祝福されし旅立ちは南へ(1)
『冬の国』と呼ばれ、春という雪が消えゆく季節においても残雪どころではない雪や雲に覆われているのが普通である白の国。
そんな気候にしては珍しく、張り詰めるような肌寒さも和らぎ、雲も少なく降り注ぐ陽射しを暖かいと感じられる日。
青空広がる中で、城壁に囲まれた白亜の城の下、十数人の屈強な男たち女たちが適当に間隔を空けて輪を作り、中央にいる俺達をやんややんやと囃し立てる。
中心にいてぶつかり合っているのは俺ともう一人の男。
相手は、国の正規装備である金属製の胸当てや手足に防具を身に付けている。得物はこれも正規の長剣。人間種にしては身の丈も高めで、肉体も鍛えてあって腕も足も太く、太股に力みがある所から、すぐにでも踏み出して行ける姿勢を維持している。
一方、俺の防具は動きやすさを重視した革製の胸当てだけ。左の手首には革製で作られた紐状の輪っかがいくつも付けているし、両足は雪の中を歩くための丈夫な革靴のみ。相手が騎士なら、俺は旅に慣れた傭兵と観られるだろう。
(……まあ、傭兵っていうにはまだまだ痩せてるし、傷や威厳なんてものは全然ないんだけどな……)
小剣を正眼に構えたまま深く息を吸い、静かに吐き出して落ち着いてるように見せてはいるが、狼の獣人種としてはやや細身で、冬毛で膨れた全身から湯気のような汗が出ているから体力を必死に回復させようと動けないでいるのは見抜かれているだろう。何せ周囲にいる仲間との勝負を既に終えた最終戦だから、疲労回復の術式を組み込まれている剣の中央が白く発光しっぱなしだ。
なので、相手は俺を休ませず踏み込んできた。
気合いと共に突き出された剣をいなし、薙ぎ払う剣筋を大きく避ける。
放つなら勝負を決める一撃。それだけ打てる隙を作れればいい。
刃先を潰された長剣の一撃を受け流すために後ろへ大きく飛びながら、空中で術式を起動した。
「『加速』!」
術式名の発音が響き渡ると同時に、俺の視界に映る速度が鈍化していく。剣の発光がさらに強くなったがこれも最後だ。
着地と同時に駆け出し、相手の構えを無視して胴を見据えて刃先の潰された剣を横薙ぐ。
耳が痛くなるほどのぶつかり合いの後、動きを抑えきったと相手の口元が上がる――それを確認した俺は残した力で加速を再起動して剣を軸に地面を蹴り上げ、相手の延髄を蹴り上げた。加速で強化された脚力が相手の首を刈り取るように入った。
相手が白目を剥いてゆっくりと崩れ落ちていく。
剣の術式を維持しきれなくなった俺も、同じように地面に倒れ込んだ。
「そこまで!」
円陣の一角から終了の声がかけられる。
カチャカチャとした甲冑の擦れ合う足音が近づき、声の主は俺の真上にきた。
白くなった頭髪を撫で上げ、目元や口元に皺を作りながら見下ろしてきた男は、老人と呼ぶには筋骨逞しく、また誰よりも覇気を漲らせたままで俺に笑いかけていた。
「よくやったラストー」
差し出された大きな手にどうにか手を伸ばせば、力強く引き上げられて立たされる。
「……ありがとう、ございます……っ」
「これでお前は全騎士に勝利した。存分に誇るがよいぞ」
円陣を組んでいた騎士仲間が手を叩き、口笛を吹き鳴らす。
内心、勝ったことは嬉しかったが、せめて最後まできちんと立っていられるほどのものじゃない。それに――
「なんじゃ、不満か?」
「――師に一度も勝てないどころか、膝さえ付かせられない事を不満と言わずしてどうするのでしょうか」
そう。倒れそうな俺の身体を支えているのが俺の師にして白の国騎士団長、サヌス・イン・ヴァオレスその人だ。
人間種でありながらこの場の誰よりも高く、鍛え上げた肉体は腕も足も胸も、必要とされる部位に厚みがある。
頭髪や口元を覆う髭は白くなってしまったが、白い歯を見せて笑う姿に老いた様子は何処にも見られず、それどころかルース様と同じになったとよりにもよって本人の前で言い放ち、ルース様に喜ばれたという逸話もある。
「はっはっは! その向上心があれば、この旅も安泰じゃろうて!」
バンバンと荒っぽく叩かれた俺は、身体を支えきれず崩れそうになる。
それを悪い悪いと言いながら――潰されているとはいえ――抜き身の剣を掴んで強引に術式を起動し、俺の疲労を無理矢理に回復させていく。
まるで疲労を喰うような狂暴な回復にかえって視界が揺れるが、剣を手放されると俺個人に反応した剣の方でそれも解除された。
「もう魔術の試験は済ませてあるのじゃろ?」
「はい」
「なら、今日の残務は引き受けてやるから、さっさと湯浴みでもして来るが良い。明日の準備などもあろう?」
「旅支度は済ませてありますが……」
「妹とのしばしの別れもか?」
「……それは……」
国内の魔物退治とは違い、この旅は一人旅。
期間の定まった出立ではないので、妹とは暫く会えなくなる。
それは、この一五の時の中では一度もなかったほどの、長い別れだ。
「少なくとも数ヶ月、長ければ数年は帰れぬ旅。会える機会のあるうちに会っておけ」
サヌス騎士団長も愛妻家で、国務を終えれば真っ直ぐ帰宅して家族に奉仕していると聞く。
「では! お言葉に甘えて! 失礼します!」
「淑女に会うのだ。汗臭い身体は洗っていけよー?」
何故か含みを持つような笑いを騎士団の皆が上げているのを不思議に思いながらも、俺は城内の宿舎へと駆け出した。