終わりが始まり。巡る綻び(4)
核を破壊された彼女の外装骨格が解けるのと、俺が限界時間を認識して解くのは同時だった。
元へ戻る為に一瞬だけ視界が失われ、身体が再構築された目に入ってきたのは、胸元を黒く焦がして抉られた彼女が地面に倒れていた。
身体のあちこちから人にはない骨のようなものが浮き出ていたが、目が見開かれ、口元からは一筋の血を流して事切れた様子は、誰が見ても死んでいるようにしか見えない。
「っ、エレーン!」
限界まで酷使した身体に鞭打って叱咤しながら彼女の側へ寄り、抱き起こす。
彼女の生まれかそれとも術式の影響か、死んだとは思えないほど温もりがあり、胸の傷さえなければ生きていると思えた。
「姉上!」
誰もいない決闘場に、幼い子供の声が響く。
「……クエレ……」
俺はそっとエレーンを下ろし、クエレが見られるようにする。
「姉上! 姉上えええええっ!」
それだけしか言葉を知らない子供のように姉上と連呼しながら駆け寄り、その身体を抱き、首元に手をあてがうなどして生きている証明をしようと躍起になっている。
だが、何をしても反応がないとわからされると、彼女の身体を地面に横たえ、俺を怨嗟のこもった目で睨みつけてきた。
「……殺してやる……」
エレーンの足元に転がっていた剣を掴み、血が滲むほどに握りしめながら立ち上がる。
「止めろクエレ。お前の実力で俺は殺せない」
戦う力はほとんど残ってないが、立ち振る舞いで気づけるほど明らかに訓練をしていないと気付けるクエレに敗れるほどじゃない。
それはクエレもわかっているだろう。
それでも一歩、また一歩と踏み出し、憎しみで顔を歪ませながら近づいてくる。
「殺したいなら力を付けてこい。それからなら――」
そこまで口にしたとき、クエレの後ろにゆらりとそれは現れた。
「離れろクエレ!」
俺の怒声に反応する間も無く、クエレの首筋にそれは噛み付いた。
「あっ、あっ、あっ」
後ろから噛み付いた相手が誰か悟ったのだろう。
クエレの顔は苦痛があるはずなのに、とても嬉しそうにその血を吸われている。
止める事も忘れて動けない俺の耳に、じゅるじゅると血を啜る音がやけに響く。
どうなっているのか頭で理解出来ても、赤く濁るそれ――エレーンの眼に射すくめられ、身体が動いてくれなかった。
「……あね、うえ……」
王族の子としてそれなりにふくよかだった身体が、どんどん萎んでいく。
「ああ……い……くれ…あ……と……」
はりのある肌もかさかさになり、飢えに飢えた者のようにその姿を干涸びらせてクエレが死んだ。
残された骨や皮を両手でまとめて握り潰し、それを口に放り込んだ彼女の笑顔には吐きそうになった。
「ただいま、勇者様」
異様に伸びた髪。
紅くなった瞳。
鋭く伸びた犬歯と尖った爪。
そして頭から生えた螺旋状の角。
「エレーン。君、吸血鬼になったんだな」
彼女くらいの実力があればそこらの魔物にならず、上位の存在になるという確信があった。
「ええ、そうよ」
彼女も肯定する。
長ったらしい髪が邪魔なのか、手で一つにまとめて爪先で切り落とした。
光を受けて艶やかに黒光りする髪が、切られた事を不満にでも思っているのか身悶えてしている。
そんな事はどうでもいい。
「どうして!」
視界に入る情報を無視して、俺の口から出たのは疑問と憤怒だった。
「どうしても何も、これが私の目指す一つだもの」
「クエレを殺してまでか!」
「あの子は常々口にしていたわ。『私の為になりたい』って」
彼女が胸元へと手を当てる。
黒ずんでいた傷跡はクエレを食べた事でその損失が補われ、跡形もなく綺麗に埋まっていた。
今更にして裸だと気付いたのか、彼女は握りしめていた髪に何事かを呟くと、髪が伸びて彼女の身体を覆う。
さっきまでの戦装束とは違い、社交界にでも赴けそうな長いドレス姿だった。
「詭弁だな」
「そんな事ないわ」
彼女は胸元に手を当てる。
「そこにクエレがいるというのか」
「そんなに言うなら、眼に見える形でクエレを見せましょうか」
胸元に当てていた手がそのまま身体にめりこみ、掴み、肉を抉り出す。
