閑話 二
「……すみません、お時間取らせちゃって」
時間にして数分程だろうか。時折吹き込む冷たい風に前髪を揺らしながらも、メアリはリディアナの為に祈った。けれど祈りの時間だとそう言って部屋を出てきた以上、いつまでもそうしてはいられない。そろそろ遅刻だってしてしまうだろう。
顔を上げて困ったように微笑み、そうして頭を下げたメアリ。そんな彼女にミレーニアとクラウディオは顔を見合わせると、お互いに小さな笑みを浮かべる。それは時間としては彼女よりも短くとも、今同じ願いを祈っていたこと。そのことは秘密にしておこうという双子だからこその合図だった。
「別にいいわよ? 気にしてないもの。ね、お兄様」
「……ああ」
告げても良かったのかもしれない。けれど同じように祈っていたとそう告げるのは、少しバツが悪くて。だってそうだろう。リディアナを罰するのが正しいのだとそう告げた口で、けれど彼女の救いと奇跡を祈るなんて。感情と理性が相反したこの矛盾を、ただ純粋に祈っていたメアリに告げるのはどうにも憚られた。
苦い感情を押し殺し取り繕うように華やかに笑うミレーニアを見てか、僅かに眉を寄せたクラウディオ。けれど彼は短く頷くと、それ以上言葉を重ねることはなく。そうして隠された二人の真意に気づくことなく、メアリは感謝するような柔らかい笑みを浮かべた。
「えへへ……ありがとうございます」
「いいのよ。それよりほら、行きましょ? 勧誘も聞いてよね」
「う……はい」
しかし柔らかな笑顔はミレーニアの悪戯っぽい声音に崩される。途端に困ったように眉を下げたメアリは、そこでミレーニアが付いてきた目的を思い出したらしかった。戸惑いがちに、困ったように、けれどメアリはそんな言葉に頷く。妹の暴走にか隣で申し訳なさそうな視線を向けてくるクラウディオに、メアリは気にしないで欲しいとそう告げるように微笑んだ。元凶は勧誘くらいならば構わないと、そう言った自分であるのだから。
それにミレーニアには今日も含めて色々とお世話になった。リディアナのことに関してもそうだし、今までの勉学にしてもだ。そんな彼女に話を聞くくらいのお返しは、して然るべきだろう。最も熱烈に勧誘をされたところで、メアリはそれに答えられないのだけれど。
「ええと、じゃあそうね。まずリティエについて知ってもらうわ!」
「あはは……お手柔らかに」
「……もう! 釣れないんだから。……まずリティエの首都。そこの城下町には大きな市場があって、そこには各国の特産品が揃うのよ! それは建国当初に他国の物が仕入れられるルートを開拓したのが大きくてね……」
とはいえそうして話し始めたミレーニアの話は、メアリには興味深いものに聞こえた。心躍るような声音でミレーニアが語るからだろうか。輝く青灰色の瞳からは、自国への愛がわかりやすく伝わってきて。
大きな市場、高い建物が立ち並ぶ城下町、そしてそんな城下町全体を見下ろせる程に大きな時計塔。緑豊かなティニアと違い、リティエは随分と都会的な国らしい。異国の情景はこの国の外に出たことがないメアリにとって未知なものではあったけれど、想像するのはそう難しいものではなかった。それも全て、ミレーニアの分かりやすい語りがあってこそのものだったけれど。
「リティエはお祭りも多くてね。豊穣祭とか建国祭だけじゃなくて、私とかお兄様の生まれ年のお祭りもあるのよ」
「ふふふ。ミレーニア様祭、ってことですか?」
「……そうなんだけど、なんかそう言われると違うような」
メアリはティニアが好きだ。愛する家族と大好きな幼馴染が居て、大切な友人が居て、何よりも尊敬する人が居るこの国が。自分を慈しみ育ててくれたこの国が。だからこそ聖女候補として、そうして聖女として、この身を砕いて捧げても構わないとそう思っている。むしろ捧げることこそが、メアリにとっての夢であるのだ。
けれどメアリは聖女候補として選ばれる少し前までは、ただの年頃の少女だったのだ。若い少女ならば皆持つであろう、人並みの他国への憧れだってそこにはあった。だからどうしても現地の人の、それも王女様から直々に語られるその話に胸を踊らせずにはいられなくて。
「なんだか、明るい国なんですね。ミレーニア様みたいです」
「なにそれ。褒めてもなんにもでないわよ!」
メアリは自然に浮かんだ笑みをそのままに、ミレーニアにそう告げた。つっけんどんな言葉とは裏腹に、国と自分が褒められたことが嬉しかったのかミレーニアもまた笑って。
