黄の国と魔物(5)
村の入口で事情を話して中に入れてもらうと、散々たる状況だった。
建物は一度壊されたのを強引に修復して雨露をしのぐだけの物になっていたり、村長の家は家主が別に引っ越させて納屋の部分も使って野戦の治療院のような装いになっていた。
無事な者は見渡す範囲にはおらず、怪我の少ない者は何らかの武器を持つか、あるいは井戸から水を汲み上げたり洗濯をしたり。炊事にかかっているものは食べやすい粥のような食事を大鍋で作って治療院で配っていたり、戦いに赴く者に骨付きの肉を焼いた物や、伸ばしたパン生地に刻んだ野菜を練り込んだり挟んだりした、食べやすい物を渡していた。
「……アタシはどうしたらいい?」
「すまないが部下を引き連れて治療を頼みたい。出来れば、俺以外に前線の情報を集められるような人間が欲しい」
「重傷者を見捨てるのかい?」
「馬鹿を言うな。傷病具合を確認して優先順位を付けろ。俺からの頼みはそのついでだ」
本音を言えば、偵察と退避の両面で足の速い者は早くに欲しい。だが、それは本当に俺の都合だ。
助けられる者は多く助けたいし、その為の手筈は出来るだけ行いたい。
トゥーリアは納得したのか、腰元のポーチを漁り始めた。中には術式に合わせた弾丸が入っているという話を聞いているから、おそらくこれから行う治療用の術式ストックを確認しているんだろう。
「アンタはどうするんだい?」
「単独先行して状況を見てきたい。俺なら鼻で気配を掴みやすいし、囲まれても加速や外装骨格を起動して逃げられる」
使いすぎと過信は禁物だが、大半の魔物はどうにか出来る自信はある。
「後は閃光術式を使った暗号はあるが……」
「ああ、白特有のヤツだね。回数式は面倒だし、色だけ決めな。それさえ分かれば、離れていてもちゃんと動いてやれるからさ」
騎士団で使っている識別方式を伝えると、流石は船長でもあるからか一度で覚えた。
「……気をつけなよ?」
「当たり前だ」
トゥーリアは治療院ではなく、井戸周りの元へと向かった。おそらく治療術式に使う水を集める為に人手と指示をする為だろう。
俺はそれを確認してから、一つ静かに息を吸い、吐く。
鼻で匂いを嗅げば、あちらこちらから薄く血の匂いが鼻にくる。
黄の国がここで何をどうしたいのかわからないが、他国の騎士とはいえ守るべきものは守らねばならない。
足を敵の《エクステリオッサ》がいる方向に向けると、気合を入れて走り出した。
とりあえず体内感覚で一刻を目処に、ただただ走り続ける――つもりでいた。
しかし街道を走り始めて間も無く、変異生物の一団が現れた。走る勢いをそのまま利用して木を登り、上から様子を眺めた。
「犬鬼数匹に人鬼が一匹……」
村の方へ向かって来ていたが、おそらくこの人数ではどうしようもないだろう。
それは向こうもわかっているのか、俺のいる木の側で立ち止まり、コボルトが鼻をひくつかせていた。
「これは哨戒行動なの……か?」
小さく付いた言葉に、コボルトが上を見上げて一際大きな声で鳴いた。
「ちっ!」
木の上から飛び落ちながら、俺は剣を抜いて口を開く。
「《アクセル》!」
枝から飛び降りながら発動した加速術式が、剣を振り抜く速度を加速してコボルトを頭から一刀両断し、着地の衝撃を和らげるための膝を伸ばせば加速力が生まれ、傍らのコボルトの胴を薙ぎながら行き過ぎる。
ピィィィイイイイイイ!!
「口笛!?」
ゴブリンが指を咥えて鳴らした姿を視界に捉え、慌てて迫ったが武器で防がれた。押し切ろうと鍔迫り合う剣に力を込めたが、相手の方が力が強い。
相手の口角が不敵に上がるのを見て、自分の非力さを舌打ち一つで気持ちを晴らすと、剣を持つ手の力を抜いて相手の武器を流し、加速力を上げた蹴りで相手の身体を蹴り飛ばした。
地面に叩きつけられたゴブリンにトドメを刺そうと踏み出したとき、地面が揺れた。
ズシン! ズシン!
