祭りの始まり。宴の騙り(5)
祝賀の席は、城内とは別に用意された大きな屋敷だった。外から見ると二階建てで、貴族の館にも似た大きな扉に出迎えられる。
中に入れば豪奢なシャンデリアがいくつも並ぶほど広々とした広間になっていて、用意された円形のテーブルにはすでに突き出しや前菜が数多く並んでいた。そんな奥から出入りしている人を見ると、奥側がおそらく厨房や使用人室になっているのだろう。
二階へと続く階段がいくつか見られ、視線を向ければ扉が開け放たれた状態の部屋がいくつもあった。おそらく、個人的な会談なりをする場所として使えという事だろう。
少し遅れて来たからか、会場には既に戦士とその連れらしき者がセットでテーブルを巡っていた。マナーがなく不慣れな様子を見て貴族や商人が近くに寄って声をかけている状況だった。
「おお! ようやく参られたか!」
一斉に向けられた視線の一番奥。一段高く作られた壇上に、パーター殿がいた。赤を基調とした衣装に身を包んでいても、持ち前の屈強な肉体のせいか、はち切れそうなほど服がきつそうだ。
「すまない。こういう場は不慣れで手間取ってしまって。連れに手を貸してもらい、ようやく参じた次第だ」
必要以上に下手に出る必要はないが、遅れた謝罪はするべきだろう。
深く腰を折って頭を下げると、離れているにもかかわらず腹に響く笑い声が会場に拡がる。
「なに、淑女の召し物に時間がかかるのは世の常だ! 気にせず席に加わるが良い!」
トゥーリアの方に原因があるとは言ってないのだが、訂正しようにも当の本人が流しているので黙っていた。
手を差し出して伴いながら奥へと足を進めれば、香辛料を効かせた料理の匂いや上質な葡萄酒の香りが会場を包んでいるせいで、今一つ個体の匂いがはっきりしない。戦士のような見た目の連中にしても香りを付けていて――扱いに不慣れなのだろう過剰に付けられた香水の臭いで鼻が曲がりそうだ――、なおさら気持ち悪い。
「妹君も美しいが、貴殿もなかなかのものじゃないか!」
壇上を降りたパーター殿が大仰な態度で俺を出迎えたが、俺にはもうどうでも良かった。
彼の傍らにいた妹が、まるで見た事のない姿だったからだ。
俺と同じく白を基調にした薄い生地で丈の長いドレスを身に纏い、白の国で春先に見られる小さな白い花を編み込んだヴェールを被り、長手袋で二の腕近くまでを包んでいた。指の先には手袋を固定するためなのか透明な石を埋め込まれた指輪が、中指に付けられていた。
「お久しぶりです、兄様」
「……元気に、してたか……?」
口に出してみれば、自分でも予想だにしない震えた声が出た。
夢見ていた現実が目の前にある――そう思ったからだろう。
「気分とかは……大丈夫なのか? 身体の調子は?」
本当はもっと違う事を聞くべきなのかもしれないが、俺の口はあれやこれやと質問ばかりが溢れていく。
「兄様? これでもプルはお仕事中ですよ?」
そう言いながらヴェールの内側で屈託なく笑う妹の笑顔は、嘘偽りのない本物の妹だった。
「ルース様も近くにいらっしゃいますし、それほど驚かれる事もないでしょう?」
妹の安心の元であるルース様が――その姿が近くに見えなくても――側にいるなら、これほど落ち着き払っているのは納得出来る。
「すみません王様。兄は心配性で、旅に出てからも私の身を常に案じていたので、旅路を祝福する為にこちらへお伺いさせていただいたら、嬉しさで……」
「構わん構わん! 勇者であるとはいえ、肉親に会って感極まるのは当然の事よ!」
あの社交性のない妹にフォローまでされてしまえば、兄としての立つ瀬がない。背中がこそばゆい思いをしながらも、パーター殿へと非礼を詫びる為に頭を下げた。
「積もる話もあるだろうが、まずは会食でもして落ち着くと良い! 味は保証しよう!」
「……ありがとう、ございます」
正直、こんな状態で味なんてわかるのかと思ったが、適当にアミューズを取り分けて口にしたら何の味もしなかった。
トゥーリアは別れ際に少し離れると言い二階へ行ってしまったし、所在なさげにしていれば視線はどうしても妹へと向いてしまう。離れたところで貴族らしき男と社交辞令すらこなして優雅に振る舞う妹はまるで別人のようだが、同じ血肉を分けた存在である妹の体臭は誤魔化せない。
自分をどれだけ疑ってみても、あれは妹だった。
「よお兄ちゃん。そんなに妹が気になるのか」
下卑た耳障りな音を無視して妹の所作を気にしている俺に対し、気にする様子もなく相手は言葉を吐き出していく。
「色気振り撒いた良い雌だよなあ。一発やらせてもらいたいモンだぜ」
男の言葉に振り返れば、舌なめずりして妹を眺めていた存在に、俺は容易に剣を抜こうとして手を回した。
「なんだよ? 別にいいじゃねえか減るモンじゃねえしよ」
妹を娼婦か何かと思っているのか、男の物言いには明らかに食おうとしている気配が窺えた。
「死にたいのなら今すぐ殺してやる」
「なんだ? おにいちゃんとしては妹を守りたいってか?」
よし、殺そう。
こんな野郎に『兄』などと呼ばれたくもなければ、妹を襲おうとする存在を生かす気はない。
武器はなくとも素手でどうにでも出来ると、駆ける足に力が入った瞬間、
「兄様」
いつの間に近寄られたのか。
俺の手を抑えた妹がそこに立っていた。
「ぷ、プル!?」
「ダメですよ兄様。ここは祝賀の場であって、決闘の場ではないんですから」
「あ、ああ」
毒気を抜かれ、俺の身体から力が落ちていく。
