公爵家は今日も平和
「皆様、どうか寛いでお過ごしくださいね」
公爵家の令嬢が微笑む。
郊外の広大な敷地に立つ瀟洒な屋敷。
王宮のガーデンパーティーってきっとこんな感じだろうと、行ったことのない者でも思うような雰囲気。
招待客である令嬢たちの心は、目前の魅力と、心中の恐れの間で揺れ動くばかりであった。
王都にある歴史ある淑女学校へ、今年、入学を果たした令嬢たち。
学期が始まってから一月ほど経った今日、彼女らは、公爵家の別邸にお邪魔していた。
「皆様、次のお休み、よろしければ家にいらっしゃいませんこと?」
ほんの二日前に、同級生である公爵令嬢に誘われた。
「お天気も良さそうですし、お庭でお茶をいたしましょう。
念のために、お伝えしておきますけれど、お土産は要りませんわ。
それから、ドレスアップも無しで。楽な格好でいらしてね」
ほとんどが寮生活の彼女らは、皆で相談して、公爵令嬢の仰る通りにすることに決めた。
仮に、彼女の発言が高位貴族あるあると言われる、真逆の意味だったとしても、今から土産もアップするドレスも間に合わない。
いざとなったら、皆で一緒に恥をかこうと頷き合った。
「でも、あのお言葉はきっと本心からだと、わたしは信じますわ」
そして一人の令嬢が言ったその言葉にも、皆で頷いたのだった。
実のところ、高位貴族は屋敷に家庭教師を呼ぶため、あまり淑女学校とは縁が無い。
公爵家の令嬢が入学するのは、非常に珍しいことだった。
迎える学校の教師たちが緊張で少々、胃を痛くしているとか何とかいう噂もある。
最初、下位貴族令嬢たちは、初めて見る煌びやかで麗しく可憐な公爵令嬢に度肝を抜かれた。
この方と同じ教室で学んで行けるのか、学んでいいのか、と心配にもなった。
しかし、教室で一緒に過ごしてみれば、穏やかで優しい方。
気軽に話しかけてもくれるので、皆はだんだん慣れてきた。
しかし、公爵令嬢には慣れたが、その背景に存在するものを彼女らが知ろうはずもない。
まずは、このステップにわたしの古靴乗せて大丈夫? と一瞬躊躇する、品よく豪華で乗り心地最高の迎えの馬車に乗り、やがて着いたのは王都郊外の公爵家別邸。
王城近くに立派な本邸を構える公爵家ではあるが、休日はこちらの別邸でのんびりすることが多いのだとか。
本邸の建物は夜会を開けるほどの広さがあるが、別邸は特に庭が広く、ピクニックの名所のごとき様相だった。
招待客は屋敷の入口で出迎えてくれた公爵ご夫妻と挨拶を済ませ、庭に案内される。
その後は、お好きに寛いでくださいね、と放置された。
花壇の花々を眺めたり、手入れの行き届いた芝生に感心したり。
あら、この生け垣の刈込は想像上のドラゴンの形かしら、凝ってるわね、などと思ったり。
なんたって素敵なお庭。空は青い。
綺麗なお花は香りも良くて……
あら、そう言えば、なんだかお花よりも甘い香りが漂ってきたような?
「皆様、お茶とお菓子の準備が整いましたわ。
テーブルの方へどうぞ」
呼ばれて行ってみれば、そこには驚愕の光景が。
特注品であろう巨大なアフタヌーンティースタンドには、色とりどりのケーキやサンドイッチが美しく盛り付けられていて、その隣には、今日初めて見る美麗な執事、いや執事サマが……
「さあ、お嬢様方、お好きな物をお選びください。
私がサーブさせていただきます」
え? と気付いて息を呑んだのも無理はない。
執事姿で構えるのは先ほどご挨拶したばかりの公爵家当主、ご令嬢の御父上ではないか!
「こ、公爵様!?」
皆が戸惑っていると、公爵令嬢がとりなした。
「アフタヌーンティーのお菓子を用意するのは父の趣味ですの。
どうか、お付き合いくださいな」
「あ、あの! マカロンとチョコレートケーキをお願いできますか?」
皆が尻込みする中、勇気ある令嬢が手を挙げた。
実は彼女、イケオジと執事に目が無いと自己紹介時に公言している。
美形公爵の執事コスなど、大好物でしかないのだ。
せっかくのチャンス! グイグイ前へ出て鑑賞すべきである。
「もちろんです。お嬢様。
マカロンは何色にいたしましょう?」
「はわわ、至福……失礼しました。ら、ライトグリーンのをお願いします」
「畏まりました。こちら、青りんご味になっております。
チョコレートケーキは、領地でとれたオレンジをジャムにして挟んでございます」
「あ、ありがとうございます」
片手に皿を持ちながら、器用にハンカチで鼻を押さえる令嬢。
皆は、そっと目を逸らす。
それを皮切りに、皆がお菓子を取り分けてもらい、賞賛の嵐が吹き荒れる中、ティータイムは終了した。
「では、お嬢様方、腹ごなしに少しお散歩はいかがでしょう?
