魔物と村とトゥーリアと(3)
上天の月から降り注ぐ光が最も強い真夜中。
酒を片手に飲みながら待ち望んだ時刻になり、アタシは街の中心位置となる小さな広場にいた。
「月が綺麗だねえ」
治療の礼にと医者の爺様からもらったブランデーを片手に持ちながら、借りてきた患者を座らせるのに使う椅子に座って直接口をつけて飲む。
昼間の一件の後、日が沈んで夜警の者以外が寝静まるまで可能な限り術式での治療を行い、重傷者の容態を安定させたり周辺に詳しい者、足の速い者を中心に行った。補助を用いたとはいえ患者の数は多く、流石に術式の疲労が強い為、ここは大人しく血清を飲んだ。
「さて。始めますか」
ただ酒を楽しんで飲んでいたわけじゃない。
この位置は結界の要として最適な場所であり、酒を飲むのも術式の下準備だ。
酒臭い息を吐いて気持ちを切り替えると、描いていた言葉を舌に乗せる。
「水よ吹け。祖は止まない雨にして、霞み、捉えられぬ姿で此の地にあれ。囲いし此の地は――」
言葉を放つと指先に水の滴が生まれ、足元へと設置した石に雫となって落ち、しかし弾ける事なく吸い込まれていく。
「――春霖の守り」
術式の発動をさせると、石から青い光が空に向かって吹き出して拡散し、薄い膜を作り、村全体を覆っていった。
「これで良し。後はここに交代制で見張りを置いて、方角とか指示を出せるようになれば問題なし……と」
アタシがやってもいいけど、そうなるとアタシは戦闘も治療もとやる事が山積みになる。それは流石にアタシに負担がかかり過ぎるし、何より敵方の外装骨格の警戒をする上で自由に動けないのは避けたい。
それと、《エクステリオッサ》を全面展開出来ないなら、逆にどこまでなら展開してもいいのか、それは知っておきたい。
考える事は山積みだけど、抜けない疲労が頭を重くする。
「さて、アタシも寝るかねぇ」
あれこれと動いたせいか、身体の大きく伸びをする。
まだ春最中なせいか、涼しげな風が辺りを流れて頬をくすぐる。
きまぐれな風が、アタシの頭の帽子を舞い上げた。
「……あっ」
月明かりと術式結界の光で周囲がまだ明るく照らす中、アタシの頭の上ある耳が風に応えて動く。
慌てて飛んだ帽子を拾い、頭に被る。
「誰も見てない……よね?」
帽子に収められた耳には、何も聞こえてこない。
「……寝るか……」
とりあえず疲れが溜まってるのは間違いない。
今夜は、今のところは平和だろう――そう思う事にしてアタシは寝床と決めた施療院へと戻った。
――・――・――・――
翌朝。
空気の入れ替えの為に開けていた窓から差し込む光に起こされた。
爺さんは先に起きたのか、既に何処かへ出掛けていた。
手入れはきちんとしているが使い古したベッドから降り、固い身体を適当に動かして解しながら、玄関を開けた。
「……なんだい朝っぱらから?」
玄関の前には、明らかに患者ではない連中が眉間に皺を寄せた難しい顔で立っていた。苛立ちというか不満げというか、どういう態度でいたいのか決まってないのだろうが、抜剣してないだけまだ話し合いの余地はあると見える。
後ろには爺さんがすまなそうに頭を何度も下げているが、まあ原因はわかっている。
「お前! 敵の刺客か!?」
先頭に立っている髪の長い男が、怒りを抑えきれてない声でアタシに問い質してきた。
「何の話さね?」
「昨日の夜に見張りが見たぞ! お前の頭の上にある耳!」
……やっぱり見られてたか……。
面倒な事になっちまったねえ、という感想しか出てこない。
ぶっちゃけてしまえば、この村の存続がかかってしまったしまった事が問題だ。
「お前! 成り損ないなんだろう!?」
「……あー、まあ、そうさ。確かにアタシは《ディフェクトム》さね」
《ディフェクトム》は、同種族同士で結ばれたのにも関わらず生まれた子供が他種族の特徴を備えていたり、あるいは全くの別種族だった者を指している。
ただ、アタシの場合はそれらと少し違う。
「だけどそれがどうしたさ? アタシの今は、白の騎士様に仕えるただの海賊さ。それが信用出来ないってなら――」
アタシは腰元のガンベルトに手をかける。
「好きにしなよ」
まだ抜きはしない。でも、いつでも抜けるように意識はしておく。
ぶっちゃけ、アタシの正体が知られたらここの住民を全滅させる事になる。たとえアタシがしなくてもマノがする。
とりあえず今すべきは、アタシが生きていた方がいいと連中に思わせておく事だ。
「ここの結界の維持はアタシが死んでもどうにかなるけど、保持の方法はアタシしか知らないし、そもそもアタシが死んだと知れたら騎士様がなんて言うだろうねぇ」
我ながら卑怯な言い方だ。
それは自覚があるし、ラストーには後で説と頭も下げないといけないだろう。
そんな考えが頭を巡る中、連中の方は数人が顔を突き合わせてヒソヒソとやり取りをしてる。傭兵であるなら、命は大事だろう。ましてや、昨日の一件は連中の意識にまだはっきりと釘付けされているだろう。
「防衛戦は得意とは言わないけど、アンタらを守るか避難させるくらいならアタシ一人でもどうにかするさ」