血の滴るそれを目の前に掲げ、彼女は唇を舐めて湿らせると術句を口にした。
「我が血肉より生まれ出でよ。祖の魂にありし型にて汝は新たな生を謳歌する――生 け る 死 人」
術式が終わると手の中の肉片を地面に落とす。
ゆっくりと落下しながらもそれは術式の影響で肉が蠢き、急速な勢いで形を作っていく。
地面に落ちた頃にはもう人としての形が生まれ、起きあがろうとして足が生え、ふくよかな胴体と腕が生まれ、頭と思しき部分に亀裂が生えて目と口が出来、汚物を払うように身体を掻き毟れば皮膚が見え、肉を揺らして震えれば余計な物が剥がれ落ちて、ようやくクエレとわかる姿がそこに生まれた。
全身色白で目が赤くなっていたが確かにそれはクエレで、ともすれば以前に見た姿よりも生き生きとした明るい笑みを浮かべている。
「姉上。ありがとう」
「良いのよ。私も、お礼を言わなくては」
「あああ、姉上……」
クエレの重さを感じさせぬ軽い手付きでその身体を抱えると、青白い顔に目立つぬらりとした真っ赤な唇が重なり合う。
口付けを交わしている。それはわかる。
だがそれは人が行う親愛ゆえのものではない。
産み出した眷属へ力を補填するための、単なる譲渡でしかない。
そうだと分かっていても、彼女の目は弟を想う意思があるのか見下したような目つきではなかったし、クエレも姉を慕う気持ちに変わりはないように見える。ついでにとばかりに彼女の髪が手を触れてもいないのに伸び、クエレに簡素な服を成した。
やがて地面に下ろされたクエレは目や爪が黒く濁り、興奮で荒く息を吐き出す口から出た舌もまた黒く染まっていた。
「二対一だけど大丈夫?」
そう話す彼女に、俺は剣を向けた。向けるしかなかった。
「いずれにしろ、お前達姉弟をここから出すわけにはいかない」
彼らを外へ出してしまえば、赤の国が滅びへ向かう。
黄の国がああなった上にこの国まで滅んでしまえば、これからどうなるかわからない。
白の国に仕える者だとしても、この事態は見過ごせなかった。
「あら? こんな姿だからって別に私は国民を食べたりしないわ」
俺の懸念をよそに、あっけらかんとした表情で彼女はとんでもない事を口にした。
「だって、私はこの国の巫女だもの」
魔物化したとしても彼女自身の意思は変わらないと言いたいのだろうが、それを鵜呑みに出来るほどじゃない。
「だったらクエレを食わないだろう!?」
「あの子は良いのよ。だってそれが望みなんだから」
そう言って彼女がクエレの頭を撫でると、大人しくしていたクエレが目を見張る速度で体当たりしてきた。
彼女の術式速度に迫るその勢いに気を奪われた俺は、そのまま押し倒されてしまった。
「ぐあっ!?」
かろうじて持っていた剣を手放してしまい、そのまま馬乗りにされて身動きが取れなくなる。
「クエレ?」
「姉上! ぼくはこの犬ころをころしたい!」
口から涎を滴らせながら、顔に狙いを定めて握り拳を構えているクエレ。
すぐに殴りかからないのは、姉の号令を待っているからだろう。
「ダメよ」
そんなクエレを諌める。
「ラストーは立派な血肉なんだから、ちゃんとお食べなさい」
「わかった!」
そう答える前に拳が顔面にめり込んだ。
ただでさえ解除後でまだふらつく身体へまともに食らってしまい、一瞬意識が飛ぶ。
意識が戻った次の瞬間には横殴りに殴られ、口の中に血の味がじわりと漏れた。
「ラストー!」
遠くに聞き馴染んだ声が聞こえる。
身体の上に乗っていた重みが取れると同時に、霞む視界に誰かが立っていた。
「緊急処置!」
腹に撃ち込まれた何かが広がっていく暖かい感覚と共に、顔の痛みが引いていく。
「立てるまで少し時間がかかる! 血清飲んで大人しくしてな!」
「……すま、ん……」
ぐらりと揺らぐ視界の中で手探りで瓶を手に取った。
しかし栓を開けようとしたものの手に力が入らず、口で咥えて強引に捻り、そのまま血の味しかしない中身を呷る。
外装骨格特有の疲れが少しずつ抜けていくのを感じながら、やるべき事を思案しつつ意識がゆっくりと落ちていった。




