頬に傷もつ私の一生 4
男の子は私の正式な弟となった。危ない私は別館で、弟と新しいお母様は本館で。お互い棲み分けていたから、会う必要もない。時々会いたいな、と思ったらタイミングよく弟を見かけることがあった。私にはそういう運がある。
そうこうしているうちに、やがてもう1人の弟ができた。そうしてその少しあとに、お母様の方にも妹ができた。ああ、そう、また愛を見つけたのだ。お父様と私のことで痩せ衰えて、気力をなくしたお母様を支えたのは、かつての信奉者であり、お母様を包んで、抱きしめて、もう傷つけることのない人だった。
誰かの幸福な結末は、時に誰かの不幸な結末。この場合私の「家族」の新たな門出は、私の不幸な結末だった。私だけのお父様はいなくなった。私だけのお母様はいなくなった。私がいないことで幸せになった。ここにいられない。でもどこにもいられない。行く末を悩んで悩んで、修道院出身の家庭教師の一人に話を聞いてもらい、その人の出身の修道院に行くことにした。一四歳で、貴族の義務云々とごねにごねられたけど、悪い噂のある引きこもりの令嬢に、相手なんか見つかるわけがない。修道院は、朝が早くて忙しくて、大変だったけど自分に合っていた。このまま、生涯とも思っていたけれど、それもまた家の負担となることだと識り、相続権を放棄した上で平民になることを選んだ。――お父様周辺は、私のこの対応、めっちゃ疑ってたけど。
平民になった私は、修道院で覚えた裁縫の技術でその村にあるそこそこ大きな服屋さんのお針子になることができた。特に私が好きだったのは、貴族の人から下げ渡された古着を修復して、子ども用の服にするような仕事で、とてもかわいい服ができたので、そのうち基本的なパターンやら、いろんな関連の技術を職人さんから学ぶことができた。
私は将来に役立つ、お金で買えない技術の後継者。――でも実を言えば「安く使える便利屋」だった。嫉妬も混じった業務中、いろんな罠があった。知らされなかった約束の時間があった、注意事項を削られた小瓶には触ったら火傷するような薬品が入っていた、子どもができないと悩んでいる婦人に、「子育てのお守り」のモチーフの小物を渡すように仕向けられた。ぼーっとしてるから、いつも何かしらに巻き込まれてしまったけれど、危うくなると誰かが助けてくれた。私はそういう運がある。
そして、その中の親切をしてくれた男の子と仲良くなった。
結論、仲良くなった男の子はお父様の監視員だった。