海と女王と海賊と(4)
海賊船の襲撃から一日明けた。
あれ以降、船長は再襲撃に怯えていたが、俺はそれはないだろうとは思っていた――現在の海上位置なら、そろそろ青の国が持つ海戦騎士団の哨戒範囲に入るからだ――し、事実、青の国に到着するまで天候も味方して何事もなく到着した。
船長に滞在する期間と寝泊まりする宿を聞き、こちらも宿を決めたら連絡すると伝えて別れた。
久し振りに降り立った青の国は、太陽が顔を見せるほど空が青く澄み、建物の壁面は白い素材で統一して作られ、屋根の色で何の店かを教えるように出来ている。そこそこ広く取られた道には色とりどりの布で雨除けを作った露天商が、採れたての食料を食べやすくカットしたり揚げ物などにして売っていた。
「……観光が目的ではないけれど、五王国一の風光明媚な国と言われるのを納得してしまうな……」
昔訪れた時と、全く変わっていない。
「まずは城か」
歩きながら視線を国の中央部に向ければ、視界に一際大きな建造物がある。普通の宿が数軒は入りそうなほど広い一階部分と、四方に見張りを兼ねた塔があり、それらに比べるとかなりこじんまりとした大きさの二階部分が見える。その一階部分は、変わってなければ観光地として開放されていて誰でも訪れることができ、国の案内や魔術関係の斡旋が行われている。
俺の目的地はその中央部、国王妃がいる二階部への回廊だ。
「何者!」
守衛に守られた入り口で、俺は懐から用意していた封蝋が為された紙筒を取り出した。
「白の国からの御子だ。書状もある」
それを守衛に渡すと、渡された男は印に気づいたのだろう。慌てて回廊を走っていった。
もう一人は新人なのか、片割れの様子をあんぐりと大口を開けて見ていた。
蝋の印は実は二つ。
印は白の国の国璽。
蝋に見えているそれは、ルース様の血で作られた結晶体だ。
「失礼いたしました! 女王様がお会いになるそうですので、ご案内致します」
息を切らせながら戻ってきた男がそう言い、俺は大人しくその後ろをついて行った。
回廊の途中にも歴史書のような絵画が至る所に描かれており、以前に訪れた時は、これをじっくり見たいがために我儘を言った位だ。
「流石は保養地の国とも雅な国とも褒め称えられている国だな」
「そうでしょう! 今期の女王になってから城の建て替えや組み替えこそありませんが、基礎建築を見直し、全体に装飾と彫刻を工夫することで華やかさと新しい彩りを添えて人気になりましたから。国民であれば地上階は自由に出入りしてこの造形を堪能出来ますからね!」
女王の間に着くまでの間、今期の女王自慢をしている男の話を右耳から聞き流しつつ、絵姿を眺めていった。
「では、こちらからになります」
守衛が手のひらよりも大きく薄い金属板を扉に当てると、俺の背より高い扉がゆっくりと音を立ててひとりでに開いていく。
奥には、数年前にお会いした時と変わらぬ女王が椅子に鎮座していた。
「ようこそ。白の御子ラストックよ。久しいのぅ」
「ええ。お久し振りに御座います。青の国の女王にして今代の巫女アクアヴィッタ殿」
玉座の数歩手前で足を止め、深々と一礼する俺に対し、堅苦しいのはなしだと言わんばかりに手を振られてしまうと、こちらもそうするしかない。
やや足を開き、立っているのを維持しやすい姿勢を取る。
アクアヴィッタ=セルペンアニメフ。
今代の青の国の女王にして、青の竜の巫女。
今年で齢六十に届いたはずだが、見た目はそれほど歳を経たようには見えず、寧ろ十は若く見られてもおかしくない程に若々しい。
それもそのはず。彼女は魔術世界における生命魔術研究者の権威であり、肉体関係のスペシャリストだ。このくらいの見た目を作るのは容易だろう。
