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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第四章
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第九話

「……え?」


理解できなかった。いいや、理解したくなかったという方が正しいか。レンの言葉がリディアナの耳を通り抜けていく。けれど二度目、レンは形にするのを戸惑うようにして再び告げた。


「……あんたの命は、持っても後一月だ」

「……嘘」


ぐらりと視界が揺れたような錯覚。リディアナの縋るような言葉にけれどレンは首を振る。僅かに細められたその瞳が語るのだ。今しがた告げた言葉が決して嘘などではないと。

はくはくと、そう浅い呼吸を繰り返す。冷や汗が背中を伝っていった。一月、レンが今告げた言葉が事実だったのなら、それならばリディアナの目的は。アナスタシアを完璧なリディアナ・フォンテットのまま見送りたいという、その最後の願いは。


「その根拠は、あるの……?」

「……ある」


震える声で問いかけた、何かの間違いであって欲しくて。けれどそんな最後の希望すらも、躊躇うような声音で断ち切られる。根拠があるというのなら、なんなのか。その疑問を投げかけるようなリディアナの視線を、レンは正しく汲み取った。


「信じるかは自由だけど、俺にはあんたを取り巻いてる呪いが見えるんだよ」

「呪いが、見える?」


呪いが見える、それはどういうことだろうか。不可視だからこそ呪いは恐ろしいものであるはずなのに。こんな状況だと言うのに思わず呆気に取られて目を丸くしたリディアナの言葉に、レンはそこで眉を寄せた。その姿は説明に困窮しているように見えて。


「例えば今のあんたなら、あんたの全身を茨が覆ってるように見える」

「茨……?」

「そう。最初に異変に気づいた時は、まだ八割ぐらいだったけど」


今は全身を覆っている、つまりはそういうことらしい。彼の言葉を信じるのならば、その茨のようなものは呪いの進行状況を表しているのだろうか。彼が最初に異変に気づいた時と言えば、凡そ彼に出会って一ヶ月頃の話。つまりそれから一月と少し経って、リディアナの呪いは更に進行しているということだ。

リディアナにその茨は見えない。けれどそう聞くと自分を茨が覆っているような気分になって、リディアナは顔を青ざめさせた。未だ手を繋いでいたからか、リディアナの体温が下がったのに気づきレンが眉を下げる。


「日々茨は伸びていってる。それの伸び具合を想定して、俺の想定だと……」

「……一ヶ月ってことなのね」


言葉はなかった。けれど辛そうに歪められたその瞳が、何よりもその事実を雄弁に語る。根拠があって、それで彼は告げたのだ。リディアナが傷つくとはわかっていて、それでもリディアナにそれを告げずにはいられなくて。


「……なんであんたが、三ヶ月って言ったかは知らない。でも、それは無理だ」

「……無理」

「ああ。あんただって限界が近いことは、わかってんだろ」


レンの言う通り、リディアナは薄々気づいていた。だからこそその言葉を否定することは出来ない。今こうして病室に居るのも、元はと言えば数週間前に引いた風邪が中々治らなかったから。常人ならばこの程度の軽い風邪など、三日程度で治ってしまうはずだろう。しかしリディアナは未だにその症状を引きずっている。リディアナの体に、そんな軽い風邪すらも治す生命力がないからだ。

唇を噛み締める。否定したくてもリディアナには、彼の根拠とその目で見た物を否定するだけの材料がない。彼はそんな嘘をつくような人物ではないということも知っている。それに自分だってわかっているのだ、彼の言葉の方が圧倒的に正しいことを。


「……でも」

「それでも、反転させないのかよ」


リディアナが言いかけた言葉を引き継ぐようにして苦しげに吐き出したレンに、リディアナは一瞬声を詰まらせた。けれどゆっくりと、リディアナはその言葉に頷く。そう、レンの言葉の通りそれでもリディアナは、彼に禁術を反転してもらおうとは思えなかった。


