表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第五章
86/158

第三話

まばらに会話を交しながら、二人はメアリが住む居住区までの道を歩いていく。しかし歩いていた二人のその足は、メアリの部屋へと続く道の少し手前で止まった。顔を見合わせて頷いた二人は、メアリの部屋よりも手前側に配置されている部屋に入る。本来ならば会議などに使う場所である、その部屋に。

最近では来週のパーティーに向けての準備のため、メアリの私室ではなくこうして大きめの部屋に場所を取って礼儀作法の訓練や儀式の模擬を重ねていた。勿論そこにはクレアやエレンといった、他の教育係や聖女候補も参加していて。道中のレンの話によると神殿に住んでいる聖女候補の二人と、ミレーニアによる特訓が既に始まっているとのことであったが。そんなことを考えながらもリディアナは、そっとその部屋のドアノブを回した。


「はいエレン、背筋曲がってる! やる気出しなさい!」


しかし開いた瞬間に部屋から聞こえてきた怒鳴り声とも呼べるその声に、リディアナは呆気に取られる。恐る恐ると僅かに開けた扉の隙間から覗いた視線の先、そこには指をエレンに突きつけて怒鳴るミレーニアが居て。まさしく鬼教官とも呼べるようなそんな姿に、リディアナは空いた口を塞げないままぽかんと目を丸くした。


「ええ、いや朝からさすがにしんどいんですけど……」

「頑張りましょう、エレンさん!」

「ぼ……私は、やる気ないのが売りなんだけどぉ」

「……あら、お喋りなんて余裕じゃない?」


怒鳴り声に続いて聞こえてきたのはやる気のない声と、それを鼓舞するような元気な声。相対的な二人のその声からは、彼女たちが浮かべているであろうその表情がありありと想像できて。しかしそんな声にか、ミレーニアは圧のある笑みを浮かべた。隙間から見ているだけでも圧を感じられるその表情に、途端に少女たちはお喋りをやめて押し黙る。

すっかり指導役が板について馴染んでいるミレーニアにリディアナは呆気にとられて、けれど見開いていた瞳を細めて密やかに笑った。しかしそんなリディアナの背中を、後ろから押す影がある。不思議に思って振り返った先、訝しげな表情を浮かべたレンが扉の前に立ったままのリディアナを不思議そうに見上げていた。リディアナはそんな彼を見て慌てて部屋へと入る。確かにこれでは覗きのようなものだと、そう自覚して。


「っ、あ!……おはようございます! リディアナ様!」

「……ふふ、元気ね。おはようメアリ。エレン様も、おはようございます」

「……今日もきらきらですねぇ。おはようございます」


僅かに焦りながらも部屋に入った瞬間、まさかリディアナが不審者のような真似をしていたなんて思ってもいないメアリはそう明るく声をかけてきた。ぱっと明るくなるその表情から今日も会えて嬉しいという、そんな感情を感じ取って。それに苦く笑みを浮かべて、けれどリディアナは取り繕うように挨拶を返した。無邪気さが痛いとはまさにこの事かと、そう痛感しつつも。

そんなメアリの眩しい視線から逃げるように、リディアナはその隣にいたエレンにも声をかけた。けれど眩しがるように瞳を細められて告げられた彼女の言葉に、リディアナは首を傾げる。眩しさという点ならば、エレンの隣のメアリの方が輝いている気がするのだが。


「おはよ、リディ」

「あ……挨拶が遅れて申し訳ありません。おはようございます、ミレーニア様」

「別にそんなこと今更気にしないわよ」


エレンのそんな表情に首を傾げたリディアナは、しかしそこでミレーニアに声を掛けられて眉を下げた。慣れ親しんだ空気のせいで油断をしてしまっていたが、本来ならば最初にこの部屋の中で身分が一番高いミレーニアに挨拶をするべきである。声をかけられたからとつい最初にメアリと挨拶を交わしてしまったが、貴族間のマナーで言えば入室の際は身分の一番高い人間に挨拶をするのが正しい。

けれどそうして眉を下げ謝ったリディアナに、ミレーニアは困ったような笑顔を浮かべて首を振った。友人関係なのだから今更であると、そう告げるように。その表情を見てどうやら不快にさせてはいないようだと、リディアナはそこで小さく息を吐く。ミレーニアが寛容な人で良かったと、そんなことを改めて実感しつつ。