よろしければ、温室の方へどうぞ」
そう呼びかけるのは若く、これまた美麗な執事である。
「……第二王子殿下、よね? 公爵令嬢のご婚約者の」
気付いた令嬢が小さく呟いた。
「殿下はお花づくりが趣味ですのよ。
ブーケの取り合わせも絶妙で、王都の花屋さんが習いに来るほどですの」
公爵令嬢の説明によれば、殿下はこの別邸の土地を一部借り受け温室を建てたのだとか。
専任の園丁も常駐させ、全ては殿下のポケットマネーで賄われているらしい。
普段は殿下も園丁姿らしいが、今日はおもてなしのため執事服を採用したという。
温室に足を踏み入れてみれば、外国から取り寄せたという、艶やかな花々が咲いていた。
眺めて楽しんでいると、執事姿の殿下が花に負けない笑顔で仰る。
「皆様へのお土産にブーケをご用意いたします。
お好きな花をお選びください」
「……あまりに美しい花ばかりで、選べませんわ」
皆がため息をつく中、一人の令嬢がやっと言葉を発した。
「では、それぞれのイメージに合わせて、私がお選びしましょうか」
「一人一人にブーケを頂けるなんて。
とても光栄なのですが、お手間なのでは?」
「いえいえ、ブーケ作りは楽しい手間なのです。ご心配には及びません」
そう言った彼の、文字通りの王子スマイルに、二名ほどのご令嬢がフラリとする。
次に令嬢一同は、大木の影に敷かれた絨毯の上に誘われた。
「……あの、公爵様や第二王子殿下は、どうして執事の格好でもてなしてくださるのでしょうか?」
皆の疑問を、一人の令嬢が代表して訊ねる。
「我が家は、わたくしもですけれど、母も一人娘だったのです。
公爵家では婿取りをしなければならなかったのですけれど、若くして先代に先立たれまして。頼みの綱は執事長の爺や。
爺やは殺到する婚約者候補に『お嬢様に婿入りする方は、私を納得させてくださいませんと!』と言ったそうです」
今でも輝くように美しい公爵夫人。娘時代もそれはそれは美しかったであろう。
婚約者候補が群がる様子を想像して、気分が悪くなった令嬢もいた。
「父は伯爵家の出で、王城の文官をしていたのです。
順調に出世しそうだったのですが、母と夜会で出会い、互いに一目で恋に落ちまして。
父は全てを投げ打って、まずは爺やに弟子入りしたのです」
「弟子入り?」
「真面目に執事の修行をして、その真摯さと情熱が爺やに認められました。
しかしその後、父本人がもう一つ納得がいかないと料理の修行も始めて。
こちらも覆面で参加したコンクールで優勝するような腕前なのですが、弟子入りはどれだけ頼まれても断っていますの」
「こだわりが?」
「いえ、あくまでも母や、今ではわたくしも含まれましたので、家族を喜ばせたくて作る、自分のための料理だと言って。
そして、サーブも完璧に行いたいと、執事服を着用するのです。
屋敷で行う茶会や夜会では公爵としての仕事に徹して、料理を振舞ったり執事姿になったりはしませんわ」
「では、貴重なお茶会のお相伴にあずかったのですね」
「うふふ。父が本気を出したら、わたくしたちだけでは食べきれませんもの。
クラスの皆さんにふるまうのが丁度いい量なので、わたくしからお願いしました。
また、機会を設けたらいらしてね」
「ありがとうございます」
「それから、殿下とわたくしは政略的に婚約したのですが、とても気が合っておりますの。
それで、殿下も父にならって、執事の修行をしたのです。
そして、料理では父に勝てないからと、庭師を究めまして」
「愛のなせる業ですのね。羨ましいですわ」
「あら、ほほほ」
「ところで、失礼かもしれませんが、一度お訊ねしてみたかったことが……」
「何かしら?」
更に入学式当初から、皆がずっと疑問に思っていたことを、代表して訊ねる者がいた。
「公爵家のご令嬢が淑女学校にお通いになることは、あまり無いとうかがいました。
失礼ですが、貴女様はなぜ入学なさったのでしょう?」
公爵令嬢はニコリと笑った。
「わたくし、一般常識が無いのではないかと不安になりまして」
「一般常識ですか?」
「その、自分の家族が、このように自由でしょう?