「……無理だとしても、私は諦めないわ」

「絶対に叶わないとしても?」

「この世に絶対なんて無いって、信じてるから」


強がるような笑みを浮かべる。例え到底叶わないのだとしても、レンの言うことが正しいのだと知っていても、それでもリディアナは一度定めた自分の考えを翻す気はなかった。そう、この世に絶対なんてものは無い。それは悪い意味でも、良い意味でも。


「……三ヶ月後になったら、私の母が死ぬの」

「……!」

「私の命よりも何よりも、大切な人。お母様のためなら私は、人生の全てを賭けても構わないって思ったわ」


もう隠すことはないだろう。そう思ってリディアナは母であるアナスタシアの事情を、軽くではあるが話した。その言葉にレンの瞳が見開かれる。さすがの彼も、話していないリディアナの家族のことまでは知らないらしい。その事に若干安堵して、リディアナは話を続けた。


「だから、あと三ヶ月と少し。私は母を見送るために、どうしても生きなくちゃいけない」

「……そのままで?」

「ええ、このままで」


言葉を反芻する。レンの眉が寄せられているのには気づいていて、それでも微かに笑みを浮かべながら。きっと彼は無理だと、無謀だと、そう思っているのだろう。そしてそれは正しい。だってリディアナのこの言葉は、ただの根性論に過ぎないのだから。

子供みたいな我儘だ。自分でも確かにそう思う。禁術を引っくり返したくはなくて、それでもあと少し生きたくて。どちらも自分は捨てられない。最後の目的も、フォンテット家に生まれた者としての責任も。


「……あのね、ありがとう」

「……何が」


けれどと、そこでリディアナは瞳を伏せた。未だ自分の手を握ってくれているレンの手を優しく握り返して、そうして微笑む。儚く、今にも掻き消えそうなそんな表情で。その表情を見てか、レンもまたその手を強く握り返す。そこにリディアナを繋ぎ止めるかのように。


「こんな私を助けようとしてくれて、こうして手を繋いでくれて」


しかし死へと消えようとしていくリディアナを、結局レンは引き止めることが出来なかった。リディアナは結局レンの言葉に首を降らないまま、そうして己の最後を彼女が思う正しい形で全うしようとしている。何かに吹っ切れたような顔で、去り行こうとしている。レンは納得なんて出来てないというのに。


「……でも、反転するなって言うんだろ」


困ったように笑うリディアナは何も言わない。けれど頷かないということはつまりそういう事なのだと、レンは目の前の少女に激しい感情を募らせた。こんなにも助けたいのに、こんなにも大切なのに、それでも彼女はその手を拒んで掴もうとしてくれない。

けれど無理やり手を掴ませるのも違う気がした。リディアナに望まれて、それで初めてレンの願いは叶うのだから。だから強要することもできなくて、そして結局。


「……わかった。あんたがいいって言わなきゃ反転はしない」

「……ごめんなさい、ありがとう」


謝罪と礼を同時に告げた美しい少女の顔は安堵に満ちていて、だからこそレンの心には苦い感情が浮かんだ。リディアナの罪を背負おうとする姿は美しくて、けれど焦れったくて。助かるというなら諸手を挙げて喜べばいいのにと、レンは一瞬そう考えた。けれどそこで喜ばないからこそリディアナは美しいのだと、そう気づいてしまえばもう何も言えない。

反面リディアナは、本当にその言葉に安堵していた。彼がそう言ってくれるのならば、リディアナはレンと交わした最後の約束を果たせる。どうしても守りたかった約束を果たせることが嬉しくて、綻ぶような笑顔がその美しいかんばせを彩った。


「ただ、一つ覚えてろ」


しかし鋭いその言葉に笑顔は不安な表情へと移り変わる。手を強く握り、そうしてレンはリディアナを強く射抜いた。強く逃がさないという風に握ってくるその手の力は、到底少年のその姿からは想像できないくらいに強くて。


「あんたが望まない最期になりそうだったら、俺はそれを反転させる」

「……お母様を見送れずに、そのまま死んでしまいそうだったら?」

「さぁ。それは俺のさじ加減だけど」


それは本当に大丈夫なのだろうか。リディアナは一瞬表情に困惑を乗せる。けれどそれ以上レンは譲る気がないらしく、睨みつけるとも言えるような形でリディアナから視線を逸らしてはくれなかった。恐る恐る頷いたリディアナに、レンは満足気に瞳を細める。


