第十八話
ミレーニアとクラウディオ、二人が浮かべた真剣な表情に釣られてか部屋の雰囲気は重苦しいものへと染まっていく。雰囲気の変わった二人を警戒するように見つめるレンを横目に、リディアナもまた固唾を飲んで二人を見つめていた。国に関わってくるような話が、メアリに関係している。それは一体何なのか、メアリは何に巻き込まれようとしているのか。
もしそれがメアリにとって負担になるものであったり、メアリを傷つけるものであるのならば、リディアナはこの身を呈してでもメアリを守らなくてはならない。例え相手が他国の王族であったとしても、リディアナは自分の聖女候補であり友人であるメアリを、困難なことに巻き込むのを許すつもりはなかった。
「……ね、あたしがこの国に来た目的って覚えてる?」
「ミレーニア様の目的、ですか?」
けれどそこで最初に話し始めたのはクラウディオではなくミレーニアで。リディアナは若干戸惑いながらも、ミレーニアの言葉に記憶を手繰り寄せる。クラウディオの目的は聖女候補のお披露目パーティーに出席することだったが、ミレーニアの目的はなんであったか。
……思い出した。ミレーニアは確か、緑の手を持つ者が居るのではないかとこの国に訪れたのだ。商業国に近い成り立ちのリティエよりも、緑溢れる大地が特徴的なティニアに望みをかけて。今ここでその話をするということは、つまり。
「……メアリが緑の手の持ち主、ということでしょうか」
「え!?」
「そういうこと。さすがリディは頭の回転が早いわね」
どこか信じられないという色を秘めたリディアナの言葉に、当人でありながらも未だ話に追いつけないでいたメアリはまた素っ頓狂な声を上げた。けれどミレーニアはリディアナに感心するような視線を向けて、そうして頷いてみせる。もはやこの状況で話についていけていないのは、話の当人であるメアリだけだった。
おろおろと視線を彷徨わせるメアリを他所に、リディアナは考える。メアリが緑の手の持ち主。確かにメアリはティニアでも緑深い土地である、南部の村で育った少女だ。だから彼女が緑の手の持ち主であっても、おかしくはない。
言われてみれば確かにメアリは緑の手の持ち主によく見られる、丈夫な体という条件にも該当している。持ち前のそそっかしさから転ぶことが多いメアリは、しかしあまり怪我をすることはなかった。メアリは聖女候補に選ばれるだけあって魔力も強いわけであるし、彼女が緑の手の持ち主だと言われても違和感は抱かない。しかし。
「しかし、どうしてそれがわかったんですか?」
そう、浮かぶのはそんな疑問だ。確かにメアリは緑の手の持ち主の条件に該当する部分が多い。けれど文献によれば魔眼とは違い、緑の手というのは無意識下で発動されることが多い力だ。緑の手の持ち主だと発覚する例としては、その者の近くに咲いていた植物がよく育っただとかそんな曖昧な例ばかりで。そう判断された者も本当に自分がそんな能力を持っているのか、はっきりと分からずに生きたという。
二人がこの国に訪れてから、おおよそ一月程。明確な判断基準が無い以上、メアリを緑の手の持ち主だと判断するのは困難極まるはずだ。こんな短期間で特定することが出来るようには到底思えず、リディアナは眉を下げながらもミレーニアに問い掛けた。
「……正確には、まだ可能性が高いってだけなんだけど」
ミレーニアはリディアナの視線に困ったように視線を下げる。どうやらまだメアリが緑の手の力を持っていると、そう確定したわけではないらしい。けれどこうして王族である二人が揃って訪ねて来たということは、メアリが緑の手の持ち主であるその可能性は高いのだろう。二人がそう判断するまでに至った理由は何なのか。リディアナとレンが黙って見つめる中、ミレーニアはそこで兄の方へと視線を向けた。
「もしかしてって、そう思ったのはお兄様の力からよ」
「……クラウディオ殿下の?」
躊躇うようにしながらもそう告げたミレーニア。その声音にはどこか拗ねたような色が含まれている気がした。リディアナはそのことに小さな違和感を抱きつつも、けれど今はそんな場合ではないとクラウディオの方に視線を移す。募る疑問は、全てが明らかになってから唱えるべきだろう。