それはラストーが望む事でもあるだろうし、アタシだって寝覚めが悪い思いは少ない方がいい。
「さあ、決めな! これからどうするか! どうしたいのか!」
アタシの声に押されたのか、代表らしい男の足が一歩下がった。
「……お前、術士なんだよな?」
「ああ」
やや顔を引きつらせながらも、代表の男が口を開く。
術士と聞いてくるなら、次に出るのは行動を束縛できる《コアクトス》の術式の事だろう。
「強制」の符は作れるのか?」
「ああ」
「なら、俺が使える符を用意しろ。それでお前を縛る」
「良いさね。ただし、強制内容は確認するし、自害は拒否させてもらうよ。それは既にアタシが外装骨格に乗る事で掛けられている内容だからね」
《コアクトス》の術式についてしっかりとわかっていないのは明白だ。あの術式は対象の行動を制限する事は出来るけど、内容が重複してしまうと後からかけられた術式は自動的に崩壊するし、例えば人間として、空を飛ぶ、海に浮かぶといった不可能な事は強制出来ない。
やりようはいくらでもある、という事だ。
「いいだろう。見張りと連絡役は爺さんがやる。符を作るにはどれくらいかかる?」
「道具もこっち持ちでいいなら、朝メシの片手間で作るさね」
「なら、半刻過ぎたらまた来る」
これは逃げようと――そんな気はさらさらないけど――してもどこかで見張ってる、っていう事さね。
アタシは適当に手を振って曖昧に答えると、後には爺さん一人が残された。
「すまんのぅ……」
「別にいいさ。ドジったのはアタシなんだから」
「しかし――」
「いいって。とりあえずちょいと仲間と話があるから、中に入ってなんか作っとくれよ」
爺さんが再び頭を下げて、ようやく中に入ってくれた。
「……やれやれ。ドジったねえ……」
戸に背を預けて、深くため息を付いた。
術式をこうまで使った事は久しくなかったせいか、気が抜けていた――と言えば言い訳がつくかもしれないけど、そのせいで色々面倒を引き起こしたのは自分の出自に関する自覚が足りないだろう。
もう一度深くため息をつく。
そんなアタシの側、建物の影となっている部分からマノとコンタが姿を現した。
「マノ」
「違反はしていません。ラストーと、場合によっては白に余計な貸しを作った事ですが、自身で返してください」
「わかってる」
アタシとマノのやりとりを不思議そうに見てるコンタ。
アイツは事情を知らないから当然だろう。
「しかし、姉さん。これからどうするんですかい?」
口を挟んでもいいと思ったのか、マノより一歩前に出てきた。
マノも、もう言う事はないとばかりに一歩下がり、姿を消した。
「どうもこうもない。まずはラストーが戻ってこないとどうにもならないさね」
実際問題として、アタシ達の頭はラストーだ。
あの崖を登ってくるのは――術式を使う前提なら――容易だと思う。
問題は、それがいつなのか。
そして無事に戻ってくるのか、だろう。
それなら、当面はここで何をするか、に集中している方がいい。
「強制内容としてはおそらく、アタシをここに縛る事と、住民に被害を出さないという事になるさね」
「こっちの言う事に大人しく聞いてくれりゃ楽なんすけどねぇ」
「その段階を失敗したのはもうどうしようもありません。それをどうにかするのも貴女の役目です」
どこにいるのか知らないが、マノが厳しい口調で釘を刺してくる。
「はいよ」
「や、姉さん。物資とか大丈夫ですかい? 《セルム》もあと二つでしょう?」
「……そこなんだよねえ……」
正直、黄の国を信頼出来ない――信用に足る状況になってない、というべきかね――以上、船の倉庫から引っ張ってきた方がまだ安心出来る。
「コンタ、走れるかい?」
そう言いながらアタシが腰元の袋から出したのは、無色透明で中身も透明な硝子の小瓶だ。
「……不眠ですかい……」
コンタには何度か使ってもらっているせいか、渋い顔をされた。それもそうだろう。術式の名前通りに眠気がなくなる術式で、アタシの力で作ったこいつなら数日は眠れなくなる。代わりに効果が切れた反動で丸一日眠る事になるので、寝起きが最悪になるという副作用がある。
「今、魔物に襲われても逃げ切れて、船まで最速で走り抜けられるのはアンタだけだよ。マノはアタシから離れられないしねぇ」
腕っぷしより小回りと物覚えの良さでここまでやってきたコンタは、足りないものがあったとしても、きちんと揃えてくる要領の良さもある。
「わかりやした。後で弾んでくださいよ?」
「当たり前さね」
「絶対に必要なのは《セルム》さね。出来りゃ移動手段の足をいくつか。後、術士は全員連れてきな。攻めるにも守るにも必要になる」
「あいよっ!」
小瓶を受け取ったコンタはそれを懐に仕舞って駆け出した。初速も早く、あっという間に視界から消えていく。
「さて、まずはメシさねえ!」
空元気って言ってもいいかもしれないけど、声を張って口に出し、背もたれにしていた戸へ振り返って開けた。
長い一日になる予感を感じつつ、朝食の用意を終えていた爺さんに礼を言って腹に詰め込み始めた。
そろそろ、アイツも起きてる頃だろうねえ……。