そんな和やかな光景に、見守っていたクラウディオは一人安堵の溜息を吐いた。先程見せた様子からミレーニアがメアリに無理強いをするのではないかと、クラウディオはそんな不安を抱いていたのだ。けれどあの少年の言葉が効いたのか、ミレーニアは明るい話を語り真っ当にメアリを勧誘をしようとしている。クラウディオがそう心配するようなことでもなかったらしい。
「でもまぁ、緑は少ないわね。歴史も浅いし……ティニアにそういう点では勝ち目がないわ」
「……なんというか、駄目な点も教えてくださるんですか?」
しかし楽しそうに話をしていたミレーニアは、そこで難しそうに眉を寄せる。確かに都会的な町並みであるのなら、ティニアに自然という分野では勝ち目がないだろう。新興国と呼べるほど新しい国であるからか、国土もティニアよりも狭い国であることだし。
けれどメアリはその言葉にきょとんと目を丸くした。勧誘と言うのなら、良い点だけを告げてそうして誘ってしまったほうが効率が良いはずだ。わざわざ悪い点を上げることの利点が考えられずに、メアリはそこで首を傾げる。そんなメアリに、ミレーニアの眉は釣り上げられた。
「当たり前でしょ? 公平にティニアとリティエを見て、それで選んでもらいたいもの」
「……成程?」
その言葉からはミレーニアの持つ公平さが窺えて。きっと嘘を付くのだって、表情を取り繕うのだって、貴族に必要な全部が本来の彼女にとっては不得意なのだろう。そうして今のように卑怯なことだってしようとしないのだ。
そんな考えに至ったからこそ、メアリには先程のミレーニアの発言が余計妙なもののように思えた。メアリが来なければリティエが滅ぶ。先程告げられたその言葉は脅しに限りなく近いものであっただろう。けれど結局滅ぶのは百年後。今こうして公平に重きを置くミレーニアの性格を考えると、先程の言い方には疑問が残るのだ。猶予がまだあるというのにあんな脅しを投げかけたのは、メアリに責任を被せるような言い方をしたのには、何か理由があるのではないかと。百年とはまた別に、ミレーニアが焦る理由が。
「……その、リティエの聖女は何をするんですか?」
だから探ろうと思った。メアリではリディアナのように上手く言葉を引き出すことは出来ないかもしれないけれど、それでもミレーニアが焦っていた理由を知りたくて。そうして質問をしたメアリに、ミレーニアの瞳は見開かれる。けれど彼女がそんな驚いたような表情を浮かべたのは一瞬で、ミレーニアはすぐにその勝ち気で美しい少女の顔に満面の笑みを浮かべる。
「なる気になったの!?」
「……えっと、そうではないですね」
「……もう、期待させるようなこと言わないでよね」
けれど満面の笑みから一転、メアリの言葉にミレーニアは拗ねたように唇を尖らせた。どうやらメアリが話の根本たる聖女についてを聞いてきたので、早速気が変わったのではないかと期待したらしい。ミレーニアの話は確かに魅力的ではあったが、残念なことにそんなすぐに気が変わるほどメアリの意思は弱くない。メアリは苦笑を浮かべながらも、すみませんと謝った。しかし一度期待を抱かせてしまったからか、ミレーニアは顔を顰めさせたまま黙り込んでしまう。
「……リティエの聖女にはこの国とは違い、厳格に決められた役目はないな」
「なる、ほど……?」
「一種の職業の一種だと思ってもらえればいい。豊穣の手を使い、嘆願を受け枯れた大地を時折癒やす。我が国ではそのような役目だと言われている」
そうして拗ねたミレーニアに変わってか、呆れたように眉を寄せながらもそんな風に説明をしてくれたのはクラウディオで。その言葉に国によってかなり様式が違うものだと、メアリは瞳を瞬かせた。嘆願を受けて、ということはリティエの聖女は遠くに出向く機会があるのだろうか。ティニアの聖女は神殿で祈りを捧げることを役目としているため、大きな理由がない場合は外に出ない。如実にメアリの目に付いたのは、そんな差だった。
ティニアでは聖女は、国王や神殿長というような高い身分の人間の一人として扱われる。けれどリティエではクラウディオの言う通り、一種の職業という形で扱われるのだろう。頷いたメアリに、クラウディオは柔らかく微笑んだ。しかし自分へと向けられたその表情の柔らかさに、メアリは硬直する。それは出会ったばかりの少女に向けるには、些か不相応な物のように思えて。
