閑話 五
メアリが告げたその言葉に再びレンの瞳は見開かれる。けれどそうして紫が瞬いたのは一瞬で、その瞳は直ぐに細められるとクラウディオとミレーニアの方へと向けられた。本当に同意したのかと、そう問いかけるような猜疑心に満ちた瞳で。
「……言ってしまえば、リディアナ嬢が犯した禁術は誰にも害を与えていないものだ」
その視線を受けてか、クラウディオは一度小さく息を吸うと話し始める。隣に座るミレーニアがあからさまに顔を顰め、話すのを嫌がる素振りをみせたからだった。
正義感の強いミレーニアにとって、取引によって誰かが犯した罪を黙らせられるというのはいい気分がしないものなのだろう。例えその罪が、罪と呼ぶかも疑わしいものであったとしても。
「故にこちらも判断した。罪にもならないような事実を黙っておくことで国を救うであろう聖女を得られるのなら、これ以上望ましい結果はないとな」
「……ふーん、そっちの王女サマも納得済みなわけか」
「……うるさいわね」
クラウディオの言葉に納得してか嫌味ったらしく笑うレンに、ミレーニアは鋭くも力ない声を返す。頷くしか無かった、というのが彼女の胸中であった。確かにリディアナの罪を罪と断定するかには、未だ疑問が残る。けれど聖女を得られる対価として黙らせられるというのも、彼女にとってはどこか納得がいかない話なのだ。
とはいえメアリのその条件は、クラウディオの言う通り限りなく望ましい好条件であったわけで。黙っておくだけの対価なんて、殆ど無いも当然のものなのだから。この好条件を蹴っては、兄の人生はあの気に食わないザハトの姫君によって滅茶苦茶にされる可能性がある。つまるところミレーニアには、頷く以外の選択肢がなかったのだ。
「……ちょっとずるいのは、わかってます」
ミレーニアが浮かべている不服そうな表情に、そこでメアリは困った様な笑顔を浮かべた。無理矢理黙らせられるのがミレーニアにとっては業腹物だろうとはわかっていても、それでもメアリはこの取引を持ちかけたのだから。兄を救いたいミレーニアに、メアリの言葉に頷かないという選択肢はない。これがメアリにとって有利な取引であったことは、十二分に理解している。
けれどメアリにだって選択肢はなかった。リディアナを救うため、賭けられる物ならこの身であろうとなんだって賭けて見せるとそう決めたのだから。いつかは自分が怪我をしてまでもメアリを助けようとしてくれたリディアナなら、きっと同じことをするから。自分が目指す聖女像とは、そういうものであるから。
「でも私、どうしてもリディアナ様を助けたいんです。だから、ごめんなさい」
聖女らしいというのが何か、未だメアリにはわからない。今だってメアリは、自分よりもミランダの方が聖女らしかったとそう思っている。こうして努力を重ねた今でも、いつか憧れた二つの存在に近づけているのかどうかさえもわからなくて。夢は未だ夢のままこの胸の中で瞬いていた。
けれどここでそんな夢を叶えるのを優先してリディアナを助けることを諦めたのなら、きっとメアリは後悔する。だから今回ばかりは例え卑怯だとそう罵られたとしても、曲げる訳には行かないのだ。
「……別に謝らないでいいの。あたしが自分に納得出来てないだけで、メアリは悪くないから」
そうして向けられた真っ直ぐなメアリの視線に何を思ったのだろう。ミレーニアは一度眉を顰めて、けれど疲れたような溜息と共に首を振った。別にミレーニアは取引を持ちかけてきたメアリに憤っているわけではないのだ。寧ろ感謝さえしている。条件付きとはいえ夢を諦めてそうしてリティエの聖女に、あるいは兄の希望になってくれようとしていることに。
