終わりが始まり。巡る綻び(5)
目が覚めると、そこは草原だった。
二度目でもあるし、状況も相まってこれが夢であることはわかっている。
「……プル……」
「大丈夫ですか兄様?」
立ち尽くす俺に歩み寄ってくると、手を伸ばし、俺の頬を優しく撫でてきた。
幼い頃から触れている体温高めの手の温かみに、懐かしさで戦場にいる事を忘れそうになる。
「少し、辛い」
「生きている事がですか? それとも――」
「――あの姉弟の運命を断つ事だ」
忘れそうになる、というより忘れてしまいたいのだろう。
この戦いに勝つという事はこの国の巫女と王族の一人を殺す事であり、国王がどういう判断をするのかは別にしてもその汚名を受ける事となる。
それ以前に、良くも悪くも絡んだ相手の命をこの手で摘み取るという行為には抵抗がある。
忘れるには俺が死ねば良いが、それは出来ないししたくもない。
俺にだって、妹と外に出て慎ましやかな生活を送るという目的がある。
「決着を自覚しているのですね。安心しました」
優しく微笑む妹に俺の身体が自然と膝を折り、頭を垂れる俺の頭にそっと手を置く。
「大丈夫です。兄様は死にません」
俺の頭を撫で、同じように膝を折り、そっと俺の身体を抱き締める。
幼い頃の薄汚れた臭いとは違う、城で愛用されている蜂蜜で作られた石鹸の微かな甘みを感じる香りに抱かれた。
「最後までお好きなように戦ってください」
背中を優しくさすられる。
身体の中に蟠っていた外装骨格の不快感が抜けていく。
妹の巫女としての修行の成果、という事なのだろうか。
不快が抜け切れば、次は活力が満ちてくる。
これなら、目覚めた時にはすぐにでも動けるだろう。
「プルは、兄様が帰ってくるまでいつでも見守っていますから」
その言葉と共に、プルを中心とした草原の世界が暗転していく。
消える前にもう一度と伸ばした俺の手は無情にも妹に届く事はなく、寂しさを覚えた俺の顔を冷たいものが撫で、意識が目を覚ました。
――・――・――・―― ――・――・――・――
目が覚めると、トゥーリアが俺を守るように背にして銃を構えていた。
「……どれだけ落ちてた?」
「もう起きたんさね!?」
敵から目を離さずに口にした様子と声からすると本当に間もない時間だったのだろう。それでも術式の効果も相まって殴られた痛みも既に無く、外装骨格の不快感も消えていた。
エレーンとクエレに見られながらゆっくりと身を起こしながら身体の状態を確認したが、概ね戦いの前まで調子が戻っていた。これならもう一度満足な戦闘を行えるだろう。
傍らの剣を手に取って術式剣の槽の中身を――流石にこっちは残量がほとんどなかった――確かめつつ、思いついた事を口にした。
「トゥーリア。結界の範囲を弄って水をここにも浸せるか?」
「可能さね!」
すぐさま短銃を抜き、術式の核に向かって一発撃ち出す。目標を見ずに撃ったにも関わらず目標へ到達した銃弾は核を撃ち抜き、周囲を覆う滝の流れが一瞬乱れた後、観客席から水が溢れて決闘場を水で浸らせていく。
「なるべく、俺達が有利となれる戦場を作って戦うぞ」
「おうさ!」
このやり取りで俺たちがどうやって戦うのか気が付いたのだろう。トゥーリアの身に付けている具足の足裏に術式の光が走る。
「騎士武装!」
俺も再度アレクエスを着装しトゥーリアの横に並び、一つ頷き合ってから俺が前に出た。
「援護を頼む!」
こちらは前衛の俺と後衛のトゥーリア。エレーンは前衛後衛の両方をこなせるが、おそらくクエレを前衛にして補助するだろう。しかも、向こうと違ってこちらの活動時間には制限があり、しかもクエレの戦闘力を測らないわけにもいかないとなると、しばしの間は俺が前衛としてクエレを抑えつつ、打倒できる状況を如何にして作るかを考慮していかなければならない。
「すごいよ! ぼく、こんなに殴れるんだ!」
