黒の国、来たる(4)
ベスティアークアを解き、アタシはラストーを抱っこして歩いている。
まだ生きてはいるようだけど、目は虚ろでどこも見ていない。身体は前より痩せ細った感じもするし、何より存在力として喰われすぎたのだろう。手を離してしまったらどこかに飛んでいきそうなほど身体に重みがなかった。
洞窟内はニグレオスがまだ状態を維持してくれるせいか、歩くには不足ない光があって困らない。それでも両手でしっかりとその身体を抱えないと不安だった。
「姉御!」
「お帰りなさいませ」
洞窟の外に出るなりコンタとマノが迎えてくれた。
馬の傍らではサングが馬を撫でていて、アタシを――と言うより抱えているラストーを見て口元に笑みが浮かぶ。
「その様子では、負けたようですね」
わかっていたんだろう、とは言えなかった。
今はそれどころじゃない。
「どうしたんですかいラストーの旦那は?」
「無事だけど、しばらく安静にした方がいいさね」
コンタに御者に戻らせ、サングには街までの案内を頼み、念の為の見張をマノに頼んで、アタシとラストーは幌の中へと戻った。
恐る恐るラストーを降ろそうとしたが、バランス悪くズレた腕が荷台の床を抜けてしまったのを見て慌てて抱き直した。
「……まさか存在ごと喰われるなんて……」
いや、それはあの術式の性質からすると当然かもしれない。
そもそも外装骨格になっている段階で肉体は全て存在生命に変換されている。喰われたとして肉体の全容がきちんと残されている以上、これはニグレオスの食い方が上手いというしかなかった。
「とにもかくにも、まず補填しないと」
ラストーを抱き抱えたままでは銃を使えない。
使う術式を思い描きつつ、アタシは口を開く。
「我は大海。この身を以て、液を産み、雫と成りて与えん。我の望みは御身の延長……」
術式に合わせて身体の奥底からせり上がってくる感覚がある。苦痛はなく、むしろ甘露にも例えられる。しかし、だからこそこれを使えば自身の存在があやふやになっていく。この術式は、相手の鋼騎士の命を救うものであると同時に、自らの存在を喪うものでもあった。
「存在補填」
口の中に生まれた術式の力を感じつつ、ラストーの顔に手を当てて目を閉じさせる。
「……起きなラストー。まだ、終わらせないよ」
アタシは術式を成立させる為、うっすらと空いたマズルに顔を近づける。
これほど色気のないシーンもないねぇ、なんて場違いな意識を片隅に思いながら口を重ね合わせた。
――・――・――・―― ――・――・――・――
それから街に戻るまでにもう一度術式を施した。
一日に何度も使っていい術式ではない――己の存在生命を分け与える関係上、使い過ぎればアタシが消える――以上、ここから数時間はラストー本人の気力に耐えてもらうしかない。
アタシはサングが用意した宿にそのまま向かう事にした。
宿は馬車の管理も行ってくれるランクの高い宿だった。サング曰く、この国には小口より大口の商人が多く、馬車の中身を丸々入れ替えるような事態が多いためにこういうスタイルの宿が流行っているのだそうだ。
飲食もそれなりのものを取り揃えているらしいが、今のアタシはそれより早く部屋に入ってラストーを下ろしたかった。
もう一度、おそるおそるその身体をベッドに下ろすと、今度は突き抜ける事なく横たえる事が出来た。
「……ふぅー……」
大きく一安心するアタシを不思議そうな目で見るコンタの頭を叩きつつ、部屋はアタシとラストー、コンタとマノで分けられている事をコンタに告げられて、アタシはとりあえず階下で飯を食う事にした。
「結局、ラストーの旦那は負けたんで?」
「ああ」
なみなみと酒が注がれたジョッキを煽って心身をリフレッシュすると、香辛料多めで味付けされた肉や塩漬けした野菜を細かく刻んで混ぜたサラダをとにかく食べ、アタシ自身の血肉を増やす。そうする事で失われた存在生命の回復に努める為だけど、傍目にはがっつく女に見られるんだろうなあ、とは思う。
酒に合うモノをマノが適当に追加したのを節目に一旦食べる手を止めて一息付くと、隙間を縫うようにコンタが口を挟み込んできた。
「これからどうするんです?」
「ニグレオスの言い分だと、もう一度ラストーは戦いに挑むそうだ」
あの状態から肉体の復帰はさせられる。
けれど、死ぬ寸前まで喰われたラストーが、そう簡単に戦いへ戻れるかはわからない。
最悪、このまま逃げるかアタシが代わりに戦うか。どんな結果になっても良いように心構えだけはしておく必要があった。
「じゃあまだこの国にいる事になるんすねぇ……」
