祭りの始まり。宴の騙り(1)
周囲に窓がない風通しの悪い部屋。綺麗に掃除が成されているようでも、獣種にはうっすらと残された血と脂の匂いが鼻につく。
燭台の灯す明かりだけで済んでしまうような小さく、しかしそれでもどこか薄暗さを漂わせる部屋には、二人の人物しかいない。
壊れては樹液で何度も固められたような頑丈さだけがウリのような椅子に、俺は腰掛けていた。
背を伸ばして腕を伸ばせば、普段は身に付けない鎧甲冑の姿だった。
「定着しているとはいえ、なかなか不思議な感覚だ」
「開発したアタシが言うのもなんだけど、どこまで維持出来るかはアンタ次第だからね」
「わかってる」
入口に人影が現れ、自分に出番が来た事を知らさせる。
すっと立ち上がって自分の体を見下ろせば、いやでも甲冑の擦れる音が耳に入る。とはいえ、この鎧は外装骨格として使っている基礎模型を一部利用して着られるようにしただけなのだから、違和はない。
先導する男について歩く俺と、付き添いとして後ろを歩くトゥーリア。
会場まではそこそこの距離がある事を知っている為、思わず俺の口が開いた。
「……やはり、こうなったか……」
はあ、と明らかなため息が漏れる。
「元々そうなるって話だったんだ。素直に諦めた方が早いさね」
「それはそうだが、な」
わかっていたとはいえ、それが現実として嬉しくない事態は素直に喜べないし、なんならこれから死地とも言える場所へ赴くのであれば、少し気落ちするくらいは許してほしい。
時間は一週間ほど前に遡る。
――・――・――・――
ここを色で例えるなら、赤と黄色だろうか。
活性火山の側に建てられた城と城下町があり、良質な鉱物資源を主力として各国に売り捌き、あるいは培った加工技術で作られた道具で栄えてきたのが、この赤の国だ。
工場もそこかしこにみられ、掲げている看板で扱っている商品を判断できるようになっていて、どこもかしこも金物を打つ音が聞こえ、無秩序な音楽隊のようだ。
そんな街中を抜けて山の中腹に建てられた城へと向かった俺たちは、門兵に身分と用件を告げて国王への謁見となった。
「初めまして。赤の国の王、パーター・エクェイター様」
黄の国での反省を生かして事前に赤の国の王の外見を聞いていた。種族は人間で三十代と若く、座っていても肉体の各所に盛り上がりのある筋骨逞しい身体で、顔の作りも厳ついと評していいだろう。
「お前が白の国の勇者か」
喉仏のはっきり見える首と厚めの唇から放たれる声も太く、なんというか偉丈夫という言葉通りの姿と言えるだろう。椅子の肘掛けに肘を乗せ、斜に構えた態度で遠慮なく俺を値踏みしてくる視線は不快だが、王と言うのはそういうものだと我慢した。
「随分と身体が細いようだが、それで剣は振るえるのか?」
「サヌス様に鍛えてもらっておりますので」
旧知と言われるサヌス様の名前を出すと、視線に一瞬、殺意のようなものが込められる。
アルジェからは好敵手という話だが、何か違うのだろうか。
「して、今回の要向きを聞こうか」
「こちらに」
傍らの鞄から取り出した巻物を、相手の従者を通じて渡す。
術式が自動的に解かれて、浮かび上がっている内容に目を通される。
「……ふむ。それは構わん。火竜アルタ・ルーブルム様への拝謁は許可しよう」
「ありがとうございます」
「こちらからの要求は追って伝える。下がって良いぞ」
表情に変わったところもなく淡々と口にするパーター様に対し、身に染みた礼法で半ば自動的に応対する俺。
いささか拍子抜けするほど何もなく玉座の間から出ていく事となり、案内役を務めるという騎士長とともにこちらの馬車で向かう事となった。
流石に道中無言というわけにもいかない――そうでなくとも、暇になるとコンタがあれこれ話したくてむずむずと落ち着かなくなるし、そうなると話す内容あまり騎士様に聞かせ難い内容のものとなってしまう――ので、無難な会話をすることとなる。
「子沢山と伺っているが、もう巫女の選定は済んでいるのか?」
