉ」
「うっせー、だ、黙ってろ!」
外野の声なんて無視。
そうだ。俺は魔界の王子なんだ。
目の前の雑魚なんざ、軽く捻り潰してやる。
右手の剣を握りしめる。
長く黒い爪から肩まで伸びる青黒いラインは優美に流れ、各所で渦を巻く。
これこそが魔王の血筋たる証。
俺の身体を満たす闇の力が浮き出たモノだ。
さぁ、地の底をはいずり回る下賤なる者どもよ。
我を恐れよ。
この黒き瞳を、黒髪を忘れるな。
魔王の威光に打ち拉がれるがいい。
ぷるりん。
ぷるんぷるん。
目の前のどでかいプリンみたいな奴は、うちひしがれてくれない。
クリーム色の身体はプルプル震えるばっかり。
魔王の威光にウチヒシがれる、という以前に、魔王が何か分かってないな。
だってノーミソないもんな。
「なーにビビッてんのよぉっ、さっさと行きなさいよぉ!」
「び、ビビッてなんかいねーよっ!
この、魔界の王子たるものが」
「だったらぁ、なぁんでさっさとヤんないのよぉ」
「そ、それは、だな。あー……。
そ、そうだよ! まずはこいつに、俺の名を教えてやらないとなっ!
誰に倒されたか、地獄で自慢させてやるぜ」
右手の剣を正中に構える。
さんさんと輝く陽光を、黒い刃が吸い込む。
あちこちに綺麗な泉が湧く草原の中、そよ風が緑の海を渡っていく。風が渡る場所だけ草がへこんでる様子は、遠目には波のよう。
後ろではウサギが黒服の俺を見つめてる。
草原を囲むのは、万年雪を戴く急峻な山々。
「下等なる塵虫めが、せめて我が名を胸に闇へ帰るがいい」
そしてシュピッと切っ先を巨大プリンへ向ける。
相変わらず、柔らかい身体が風でプルプル揺れてる。
「我は魔界の王子、トゥーン。
第十二子、トゥーン=インターラーケンなるぞ!
さぁ地獄へ……」
俺の名乗りは最後まで言えなかった。
だって、聞いてくれなかったから。
クリーム色の身体をプルプル震わせながら、奴は泉へと帰っていきやがる。
俺を無視して。
うぅ、頭の上から冷たい視線が突き刺さってくる。
「なぁにを遊んでるのよ。
せぇっかく上物のスライムを引っ張ってきてやったのにぃ。
真面目にやんなさいよぉ!」
このやろう。王子たる俺に向かって、なんて口の利き方だ。
俺の半分程度の大きさのチビのくせに、態度はでかい。
淡く光る蝶の羽を羽ばたかせながら、俺の頭の上でギャーギャーとわめきやがる。
大した力もないクセに。
空を飛ぶのに邪魔だからと、武器も防具も持てないクセに。
現に今だって、緑色の薄い肌着で、胸と腰から太ももまでを覆ってるだけ。
そのくせ、あちこちで集まり、勝手なことばかり言い、人の神経を逆なでする。
だから妖精族は嫌なんだ。
「けっ、こんな雑魚相手にマジでやるかよ。
みてろよ、リア。一瞬でカタを付けてやる」
剣を握り直し、腰を落とし、緊張感のまるでないスライムを睨む。
そして精神集中、魔力をチャージ。『炎』の魔力を剣に付与。
黒塗りの剣が熱を帯び、陽炎を生む。
握ってる俺が焼かれるような高熱だ。
「あ…ちょっと待ってぇ。それだとぉ」
「うっせー、黙って見てろ!」
精神集中、先手必勝!
俺の足の爪が大地を蹴る。黒く長い爪にえぐられた土が宙を舞う。
一気に間合いを詰め、高熱を放つ剣を突き立てた。
奴の柔らかい身体へ、深く。
「きゃぁー! ダメェ、離れてぇー!」
頭の上から悲鳴が響く。
だけど、それは遅かったみたいだ。
何が、なんて聞くヒマもなかった。
だって、俺の魔力で高熱を帯びた剣は、スライムに突き刺さってしまったから。
一瞬で剣の周囲、大半が水で出来た身体の一部が沸騰する。
水蒸気に変化し、高熱の空気となって膨張した。
そして、剣によって開けられた穴から、一気に噴き出した。
剣をガッチリ握りしめる、俺の腕へ!
「いっっぎゃあぁーーっっ!
あちっ! あちあちあち、あっちぃっっーー!」
泉へ駆けだす。
服のまま、水の中へ飛び込んだ。
腕は青黒いラインも肌色の部分も、真っ赤に晴れ上がってしまった。
「あんたぁ、何やってんのよお!」
リアが飛んできて怒り出す。
金髪ショートヘアを逆立てて、青い目で睨み付けてくる。
でも頭上を飛び回るリアに言い返す余裕は、今はない。
涙目になりながらヤケドを泉で冷やす。
「身体がほとんど水のスライムをぉ、急激に熱したらぁ、高熱の水蒸気が吹き上がるに決まってるでしょうがぁ!
凍らせるとか、間を十分に取るかしないとぉ……てぇ、あ、やだぁ! 危ないっ!」
「え?」
突然お説教が警告に変わったので、何事かと上を見た。
そこにリアはいなかった。
視界に映ったのは、身体の一部が蒸発した体を冷やすため泉に帰ってきた、スライムの巨体。
泉で腕を冷やす俺の上にのしかかり――
どっぼーん
スライムが水に入った。
俺の頭の上から。
「あ~あ……。まったく、見てらんないわぁ。
どこが魔界の王子よぉ。スライムに負ける魔王なんてぇ、情けなさすぎるわぁ」
リアの、俺の心の傷に塩を塗るセリフ。
泉にぷかぁ~と浮かぶ俺にはきつすぎる。
小さな口から吐かれる深い溜め息の音。
う、うぅ、うっせー!
俺だって、俺だって頑張ってるんだー。
「しょうがないわねぇ。『初陣』はここまでだわ。
みんなぁーっ! ちょっとこのバカ王子運ぶのを手伝ってよぉーっ」
とたんに周囲の草むらから、沢山の妖精族が現れる。
リアと同じく蝶の羽を持った、赤や白の髪のチビ達が泉の上に集まる。
「なっさけないわねー」「こんなんで魔王になれるワケないでしょ」「末っ子のクセに背伸びするからよ」「世間知らずのお坊ちゃんなんだから」「かぁっこわるぅい」
リアと同じく俺の心にグサグサ刺さる言葉を吐きながら、俺の身体をあちこち持ち上げたり『念動』の魔法をかけて浮かしたり。
何人かは『治癒』を使ってヤケドを治療してくれる。
半ば溺れかけていた俺の身体を持ち上げて、フワフワよろよろと城へと運んでいってくれた。
先頭を飛ぶリアが、腰に手を当てながら、死にかけの俺に説教を続けている。
「いーいぃ!?
あたしはぁ、アンタのお目付役なんだからね。
このリア様の話も聞かず、勝手に動くんじゃないわよぉ」
「……うる、せえ……。
こ、この、魔界の王子……次期魔王たるトゥーン様に、指図すんじゃ」
ポカッ
リアの蹴りが俺の脳を揺さぶる。
ズビシッと人差し指を突きつけてくる。
「スライムにも負ける奴がぁ、デカイ口きいてんじゃないわぁっ!」
ま、負けるもんか。
俺は、次の魔王になるんだ。
きっとオヤジを超えてみせるんだ!
このトゥーン様の名を、恐怖と共に世界へ轟かせてやるんだぁ…。
でも、まずはヤケド治そっと。