眉間に皺を寄せ、ジョッキに残った酒を飲み干すと大きくため息をついた。
「なんだ? イヤかい?」
「イヤっつーか、俺はむしろ馴染みすぎそうでヤバいっつーか……」
街中は粗野だが明るい連中が多く、獣人も他国に比べると多めだ。海賊として働いていればこれくらい荒くれ者が多い方が気は楽だろう。
「マノは?」
「別に。私は私の仕事を全うするだけですので」
マノはアタシの監視役である以上、そう答えるのは当然だろう。
「そうだねぇ」
給士がテーブルに次々と料理を並べていく間にも口へと放り込み、酒をさらに追加で頼んで少しでも食事を続ける。
「とりあえず、ラストーが目を覚ますまでは、ここで過ごす。情報収集、なんかも今のところ、する必要がないから、適当な休暇と思うしかないね」
咀嚼しながらで悪いが、流石にあの術式の負担は大きい。
「しなくていいんです?」
「必要が出来たら、さねぇ」
今のところ探らせる目的がない。強いて言うなら戦の気配くらいだけど、竜が意味もなく民を戦争に巻き込もうとはしないと断言出来る。サングもあの様子なら理由なく他国へ攻めるような事はしないだろう。
「まあ小銭稼ぎくらいはしても大丈夫だろうけど、基本的に日銭程度に抑えておきな」
情報を得る為に、事前準備として何かの仕事に潜り込むのは良くやる。ついでに得た日銭で飲みにでも誘えばなお手に入りやすい。
ただ、今回はやるにしてもすぐさま脱出する必要もある。なのでやるなら短期に抑えておくようにしろ、という事だ。
「姉御は?」
「アタシはラストーの看護かね。アレはアタシら外装骨格乗りには稀にある、存在生命力の不足さね」
鋼騎士には特有の状態だが、術式からして素人のコンタにはわからないだろう。
「アタシらがアレになる時、肉体は全て光の粒子状に変えられている。その光が存在生命って定義されているものさね」
アタシはジョッキを掲げてみせる。《エクステリオッサ》がジョッキ、酒がアタシら騎士だと説明する。
「あの状態の時に怪我をすると光の粒子が上がったりするだろ? アレは身体を構成する力が術式から漏れて維持出来なくなっている現象なんさね。あとは補助なしの術式の行使で失われたりするけど、生命力の不足よりも先に変異する方向性が上がるし、普段は術式槽のある武装で戦っているからあまり見られない現象さね」
流石にジョッキを壊して中身を溢れさせるわけにはいかないので、ジョッキを口元に近づけて中身を飲んでいく。
中をわずかに残してジョッキをテーブルに置く。軽く揺らしてみせれば、残された酒がゆらゆらと揺れた。
「ラストーは、ニグレオスにそれを直接喰われたんだろうさ」
残された酒を手の中に注ぎ入れる。多少こぼれはしたが、いくばくかの酒は残されていた。
「だから抱いたままだったんですか」
「認識出来ている人と繋がっている間は縁で薄れにくいからね」
手の中の酒をぐいっと飲み干す。ややぬるくなった酒は不味く、すぐさま次の酒を頼んだ。年を経てさらに原材料の多い酒は意外と回復に役立つ。故に鋼騎士には酒飲みが多いし、日頃からある程度飲んでおくことで多少の保持をしておく奴もいる。アタシの事だ。
「なんでアタシはラストーが目を覚ますまでは宿で待機さね」
届けられた酒をひったくるように取って喉にすぐさま流し込む。
「金の工面なりなんなりはアタシの部屋に来な。それ以外は自由。以上」
席を立って戻ろとする給士に小銭を渡し、部屋に食事を運んでもらう為に注文する。
「あれ? もう終わりですかい?」
「後は部屋で飲むさね」
ひとしきり食べたい物を伝えて部屋にさっさと戻った。
ラストーはベッドに横たわったまま、わずかなりとも動いた様子は見られなかった。
しかし同時に、ベッドから消えるほど失われてはいないことに安堵出来たとも言える。
しばらくベッドで意外と柔らかな毛をしている頭を撫でていると、部屋の戸がノックされる。
届いた酒と料理を受け取って小さなテーブルに並べ、ベッドの側に椅子とともに横付けすると、手酌で飲みながら誰に言うでもなく口を開く。
「竜と戦うってのはしんどいねぇ……」
御子は成長したら勇者として竜を倒す旅に出る。それは王室や高位の術者であれば誰でも知っている内容だ。
「でも、これは白の国だけじゃないんだから」
青の国に御子は長らく産まれていない――そう言われている。
「だから早く起きな。アンタもアタシも、半端者かもしれないけどやるしかないんだから、さ」
青の国の出来損ないの巫女として、アタシはラストーが竜を倒す事に賭けているんだから。