「……ちょっとお兄様、メアリが固まってるじゃない。無自覚誑しやめてよ」
「……すまない、不躾だっただろうか。顔が見える人間というのを、ミレーニアともう一人以外では久々に見たものだからな」
「もう、そう言われると強く言えないじゃない……ごめんねメアリ」
「い、いえ……」
ミレーニアの言葉にメアリはそこではっとした。妹に怒られてか怒られて眉を下げるクラウディオを横目に、じわりと熱くなった頬を冷ますようにメアリは強く首を振る。そう言えばこの人はそんな事情を抱えているのだとそう思ってしまえば、それは仕方ないことのようにも感じて。
けれどやはり高鳴る心臓が抑えられずに、メアリは唇を噛みしめる。きっとクラウディオの視線に深い理由なんてない。けれど美しい男性から向けられるそんな視線に平然としていられるほど、メアリは異性に耐性が無かった。レンならば平気なのにと、そう内心考えつつもメアリは視線を下げる。
「……うーんまぁとにかく、こっちと違ってその役目は気軽かもね。その代わりお姫様みたいに大切にされるってわけじゃないけど」
「は、はい! ありがとうございます!」
真っ赤な顔をしたままのメアリを心配そうにしつつも、クラウディオの言葉と一緒に纏める形でそう答えてくれたミレーニア。そんな彼女の言葉に頷きつつも、メアリは胸の中に一瞬訪れた名前をつけられない感情を振り切った。つけれる名前を知っていても、それは意味のないものだからと押し殺して。
しかしそうして動揺を何とか収めたところで、大聖堂が近づいてくる。結局ミレーニアに感じたあの時の違和感を聞き出すことが出来なかったと、メアリは更に視線を下げた。やはり自分はリディアナのように話術で巧みに話を聞き出すような、そんな存在になれない。けれど今のメアリはそれを卑下するつもりはないのだ。だって文字通り血の滲むような努力を重ねてきた彼女と同じ振る舞いが出来ると思うこと、そっちのほうが烏滸がましいのだから。
結局メアリはリディアナのように、言葉を上手く引き出す術など持ち合わせていない。レンのように強引に振る舞うことだって出来ない。けれど持っていないのなら、それならば答えは単純だ。いつものように、ただ純粋に、考えてもわからない答えがあるのならば尋ねればいいだけなのだから。今回の問いかけにミレーニアが答えてくれるかは、わからなくても。
「……ミレーニア様、実は質問がもう一つあるんです」
「……ええ、何?」
大聖堂を目前として、そこでメアリは視線を上げた。メアリの真剣な視線に気づいてか、ミレーニアは先程よりも静かな声音でその声に答える。一度小さく息を吐いたメアリは、緊張を押し殺して真っ直ぐにそんなミレーニアを見つめた。冬の冷たい空気を切り裂くような声で、そうしてメアリは問いかける。
「ミレーニア様は何かに焦ってますよね?」
「……!」
「もし聞くことが出来るのなら……ミレーニア様が急いで豊穣の手を持つ聖女を探そうとしている理由、それを聞きたいんです」
いつものように、授業の際にわからなかったことを尋ねるように。そうしてメアリは至って自然体でミレーニアに質問を投げかけた。その言葉に二対の青灰色の瞳が見開かれても、決して質問を取り下げたりはせずに。
十二時を告げる鐘が鳴る。聖女候補に祈りの時間だと、そう告げるような鐘が。問い掛けていたメアリはその音にはっとして、大聖堂の方へと視線を向けた。折角問い掛けられたというのにこれでは時間切れだと、メアリはそこで眉を下げる。けれど背を向けたメアリに、そこで声を掛けてきた人物が居た。
「……まず祈りの時間を済ませてきたら?」
「……でも」
「帰ってきたら、話すから」
大聖堂の方へ視線を向けていたメアリは、しかしそこで掠れるようにして告げてきたミレーニアの方に視線を戻す。クラウディオの物言いたげな視線に怯むことなく、ミレーニアはメアリを真っ直ぐに見つめていた。どこか縋るような、あの時にも見せた僅かな色を覗かせて。
その言葉にも、瞳にも偽りはない。そう察したメアリは頷くと、大聖堂の方へと向かって行く。二度は振り返らずに、その背中に強い視線を背負って。そうして歩きながらもメアリは、慣れ始めていたはずの祈りの時間に別種の緊張感を抱いた。この祈りが終わったのならば、ついにその理由が聞けるのだと。