これに慣れてしまった自分の感覚が他の方から見ておかしいのではないかしら、と不安になりまして。
一般的な常識は、高位貴族よりも下位貴族の方々の方がしっかりご存じなのではないかと考えましたの」
これに、イケオジ執事好きの令嬢が、鼻息も荒く手を挙げた。
「一般的なもしくは常識的な公爵家がどういうものかは、わたしにはわかりません。
けれども、公爵家ご一家は間違いなく素晴らしいご家族です。
麗しのお姿はもちろん、愛を惜しまない、内面も美しい皆様です。
そして公爵家ご一家が、そのお心に自由であることは、むしろ下々のものの手本となりましょう。
愛ゆえに素晴らしい技能まで究められた……
賞賛以外に、わたしどもに何が言えるでしょうか。
そこでお育ちになった貴女様もまた、素晴らしい公爵家ご令嬢。
何も恐れずに、ありのままでお進みください!」
彼女の演説に、同級生一同は深く頷き、誰からともなく拍手が起こる。
「……わたくし、不安を感じて良かったわ。
皆様のような、素敵なお友達が出来たもの」
そんな感動の雰囲気に包まれた中。
「卒業したら、いえ、今からでもここで働かせてください!」
演説した令嬢が、ついでに何か言い出した。
「あら、採用についてはわたくしの権限では……」
「お嬢様、私がお相手してもよろしいでしょうか?」
執事長が参戦する。
「先ほどの、公爵ご一家の在り方に対する賞賛、しかとこの耳に届きました。
そこまでの気持ちがおありなら、まずはメイド見習いとして執事長権限で雇いましょう。
ただし、即日採用ですが、学園卒業まではお嬢様付きといたします。
お嬢様と一緒に学校に通い、淑女教育をしっかり修めてください」
「畏まりました!」
こうして、第一回のお茶会は無事に幕を閉じた。
その後、同級生たちは月に一度ほど別邸に招かれ、お茶とお菓子とお花、そして美麗なる執事たちにもてなされた。
その結果、第一回茶会で立候補した令嬢に続き、同級生のうち十人が侍女やメイドとして自分たちを売り込み、公爵家に雇われたのである。
彼女たちは真面目に仕事に取組み、高い評価を得ることになる。
その後、どこからか、その経緯を聞きつけた高位貴族家が、良い令嬢がいれば紹介をして欲しいと淑女学校に連絡をよこすようになった。
就職先を求める令嬢も少なくは無いので、学校にとってはありがたいことだ。
しかし、紹介となれば責任重大。
校長は、情報を集めるために何通もの手紙を書かねばならなかった。
仕事が一段落した校長は、校長室の机の引き出しを開けた。
取り出されたのは彼女の愛読書で、少女向けの可愛らしい装丁が施された『本当はお嬢様』シリーズの新刊。
少々厳めしい仕事柄、おおっぴらにはしないけれども、彼女は流行りの恋愛小説が大好きなのだ。
『本当はお嬢様』略称『ほんおじょ』は、今一番売れているベストセラーシリーズである。
高位貴族令嬢がメイドに扮して事件解決した結果、少し疎遠だった婚約者に溺愛されるという第一作に始まって、毎回違うヒロインが特技を生かして働き、幸せをつかみ取るストーリーだ。
最近、淑女学校にメイドの即戦力になれるような科目を強化したら、という話が出ている。もしかすると、評議員たちも小説の設定に触発されたのかもしれない。
実際、メイドの即戦力は生活力にもつながるので、良い傾向だとは思う。
それはさておき、『ほんおじょ』の著者について少し気になることがある。
ファンタジーにもかかわらず、高位貴族の生活の細かなところが、やけにリアルなのだ。
ひょっとして、ひょっとすると、この作者は……
「新しい原稿用紙が届いたよ」
「あなた、わざわざ届けてくださったの? ありがとうございます」
「何を言っているんだい? 私は君専任の執事だと、いつも言っているだろう?」
「ふふふ、そうでしたわね。お仕事、ご苦労様」
公爵家の主寝室の隣には、小さな書斎がある。
ここに入れるのは、公爵夫妻のみだ。
掃除はどうする? そんなもの、執事の技を究めた公爵閣下には朝飯前である。
「新作のアイディアは出そうかな?」
「ええ、ほら、素敵なモデルが」
窓の外には今日も、執事長の後ろを小走りについて行く若い娘の姿があった。
公爵夫妻の一人娘と同級生で、第一回お茶会でメイドに採用された、あの子だ。
とにかく熱心に働くので、淑女学校に通う二年の間に、メイドの仕事は完璧に覚えてしまった。
どこまで伸びるかやらせてみようということになり、今では執事の見習いとして走り回っている。
「イケオジ執事とメイド令嬢の恋も素敵だし、女執事が引きこもり令息を助け出す、なんていうのもいいわね」
「君の想像力を掻き立てるとは! こっそりボーナスを出してもいいくらいだ」
「そんなのより、あなたが執事姿の時に、優しく微笑んであげたほうが喜ぶわ」
「勘違いされないか?」
「わかってないわね。あの子はそんなんじゃないの。
イケオジ執事という存在に価値を見出しているのよ。
趣味と実益、虚構と現実をしっかり見据えられる子よ」
「なるほど。乙女心をわかったふりする気は無いからね。
君が言うなら、きっとそうなんだろう」
「ええ、わたくしだけの執事さん、よそ見しちゃ嫌よ」
「それはもう、何度でも永遠に誓うよ」
もしもここに妖精がいたら、ハート形の花びらを降らせてくれそうな甘い空気が満ち満ちる。
公爵家は、今日も平和だ。