祭りの始まり。宴の騙り(6)
「で、どうしたんさね?」
それから少し時間が過ぎた後、戻ってきたトゥーリアとグラスを交わしながら先程の話を伝えた。
「断る理由が作れなかったから、受ける事にした」
了承して手を握り返した時の彼女は、歳不相応なほど明るく、日時の擦り合わせを行う為に後で連絡する段取りをつけて別れた。
「まあ第一王女はアタシと同じらしいからねえ」
「巫女候補か」
「らしいよ? 赤の国はどちらにも専用の外装骨格が代々あって、継承には選別の為に心身を鍛え上げるって話さね」
「それで子沢山なのか?」
「男が五人、女が三人だからねぇ」
全員と関係を持つ事にはならないだろうが、育てる親も子供の立場としては大変なんじゃないだろうか。
「ま、白と対等以上であるため、って事で軍事には結構力を入れてる国だからねえ。色々大変だろうさね」
「同感だ」
トゥーリアのグラスに入っている上質なワインの匂いを嗅ぎながら、俺自身は果実水を喉に流し込む。酒の匂いはいつまで経っても慣れないが、葡萄のほんのりとした甘味のある爽やかな香りは好きだ。
「アンタはこれからどうする? アタシはちょっと新しい術式が来たから、その解析と試験で宿に戻るけど」
新しい術式、というのが気になったが、こんな公では聞きにくい話題だ。
さりげなくグラスで口元を隠しながら、後で、と口にしたので帰った時の楽しみとしておこう。
それはそれとして、俺は極薄の肉を花の形にまとめられてソースがかけられたそれを惜しみながら口に入れ、柔らかい肉の食感と酸味のあるソースの組合わせに驚きながら口を開いた。
「俺は妹を待っている。それが終わってから宿に戻るつもりだ」
妹はまだアルジェと回っているのが匂いでわかる。
「目立ってるよねえ、妹さん」
二人でちらりと視線を回せば、アルジェと妹がどこかの貴族に挨拶をしている姿が見えた。白の衣装に身を包んだ妹と黒を基調にした執事服のアルジェは――本人が意識してそう振る舞っているのもあるからか――、誰が見ても夫婦の様相を呈していた。
「まるで花嫁みたいじゃないか」
「……それを言ったら俺はどうする?」
それぞれの趣味は置いておいて、結婚の祝いをするときは白い衣装が基調となるらしく、正に俺の格好は花婿らしいと言えた。
「花婿みたいで良いじゃないさね?」
「それを言ったら、お前が花嫁役になるんだぞ?」
眉間に皺がよる。そもそも人と獣人種族では寿命が違うし、さらに俺は鋼騎士で、いつ死んでしまうかわからない立場にある。そんな人間を花婿にしたいなどとは思わないだろう。
そう思っていたのだが、向こうは思ってないらしい。傍らのテーブルに置かれている白ワインが注がれたグラスを手に取り、煽るように一息で飲み干した。
「金持ってる男は誰だって魅力があるもんさね」
「その金を食い潰している女が目の前にいるぞ?」
少しの皮肉も込めて言い返すと、驚いて目を丸めて俺を見た。
「この酒はタダなんだから良いじゃないか」
「どうせ帰ってから俺にツケて飲むんだろう?」
「それは気分次第さね」
なら飲むだろう。仮に飲まなかったとしても、後で飲みたくなった時の為に買い置きくらいはする。
そもそも、まだ月は空に登っている時間だ。決まった予定がないのなら、充分飲んでいられるだろう。
それくらいの信頼感はあった。
「俺からは飲み過ぎるなよ、としか言えないが」
「今までそんな事あったさね?」
そう返されては自制出来ている――少なくとも仕事に支障を及ぼした事はない――以上、何も言えなかった。
暫しの間、二人でテーブルを巡って酒の肴だったり、肉の趣味だったりとを話し合いながら時間を過ごしていく。全般的に政治的センスの良い料理さね、と誰かを褒めて満足したトゥーリアは、ややふらついた足取り――という演技らしいが、それまで好き勝手飲みまくってただけに、どれだけ引っ掛けられるのか――先に帰って行った。
一人残されたが、入れ替わるように背後から馴染んだ気配が迫ってきた。
「お待たせしました兄様」
振り返って迎えた妹に一歩近づき、そっと抱きしめる。幾分か大人びてきた身体になりつつあるのを実感しながら、香料よりも鼻にくる酒の匂いに俺の眉間がきつくなる。
「少し頬が赤いぞ」
「ちょっと飲まされました」
名残惜しみながら手を離して妹の顔を見ると、頬がうっすらと赤くなっている。
城にいた頃から酒なんて飲めなかったはずだが、どいつに飲まされたのだろう。
「よし。殺しに行くからどいつか――」
「もう兄様。大丈夫ですから、部屋に行きましょう」
喉から上がった唸り声を手で制され、少し足取りが怪しいながらも俺を階上へと引っ張っていく。
妹が良いというなら仕方がない。酔っている妹を抱き抱えて階段を登っていくと、扉の開け放たれた一室で執事が立って待ち構えていた。
「アルジェ」
「入口の施錠を確認次第、お暇しますからお気になさらず」
覗きや聞き耳という手段もあるかと思うのだが。