認められていないのは自分の心だけ。国を、兄を救う為とはいえ罪かもしれないことに目を瞑ってもいいのか。そんな葛藤は未だ心の中にあった。けれどミレーニアは一度は開きかけた瞳を、その事実とともに蓋をすることにした。覚悟を決めてくれたメアリに、報いるために。
「取引成立、でしょ。あたしは降りたりなんかしないわ」
「!……はい!」
ミレーニアは青灰色の瞳を一度閉じた後、その言葉と共に勝気に微笑んだ。再び開いたその瞳にはもう迷いはなく、定まった覚悟だけが映し出されていて。その色を見てようやくメアリは、安心したように頷く。そうして過ぎていく夕日影の裏に、大切な人を助けたい少女たちのそんな約束は結ばれたのであった。
「……で、具体的にどう説得するわけだよ」
「……う」
しかし話はそう簡単にまとまりはしない。何やら成し遂げたような雰囲気を醸し出していた二人に掛けられたのは、そんな冷たい声だった。レンは呆れたような瞳を細めて一度溜息を吐くと、少し悔しげな声音で吐露する。
「言っとくけど俺は二回くらい説得に失敗してんだからな。いくらメアリの言葉とはいえ、そう簡単にあの人が頷くとは思えない」
レンの言葉にメアリは顔を難しげに顰めた。リディアナがレンを信頼しているのは、誰の目から見ても明らかである。悔しいけれどレンはメアリなんかよりも、余程リディアナに信頼され頼られているはずだ。けれど悔しげなその言葉から察するに、そんなレンの説得にすらリディアナは頷くことは無かったらしい。
それならばどうすればいいのか。悔しいけれど今のメアリでは説得の材料が浮かばない。説得するにはまず、リディアナをその罪の意識から解放しなければならないのだ。しかし幼い頃から染み付いたそれを、たかだか三ヶ月程度の付き合いのメアリがどうすれば拭うことが出来るだろうか。
「……それは、おいおい考える!」
「……そんなんで大丈夫なのかよ?」
「大丈夫かどうかじゃなくて、絶対どうにかするの! 今は思い浮かばないけど……でも、絶対に!」
結局今の段階では答えはでなかった。半ば投げ捨てるかのようなメアリの言葉にレンの瞳はますます細められる。しかしメアリがその瞳に抱いた覚悟を見てか、それ以上少年が何かを告げることは無かった。彼女が生半可な覚悟で絶対だなんて言う性格でないことは、幼馴染故に理解していたので。代わりに零れた溜息ばかりは、どうしても抑えることは出来なかったのだが。
「ところで、リディアナ様の体の限界がいつまでとかってわかる?」
説得の話は告げた通りおいおい考えるにしても、メアリはそれを考えるための明確な期限を把握しておきたかった。限界を知らずに先延ばしにばかりしていては、取り返しのつかない事になってしまう可能性だってあるのだから。
そんな考えから問いかけたメアリに、レンは瞳を伏せた。何かを思案するような紫の瞳を誰もが押し黙り見つめる中、十数秒程経ったところでレンは口を開く。
「……あと、長くて一ヶ月か。短かったら二週間も持たないかもしれない」
「いっ……!? それって、早かったら二週間後のパーティーには死んじゃうかもってこと!?」
しかしそこで告げられた思ったよりも猶予のない期限に、メアリは瞳を見開く。メアリほどでは無いが驚いたのはどうやらクラウディオとミレーニアも同じだったらしい。信じられないような視線が集中する中、けれどレンはその言葉を撤回することは無かった。だってそれは、この目が捉えたどうしようも無い真実なのだから。
「あの人、相当無茶してきてる。そういう性格なのはメアリも知ってんだろ」
「……それって、私を庇って怪我した時にも負担になったりしたのかな」
「……さぁな」
震えながら零したメアリの声に、レンから明確な答えが返ってくることはなくて。けれど曖昧に濁されたそれこそが、何よりも明らかな答えなのだろう。禁術がどういう仕組みなのか。それに関しての知識は深くないが、リディアナが魔力を得るための代償に寿命や生命力を差し出したことはメアリでも理解出来ている。小さな傷の治癒にだって人は生命力を削るはずだろう。結果的にはあの時メアリを庇ったことで出来た傷も、リディアナの負担になったのかもしれない。
