新たなハンカチを求めて
ケガの治療を終えたアレクシスは騎士団長としての日々を送りながらも、シアラのハンカチの香りを毎晩独り占めしていた。その甘い香りが彼を安らかな夢の世界へ誘い、疲れを忘れさせてくれたのだ。そう聞かされればなんとなくいい話に聞こえなくもないが、実際のアレクシスはことあるごとにハンカチの匂いを嗅ぎ、周りをドン引きさせていた。
「そろそろ匂いが薄くなってきたからどうにかしないとならないな」
「俺はお前のその状態異常をどうにかしないと、と思ってるよ」
戦後の事務処理をしながらアレクシスとカークはお互いため息をつく。
「なぁ、どこにいると思う?」
「俺が知るわけないだろ。そもそもテントにいた子も奉仕の一環だろう?常に看護助手のような事をしている感じじゃないんだろ?じゃぁ俺がわかるわけがない」
「そうだな・・・はぁ、たまらないなこの匂い」
「はぁ・・・いつまで続くんだよこれ・・・」
すぐにシアラと再会できるとふんでいたアレクシスだったが、シアラはいつも看護助手をしているわけではなく、あの時はたまたま従事していただけだという事がわかった。だがわかったのは「シアラ」という名前といつもは違う場所で働いているという二点だけだった。アレクシスのただならぬ勢いにシアラの情報を聞かれた人達が気を利かせて情報を多く与えなかったのだ。
その頃のシアラはただひたすら仕事に明け暮れていた。シアラの仕事は調香師だ。あまり名前が知られているわけではないが、彼女の作る香水が「ささる」タイプの人がいるらしく、特定層に人気があった。今は戦争も終わり、祝勝会やこれから頻繁に行われる夜会に向けて人々が準備を始めている為シアラの仕事もそれなりに忙しくなっていたのだ。
それでもたまにあの衝撃的な出会いを果たしたアレクシスが忘れられない。いい意味ではない。もちろん。彼の奇行を思い出す度に背筋に嫌な汗が流れる。もともと人前に出るのが苦手なシアラは今回の事でより一層目立つような行為をする事はやめようと心に誓った。
「それにしても、戦争が長引いたからって慣れない事をするもんじゃないわ。心を落ち着かせる香りを作ろうかな・・・しまった材料が足りない。どうしよう」
一人の部屋の壁にシアラのつぶやきが消えていった。
次の日シアラは足りない材料を買いに朝市へ出かけた。昼間も開いている店があるのだが、シアラが懇意にしているお店は朝市しか開けておらず、物も種類は多いが在庫はあまりない為場合によっては欲しいものが売り切れている事もある。だがその日に会える新たな材料を求めていくことが多い為、あまり気にせず在庫がなければ諦めるだけだった。
だが今回シアラが求めていたのは「イランイラン」だ。不安や動機を落ち着かせる効果・・・がシアラは今回の出来事に絶対必要だと思っていた。
「誰がどう考えたって騎士団長であるアレクシス様が変態っていうのはいただけないわよね・・・」
ぽつりと漏らした本音は雑踏に紛れて誰にも聞こえなかったはずだ。そのままシアラはお店へ向かい、いつものように店主に声をかけた。
「おはよう、おじさん。今日はイランイランが欲しいんだけど、ありますか?」
「あぁ、シアラさんいらっしゃい。あるよ。ちょっと在庫が少ないからこれで全部なんだ」
「そうなんですね。じゃあある分いただけますか?」
「もちろん。いつもありがとう。これはほんのおまけだよ」
「まぁ何かしら?」
「孫が作ったお守りなんだ。何やら恋愛成就らしいんだが渡せる相手がいなくて。変な意味じゃなくてほんとにおまけとしてもらってくれないか?」
「へぇ~綺麗な色のお守りですね。恋愛成就なんて私には必要なさそうだけれど、せっかくなんで頂きます!」
「良かった。シアラさんいつも来てくれるし、今後も是非ひいきにしておくれ。これからも幸多からんことを」
「ありがとう!じゃぁまた今度買い物に来ますね!」
シアラはもらった恋愛成就のお守りを鞄にくくりつけ、店を後にした。
「すみません!!彼女お知り合いですか!?」
そう言いながらシアラが去った店に飛び込んできたのは、朝市に朝食を求めてやってきたアレクシスだ。いつもは騎士団の食堂で朝も済ませているのだが今日はたまたまカークに誘われてやってきたのだ。普段はこない朝市なだけにどの店に入ろうかと物色していた所でさっと横をシアラが通り過ぎていった。シアラに気づいた瞬間彼女のハンカチの匂いを思い出し時が止まった。カークに呼ばれるまであの素晴らしい匂いを記憶で堪能していたのだが、その間にシアラの姿は見えなくなっていた。朝市なだけあって色々なところから色々な香りがしており、匂いで彼女を探す事を諦めたアレクシスはカークにシアラを見つけた事と、朝食に付き合えない事を手短に告げシアラを探し回った。そしてシアラが店から出た所でやっと見つける事ができたのだ。
「あぁ、彼女ってシアラさんの事かい?たまにきてくれる調香師さんだよ」
「調香師・・・そうだったのか・・・」
「シアラさんに何か用事があったのかい?いつも店に顔を出してくれた後はすぐアトリエに戻っているはずだよ。依頼したいものがあるならそちらに顔を出すのが早いよ」
「本当ですか!?アトリエはどちらに?」
「王都のメインストリートから二本入った所にある「モナローム・シェリ」という店ですよ」
「ありがとうございます!!・・・おっと商売されている所に急にすみませんでした。お詫びにおすすめの物を購入させてください」
「ははは、こんな事位でいいですよ」
「いや、それではこちらの気が済まない。そうだな・・・心が落ち着くようなものの取り扱いはありますか?」
「おや、それなら先ほどシアラさんにイランイランを全て売ってしまいました。彼女が多く買っていっていればわけて貰えるかもしれませんよ」
「本当ですか!では何もせずに申し訳ないのですが、失礼します」
「機会があればまた来てください。それが一番嬉しいですよ」
「ありがとうございます」
アレクシスは嬉々として走り出した。シアラに新しいハンカチを貰うために。
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