まあ聞かれて困るような事はないのだから気にしても仕方ないか。
「一時の再会をお楽しみください、お二人とも」
そう言い部屋に入った俺達の背中で扉が閉じられた。施錠は内側からなので、妹をベッドに降ろしてから鍵を掛ける。すると、すぐさまコツコツと足音高く歩いて場を離れていくのが耳に入る。
「アルジェなら聞き耳でも立てそうな状況だったのにな」
「術式で保護されてますから、音は漏れませんよ兄様」
口元に手を当てて笑う姿は見た事がない。まだ会談用のお飾りを上手く付け替え出来ないんだろう。
「……本当に大丈夫か?」
「ちょっとふわふわしてます」
ただ飲んでいる内は良かったのだろうが、流石に酔いが回り出しているのだろう。ベッドの傍らにあった魔導機で水を冷やし、グラスに注いで渡してやった。
「ほら」
「ありがとうございます兄様」
温度差で早くも水滴が付き始めたグラスを両手で持ってゆっくりと飲んでいく妹。そんな姿を見ながら俺も喉が渇き、同じ物を用意して飲み干した。
「なんで酒なんて飲んだんだ。城では全く飲まなかっただろう」
お互いに飲み終わって、妹に二杯目を注いでから聞いてみた。
「アルジェに頼まれたんですよ。少し酔ってる方が可愛げがあるから、って」
「……あいつは……」
アルジェには後で叱っておこうと思ったが、そんな俺の考えを見透かしたのか、手を振って俺を制する。
「ちゃんとルース様の許可はありましたし、それに、事前にどれくらいなら飲んでも良いのかを試されましたもの。ルース様はルース様で、巫女が酌に付き合えるなら楽しみが増える、って面白がってましたし」
「……ならいいが……」
いずれにしろ、俺がいない間も城では不便なく過ごしているようで何よりだ。
そう安堵すると、今度は普段どうしているのかが気になる。御子として早くに修行を始めた俺と違って、妹は修行の前段階として力の制御を優先して行われていたから、今は何をしているのかほとんど知らない。
「今はどうしているんだ? 俺の旅の間は巫女として修行を始めるとは聞いているが大変か?」
「そりゃ大変です。でも兄様だって勇者してるんですもの」
「俺はお前と共にいるために覚悟がある。だからこうしてお前と別れる事になってしまっても俺の為に耐えているし、だがお前の事も気になるんだ」
妹の隣に腰を下ろし、肩を寄せ合いながら心情を吐露していく。
「ルース様は優しいだろう?」
「でも、時折は意地悪されますわ。サヌス叔父様と遊んでこい、って」
「あれで子供には人気があるし、娘さんもお孫さんもいるんだ。優しくしてくれてるだろう?」
俺も最初は、修行と称して遊びに連れ出される事が多かった。サヌス様の持つ歴戦の雰囲気に飲まれて硬くなっていた俺を解きほぐそうとしてくれたのだと、今になって思う。
「でも、勝負事は真剣で、負けず嫌いですわ。全然勝たせてくれないんだもの」
「それだけ、あの人は土が付かない戦いに身を置いているからな」
白の国の守護騎士にして、他国に『常勝騎士』とか『死なずの騎士』とか言われているサヌス様だ。何事においても負けないだろう。
俺も、遊びでも騎士としても勝てた事は一度もない。
それから他愛のない話に花を咲かせつつ、俺としては肝心な部分を切り出した。
「明日からはどうするんだ?」
「帰ります」
半ば予想していた事だけに表立って落胆する事はなかったが、それでも尻尾は素直に丸まってしまった。
「もう、帰るのか?」
「今回はルース様と私の希望が一致して、兄様に会いに来たのです。決闘祭そのものには興味がないですし、本当は城から出たくないんですもの」
それはいつもの妹だった。
頑なに城で保護されている事を望み、城で一生を終えたいという願い。
「変わったと思ったらそれか」
「だってぇ」
突然、甘えた声を出したかと思えば、不自然なまでに和かに笑って抱きつかれた。
「兄様の力になりたかったんですもの」
「……プル……」
気力が尽きてきたのか、それとも人肌に安心したのか。瞼が落ち、それでも起きていようとむずがる姿の妹がいた。
「……にいさま……」
「眠いのか」
聞かなくともその通りなのだが、妹としては昔のように眠りたいのだろう。
俺は妹の頭を撫でて宥めると、てきぱきと服を脱いでベッドの側に皺にならないよう置いていく。続けてうとうとしている妹の服を脱がし、同様に寄せておく。帰るときにみっともない姿にしては妹に悪いからだ。
お互いに下着姿になると、ベッドに潜り込む。
「もう、お互い子供じゃないのにな」
互いの匂いを馴染ませるようにマズルを擦り合う。
グッと抱きしめれば重なり合う鼓動で一つの生き物のような混ざり合う感覚に捉われる。
「プルと寝るのは嫌?」
「まさか」
妹の眠気に誘われるように、俺も意識が微睡んでくる。
「おやすみ、プル」
「……おやすみなさい、にいさまぁ……」
お休みの挨拶としてマズルの先を重ねると、力尽きたように眠りに落ちた。