彼女が書状の蝋に指を当てれば、蝋がひとりでに解けて空気へ溶けるように消えていく。
開かれた書状をさっと流し見した彼女が、それを適当に丸めると書状を俺に突き付け、化粧もあってふっくらとした形の良い唇を開いた。
「『書状には青竜への謁見と黒竜退治への非干渉』とあるが、それで構わんかの?」
「『国として干渉するな』であって、個人で干渉する分には問題ないんじゃないか?」
「なるほど」
視線が冷ややかであるところからすると、さして興味は無さそうだ。
そもそも青の国のスタンスとしては『黒竜退治に賛同もしないが否定もしない』を通しているからだろう。
「ところで、俺は今後の旅の為にここで船乗りを得ようと思っている」
それならそれで構わない。俺が青の国を最初に選んだ理由は、青の国は白の国の友好国であるという以外にも、この国なら優秀な船乗りが得られると踏んだからだ。島国である白と青の国以外には海路で向かわねばならないし、場合によっては陸路を渡る船を持つ――あるいは操船できる技術を持つ――者がいるからだ。
「こちらに向かう際、海賊とされる船に遭遇したのだが、それを拿捕しても構わないだろうか?」
「ほう? 何故、妾にそれを問う?」
「この国の領内とされる海域内に、その連中が逃げ込んだ可能性がある」
「それならば、妾の海兵隊が捕まえれば済む話ではないか?」
「それならそれで構わない。ただ、俺の目撃した海賊は俺の外装骨格の一撃を防ぎ、術式による物とみられる加速を用いて逃げた連中だ。そんな連中がただの海賊とは思えない」
「ほほう? それが真であれば、妾の海兵隊は苦労するかもしれんの」
本気でそうは思ってはいないのだろうが、俺のことを配慮してか話題に乗ってきている。
付き合って貰えるなら、最後までこのまま続けさせて貰おう。
「女王が宜しければ、俺に海賊捕縛の手伝いをさせて頂けないだろうか? もしその海賊が俺の目に叶うものなら、彼らを仲間にするときに立ち会いの下で俺から強制の術式による束縛を使い、白の国に対する刑罰の酌量として働かせよう」
「青の国の領域で白の法に従え、と?」
「互いの国の交易路にいる以上、刑罰はどちらの国の物を適用しても構わないだろう?」
そう返すと、女王の方は、ふむ、と一つ考え込み黙ってしまった。
こちらも言いたい事を言ったが、少し攻めすぎただろうか。
流石に女王を通じて青の国と敵対したいわけではない。
それなら、少し別方向から話題を振ってみようか。
「――アレは私掠船なのか?」
「唐突になんの話じゃ?」
思案顔をこちらに向ける事なく、口だけで反応を示す女王。
「俺の外装骨格の一撃を防いだのは、おそらく船の砲門から銃だけを武装展開して撃ち出されたものだろう。そんなモノ、普通の海賊が持ち合わせているわけがない。となれば、あの海賊は後方に資金源となる組織があって、援助を貰いながら海に蔓延る本当の海賊を処理する私掠船なんじゃないか――そう考えていたのだが何かおかしいだろうか?」
「妾の国にはきちんと海戦の部隊もあるが?」
「正規の部隊をわざわざ動かしてまで海賊退治するほどの状況なのかどうか、という話もある。そもそも、正規の部隊の役割は怪物退治だろう?」
そう。基本的に海戦騎士団の戦闘は海に出る怪物の退治が主だ。海賊退治をしないわけではないだろうが、主要の仕事ではない。口には出さないが、いわゆる裏の仕事をさせるという意味でも、正規とは別の海戦部門があってもおかしくは無い。
「独立部隊なのか愚連隊なのかは知らないが、戦力としては優秀そうだと感じた。なので、女王と繋ぎを取れる役割を持つ移動拠点としての船をお借りしたい、という考えでもある」
