熱狂の人々。鍛錬のひとたち(4)
重力に従って落ちる水を視界に納めながら、俺は剣を抜いて構えた。術式はまだ起動しない。
一方。彼女の方は、背面や肘、踵などの関節部辺りから赤い炎がちらちらと羽のように舞う。
そして水が地面に落ちたところで炎が噴き、俺の加速術式に劣らない速度で武器を突き出してきた。
「!?」
俺は咄嗟に剣の腹を用いて払い、その一撃を避ける。
「くっ!?」
「初撃はどうにか、ですか」
口が無いのに声がする不自然さに不気味さを感じつつも、彼女の機体から視線を外さずに、俺の口は目的の術式を唱えた。
「加速!」
第一段階の加速は、彼女と同程度の速度を俺にもたらす。加速する視界の中で彼女の機体が横を抜けざまに肘を曲げ、肘からも炎を噴き上げて力任せに剣を払いのけて俺と距離を取られた。
「それで良いですよ」
余裕のある彼女に対し、これは一つ貸し――出方を窺うような俺を戒めるための一撃だったから――だろうと思い、一礼して非礼を詫びると、改めて剣を構えて走り出す。強引に離れたとはいえ、加速中なら右と左を一歩ずつ踏み出せばもう届く。正面から振り下ろした一撃は、彼女の武器に受け止められた。
「早いですね」
「それは皮肉かな!」
「いえ、本心からですよ」
速度という点では劣らない彼女に対し、数合斬り結ぶ。本来の戦いであれば、合間に攻撃術式を挟むのだろうが、お互いそれを口にしないのはお互いを殺すためではないと暗黙の了解があるからだろう。
場には、鳥のさえずりも風の渡る音もなく、軽やかに舞う機体に乗せられて踊る空気と、重なり合う金属の澄んだ激突だけが響く。
規則正しいとさえ感じる音の流れを断ち切ったのは、踵から炎を噴いて大きく跳びすさった彼女だった。
彼女がどうだかわからないが、俺の方は活動限界というほどではない。もう少し斬り結ぶのか、それとも更なる術式を交えようとするのか。
挙動を見逃さないよう彼女を一心に見つめていると、向こうは武器を地面に突き刺して両手を腰元に当てた。
「そろそろ終わりにしましょうか」
そう口にすると、スカートのようだったそれが一部取れて、彼女の両手に収まった。
てっきりスカートだと思っていたが、もしかして刃物なのかあれ!?
「二刀!?」
思わず声が出てしまったが、そんなことにお構いなく背面からこれまでで見たことのない炎を噴き、一気に俺に迫った。
慌てて剣を構えて迎え撃とうとしたが、こちらが本来の闘い方なのか、一刀を常に視覚に入るように動きつつ、視界の外からもう一刀が襲ってくる。対処する方法は思いつくが、常に襲い掛かる別の一刀に意識を集中せねばならず、術式を唱える余裕が無い。
「おしまいです」
音もなく忍び寄られた武器が俺の首元に軽く当てられた。刃先の方ではなかったので斬られてはいないが、そうでなかったら俺はやられていただろう。
彼女は二刀を戻し、武器を手に取ると武装を解除した。一息付いてから、俺も彼女に倣う。
「やあ、良い戦いが出来ました」
「……随分な腕前で」
「生半可な腕では黒竜どころか『角持ち』にもやられてしまいますからね。結構鍛えてるんですよ」
角持ち、というのは一般に言われている魔物の別称だ。世俗で使われる事の多い名称に彼女の世間慣れを感じてしまった。
「もう一戦、なさいますか?」
「俺の腕でもよければ――」
お相手させていただきます、と続けられなかった。
「――姉上!」
屋敷から走ってくる、十になったかならないかというような人族の子供がいた。全体的に丸みを帯びていて、それでいて身に付けている服は派手さはないがはたと貴族然としているので、言葉通りに捉えるなら彼女の弟君なら王族の一人なのだろう。
重そうな身体をゆさゆさと揺らしながら走ってくるので、こちらに到着するまでもう少しの時間はありそうで、俺は彼女へと振り返った。
「あちらは?」
「弟です」