「ていうか朝早くない? あんま無理しすぎないでよ」

「ふふ、大詰めですので。ご心配なさらず」


無礼を許してくれたどころか、そうやって心配そうに声を掛けてくれるミレーニア。きっとそれは、知ってしまったリディアナの体の虚弱さを気遣っての言葉で。若干大袈裟とも呼べるようなそんな言葉に少し困りながらも、リディアナは誤魔化すような笑みを浮かべた。ああやはり、レン以外の存在に心配されるのは慣れないとそう思いつつ。

しかしリディアナはそういえばと、そこで背後を振り返った。先程から声が聞こえないが、つい先程まで傍に居たはずのレンはどこに行ったのかと。けれど視線を彷徨わせて見つけた彼はもうリディアナの背後には居らず、いつのまにか邪魔にならないような位置に座り込んでいて。持っている本は相変わらず魔術書だろうか。周りを一切気にせずに読書に没頭し始めた彼に苦笑を浮かべつつ、リディアナはそこで思考を切り替えた。


「それよりも、今は何を? 事前に話し合った内容をどこまで納めましたか?」

「え、と……そうね、一連の流れは叩き込んだわよ。ま、及第点ギリギリだけど」


無駄にしていい時間など、一秒たりとも無い。指導者としての表情を浮かべて問いかけてきたリディアナに、ミレーニアは若干言葉を濁らせつつもそう答える。ミレーニアの視点から見れば荒は残ってはいるものの、メアリとエレンは何とか目玉の行事となる聖杯の儀式をこなすことが出来そうなように見えた。

エレンは些か力を抜きすぎるし、逆にメアリは些か力を入れすぎる。とはいえ最初の頃の模擬に比べればそれでも見られる形にはなったのだ。最初の頃の二人の動きなんて、基本の礼儀作法を知っているだけの子供のお遊戯にしか過ぎなかったので。


「成程。二人とも、姿勢を正してくれる?」

「はい!」

「えっと、はーい」

「それでは、そのまま一礼を」


ミレーニアの言葉に頷いたリディアナは、そこで二人の方に視線を向けた。その視線にどこか緊張したように体を強張らせた二人を安心させるように優しく微笑むと、姿勢を整えるようにと告げる。威勢よく返事を返したメアリと、相変わらず気だるげに返事を返すエレン。対照的な二人に苦笑を浮かべつつも、そのままリディアナは二人に礼をするようにと言葉を続ける。

その言葉に導かれるように、二人は練習用のワンピースの裾を掴むと一礼をしてみせた。返事こそ対照的であれど、何度も同じ動きを繰り返したからか二人の息は整っている。ほぼ同時に行われたそのカーテシーを、リディアナは瞳を細めて観察していた。二人の礼は何ヶ月か前まではただの平民だったとは思えない程には整ってはいる。しかし見る人が見てしまえば、どうしても二人の動きは未熟と言わざるを得なくて


「メアリ、姿勢は良いけれど動きが硬いわ。柔らかく動くのではなくて、緩慢に動くのを意識してみて。特に指先の辺りに集中するの」

「ええと……こう、ですか……?」

「ええ、素敵よ。指先から髪の一本揺れにまで、体全ての箇所に意識を注いでね」


そうして頷いたリディアナはカーテシーをしたままで止まっている二人に近づくと、まずメアリに声を掛けた。先程のミレーニアの指摘はどうやら的確だったらしく、その言葉の通りメアリの動きは硬い。礼儀作法を教えていた初期の頃からそうではあったが、どうやらその名残がまだ抜けていないらしかった。

動きが硬く見えるとどうしても優雅さが欠けてしまう。動きが人ではなく、人形のように見えてしまうからだ。かといって柔らかくと言っても中々難しいものがあると、リディアナはそこでメアリに遅く動くように告げた。動きが硬くともその動作が緩慢であるのなら、人形のように見える心配は無いからだ。再び動きを繰り返してみせたメアリを軽く褒めると、メアリははにかむように微笑んだ後に頷いた。


「エレン様、背筋に一本の芯を通す形で。全体的に体の骨を意識してくださいませ」

「う……」

「いつだって柔らさを保てるのはエレン様の長所ですね。その調子で背筋や太腿、局所的な箇所の骨を立たせるようなイメージで」


次にエレンだと、リディアナは続いて声をかける。やはりミレーニアの指摘通り、こちらは逆に柔らかく見えすぎてしまうのだ。強弱というのは大切で、柔らかくしすぎても逆にだらしなく見えてしまう。故にエレンにはもう少し骨を意識してもらわなければと、リディアナは背筋を伸ばすように告げた。その言葉にエレンの姿勢が変わる。背筋に骨が通るだけで、だらしなさは一蹴された。しかし。