「……私が望まなかったら、よ」

「わかってる。信じろよ」


そう言われてしまえばそれ以上は何も言えなくて。ずるい言い方だとそう苦笑しつつ、リディアナはレンを信じることにした。きっと彼ならば、リディアナがそれを望まないのなら全てをひっくり返したりはしないはずだから。

けれどと、その一方で考える。レンの予想通りもし自分が志半ばで倒れるようなことがあったら、母を見送るというその目的が果たせそうになかったら、自分は果たして反転を望むのだろうかと。自分のことなのに結局答えは出なくて、リディアナはそのまま視線を下げた。


「……そういえば、話す意味ってあるのかしら?」

「は?」


しかしそこで思い出して、リディアナは問いかける。その言葉に心底理解できないというような、そんな否定の言葉が返ってきたことに再び苦笑を浮かべつつ。


「だって貴方、私の事は全部知ってるみたいに話すから」

「……全部は知らねぇよ」

「本当? 全部分かられてる気がしたのだけれど」


くすくすと笑うリディアナを、呆れたようにレンは見つめた。今の二人の間に沈痛な雰囲気は見当たらない。いつも通りの空気に戻ったことに内心安堵しつつ、リディアナは瞳を眇める少年に微笑んでみせた。凄惨でも儚くもないその笑顔にレンもまた安堵を抱く。しかし抱いてしまったからか、レンはそこで言葉を滑らせてしまった。


「ずっと見てたから、大体はわかるに決まって、っ!」

「……え?」


言いかけて、そこで自分のとんでもない発言にレンは言葉を詰まらせる。きょとんとリディアナの青い目が丸くなるのを見て、少年のその耳が微かに赤く染まっていった。慌てて繋いでいた手を離して、そうしてレンはそっぽを向く。未だに言葉を呑み込めず、呆然としているリディアナを置いて。


「……え、ええと」

「……黙ってろ、頼むから」


爆弾発言を落としてから黙り込んだレンに、リディアナはどうしていいかわからずに狼狽えた。声をかけようとしてもそうして拒絶されてしまっては、もう何を言うことも出来なくて。けれど今のリディアナにとって、寧ろそれは丁度良かったのかも知れない。

だってじわりとレンの耳と同じように、リディアナの頬も赤く染っていったのだから。けれどお互いに自分の羞恥を飲み込むのに必死だったからか、二人がお互いに相手の赤みに気づくことは無かった。先程までの空気とは違う、奇妙な沈黙が二人の間に落ちる。


「……もう寝てろ」

「え、でも……話すんじゃ、」

「馬鹿、さすがに話し過ぎだ。休める時に休んどけ」


誤魔化すためか、レンはそこでそう告げた。けれどと戸惑うリディアナに毛布を被せ、そうして眠るように少年は促してくる。その言葉はやはり正しくて、結局リディアナは抗えずに毛布へと戻って行った。話過ぎた疲れからか、言葉とは裏腹に瞼は重くなっていく。


「……夕方になったら起こす」

「……ありがとう。でもその、退屈だったらどこかに行ってもいいから」


眠りに落ちるその前に、リディアナはせめてと言う風にそう声を掛けた。ミレーニアと引き離すために彼をここに縛り付けてしまったが、眠るだけの相手を見つめているのなんて退屈なだけだろう。しかしそんな言葉に帰ってきたのは、苦笑するようなそんな吐息で。


「居る。寂しいんだろ」


眠りに落ちる、落ちていく。その声があんまりにも優しくて、けれど寂しそうで。思わず伸ばしかけた手は、けれどレンの手を握ることなく眠りと共に沈んで行った。

握ることが出来なかった手を、代わりというようにレンが捕まえる。その手を優しく握って、そうしてレンはその幼い容姿に似合わない大人びた柔らかな笑みを浮かべた。冷たいその手を繋いで少年は願う。目の前で眠りについた少女がこれ以上、何の悪夢にも痛みにも苛まれないようにと。

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