黄の国と魔物(1)
祝杯を上げた船旅は順調に進み、俺達は黄の国の領域である中央大陸へと辿り着いた。
港に到着した船が錨を下ろし、タラップが下されて地上との橋渡しが出来ると、船員が次々と降りていく。
その多くは役目が言い渡されており、宿を確保する者、次の船旅の準備をする者、そして陸路の旅の準備をする者と様々だ。
穏やかに流れる風から塩の気配が薄くなったのを嗅ぎ取りながら彼らを船の上から見送った俺は、隣の長身の女――トゥーリアに振り返った。今日も日差しを避けるように海賊帽子を被り、銃帯に短銃だけをセットした身体のラインに合わせたズボンを纏い、肩に羽織ったコートによって男と見間違えそうな――しかし前ははだけているので形の良い胸は見えている――コーデで海を眺めていた。
「長かった船旅は一旦終了だな」
「アタシは陸地にゃ縁遠いんだけどねえ」
不満そうな言葉ではあったが、彼女の顔は変わらず晴れやかで変わらない。
縁が薄いだけで、嫌いというわけではないのだろう。
「黄の国を訪れた事は?」
「数回あったかな? と言っても、中央まで行く機会はなかったね。外周の街への逗留がほとんどだ」
「俺はない。だが、黄の国は最近、魔物が良く出るとは聞いている」
ここまでの道中では魔物には運よく出会ってない。ただそれは白の国に限れば別に珍しい事でもないし、海路の多い青の国でも同様だ。
「海の魔物はともかく、陸の魔物はほとんどやった事ないね。どうなんだい?」
「俺も白の国で聞いたことがあるくらいで、詳しくはないぞ?」
白の魔物は雪が結晶化した魔物や地底湖の水から生まれる魔物が多いので、種類が少ない。ゆえに対処方法は割と決まっていて、訓練通りに戦えればさして苦労はしない。
それを踏まえた上で、聞き齧った話を口にした。
「動物の凶暴化はあるし、変異による獣人化もあるという。それ以外だと、植物の変異が厄介らしい」
「あー植物は喋ったり吠えたりしないからねえ。いきなり襲われると面倒さね」
倒せるかどうかという不安はお互いにない。俺と彼女の実力なら苦労はしないという自信がある。
そうこうしているうちに、船の側に馬車がやってきた。
「馬車ごと買い付けたよ。御者はマノがする。連絡役にコンタ。他に誰か必要かい?」
御者席に座って手を振っているのは、船で操舵役を任されているあの男だ。幌のある荷台側から顔を覗かせているのは、船で帆を張ったり船頭から船尾まで走り回る小柄で斑模様の猫獣人だ。
「メンバーはどうする?」
「あれで全部だよ。この船を空に出来ない事情もあるしね」
まあ私掠船である以上、青の国として内部を不要に探られたくないという事情だろう。
船内を通り抜けながら、必要な物はないかと考えながら口を開く。
「彫印士は?」
「アタシがやるよ。専門じゃないから彫り込みは無理だけど、修正くらいは出来るから任せておくれ」
「整形士はお互いに簡易処置が出来るからそれで良い、ということだな?」
どういう状況になるかはまだわからないが、多少のトラブルならどうにかできるという補償があるのは良い。
「なら問題ない」
タラップを渡って幌の中に入ると、中には樽や簡単な調理道具、寝具が置かれていて、コンタがもう毛布にくるまって眠っていた。
今日は青空の広がる晴天で風も熱を穏やかにはらんだ程度の暖かさで、昼寝をするにはもってこいだろう。
「こんな真っ昼間から寝てんじゃないよ」
トゥーリアが分厚いブーツの底で軽く身体を蹴ると、身悶えしながら起き上がってきた。
「何か情報はあったのかい?」
「近頃は魔物化が頻発してるそうで、道中は必ず護衛を付けるように言われやしたよ」
「そんなにか?」
「ここ中央大陸は広いですし、騎士団だけでは回りきれないでしょう。魔物専門の傭兵ギルドもここにはありやすからね」
そうこう話しているうちに馬車が動き出し、ゆっくりと街中を抜けていく。ここはいくつかある港町の中でも小さい方だが、活気はあるし、魔物が襲ってくるような気配もなく平和そのものだ。
黄の国までは馬車で約五日。急ぐ理由もないので、旅路は無理のない速度で進めていく。
そんな道中で魔物に襲われたのは、港から離れて三日目。空に灰色の陰りが広がる中で、しかし雨の気配は薄い時だった。
「そら! おいでなすった!」
茂みから俺の胴体ほどもある太い緑の茎が飛び出してきた。
同時に俺も馬車から飛び出し、動きを抑える為に前に出る。
「蔓の魔物か!」
植物系の魔物は生物の熱や生命力を捉えて襲いかかってくるらしい。動きはそこまで俊敏ではないが――
「ちっ! 再生力が強い!」
襲いくる茎をいくら斬りつけても動きが止まらない。捕らえられないように動きながら様子を見るが、加速してしまうと緩急は付けづらくなるので倒すまで術式を使い続けねばならず、持久力が要求される。
「どきな!」
長銃を構えて引き金を引く。
「赤の火矢!」
空気を裂く音とともに赤い火線が俺の身体を掠めて飛んでいく。蔓が避けようとするも、火矢はお構いなしに追尾して命中した。ぶつかった箇所から火が燃え広がり、蔓が伸びている木に移っていく。
「衝撃!」
手をかざして生い茂る葉を散らすと、丸々と太った蛙のような緑の塊が姿を現した。
指示の声を上げる前に馬車から射撃の音が鳴り、今度は青い水の砲撃が飛び、塊の中心を抉るように撃ち抜いた。