「……すみません、少し触りますね」

「え、ど、どうぞ……」


許可を得た後、リディアナはそっとエレンの腰回りに手を伸ばす。ぎこちなく固まるその体に申し訳ないとそう考えつつ、けれどリディアナはどこか浮いていたようにも見えたその腰を落ち着かせるように固定した。そうして腰を落ち着け背筋を伸ばしてしまえば、大きな欠点はそれで消えてしまって。今そこにいるのは凛とした雰囲気の、中性的な容姿の淑女だ。


「背筋と言いましたが、それと同時に腰辺りの骨を意識するのもよろしいかと。背筋が伸びたエレン様は格好良く見えますよ」


元々器用な質なのだろう。動きに硬さが見られずに自分のペースで動けるエレンならば、その姿勢を保つことができれば大きな問題点はなくなる。腰から手を離して距離を取ると、完璧とも言って良いようなカーテシーを見せるエレンがそこに居て。そのことに柔らかな笑みを浮かべながら褒めたリディアナに、気圧されるようにエレンは視線を逸らした。目の前の麗人が見せるその笑顔が、現実味がない程に美しくて。


「……美人って怖いな」

「え?」

「あ、なんでもない、です。頑張りますー……」


ぼそり呟いた声は誰の耳にも届かずに消えていく。聞き返したリディアナにへらりと笑って首を振ったエレンは、やる気を見せるかのようにそう告げた。その言葉に嬉しそうに微笑んだリディアナに、僅かにその表情を引き攣らせつつも。その耳が微かに赤く染まっていたのに気づいた人は、誰一人としていなかった。


「遅れましたわ! 大変失礼致しましてよ!」


何故ならば、そこで扉の方から聞こえてきた声に全員の注目がそこに集まったからである。今日も大袈裟とも呼べるような素振りで大胆に扉を開き現れたクレアは、よく通る声でそう挨拶をしてみせた。今日も可憐な少女然とした見た目からかけ離れている堂々とした振る舞いは、けれどそこに違和感を感じさせず。凛とした薔薇の色の瞳は集中した視線に一切億することなく、今日も芯の強さを秘めて輝いていた。


「……クレア様、おそーい」

「仕方がないでしょう! あたくしには役目があったのだから」


そうして突然とも言えるような彼女の登場に、やはり一番に声を掛けたのはエレンで。先程よりもどこか安心したようにも聞こえる声音で開口一番文句を告げてきたエレンを、クレアは腰に手を当てて睨みつける。

役目とは何だろうか。今日も派手に登場してきたクレアと恒例になった二人のやり取りに苦笑を浮かべていたリディアナは、しかしそこで首を傾げた。不思議に思って様子を伺っていれば、クレアは何かに慌てたような素振りを見せるとすぐに腰に当てていた手を解いてしまう。そのまま背後を振り返ったクレアは、先程大声で挨拶をしていた人物とは到底同じ人物と思えないような小さい声で話し始めた。


「どうぞお足元にはお気をつけくださいませ」

「……ええ、ありがとうございます。クレアちゃん」

「ちゃん付けはいい加減お辞めになってくださいまし……!」


話す声は小さくて捉えきることができない。けれど僅かに聞こえてきたそれらから、そこにはクレア以外の人物が居ることがわかって。僅かな間の後、話し終えてかクレアがエスコートして入ってきた人物。しかし全く予想出来ていなかったその突然の訪問者に、リディアナは思わず目を見開く。話したことこそはないが、そこに居たのはリディアナが知っている人物だったからだ。


「……クレア様、その方は」

「あら、貴方なら当然顔を知って居られるでしょう?」

「……ええ」


恐る恐る問い掛けたリディアナに、クレアは不思議そうに首を傾げる。知らないとかではなくて、何故彼女がここに居るのかに疑問を抱いたのだが。けれどその言葉を飲み込んで、リディアナは心を落ち着かせた。誰だろうと、不思議そうにしているメアリたちの、その数秒後を想像して。

リディアナの動揺を他所に、クレアに連れられて入室した彼女は微笑む。その人物は見た目だけは普通の、落ち着いた雰囲気の老婦人であった。身長があまり高くないクレアよりも小さく、けれどその姿からは威厳を感じられるような。全員の注目が彼女に集まったところで、彼女はその柔らかな緑の瞳を柔らかく細めて口を開く。その姿にリディアナは数秒後の混乱を悟って、そうして瞳を伏せた。


「初めまして、今代の聖女の卵のお嬢さんたちとその教育係の皆様。先代の聖女を勤めておりました、ラウと申します」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