「妾のモノだと言った覚えはないぞ?」
「そうだな。なので、建前として最初の文言を使いたいと思っている」
そもそも、本当に私掠船だったら女王の持ち物だ。であれば俺と一緒に行動すると青の国が白の国に協力しているという事になり、国のスタンスとして崩壊するだろう。
なので、あえて海賊船であるという前提でどうするかを話していたのだが、きちんと前提を出しておくべきだったか。
「仮にその海賊が妾のモノとして、お主の意見に従わなかった場合はどうするつもりじゃ?」
「外装骨格を持っているとはいえ、どこの馬の骨ともわからん連中だ。武力で従えられるなら従えるし、術式による縛りが必要なら施して使うさ」
「なるほどのぅ。そういう所はルース様に良く似ておる」
「……褒め言葉として受け取っておこう」
褒められている部分が強引なところなのだろうが、それは褒めているのか遊ばれてるのか。
言葉を受け取ったは良いが、顔は憮然としてしまったのは慣れない事をしているからだという事にしてほしい。
女王が顔を手で隠して笑っているのも、俺とは関係ないと思いたい。
「――ここから先は独り言じゃ」
ひとしきり笑って満足したのか、前よりは朗らかな顔つきで話し始めた。
「アレは確かに私掠船で、船員の一部は騎士じゃし、専用の術士も乗り込んでおる」
専用術士は恐らく外装骨格の外装整備をする整形士か、鎧に術式を彫り込む彫印士、あるいは両方を兼ねている者がいるんだろう。
「ただ、アレを作り直そうとするとそれなりに費用がかかるからのぅ。タダでやるわけにはいかん」
女王の口角が上がる。
あれは妹もたまに見せる、面白い悪戯を思い付いた表情だ。
「なので、アレを屈服させてみよ。なんだかんだでアレは妾の最高傑作。友好国とはいえ、対価もなしではつまらんしの」
最高傑作はともかく、間違いなく後者の部分が本音だろう。
「……試合をしろと言うことか?」
「まさか。そのようなつまらぬ事は言わぬ。密使は送っておくから、自ら船を捕まえて船長を討伐してみせよ」
「わかった、いいだろう」
余計な交渉などなく、武力でどうにか出来るなら有難い。
「ああ、青竜への謁見に関しては討伐後に好きにすると良い。居場所に関しては船長に聞け。最近は暇を持て余しているというから、手土産でも持参すれば喜ばれよう」
「好みはあるのか?」
「若い男じゃ」
「……そう言った冗談は苦手なんだが」
ニヤリと笑って言われたが、生憎とそういう冗談は本当に苦手だ。
渋面になった俺を面白がってか、上から下までジロジロ見られる。
なまじ人族としては魅力のある女性というだけあって、そういう行為もやましさを感じない辺りがずるい。
「おやおや? なかなか初心な事を言ってくれる。だが半分は本当じゃし、残りの半分は船長にでも聞くと良い」
「そうさせてもらおう」
話は終わりとばかりに手を振られ、俺も要件は伝え終えたと認識し、一礼をして立ち去った。
門の外で控えていた守衛に送られながら一階に戻り、先輩から内部の案内を言い渡された新人の仕事を丁重に断って、俺は城を出た。
そのまま自動的に目的なく足が適当に歩くのに任せて距離が取れたところで、ようやく俺は歩みを止めた。
「……はぁぁぁ……」
ああいう人間はやはり苦手だし、何より公務ということもあってか、一つ間違えるとどこに発展するかわからないやりとりは神経を使う。
「許可を頂けたのはいいが、あまりあの視線の前には立ちたくないな……」
時折感じた、蛇を思わせる視線が瞼の裏にまじまじと思い出させる。
気休めに露店でいくつかの果汁を飲みやすくブレンドした飲み物を買い、それを啜りながらこれからの行動を思い描きつつ次の目的地へと向かった。




