胸に証もつ俺の一生 10
「あの子を返して!」
鬼の形相で、あの子の母親が乗り込んできた。憔悴しきったその様子に、祖母が「まだあなたの病気は治ってなかったの」などと侮辱すると、父親がぎょっとした表情をみせた。「母上!」強く諫めるその様子は、ついぞ見かけたことがなかった。俺の母の顔がゆがむ。愛している男が、他の女を愛した証を見せつけられて、その女を震える唇を突き出して睨んでいた。
「一体何なんですか」
言葉の応酬が続く中で、あの子が頬に傷を負い、この国を出たことを知った。
「そんなはずはない」
呆然とする父親の、情報は三年前の修道院を出た後の平民見習いの生活で止まっていた。母親と祖母が結託して情報を止めた上、修道院に戻ったと欺いていたのだ。忙しさにかこつけた現実逃避で、あの子が年を重ねるのも忘れて、特段情報も仕入れずただ仕事をして祖母と妻の情報を鵜呑みにして、自分たちの境遇から逃げていた。
あの子を大事にするって言うから、私が出ていくときも、あの子を返してくれなかったのに、どうしてあの子を大事にしなかったの。こんな扱いだって知っていたら、私はあなたになんかあの子を預けなかった! 置いていかなかった。一緒に帰ったわ! ずっと二人で暮らした!
でも、とあの子の父親が異論を唱える。
あの子は、弟に危害を加えようとしたのだから、目の届くところで監視しないと。甘やかしてはいけない、子どものような大人になってしまったのだ。だから手元において置かなければいけない。
弟、という言葉に、俺を見た。きがい?あの子が?
俺に視線が集まった。母親がすがるように見ている。あのときのことを言えと、自分たちは被害者だと嘆けと。だから伝えた。何度目かの、聞き入れられなかった話をした。
子どもの頃の華奢な俺を見て、あの子は妹だと思ったそうです。だから、俺に自分のドレスを貸そうとしました。――母親がしたように、世話をして、家族に迎える証として許そうとしていた。
そう、後で他のメイドに聞いたと、俺は告げた。遮ろうとする祖母はぶつぶつと、父親と同じことを言う。俺の声を消すことなんてできないのに。消そうとして出た言葉は、あの子を貶めるもので、それをはい、そう、うん、ええ、なんて相槌を打つのは母親だけだ。
母親には言ったと付け加えた。母親は知らない、と呆然とする。都合のいい言葉だけを覚えて、祖母に頷くための話題だけを揃えて、この女は俺の言葉なんて覚えていない。祖母に追従するようになってからはなおさらだった。俺の服を無理やり脱がそうとした女は、その後他の家で同じようなことをしようとして捕まっていた。少し調べればわかることだった。
少し調べればわかることだったのに、あの子の父親は何もしていなかった。あの子が愛した女と別の男の子どもだという疑念が抜けなかったからだ。それでも手放せなかった。愛した女が自分との子供だと主張した子どもだったからだ。
涙でボロボロのその、愛された女は、あとから来た今の夫に押さえられながら怨嗟の声を上げた。呪いの言葉を吐いた。「愛していたのに、裏切られたと勝手に思って、子供をとりあげて! あんたたち、許さない、許さない」
許さないのは自分もだと、吐き捨てて気絶した。
あたりは騒然となった。
その女の戯言よ、と誤魔化そうとする祖母に、笑ってうなずく母親を前に、祖父が動いた。
「お前が私を憎む事情はわかる、だが子どもを歪ませるな。そう約束したはずだ。――これは当人同士の問題だろう」
祖父の言葉に、関心がないあなたが何を言うの、と祖母は笑った。あざ笑う余裕のあった祖母は、体を震わせて怒りをぶつける。
今の今まで放置していたじゃない、あなたの心は未だあの女のところにある。あの女が死んでから、あなたも死んだ。
あの子、ほんとうに、あの女に、そっくり。同じ時間を生きてもいないのに気味が悪い。
祖母を、ぼんやりと祖父は見返すと、やはりそうか、とつぶやいた。父親が呆然と立ち尽くす。弛緩した顔で祖母に視線を置く。




