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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第四章
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閑話 三

「お待たせしました!」

「おかえり。見てたけど、結構様になってたわよ?」

「え、そうですか?……えへへ、そうだと嬉しいです」


祈りの時間を無事に済ませ、そうして戻って来たメアリはそれを見学していたミレーニアたちに声をかける。王族である二人に見られていたことに一種の緊張を抱いていたが、何事もなく今日の祈りも終えることが出来た。そのことにメアリはそっと胸を撫で下ろす。

先程の別れ際の静かな声とは一転、悪戯っぽい声音で自分を褒めてくれたミレーニアにメアリははにかんでみせる。お世辞なのかもしれないが、褒められて嬉しいことに変わりは無いのだから。


「見事な姿だったと思う。美しかった」

「そ、そうですか……」


とはいえ重ねられたクラウディオの褒め言葉は、ミレーニアのそれよりもずっと破壊力が強くて。メアリは真面目な顔で告げられたその言葉に、頬を赤らめて思わず視線を下げた。笑顔で応対できれば満点だったのだろうけど、美しいだなんてそんな風に臆面なく褒められたことなんてなかったから。


「だーかーら、誑しはやめてっての! 妹としては色々居た堪れないでしょ!」

「……叩くな、レニー」

「ほんっと無自覚なの、タチ悪いからねお兄様」


ミレーニアが怒りながらそうクラウディオを軽く叩いても、彼は自分の言葉がおかしかったとは思っていないらしく。眉を寄せながら首を傾げたクラウディオに、ミレーニアは心底呆れ返ったような声音でそう告げた。メアリはそんな気の置けない双子同士のやり取りを見て、苦笑を浮かべる。

クラウディオの話によると、彼の世界のほとんどは感情を示す色だけで構成されている。色しか映らないという彼の視界を、人が人として見えているメアリが想像するのは難しくて。けれどきっとその中だからこそ、メアリが多少良く見えるだけなのだ。そう思ってしまえば変な勘違いをしなくて済みそうだった。そうやって気持ちを落ち着ける。


「あのお二人共、そろそろ行きましょう。お話もその、聞きたいです」

「……そうね。ほらお兄様、行くわよ」

「……ああ」


さて、二人のやり取りは微笑ましいがそのせいであの話が流れてしまってはいけない。そう考えておずおずと提案をしたメアリに頷いたミレーニアは、クラウディオに一度視線を向けるとその身を翻す。話そうとしている二人を止めるべきか否か。クラウディオはそんな思考を巡らせるも、結局彼はその葛藤を飲み込んで妹を止めることはしなかった。

メアリからその理由に関して聞いてきた以上、クラウディオにはこれ以上止めることが出来ないと判断したからだ。無理に止めようとしては、メアリにただ強い疑問を残すだけの結果になってしまうだけだろう。そのことから思い詰めさせておかしな行動に出られるよりは、話しておく方がいいと思った。例えこの話を聞いてしまえばメアリが、責任感を持ってしまうかもしれなくても。


そうして三人は大聖堂を出た。先程まで和気藹々と会話していた彼らとは同一人物とは思えないような、そんな沈黙を背負って。大聖堂で話しても良かったが、周りに人がいるような状況で話すには些かこの話は重すぎた。どこで話すべきか、そう考えていたメアリの方を前を歩いていたミレーニアが振り返る。


「……庭でいい? 前にリディと行ったんだけど」

「……はい」

「そ。じゃ、行きましょう。まだ薔薇、枯れてないといいんだけど」


困ったような笑顔で問いかけてきたミレーニアに、メアリは同じような表情を浮かべて頷いた。あそこならばこの時間は人通りが少ない。神殿騎士の見回りも、シスターたちの掃除も別区間での行動になるからだ。話をするのならば絶好の場所になるだろう。

本当は部屋に戻って、そうしてリディアナとレンが居る中で話を聞くべきなのかもしれない。けれどレンはともかく、リディアナにはこれ以上心配や負担を掛けたくなくて。きっとミレーニアも同じようなことを考えたのだろう。だからメアリはリディアナの庇護から抜け出して、そうして一人で話を聞くことを決めた。そろそろ守られてばかりではいけないと、そう思って。


「すっかり、寒くなったわよね」

「ふふ、そうですね」


寒さからか白く僅かに凍った道を、戻っていく。大聖堂の裏へと周り、居住区への道を通り、そうして見張りの詰所を抜けて渡り廊下へ。先程まで掃除をしていたシスター達は出払っており、詰め所以外の道中には人の姿は見えなかった。来月のパーティーに向けての準備に駆り出されている人員も居るのだろう。

小さく声を落とす度に、メアリの口からは白い息が零れて。それが余計に冬の訪れを強く実感させた。最近までは秋だったのに、時間が経つのは早いものだ。この世界にはいずれ春が来て、夏が来て、そうしてまた秋に巡るのだろう。