その間に幹を加速して駆け上がり、枝の中を強引に突っ込んで剣を振り真っ二つに叩き切った。
ぶすぶすと生木が焦げる臭いと共に、バランスが崩れた《ヴィネア》が地面に落ちて枯れるように生気がなくなって枯れていった。
「……これで終わったか?」
「核さえ見つけちまえばどうとでもなるからね」
枯れた《ヴィネア》が風に転がされ、そのまま散りとなって消えていくのを見て、俺は剣を鞘に納めた。
「しかし火術も使えるのか」
「……まあ、ね」
俺は素直にトゥーリアの術式修得の幅に驚いた。
基本的に術者は出身国の竜に倣った術式を修める。俺は白竜ルース様の血を引いているので衝撃系や加速系、トゥーリアは青竜フェミナ様の血を引いているはずなので生命治癒系や水系という塩梅だ。もちろん、他系統を修められないということはないが、使用したい術式に関係した竜の血を引いてないとなると、自身の引いている血の汎用性から引き出して使うしかないので、本命の術式に比べると威力は格段に落ちてしまう。
「流石は青の国出身というところだな」
「術式開発がウリの一つだからね」
とはいえ、青の国は術式開発が最大権威の国だ。俺の知らない方法による術式や、術具を流用した実験的な術式を持っているのかもしれない。
「俺は攻撃術式は不得手だからな……身体に負担がない程度に頼む」
他にどういう術式が使えるかまだ知らないにせよ、本筋となる術式以外は身体にかかる負担も大きい。
それはトゥーリアも――あるいは俺以上に――わかっているだろう。
苦しそうではないので負担はないのかもしれないが、心配した俺を笑っていた。
「素直だねえ」
「自分に出来ない事が多いのはわかっているつもりだから、無理な背伸びをするつもりはない。負担がない程度には頼らせてもらうさ」
「なら、見返りは欲しいねえ」
「報奨か? 無事に国に戻ったら王に要求する事を約束する」
黒竜を倒せば、俺の望む願いは叶えてもらえる。トゥーリアに渡す報償を追加するくらいは簡単だろう。
「期待しておくよ」
そう口にはしたものの、あまり期待しているようには聞こえない。これは道中にも何か労うべきか。
……あまり頼りたくはないが、赤の国でアルジェに何か頼むか……。
見返りとして何を要求されるかわかったものではないが、相手の望む物を的確に調べてきてくれるので、恋の担い手になっているという話も聞く。こういう時には頼りにしても良いだろう。
そこまで考えたところで馬車に戻り、周囲の警戒をしながら歩みを進めていく。
しかしあれから魔物に襲われることはないまま、俺たちは黄の国へと到着した。白の国ほど気候は厳しくないので服装は軽やかで、風光明媚と呼ばれる青の国ほど華やかさはないが、小綺麗な格好で過ごしている。種族としては人間種が一番多いし獣人は犬系が多い。
露天なんかも点々と存在しており、商いの呼び声で賑わっているのが窺える。
「ようやく着いたな」
「謁見には付き合わないよ?」
「もちろん。一人で行くさ」
開口一番に言われた言葉に俺は頷いて返す。そもそもトゥーリアは青の国における非公式の騎士扱いのはずで、白の国の騎士である俺と一緒に赴くには適さない。
そういうわけでトゥーリアは適当に城の近辺や街を回って時間を潰すそうだ。
国王との面会でどうなるかわからないから酒は控えてもらうのを約束し、俺は王の謁見に臨んだ。
初めて会う黄の国の国王の印象は、王だと言われなければその辺で畑でも耕していそうなほど温和で、身に纏う匂いも日常的に土に触っている人のような匂いがあり、国王という印象からは程遠かった。
「ようこそ白の御子殿」
「お初にお目に掛かります」
精一杯の威厳を取るような慣れてない強張った声だったが、態度には出さずにおいた。
取り巻きの兵士を通じて白の国からの書簡が届けられ、封が解かれて内容に目を通されているのをしばし眺め、視線が下に落ちて封書から目を上げたところで口を開く。
「要件は書状の通りにございます。王の返答を頂きたい」
「黄竜の居場所を教えるのは構わんが、条件がある」
「俺に出来ることでしたら」
大体は厄介事だろうが、聞こえている状況からすれば、魔物退治だろうか。
「現在、魔物の沸きが増えている傾向にあってな? もちろん我が騎士団でも対処しているし、ギルドを通じて対処もしている」
少しきな臭い雰囲気を感じながらも、俺は黙ったまま頷いて話の続きを待つ。
「その最中、将となった魔物が生まれたとの報告があった」
将――それは普通の魔物ではなく、魔物を産み、魔物を率いる存在の総称だ。
当然、それ相応の強さを持つ。
「御子殿には、その魔物を討伐して貰いたい」
「引き受けましょう」
引き受けないという選択肢がない以上、面倒だとは思いつつも俺はすぐに応えた。
「場所は騎士団が把握している。おって地図と場所を伝えよう」
謁見はこれで終了となり、俺は王の間を退室した。
案内役を名乗る兵士が魔物の規模や詳細は向かいながら話すというので、待ち合わせの場所を擦り合わせて城を後にする。
吹き行く風に涼しさを感じ、空を見上げれば陽が翳ってきていた。
「……将か。正体が分かれば話は早いんだが……」
気になる点はあったが、どうにもならないというわけではない。
まずはトゥーリアとこれからの話をするべきだと切り替え、俺は足を街中へと向けた。