しかしそう考えて後悔したところで、あの時起きてしまったことが変えられるわけではない。過去を変えられないからこそ、未来をやはり変えるしかないのだ。その術はもうここに揃っている。後はメアリがリディアナを生きるように、そう説得するだけ。そう考えてメアリは、無意識の内に握りしめていた拳を解いた。怪我なんか作ってしまえばきっと優しいあの人が心配してしまうからと。
「まぁだから、そんな時間はない」
「……うん、ありがとう」
「別に。俺じゃ説得できないから、お前に頑張ってもらうしかないだけだろ」
強がるような笑みを浮かべて礼を言うメアリに、レンは視線を逸らしてぶっきらぼうに告げた。その言葉にミレーニアが気に食わなさそうに鼻を鳴らし、それをクラウディオが宥めていたのを横目に見ながらも。
レンにこれ以上リディアナの説得はできない。レンはひっくり返さないという理由で、リディアナから過去の話を聞き出したのだ。昼の時以上の言葉を重ねてしまっては、約束を破ったと見なされる可能性もある。それでここまで積み重ねて来たリディアナの信頼を裏切ってしまうのは、逆に得策ではない。リディアナがそういう風に感じる性格ではないとそう知っていても、それでもレンが嫌だから。
だからこそレンは、もうメアリに任せるしかないのだ。多少頼りなくとも、幾らかの不安要素があっても、それでもレンはなんだかんだメアリを信頼している。あまり賢いとは言えないかもしれないし、完璧とは程遠い。けれどなんだかんだ根性でどこまでも挑もうとする、そんな彼女を。
「ま、あたしも幾らかは協力するわよ。流石に黙ってるだけじゃ対価にならない気もするし、リディを助けたいのもあるしね」
「俺も出来うる限りは力を貸そう。出会ったばかりで信頼を寄せるのは難しいとは思うが」
「っ、はい! 頑張ります!」
……だってほら、こうやってレンの幼馴染は結局周りを引き寄せるのだ。クラウディオとミレーニアの言葉に花咲くように微笑んだメアリに、レンは気づかれないような苦笑を浮かべる。内心クラウディオの方が信頼できると、言ったら一人が烈火のごとく怒りそうなことを考えつつ。
メアリとリディアナ。全く似ていない二人ではあるがそういう所だけは少し似ていると、レンはそう思う。形は違えどあの教育係とこの聖女候補には、人を惹きつける力がある。一種のカリスマとも呼べるような、そんな何かが。レンもそれに引き寄せられたのだとそう言われてしまえば、否定が出来ないほど。
「……それじゃあリディアナ様を助けるため、頑張りましょう!」
そんなことを考えるレンを他所に、黄緑の瞳は強い覚悟を決めて瞬く。そんなメアリに一人は微笑み、一人は頷き、そうして一人は視線を落とした。視線を落としたその紫の瞳に、僅かに揺らぎが見えて。けれどその揺らぎはいずれ、ゆっくりと収束していった。
紫の花畑。いつか約束した時、燃やしてやるとそう告げた時のリディアナの微笑みがレンの頭に思い浮かぶ。心底安心したような、幸せそうなその微笑み。今の彼女にとって恐らく何よりも救いになったであろう、その約束は守れないかもしれない。
きっと、約束通り二人きりの世界で燃え散っていく灰だって悪くは無いだろう。それが最期になってもレンは後悔したりしないはずだ。けれどこうしてメアリと話したことで、レンにはそれよりも見てみたい光景が生まれてしまった。生きて紫の花々を見た時の、花よりも鮮やかな美しい少女の笑顔。あの時の幸せそうな表情を超えるような、彼女の笑顔。今のレンは、それを見てみたい。