……巡っていく季節の中、早ければ次の春を迎えた時点であの人は居なくなってしまうのだろうか。ミレーニアに続く形で歩くメアリの思考にふと、そんな薄暗い疑問が生まれる。雪解けと共に花が咲くよりも早く、彼女はその命を散らしてしまうのだろうか。メアリの瞼の裏で、あの美しい笑顔が儚く瞬いた。

冬が過ぎて春になればメアリの一番に尊敬する人はもう、この世界から永遠に居なくなってしまっているのかもしれない。そう考えると胸が締め付けられるような、そんな感情に襲われた。まだ冬を迎えたばかりだというのに。


「……メアリ?」

「っあ、す、すみません……!」


無意識の内悲痛な表情を浮かべて俯いていたメアリは、そこで掛けられた声に慌てて顔を上げた。視線を上げた先には雪が積もり僅かに枯れた低木と、心配そうにこちらを見つめてくる二対の青灰色があって。いつの間にか庭に着いていたらしいと、メアリはそこでわずかに瞳を見開く。


「えっと、なんでもないです! ちょっと考え事をしてて……」

「そう? ならいいんだけど」

「……あまり無理はしない方がいい」


クラウディオの言葉にはい!とそう元気よく返事して。そうしてメアリは改めて低木を見つめた。二週間程前は満開だった薔薇たちを、メアリはよく覚えている。けれどそんな花たちは今は影もなく、低木は褪せた様子でそこに佇んでいるだけだ。そんな花々に僅かにリディアナを重ねて胸を痛ませつつも、けれどメアリはそれ以上陰鬱な思考に浸ることはしなかった。今はそれよりも、やらなくてはいけないことがあるのだから。


「……それで、理由を聞かせていただけるんですよね?」

「……ええ」


問い掛けたメアリに、ミレーニアは真剣な表情を浮かべて頷いた。その表情にようやく話が聞けるのだと、メアリは思わず生唾を飲み込む。百年という猶予がある中今ミレーニアが焦っている理由、そこにはやはり何かがあるのだ。枯れてしまった花を見て少し寂しそうに息を吐いたミレーニアは、そうして語りだす。明るく溌剌とした彼女らしくない、けれど王族らしく強さと威厳を帯びた声で。


「さっき話した通り、リティエは今緩やかに滅びに向かっているわ。けれどその理由は国民に公にはしていないの」

「……皆、びっくりしちゃうからですか?」

「そうね。パニックになって施政が乱れる可能性があるから」


滅びゆく事実を明らかにしていてないこと。ミレーニアが告げたそれにメアリは一瞬驚きはしたものの、よくよく考えればそれは当然のことだと頷いた。百年後とはいえ滅びに向かっているという事実を明らかにすればきっと良くない憶測を唱える者や、悪意を持ってリティエを混乱させようとする者も現れるだろう。それならば事実を伏せていたほうが、余計な混乱を招かなくて済むはずだ。


「あからさまな異常が現れているわけでもないし、緑の手の持ち主はこの百年の間に確保できればいい。唯一事情を知っている王家はそんな風に考えていたのだけれど」

「……だが、そこにザハトの手が伸びたんだ」


しかし一見問題が少なく思えたその話に、新しい名前が出てくる。ザハト、そう呼んだクラウディオの声には苦々しい色が滲んでいた。ザハトとは、先程リディアナが話していた九年前の流行病の感染源となった国ではなかっただろうか。幸いにしてメアリの暮らしていた村はその病に影響を受けることはなかったが、その病によってリディアナの母親は死の淵を彷徨ったという。その話をしていた時のリディアナの悲しげな表情を思い出し眉を下げながらも、メアリは問い掛けた。


「ザハトって、さっきリディアナ様が話してたときにも出た……?」

「……そう。なんでか知らないけど、あいつらは緑の手がなければいずれリティエが滅びることを知ってたわけよ」


吐き捨てるような言い方で、ミレーニアは頷いてくれる。その声にはメアリですらも読み取れるような、そんな強い嫌悪感が含まれていて。けれどそれに疑問を覚えるよりも先に、わかりやすい疑問の方がメアリの頭に浮かんだ。

国民を混乱させないようにと、リティエは緑の手の持ち主が居なければ百年後に国が滅びることを秘匿していたはずだ。それがなぜ、他国であり関係のないザハトに知られているのか。そこに言いようのない不気味さを感じて、メアリは眉を顰める。流行病を原因になったことや、リティエの重要な秘密を知っていたこと。どこか得体のしれないザハトに、メアリは到底好感を抱けそうにもなかった。


「それで我が国は脅しを受けた。ザハトの姫君を俺が娶らなければ、この事実を公然のものにすると」


しかしザハトへと抱いた得体のしれない不気味さは、さらりと告げられたクラウディオの言葉によって吹き飛んでいく。ぽかんと目を見開いたメアリに、クラウディオは困ったように少しだけ微笑んだ。その笑顔からは彼がその結婚を喜んではいないことが、何となく感じ取れて。