「いえ、巫女様はまだ決まっておりません。女児がお二人おりますし……」
「では御子も?」
「ええ、そちらもまだ。今期の王は活発な方で、男児も五人おりますから」
続け様に子供の特徴や笑える出来事を穏やかな物腰で話す騎士長に相槌を打ちながら、家庭状況を覚えていく。
「とはいえ、皆様とても頑張っていらっしゃいますし、訓練もこなしております。いずれ国の皆様に認められるような立派に育つ事でしょう」
そう締め括られると同時に、馬車の足が止まった。
辿り着いたのは、城がある城下町とは反対側の山の中腹。
「こちらがアルタ・ルーブルム様の住処となります。火口の近くでお休みになっておりますので、体調にはお気をつけてください」
マノとコンタ、そして騎士長を残して俺とトゥーリアの二人で向かう為、暑さに慣れていない俺は早めに保護術式を掛けて洞窟へと足を踏み入れる。
溶岩の川があったりゴツゴツした岩の道を抜けると、開けた空間に身体を横たえた赤い竜がいた。体表を覆う鱗が炎の光を受けて輝く紅玉のようで、ゆっくりと開かれた瞼の内側にある瞳は青く、力強い意志の輝きを見せられた。
「アルタ・ルーブルム様!」
そんな雰囲気に飲まれまいと、腹に力を入れ大声で名を呼ぶ。
「白の国の勇者、ラストックが拝謁に参りました!」
騎士としての儀礼で礼をすると、身体を起こし、強い視線で値踏みされているのを感じながらも顔を上げた。
「お前が白の国の勇者か! 随分と可愛い男よな!」
吼えるような声はパーター様にも似て雄々しい。
「ほれ! さっさと手を出せ!」
俺は右手を伸ばして差し出すと、その手に噛みつかれた。
「ぐっ!?」
他の竜達と違い、手首を牙が貫通している感覚があった。
「あああああああああああああっ!?」
牙を通じて熱々に熱された水のような力の奔流に、口を外された途端に地面を転げ回った。幸いにして痛みはすぐに引いたが、身体を巡る熱はなかなか引かず、昔に高熱を出して寝込んだ時より酷い目眩に襲われる。
「暫くは熱いだろうな! それは耐えろ!」
立とうにも視界がぐらつき、片膝をつくのが精一杯だった。
「……ありがとう、ございま、す……」
荒れる息を整えようにも、呼吸するだけでも周囲の熱を取り込んでいくようで、身体がさらに熱を保とうとしているようだ。
一通り終わったと判断したトゥーリアが駆け寄り、手持ちの水筒を口に付ける。
「助かる」
注ぎ口を咥えて煽るように飲み込んでいく。ぬるめの水だったが身体を冷やしすぎることもないので、一気に飲み干して乾きを癒した。
「ほう、青の女か!」
睨むでもなく、尊敬するでもなく。
ただの人を相手にするように表情一つ変えずに見つめ返すトゥーリア。
「お前が巫女か!?」
「ババアが生きてる間は誰も巫女になれないさね」
肩をすくめて返す姿は、本当にいつもの姿勢だ。
言葉に嘘偽りがないのだから、平静なのは当然か。
「なるほど! あの女はまだ生きているのか!」
「お会いしたことが?」
「一度だけ! あの女が若い頃にな!」
豪快に笑う姿はいいのだが、若干力が 迸 っていて洞窟内が揺れているのは勘弁してもらいたい。
「まあ我の事はどうでも良い! さっさと赤の国に戻るが良い!」
そう言われてしまえば、大人しく出て行くしかない。
トゥーリアに肩を借りて場を離れてどうにか馬車まで戻り、術式で状態を観察した。
結果だけ言うなら『数日はこのまま』という事だが、体内を巡る力が落ち着けば十分な力になるのはわかっているので、辛抱だろう。
「仕方ないが、どのみちあとはこの国を出るだけだ。意外とすんなり終わったな」
「そうさねぇ」
仕事を終えたとばかりに、先んじて仕入れていた酒を軽く呷るトゥーリア。強めの酒気が鼻にくるが、寝て体調を整えるならいいかもしれない。
「そうそう。赤の国からの嘆願はこちらとなります」
診断されている俺の様子を黙って眺めていた騎士長が腰元から巻物を取り出して、横になっている俺へ見えるように差し出した。