誰からもおぼっちゃまと思われたであろうふくよかで肌ツヤの良かった体はそのまま筋肉の塊へと変わり、手足のついた岩のような姿となったクエレがエレーンにも引けを取らない速度で俺に殴りかかり、剣で受け止める傷を略式の術式で瞬時に癒しながら手を止めずに襲ってくる。
まともに受け合ってはこちらの体力がもたない。術式槽も割れてしまう事も鑑み、出来るだけ攻撃を受け流して対峙する。
戦いに慣れてない故、攻撃そのものは膂力に任せた単調なものだが、その勢いが途切れない。わずかな隙を狙って細かな術式を繰り出して攻撃に転じて傷をつけても、致命傷どころか足止めにもならなかった。
「随分な馬鹿力だ!」
「屍鬼なら、元の医療術士の能力で筋力強化なり自己再生なりを上げてるんさね!」
「なるほど! 単調ながらも嫌な力だ!」
「どうする!?」
「核を破壊するしかないさね!」
それはつまり、クエレを狙ったところでどうしようもない。
一度殺されてエレーンによって復活した以上、核の持ち主はエレーンにあると思って間違いない。
「やるしかないか!」
クエレをあしらいつつ、エレーンの方へと足を向ける。
しかし、エレーンは一言口にしただけで術式を展開して俺に迫ると、以前とは比べられないほど増した膂力で俺をクエレの側へと押し出す。
待ってましたとばかりに大ぶりに構えた拳を一瞬だけ加速度を上げて避け、大きく後ろに下がる。
「ちっ! 術式の能力は向こうが高すぎる!」
「そりゃ上限のない吸血鬼だからさね!」
とはいえ、吸血鬼の退治方法としては身体を構成している核を破壊するしかない。核を別所に保管する手段もあるというが、生まれたての吸血鬼であるエレーンにそれは当てはまらないだろう。単純に考えるなら核の位置は頭か心臓だが、狙いを外せば身の危険が大きくなる。
「私たちの核は人間と同じですよ」
唐突にエレーンが口にすると、胸元に手を当てて肉を抉ってみせる。そこには心臓にも似た赤黒い色の結晶体が光を明滅させていた。
クエレも同じように胸元を開き、核を見せる。ニタリと笑って手を離せばみるみるうちに肉体が修復された。
「……余裕だな」
「私が強者となるためには、あなた方が余計な詮索をしている間に死なれても困ります。これは余裕からではなく時間の節約ですよ」
同じく胸元が元に戻ったエレーンが無表情で答えた。
「勝負を楽しみたいという事か」
「楽しめれば――いいですね?」
地面の水が弾け飛び、エレーンの姿が眼前に迫った。
「っ!?」
「私は前でも後ろでも十分に戦えますよ?」
咄嗟に構えた俺の剣と鍔迫り合いをしながら、術式を唱えていくつもの炎を作り出してトゥーリアへ牽制もする。術式は舌打ちしながら短銃を抜いたトゥーリアが次々と炎を撃ち抜いていく。もう片方の手の長銃から術を放ってエレーンを狙った一撃が追尾で狙い違わず届いたものの、手で打ち払われてしまった。
「青の巫女候補なのですから、もう少し威力を高めないと私を貫けませんよ」
「略式とはいえ、そう安々と止められると腹立つさね!」
「それでもちゃんと痛いですよ? 痛みを抑えつつ高速再生はさせてもらいますが」
ボロボロになった手は見る間に復元され、傷など何事もなかったようになってしまう。
「……もう能力は使いこなせるんだな」
「それはもう。貴方達より私たちの方が黒の国との戦いは多いんですよ?」
「そうだろうな」
大陸として繋がっていない俺たちの国は、彼女らの国からすると軽んじられるような立ち位置なのだろう。
それならそれで構わない。
「―だったら、俺達が本命と戦う為の試金石にさせてもらおう!」
強気に笑って見せた――いや見せるしかなかった。
「その意気やよし!」
エレーンの伸びて牙のようになった歯を剥き出しにして笑うその姿は、闘争の意気に溢れていた。