「ああ。俺もミレーニアとはまた別の、魔眼を持っているんだ」
「!」
しかし向けられた視線に頷いてみせたクラウディオは、そこで驚くような事実を告げた。その言葉にリディアナは思わず息を呑む。希少価値の高い魔眼保持者が、この場に二人も居るとは。確かに高魔力保持者の多い王族であれば魔眼を持つ可能性は上がるのだが、双子の魔眼保持者なんて話は過去の件で魔法に関しても知識深いリディアナでさえ聞いたことがない話である。
驚くリディアナを他所に、その言葉を裏付けるようにクラウディオはその瞳を僅かに輝かせた。ミレーニアの物よりも小さく見える光を瞬かせながら、クラウディオはメアリの方へと視線を向ける。メアリがそんな視線に肩をびくつかせたのに、申し訳無さそうに眉を下げつつ。
「とは言え、俺の魔眼はレニーの物とは違い不完全なものでな」
「……その、どのような効果なのですか?」
不完全。どこか自虐的にも聞こえるクラウディオの言葉に戸惑いを滲ませつつも、リディアナは問いかけた。聞かなければ始まらないとはわかっていても、それでも魔眼関連の話は国の機密に関わりかねないからと。けれどクラウディオは特に気にした様子もなく、リディアナの言葉にあっさりと答えを返してくれる。
「俺の魔眼は、心の色が見えるというものだ」
「心の、色……ですか?」
しかしその答えにリディアナは首を傾げた。ミレーニアの呪術や禁術を見る力に比べると、クラウディオのそれは随分と抽象的なものに聞こえる。首を傾げたリディアナに苦笑を浮かべて、クラウディオは説明を続けてくれた。
「少し説明が難しいが……その人物の精神状態が分かるというのが近いだろうか」
「精神状態……」
精神状態。それは楽しいだとか、悲しいだとか、そんな感情のことを指すのだろうか。けれどそれならば社交界で生き抜く必要がある立場のクラウディオにとって、役立つ物のように思える。それなのに不完全と、彼は今しがたそう告げたのだ。
理解出来ずに眉を下げたリディアナの疑問を悟ってか、クラウディオはそこで視線を下げた。僅かに窺える難しそうなその表情は先程までの説明が難しいと言うような表情ではなく、告げるのを躊躇っているようなそんな表情にも見えて。そんな兄を気遣ってか、ミレーニアはそこで言葉を引き継ぐ。しかしその表情にはやはり兄と同じようにどこか躊躇うような、そんな色が滲んでいて。
「……でもそのせいでお兄様は、人の顔を認識できないのよ」
「え……?」
一瞬ミレーニアの言葉が理解できずに、リディアナはそこで困惑するような声を上げた。その言葉に戸惑ったのはレンも、そうしてメアリも同じだったらしい。黙り込んだまま眉を寄せたレンと、目を見開いたメアリ。そんな三人の表情を見てかクラウディオは、瞳を伏せた。いいや、ミレーニアの言葉を信じるのなら彼には見えていないのだ。困惑するような、そんな顔を恐らくクラウディオは表情として認識できていないのだろう。
「正確には色が見えるせいでその人の顔が色に塗りつぶされる、ってこと。だったわよね?」
「……ああ。この目を完全に扱うには、俺には魔力が足りなかったんだ」
ミレーニアの問い掛けに力なく頷いて、そうしてクラウディオは困ったような笑顔を浮かべる。明らかに無理をしているとわかるそんな表情を心配してか、ミレーニアはそこで心配するような視線を兄へと向けた。
けれどクラウディオがそんな困ったような笑顔を浮かべたのはその一瞬だけで。次の瞬間には彼はもう、王子としての表情を浮かべて話し始めていた。凛とした視線が、当惑する空気を切り裂いていく。
「俺はリディアナ嬢の顔も、レンの顔も、認識できていない。二人共特異な心を持つおかげで見分けることは出来ているが……俺は本来殆どの人を見分けることが出来ないんだ」
迷いを振り切るように、弱さを捨てゆくように。そうして淡々と語りだすクラウディオ。今リディアナがそんな彼を案じるように浮かべているそんな表情すらも、きっとクラウディオは色という形でしか認識できないのだろう。そう考えると少し切なくて、そこでリディアナは視線を落とす。