簡潔に語られるにはそれなりに大きな存在ではないだろうか。
そう思いつつ、彼女にちらりと視線を向ければ、静かに納刀して困ったような顔で彼を迎えようとしていた。
俺たちの近くにきた彼はぜぇぜぇと苦しそうに息を吐き、彼女が近寄って疲労軽減の術式を口にして彼を助けた。
「また、許可なく、戦ったのですか!」
「そりゃあ、それが巫女としての役目ですからね」
「私闘は禁じられているでしょう!」
「これは私闘ではなく訓練です」
「言い訳は無用!」
こういうやりとりは日頃から繰り返されているのか、あまり緊張感の無い彼女と、どういう理由かは知らないが姉に強く言い聞かせる弟の姿は、どことなく自分自身によく似ていた。
「こんな犬コロ相手にムダな力を――」
「クエレ?」
それが弟の名前なのか。確か五番目の子供だったなと耳にしながら思い出した。
「私が招いた客への無礼は許しません。謝りなさい」
「姉上!」
互いに真剣なのだろう。犬コロ呼ばわりされたところで今更どうということはないし、王族の彼からしたら俺という男はそういうものだろう。
「貴方も余計な事はしないでください!」
俺を指差して一方的に言い放つと、何やらぶつぶつ呟きながら戻っていった。屋敷に入るまで二人で彼を見送る格好となり、姿が見えなくなるなり彼女は俺に向き直って頭を下げた。
「申し訳ない。色々と難しい年頃で」
「まあ、ああいう風に呼ばれるのには慣れてますから」
心から申し訳なさそうに頭を下げる彼女に対し、俺は笑って応えた。町にいた幼い頃には口に出したくも無いような酷い事を言われ、城に招かれた時にもいくばくか囁かれた事もあった。そんな当時に比べれば、これくらいは気にするような事でもなかった。
それより、彼からしたらそれだけ彼女が大事だという事の方が重要だと思えた。
「随分と慕われているようで」
「幼い頃から私に付いて回るのが好きな弟でして。私がこうして巫女になってからも、私の従者になりたいと突拍子もない事を言い出して私の側から離れようとしないのですよ」
困ってはいるが、顔を綻ばせているところからすると、そういう姿勢をまんざらだと思っていないのだろう。
「要職へ就こうともせず、医療術士としてずっと付かれても国の為にはならないんですけどね」
「医療術士?」
名前の通り医療系を専門に修めた術士だ。大半は習得した術式や知識を用いて市井の人々の生活の助けとなるように努めたり、国に支えて技術研鑽したりするものだ。しかし、姉である彼女に対して付き従っている弟が、姉の為にならないような事をするというのは考えにくい。
「どこかお身体に不調が?」
「そう見えます?」
「全く」
彼女との短い立ち会いではあったが、彼女の挙動に不調を思わせるところはどこにも何もなかった。
「ですが、弟のしていることは無駄だと切り捨てる程の非情さも持ち合わせていないので、こうしてずっと一緒に住む事にしているのですよ」
屋敷の方に目を向けて話す彼女の横顔は、どこか誇らしくもあるようであり、子を遠くから見守る親のような慈しみも見られる。
ひとしきり二人ともどちらも言葉を発する事なく、ようやく動く事を覚えた風に頬を撫でられながら屋敷を見つめていた。
「こちらから誘っておいて申し訳ないが、恐らくあの子はまだどこかで見張っているでしょうから、今日はこれでお開きにしましょう」
「いやいや。俺も良い勉強をさせていただきました」
再び俺に頭を下げる彼女に、俺も頭を下げて返した。
「宿までお送りしましょう」
「いや。道はなんとなくだが覚えている。それに――」
やはり再び屋敷を見る。
視線は感じないが、どことなくあの弟の気持ちは理解出来る。
「――一緒に来るとなれば、弟君が黙っていないでしょう」
どことなくまだ関係が続くんじゃないか。
そんな印象を与えた弟を思い出しつつ、俺は屋敷を去った。