そして、相手の男へと向き直った妹は、
「お相手して欲しいなら、もう少し優雅に誘ってくださいましね?」
妹の顔は見えないが声は至って平坦で、しかし身体はいつでも動けるよう意識されているのが伝わった。
「あ、ああ、悪かったよねぇちゃん」
妹の雰囲気をどう感じ取ったのか知らないが、相手の男は引き攣った顔で何度も頷いて立ち去った。
詫びている様子などなかったが、妹の手が俺の腕を抑えている。男が連れのところに戻って叱られている様子を見て少し溜飲は下がったが、しかしそれよりも妹の雰囲気が変わったのは驚きだ。
「……俺がいない間、どうしてた?」
誰にも知られたくないような話ではないだろうが囁くような小声で聞いてしまう。
「んもう、兄様ったら。そういう話は二人っきりになってからにしましょ?」
そう言い、俺の口に指を当てて閉じさせてしまう。
妹に手招きされ、ああ、何か耳に入れたいのかと思って膝を付き、耳を向ける。
「アルジェからね? 挨拶回りの付き添いを頼まれているの。それが終わったら兄様と二人っきりにさせてくれるって言うから、もう少しだけ頑張らせて、兄様」
妹の吐息を感じるほどの距離から離れると、妹の指し示す先に視線を促す。そこには、手を振りながら顔に笑顔という仮面を貼り付けているアルジェがいた。妹を引き立てる為かいつもよりは地味にまとめた執事の格好でいる。
「……あれは『早く戻ってこい』の顔だな……」
「そうなの。ごめんなさい、兄様」
額に軽くキスをすると、今度はドレスの裾を持って走りながらアルジェの元へと戻っていった。
接吻するのは騎士の役目じゃないかとか、こういう席ではしたなく走るんじゃないとか、思う事は色々あったが、まずは立ち上がった。
そして、額に手を当てる。
……熱い……
今更、妹に――こういった見知った顔のない公の場であったとしても――恥ずかしいなどと思うことはないのに、顔に熱がある。
さらには全身に広がり、ようやく自分が熱っていると自覚した。
「……飲むか」
酒ではない。果実水だ。
給士の持つそれをもらって一気に飲み干し、グラスをそのまま返して二杯目を手にしてようやく、周囲の注目を浴びていることに気づいた。
とはいえ、妹に再会した以上、俺としてやるべき事はもうなくなってしまっている手前、俺から相手にしにいく理由もないどころか、むしろ妹と二人きりになる時間を待ち詫びるだけとなっているので、料理を堪能しているしかない。
適当に摘もうと皿を手に取ってテーブルを検分していると、誰かが近寄ってくる気配があった。
「ラストック様でしょうか」
落ち着いた声色で尋ねているように聞こえるが、その内容に疑問符はない。顔を向ければ整った顔立ちとスラリとした体躯の女性が立っていた。この国に相応しいような赤く長い髪を髪留めで纏めて後ろに垂らしていて、戦士達に敬意を表してか騎士用の軽装備を身に付けていた。
彼女が周囲の男達と違うのは、会場内では持ち込み禁止とされているこの場に、儀礼用と思しき剣を腰に帯びているところだろうか。
「貴女は?」
「パーター家の長女、テリブエレーンと申します。どうかエレか、エレーンと呼びやすい方で。初めましてラストック様」
差し出された手は顔に似つかわしくなくマメだらけで、そこだけは正しく騎士だった。手を出して握ると、少し微笑んでから強く握り返される。やはり女性としての筋力なのでそれほど力はなかったが、鍛えてはいるのだろうと思えるほどには力があった。
「貴女も騎士競技に?」
「いえ、私は鋼騎士ですので」
場に似つかわしくないほど穏やかに言い放った彼女に対し、俺はどう答えればいいかわからなかった。
「ですが、よろしければ試合のない日にでも手合わせしていただけないでしょうか? もちろん武装はなしで、ですが」
「俺に、ですか?」
俺が相手に求められるような技量があるとは思っていない。やや訝しげに思っているのが表情に出てしまったのか、形の良い唇を曲げて微笑まれた。
「貴方は勇者様、なのでしょう?」
「それは、白の国としてそういう立場で旅をしているというだけです」
「それでも、貴方はここまで旅をしてこられた」
成人したであろう年頃の女性にしては子供のような澄んだ瞳で射抜かれる。
「父上の許可は頂いております。あとはラストック様のご都合を伺うだけです」
「……俺でなければいけない理由は、勇者だから、ですか?」
彼女の個人的な希望というのであれば、受けても何ら問題ない。
その判断を探るために、回答を遠回しに避けた。
「それもあります」
彼女は表情が物語る姿そのままに、その意志を口にした。
「ですがそれ以上に、会場で良い試合を皆に披露する為にも、お互いの手の内は知っておいた方がよろしいかと思います」
彼女の言い分が正しければ、俺の知らない予定として彼女との対戦がもう組まれていると言う事になる。
「何より。私としては、悔いのない戦いがしたいのです」
如何でしょうか、と手が差し出される。
断る理由もなければ、断らない理由もない。彼女の言い分を信じるなら、これは彼女自身の希望でしかないと思われるからだ。
良い意味で捉えるなら、手の内がわかるなら対策も取れるだろうし、少なくとも彼女との試合で無様に負ける事はないだろう。
悪い意味で捉えるなら、彼女自身に何もなくとも、周囲が何かを画策している可能性は残されている。
すぐに彼女の手を取らず、温くなったグラスの中身を一息に飲み干したわずかな時間を利用して出した結論は――。