決して欠陥品の自分とクラウディオを同じように思っただとか、そんなわけではない。魔力があるという時点で彼のほうが圧倒的に優れているのだから、そもそも比べること自体が失礼に値するだろう。ただそれでも、誰もにとって当たり前のことが出来ないこと。その苦しみだけはリディアナも理解できる気がして。
「……ただ俺の魔眼は、何故か同じ魔眼を持つ者の心を見ることが出来ない。例えばミレーニアであれば、色ではなくてその顔を確かに認識できるんだ」
そこまで話して、そうしてクラウディオは息を吐く。しかしその瞬間のそこに僅かに含まれた安堵の色を、リディアナは確かに汲み取った。色ばかりで人の顔が認識できない世界の中、きっと唯一その顔を見ることが出来る妹のミレーニアの存在は彼にとって救いだったのだろう。今そこに浮かべている表情の柔らかさに、リディアナは気付かれないように息を吐いた。誰だって絶望だけの世界では生きていけない。リディアナだって、そうだったように。リディアナの脳裏に一瞬だけ、いつか母と過ごした思い出の記憶が蘇った。
「そしてメアリ・カーラー嬢」
「っ、は、はい!」
「……俺は、貴方の顔を認識できている」
凛とした声がメアリの名前を呼んだ。緊張するように声を返したメアリを、クラウディオはじっと見つめる。安堵したようなクラウディオの優しい視線と声に、メアリの頬が僅かに赤く色づいていった。リディアナはそんなメアリをおや、という気持ちで見つめる。
よくよく考えてみればクラウディオは中々の美男子だ。そんな彼にあんな風に見つめられてしまえば、恋に憧れを持っているメアリならば動揺してもおかしくはないだろう。そんな風に一瞬思考が浮ついて、けれどリディアナはそこで首を振った。今はそんな事を考えている場合ではないのだ。
「……つまりお兄様がメアリの顔を認識できているってことは、メアリも何かしらの特異な能力を持っている可能性が高いってわけよ」
「……成程。しかしそれはメアリが緑の手の持ち主だと断定するまでには至りませんよね?」
二人が言わんとすることはわかった。クラウディオはメアリを認識できるが、メアリは魔眼を持っていない。それはつまるところ、メアリが魔眼以外の何かしらの能力を持っている可能性が高いということだ。例えばミレーニアが求めていた、緑の手だとか。メアリの出身のことを考えるに、確かにその可能性は高いのかもしれない。
ただどれだけ可能性が高くても、結局それはメアリが緑の手の持ち主だと断定するには至らない。ここからどうやってそれを断定するのか、言外に視線で問い掛けたリディアナに頷くと、ミレーニアは懐から何かを取り出した。
「そ、リディの言う通り。だから、これを持ってきたの」
そうして取り出されたのは小さな箱で。ミレーニアは大切そうにその箱を撫でながらも、そっと優しくその箱を開いた。白い式布の上、そこに置かれたのは小指の先ほども無い小さな何かで。目を凝らさなければ見失ってしまいそうなほど小さなそれを拾い上げると、ミレーニアはそっとメアリの方へと差し出した。青灰色の瞳が、真剣な色を帯びる。
「……メアリ、これに触れてくれる?」
「え……」
「これはね、特別な種なの。緑の手の持ち主が触れなきゃ、一生発芽することのない」
ミレーニアの手のひらにぽつりと頼りなく置かれた黒く小さいそれは、どうやら種であるらしい。種と言うには形が整いすぎた円形のような気もするが、それはミレーニアの言う通り特別であるからなのだろうか。戸惑うような声を上げたメアリは、警戒するように種を見つめた。その黄緑色の瞳が戸惑うように揺らいで、当惑の波を作っていく。
「……それで貴方があたしたちにとっての聖女なのか、はっきりするから」
リディアナの耳にはミレーニアの掠れた声が、願い乞うようなもののように聞こえた。切望していたものを漸く得られたような、そんな。けれどとリディアナは、そこで首を振る。そうして抱いた感情ののまま一歩踏み出そうとしたその足は、しかし先を越されてしまった。リディアナよりも二人の近くにいた、彼によって。