「……まさか……」
進行したい方向から、俺を縦にもう一人足したような大きさの人間が現れた。当然、額には角がある。
「巨人鬼!」
デフォルメしたような過剰な筋肉にモノを言わせて、血管が浮き出るほどの力でこちらを殴りつけてきた。黙っていれば潰されるどころかミンチになりそうな一撃を、大きく後ろに飛んで避ける。避けられて地面に叩きつけられた拳は傷だらけになったが、すぐさま修復が始まって一回り大きくなって快復する。
「一ツ目の鬼じゃないだけましか!」
そう遠くはない位置に村もある。
いざとなれば引き返す事の出来る距離である事を鑑み、俺は指先を切り、滲み出る血を胸元に当てた。
「アレクエス!」
言葉が力となり、周囲に術式が展開する。
胸元から基礎模型が出てきて分解し、巨大化する。
粒子となった俺の身体がその中へ入り、外装を肉体として認識し、世界が広く見渡せるようになった。
今度はオーガを二人足したような背丈になった俺が、足元のコボルトやゴブリンを蹴散らしてオーガへ迫る。
だが、オーガは逃げるどころか木を引き抜いて待ち構えた。
「いい度胸だ!」
構えた木ごと切りつける気持ちで、剣を振り抜いた――瞬間。
周囲の環境ごと、俺は吹き飛ばされた。
「な、なんだ!?」
爆発の衝撃で土がめくれて土煙が舞い、周囲の様子がわからない。
術式で吹き飛ばすか。それとも走って突き抜けるか。
その逡巡の間に、空から何かが飛来する音が聞こえた。
咄嗟に飛んで運良く直撃はしなかったがバランスは崩れ、三射目が直撃した。
「くああああああっ!?」
全身が浮き上がり足が地面から離れている感覚と、直撃した左腕の感覚が薄い。
一呼吸ほどの間に身体が地面に落ち、しかし勢いは止まらずにガリガリと削る音が耳に痛く響く。
そして――今度は背中の感覚が消え、再びおとずれる浮遊感。
「……しまっ……!?」
身体が落ちていく感覚で、反射的に右手を使って勢いを削ろうとするも、落下の勢いは止まらない。
「……こ、んのっ! 跳躍!」
ようやく使えそうな術式に思い至り、手を崖に触れさせて弾かれるように離れていく。
一呼吸だけ息を整えてから身体の体勢を地面の方向へ足を向けて、目的の術式を頭に描いて口を開いた。
「落下制御!」
足元に術式陣が生まれ、落下速度を和らげていく。
着地まで間もなかったせいで完全な吸収にまでは行かなかったが、転がってどうにか衝撃を逃し、立てなくなるようなダメージを負う事はなかった。
「……くああ……」
痛みで身体が震え、意識は鮮明なのに身体の感覚はあやふやだ。
《エクステリオッサ》の維持を諦めて、元の姿に戻していく。
左腕は傷だらけで骨も折れていて、略式でもいいから治療しておかないと死活問題だ。
右の手の平がボロボロに剥けているのは、崖を滑り落ちている時の怪我だろう。それでも腕が動くのは有難い。
《エクステリオッサ》で受けた傷は、鎧を通じて仮想の肉体に傷が残る。つまり、鎧が欠けようものならその部位が欠落して復元される。
「……傷の確認終了……左腕の、修復……」
身体を仰向けにして、右手を左腕に添える。
「治癒」
術式に使う水がないから、空間にある力を集めてゆっくりと傷が癒やされていく。
術式剣を無くしてしまっているせいで、傷は治っていくが身体に疲労が溜まって、瞼が重くなっていく。
悲鳴を上げる身体の声を無視して立ち上がって周囲を見回せば、ごろごろとした大きな岩がいくつかあり、俺のあまり大きくない身体を隠せそうな場所もあった。
足は無事だが、一歩踏み出す度に鈍い痛みが身体を走り抜ける。
どうにか岩を背にして腰を落とすと、左腕の痛みはようやく治まり、代わりに耐え難い睡魔に襲われる。
「……これは、合流は、無理だな……」
せめて暗号用の光を空に打てればよかったが、もう目を開けていられない。
本能で身体を丸めて縮こまると、俺の意識は断絶した。




