海と女王と海賊と(1)
白の国の城下街で乗合の馬車を使い、空の機嫌を窺いながら交易路を通って港町アルポーに辿り着いたのは、出発から一週間が過ぎた日だった。寒さの厳しい冬に足止めなどもなく港に着いたのは、ルース様による加護の御陰と言えるだろう。
ちらほらと粉雪が舞う街道に人の姿は少なかったが、酒場と見られる看板が立てられた建物からは、飲み交わす賑やかな声や暖かい明かりが見える。
ここから先は、青の国へ向かう定期船に乗って向かうことになる。勝手知ったる街で俺の足は船着き場へと向かい、顔なじみの受付嬢に出会うなり用件を伝えると、何故かすまなそうに頭を下げられた。
「申し訳ありませんラストック様。今月はもう定期船の出る予定がないのです」
「……船が出せない?」
例年であれば、この冬季であっても青の国との交易を行う為の定期船が出ているはずで、この旅の移動もそれに間に合うよう出発している。
「どういう事だ? 天候による数日の遅れはあっても、定期船は出しているはずだろう?」
「仰る通りですが、ここ最近、青の国の海域で海賊船が出てまして……それも白と青の国を行き来する航路の船だけが狙われているのです」
「両国からの対処は出てないのか?」
「ええ。うちの国の方は来月にラストック様以外の騎士が向かうからということで保留されています。青の国はそれほど被害が出ていないから、とこちらも保留されている状態ですね」
うちの国は近隣の海であれば騎士団が出るが、海戦するような戦力は持っていない。対して青の国は全域が海に面し、国防として海域専任の騎士団も抱えている国だ。であれば、海賊船が出て襲われているのに被害が出ていないというのは納得できなくもないが、逆に海賊を捕まえられずにいる、というのも妙な話だ。
「なら、俺が護衛する、というのではダメなのか?」
「それは有り難いのですが、ラストック様は青の国へ渡り次第、そのまま旅を続けられるでしょう? 最も護衛を必要とするのは復路ですので……」
「……まあ、そうだな……」
確かに青の国の結果に関わらず、そのまま次の国へ向かう予定ではいる。必要がない限りは寄り道をする気はない。
「ですので、現在は安全のために次の月まで待つか、向こうから来訪する船が到着するまで待機を取らせてもらっています」
「定期船以外は動いているのか?」
「もちろんです。ですが、海賊船の話が出ているのと、季節柄、急な用件がない限りは船は出てないですね。勿論、襲われても心配ない武装船などは出ていますが……」
「わかった。ありがとう」
正規のルートでは直ぐには発てないのが確認できたところで、俺は礼を言って出た。
別に先を急ぐ旅ではないとはいえ、妹とした約束を叶える為にも、この程度の理由で留まりたくないのは確かだ。
とりあえず俺は今日の宿の為、近くにある船乗り用の宿を兼任した酒場に赴いた。
船が出せないと言っても船乗りの仕事が無くなったわけじゃない。積み荷の管理や船の整備もある。その為、仕事を終えてきた連中が集まって酒盛りに興じていた。
仕事の話に花を咲かせている者。じゅうじゅうという音を上げて、肉汁の良い匂いを立てる肉と芋を酒で流し込む巨漢。赤ら顔の男二人が袖を捲り、卓を使って腕相撲に興じる者。そしてそれを肴に酒を飲み、賭に興じる者。
そんな平和な光景を横目に、俺は空いているカウンター席まで歩き、椅子の脚が歪んだそれに腰を下ろした。
「ぼっちゃん、何しにきたんだ?」
「安酒の匂いは苦手なんだ。牛乳をくれないか」
俺の答えにマスターが無言で一つ頷き返すと、ジョッキに牛乳を注いで突き出した。念のために鼻を利かせるが、特段気になる匂いはなかったので、ジョッキを片手に持って煽った。冷やされた牛乳をぐびぐびと喉を鳴らして飲み干し、ジョッキを置き一息付いた所でようやく牛乳の中に蜂蜜の甘さがある事に気付く。
「あぁん? なんでこんなところにコドモがいるんでちゅかー?」
酒臭い息を吐き出しながら俺の肩に手をかけたのは、筋骨逞しく顔に髭を生やした男だった。顔が真っ赤になり、誰が見ても酒に飲まれているのは明らかだった。
男の後ろからは、ちょっとした見世物でも欲しいのか囃したてる声が聞こえてくる。
「マスター。叩きのめしてもいいのか?」
俺の言葉に対して無言で頷かれるなら、まあ何をやってもいいだろう。
「んんー? ボクちゃん、やれるのかなー?」
わしわしと乱暴に撫でる手を払い、小さく術式を唱える。加速のかかった身体は俺の身体を素早く椅子から降ろし、男の後ろに回って膝裏を蹴り、バランスを崩して浮いた脚を跳ね上げて床に叩き落とした。
「これで満足か、お前等」
足下に転がっている男を足蹴にして振り返ると、飲んでた連中が意気揚々と立ち上がり、指をバキバキと鳴らして迫ってくる。
「気骨があるのはいいが、相手は見た方がいいぞ」
その言葉を皮切りにして、酒場で殴り合いが始まった。
結局、酒場にいた連中の半分を殴り倒すまで続き、俺は飯もそこそこにして上の宿で身体をほぐしてから眠りについた。