胸に証もつ俺の一生 8
矛盾だらけで、それでもあの子を貶めるための言葉の数々を丁寧に取り除く。汚泥の匂いがするような、暗く澱んだ言葉は立て続けに吐き出され、不快感にまた世界が薄くなる。それでもあの子のことだから、事実だけを引っ張ってくる、整理する。
あの子は平民として暮らしていた。人並みに暮らしていたが、監視に気が付き、――家族から逃げるために、いなくなった。それも重要だったが、男を愛して、裏切られて、傷ついた、という内容は、同じだけ衝撃があった。当たり前なことなのに。あの子の幸せがあるなら、そう言う選択肢もあり得ると、少し考えればわかることなのに。
しんでいればいいけれど、と祖母の口が動いたのを俺は見逃さなかった。――それにうなずいた、母親も。
俺は知っているかもしれない。――あの子の居場所。
ここからは離れているが、大きな街のひとつ。行きすがら、凱旋が催された。紙吹雪が舞い、大衆が道の端にごった返す。
その最中、あの子と同じ瞳の少女を見た。いないと思ったあの子に似た少女を見た。一瞬。手を上げて、涙をためて、俺を見ていた。
よかったね、と口が動いた。安心して、寂しくて、でも嬉しくて歪んだ口元はだけれど微笑んでいた。英雄様、万歳! なんて勇ましい英雄! あの子の声は、涙で震えて、それでも強く届いた。
黒い髪をレースで束ねて、遠く人波にきえた少女。
あの瞬間だけ世界が止まったのを、俺は知っている。
俺は知っている。
消えたあの子を探せるのは俺だけだった。街にいる騎士に声をかけ、あの子を見つけた。なりふりかまっていなかったから、この国の王子に見つかった。君が必死になるなんて珍しい、珍獣かい、魔物かい?精霊かな、それとも竜か! うるさくて苛立つ。
その店を訪ねるために、仕事を長期で休むことにした。仕事などどうでも良かった。なりふりなど構っていられなかった。行方不明になった姉を探している。姉の評判はなぜか周囲に漏れていたが、そんな人間ではないと俺が言えば納得された。一番近くで見てきたんだから、お前の言葉が本当だろうと。いいや、それも真実ではない。遠く、遠く俺たちは離れていた。分断されていた。――でも。
仲良くなりたかったなあ。
食堂であの子の声が聞こえた。
街の中心から外れたそこは、常連ばかりが通う店らしかった。馴染みの騎士に案内を願い出て、自分の容姿は擬装の魔法具で隠して、存在感を消した。
あのね、とあの子の声がする。
「あのね、弟がさ。きれいな弟でね。私はあんまり可愛くないし、性格も悪いし、家族とも仲悪いし、だから弟がさ、とってもいい子でさ私、嬉しかったんだ」
嬉しかったの。初めて見たとき、お母様以外に、お父様以外にこんなきれいな子がいたなんて驚きだった。だから、最初、妹だと思ったの。よくある物語の、あの展開よ。私のお父様はちょっとしたお金を持っていて、それはそれは見目のいい人で。それはそれは立派な人だったのよ。ほんとよ嘘じゃないわ私とはちがうのよ。
あんたこの子に酒飲ましたのかい! 食堂の主人らしき男に、妻らしき女が怒鳴りつけた。いいや、それがさ。肉をちょっと期限の過ぎたワインで煮たのがあってさ。酒が飛んでなかったのかなあ。頭をかく男を、女は勢いよく叩く。慌てて水をコップに注ぐと、あの子に持って行き、持たせて飲ませた。少しずつ、少しずつだからね、ああもう顔が赤いよ。あんたは可愛いよ。こんな可愛い子見たことない!だから泣くのはおやめ!
「いいさいいさ、ここは酒場だ」別の客から合いの手が入る。
「うるさいよ! 酔っ払いの話は話半分に聞くからね、あんたも話半分に話しなよ」
あの子が呻くように話すのを、隣の親父が自分の話で遮った。酔っているせいか、あの子には気づかれなかった。
あの子がとつとつと話した言葉は途切れ途切れで、感情のままで時系列は曖昧だった。うなずく横の親父も酔っていた。同僚らしき女の子が隣でそんなことない、と泣いていた。




