黄の国と魔物(4)
俺たちの馬車が到達したのは、小さな小高い丘だった。ここからなだらかに下っていって目的の場所に着くという話だったのだが、その前にこの丘上から状況が見えるという。
馬車を止め、俺とトゥーリアが眺めた景色は最悪だった。
「……これは酷い、な……」
絞り出すように口を開いたのは俺だ。
街の一角が少し見えたが、人が――人間がいない。
角を生やした生物が街を闊歩し、素手で畑の土を掘り起こして野菜を食べたり、あるいはそのまま土を食べたりしている。厩舎から街中へ放し飼いのように放り出された家畜が、数人がかりで殴りかかっていたり、牙のように鋭い歯で咬みちぎって食ったりしていて、普通の人が見たら卒倒しそうな光景がそこに広がっている。
そして中央部には、俺の倍は背丈のある外装骨格が大の字で寝ていた。
元は黄色をベースにした重装騎士型だったのだろう外装が、しかし今は全身に赤黒い物がまだらに付着していた。何より本来と異なると思われるのは、兜に施された意匠とは明らかに違う捩くれた角が二本、こめかみ辺りから生えていた。使い手が術式を使い過ぎた事による竜化依存で意識が変質してしまったのだろう。
今や《エクステリオッサ》そのものが術者の身体となっている。
そんな様子を確認し終えると、遠間から乳牛がそこに近づいてきた。身体を反転させて這うように乳牛へ迫ると大きな手で掴み取った。それを高く掲げ、その真下に頭が来た。頭部の口周りが開き、光を反射する牙が見え、本来あるはずのない部位――舌が伸びて牛へと向かう。
掴んだ手が強く握り締められ、届くはずのない乳牛の悲鳴と、血肉を浴びて歓喜に吼える姿を見たところで、俺たちはその視界に背を向けた。
「ここから先は一本道で一日とかからず防衛拠点の村へと辿り着きますので、私はこれで失礼します」
「いいだろう。しかし物資の支給は迅速に寄越せ」
「往復と準備で五日はかかりますが?」
「それでも持ってこい。この状況だと『血清』は俺とトゥーリアには必須だ」
「良いでしょう」
それだけのやり取りをすると、騎士は踵を返して早足で帰っていく。
その姿が見えなくなったところで、俺はトゥーリアと向かい合う。苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、トゥーリアから見た俺も同じだろう。
「……本当に五日で来ると思うかい?」
「どうだろうな……」
王との話し合いで使われた書状はルース様の血を使って書かれた、必要な相手に必要な文章が書かれる自動筆記の契約術具。この世界で最も強力な力に、ただの王族が背けるとは思えなかった。
「あと、少し気になる事がある」
「なんだい?」
「あの騎士、先程の様子を見て顔色一つ変えてなかった。むしろ、当たり前のように受け止めていた」
「まさか、偽の騎士だってのかい?」
「さあな……ここは中央大陸で、黒の国とも近くはある。たまに小競り合いなどがあると聞くし、それで偽の騎士が紛れ込んだ、という可能性は捨てきれない」
正直、こうなると相手の目的が掴めない。
しかし国王と契約した以上、将を倒さねば黄竜様の居場所は知れないままだ。
「状況を整理する必要はあるが、まずは前線の村へと行く必要はある。続きは移動しながらだ」
俺とトゥーリアはお互い腹に重い物を飲み込んだような苦い気持ちで幌の中に入るとすぐに、マノが手綱を振るって馬を走らせる。その後ろでコンタに見張りを頼みつつ、改めて口を開いた。
「黄の国の騎士団に関しては付き合いがないからねえ。強い弱いって話はわからないんだよね」
「鋼騎士は確か十二機。術式用鉱石として使い勝手の良い宝石十二種から構成された騎士団だとは聞いている」
「それが全機出せないって事かい?」
「……騎士の言う事を間に受けるなら、な……」
有り得るのかどうかと問われれば、使い手である人間をどうこう出来れば確かに可能なのだが、十二人全員となると、そこまで無防備で対策してない――あるいは対処出来ない――状況が有り得るのかどうかという事になる。
「……俺たちは基本、使い捨てだからな……」
「……まあ、ね……」
俺たちは暴走時の防衛機構として強制を組み込まれている。これは《エクステリオッサ》を使う騎士が昔、仕える国に対して反乱を起こした事が原因だ。国家の最大戦力による反乱は国を滅ぼし、新たに生まれた国は他国から滅ぼされたという。
その事件以降、使い手には術式による強制自死を行うように組み込まれている。
俺もトゥーリアもそれをわかっているからこそ、あの変異した状態に対して何とも言えない気になってしまう。
「……まあ、いい。俺と二人で倒す以外にはないんだ。問題は生きてる住民がいるかどうか、だな……」
「言っちゃあ悪いけど、望み薄じゃないかねぇ。家畜の出産速度の十倍は変異動物の出産が早いんだよ? 一匹見たら十は疑えって諺の通りさ」
トゥーリアの言う通りだろう。魔物は早期発見と早期退治に限る。それ故の騎士団であり、黄の国で言うなら傭兵団という存在があるのだから。
「いずれにしろ、変異動物は角で見分けは付くんだ。角付きには躊躇しなくていいだろう」
「あと、こうなったら戦闘での消耗品を気にしてる余裕はないよ?」
「勿論だ。黄の国に請求するし、場合によっては白の国から出す。だが、問題は血清だ」
《セルム》は、正式名称を《竜化侵蝕抑制血液製剤》と言い、竜の血と石を使った錠剤だ。
《エクステリオッサ》を成立させるとき、一度、使い手の身体を光に変換する術式が発動する。これは自分の存在を光という力に変えて存在を拡張することで巨大化するのだが、これを続けていると自己の存在定義が曖昧になっていき、やがて自分と外装の区別が出来なくなり、最後には外装がそのまま肉体となって自己を確立してしまう。
そうならない為に一定時間で元に戻るようにしているのだが、この限界は人によってそれぞれだし、また元に戻った直後は自分の身体がぼんやりと浮ついていて、戦闘活動どころか歩く事さえままならない。それを早期に解決するのは繰り返し行われる訓練と、血清だ。
自国の竜の血を呼び水にし、石という結晶構造体を核に据える事で自己を固定させる為の道具で、こういう状況では最も必要な物だ。
「いくつ持ってる? 俺は二つ」
「三つ」
「……妥当なところだな」
前線で戦う騎士型の俺が少ないのは、《エクステリオッサ》の展開術式以外は術式を多用しないからだ。後衛で術式砲火をするトゥーリアが一つ多いのは当然だが、それでも三個は少ない。おそらく短銃による無詠唱方式にして薬莢にリスクを送る事で継戦能力を上げてるのだろう。
「最悪、前線に着いたらマノとコンタには引き返してもらって、血清や備品をあらかた持ってきてもらった方がいいかもしれん」
「その方がいいかもねえ」
馬を使い潰す気なら、五日の日程を三日ほどで往復は出来るはずだ。
どれだけの戦場となるかは向かってみないとわからないが、戦力と装備の補充は重要となる。
その他にもあれやこれやと話を進めていくうち、マノから村らしき場所が見えたと報告がきた。
幌から顔を出して進行の先へ視線を向けると、材木を等間隔で打ち付けて紐を吊るしてあり、おそらくは簡易警報のような物だろうとは予想がついた。
近づくにつれ予想は事実となり、さらに見えてきた村の入り口には武器を携えた男が二人一組で待ち構えていた。
その身体には、おおよそ清潔とはいえない布で縛られた部位があった。