「今回の……この訪問はね、お父様が出来る最後の償いみたいなものなのよ。望まぬ結婚をさせられる息子のために、ってね」

「別に俺は気にしていない。望まぬ結婚を強いられるのが女のお前たちではなく、男の俺で良かったとも思う」

「……お兄様の馬鹿」


泣きそうなミレーニアの声が、妙に耳に残った。それは普段勝ち気である彼女が上げたとは到底思えないような、弱々しい声で。やはり望まぬ結婚なのかと、そんなぼんやりとした思考がメアリの頭に過ぎる。望まぬ政略的な結婚。それはメアリからすれば考えられないような、そんな遠い世界のように思えた。

出会ったばかりではあるが会話や行動の端々に見られる態度から、クラウディオが優しい人なのだということは何となく感じ取っている。そんな彼が国を守るためとはいえ、望まない結婚を強いられそうになっていること。昔ミレーニアから聞いた話によると、リティエでは自由結婚が推奨されている。そんな環境下で育った彼が得体の知れない不審な国の姫君と、結婚させられること。それはメアリの目から見ても一種の悲劇のように感じた。


「……だからあたしは緑の手の持ち主を探してたわけ。だって聖女様さえ居れば、あの女が義姉になることもないわけだし」

「おい、ミレーニア」

「性格悪い女ってことくらい、お兄様だって知ってるでしょ? あの女の心はどんな風になってるわけ?」


つまるところ、ミレーニアは兄を望まぬ結婚から守るために緑の手の持ち主を探していたのだ。二人の仲が良いことくらい、メアリにだってわかる。だからミレーニアは百年という猶予を見てではなく、クラウディオの人生を守るために焦っていた。そう考えると先程の強引とも呼べるミレーニアの行動を、責める気には到底なれなくて。

物語のような現実味の薄い話に未だ実感が湧いてこないメアリを他所に、二人は会話を続けている。けれどミレーニアの嫌悪混じりの声を止めようとしたクラウディオは、言い返されてそのまま黙り込んでしまった。そこからは彼が見たその姫君が、美しい心を持っていなかったことが理解できて。黙り込んだ兄を見てか、ぼうっとしていたメアリの方へとミレーニアは声を掛けてくる。少しだけ困ったような、そんな顔で。


「……あのね、本当は聞かせるべきじゃなかったの。だってこんな話を聞いたら、メアリは自分が聖女にならなきゃ、って思うでしょ?」

「……それは」


ミレーニアの言うことは確かであった。メアリはこの話を聞いたことで、自分が聖女になればというそんな感情が浮かんだ。そうすればクラウディオは望まぬ結婚を強いられることもないし、ミレーニアだってそうなってくれれば万々歳だろう。リティエだって滅びの心配をしなくて良くなるのかもしれない。しかしそう考えていたメアリに、先程までメアリを勧誘していたはずのミレーニアは首を振った。優しい笑顔を浮かべて。


「確かにあたしはメアリに聖女になってほしいけど……でも、メアリにはきらきら光るような夢があることだって知ってる。勧誘する、なんて言ったけどあたしはそれも応援したい」


だから大丈夫だと、花咲くような笑みでそう告げるミレーニア。そこからは一点の曇りもなく、彼女が心からメアリを応援してくれていることが痛いほどに伝わってきて。そうしてその隣のクラウディオも柔らかな笑みを浮かべて、そしてそんなミレーニアに頷くものだから。

メアリの周りは誰もが皆こうなのだ。自分が痛くても、それでも周りにぼろぼろになってしまった心を更に砕いて差し出そうとする。その綺麗な笑みの下に、苦しみに叫ぶ自分を隠して。やっぱりメアリは全部救いたい。ミレーニアも、クラウディオも、そうしてリディアナも。だってまず周りの人を助けられなければ、きっとメアリが望むような聖女になんて一生なれないのだから。


「……あの、取引をしませんか?」

「……メアリ?」

「私、リティエの聖女になります」


俯いていた顔を上げて、叫びそうになった心を唇を噛み締めて抑えて。そうしてメアリは真っ直ぐに二人を見据えた。いつになく強いそんな覚悟を黄緑の瞳に宿したメアリに、二人は戸惑ったように瞳を揺らす。けれどその瞳は言い切るようなそんな彼女の言葉に見開かれた。

強い視線はレンに少し似ていて、強がるために浮かべた笑みは少しだけリディアナに似ていて。そんな表情を浮かべながら、メアリはそっと低木に触れる。低木に指先が触れた瞬間、低木が少しだけ鮮やかで生き生きとした緑に戻ったこと。それに気づいたのはメアリ本人だけだったけれど。それに軽く目を見開いて、けれどメアリは驚愕している二人に言葉を重ねた。あの時幼馴染が告げた、とある言葉を思い出して。


「……ただ、その代わりに聞いてほしいお願いがあるんです」

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