表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第四章
62/158

第五話

ゆらゆらと揺らめく意識の中に居た。ぐるぐると回って巡って溶けてほどけて、そうしてどこまでも落ちていくような世界に一人。ぼんやりと薄目を開けてリディアナはその世界を眺めている。

誰かが言い争うような声、困ったような母の笑顔、苦しげな父の顔。揺れる、揺れていく。塞ぎ込んでいた記憶のその蓋が開けられていくのが、どうしようも無く恐ろしい。見たくない記憶を何も出来ないまま眺めていたリディアナを、恐ろしい程に冷えた青い瞳が見下ろした。その瞬間。


「っ、!」


リディアナは何かに弾かれるようにして飛び起きた。荒い呼吸を何度も繰り返して漸く、先程まで自分が居た世界が夢だと気づく。嫌な汗が背中を伝っていく感覚が、寒気を帯びるほどに不愉快だった。

深呼吸を繰り返す。何度目かの深呼吸で落ち着きを取り戻し、そうしてリディアナはそこで漸く自分がベッドの上で眠っていたことに気づいた。ここは先程まで居たメアリの部屋ではないと、首を傾げる。メアリの聖水に関しての問いかけに答えたあとから、妙に記憶が曖昧だ。そこで鈍く痛みを訴えた頭に、そっと手を当てる。体の熱は未だ体内の奥底で燻ったままで。


「……起きたかよ」

「!」


掴めない状況に一人首を傾げていたリディアナは、しかしそこで突然掛けられた声に肩を跳ねさせた。混乱していて辺りを見渡すのを忘れていたが、少し視線を動かせばそこには彼が居る。声の主である少年はこちらを案じるように静かに見つめていた。備え付けであろう椅子に座るレンに、リディアナは一つの既視感を覚えて恐る恐る問い掛ける。


「……私、もしかして倒れてしまった?」

「そうだよ馬鹿。無理しすぎだろ」


嫌な予感は当たってしまったらしい。間髪入れずに告げられた馬鹿に思わず苦い笑みを浮かべつつも、リディアナは視線を下げた。大丈夫などと言っておきながら、結局自分は倒れてしまったらしい。完璧で居なければならない自分が体調管理すらもまともにできないなんて、そんな失望が胸を黒い色で満たしていく。

嫌な夢を見たせいか、揺らいでいく心が嫌だった。今でも瞼の裏にあの残酷な青が、冷たい言葉が、張り付いて消えてくれない。胸を占めていく恐怖心に抗おうとリディアナはそこで自分が寝転んでいたシーツを、爪を立てるようにして掴んだ。けれどそんなのは何の足しにもならない。


「……ごめんなさい、迷惑を掛けて」

「……は?」

「やっぱり私、駄目ね」


ぽつり、そんな震えるような声が二人だけの部屋に妙に響いて聞こえた。迷子の少女のように一人目を伏せて、弱々しい言葉を漏らす。悪夢は未だリディアナの頭の中で反芻していた。あの日の残響は未だ心に焼き付いたまま、リディアナに決して忘却を許してくれない。

けれどシーツを掴んでいた手が、そっと何かに絡め取られる形で握りしめられた。そこで視線を上げたリディアナの視界に慈しむような紫色が映る。息を呑むくらい優しい色を宿した紫は、驚くように見開かれた青色に優しく笑った。


「……馬鹿、だから頼っていいって言っただろ。もっと早く言えってことだよ」

「……!」


二回目の馬鹿は先程よりも柔らかな色を纏っていて。自分の手を包むその手に何故だか異様に安心しつつも、リディアナはその言葉に小さく頷いた。ありがとうと小さく零すリディアナに、少年は呆れたようにも優しく笑う。

今弱音とも言える言葉をリディアナが告げられたのは、ここにレンしかいなかったから。彼の前では完璧を取り繕うのはやめると、そう決めたから。けれどそれは思いの外、リディアナにとって心地良いものだった。心に抱いた感情をただそのまま吐露することが出来る。レンの前だけでなら、リディアナはリディアナ・フォンテットではなくリディアナとして居られる。一度心に滲んだ黒は、脳内を占めていた悪夢は、彼の柔らかな紫によってゆっくりとほどけていった。


「……そういえば、貴方が私を運んでくれたの?」

「……いや、それは、」


しかしそこで一息ついたところで、リディアナにはふと小さな疑問が浮かんだ。メアリの部屋までの記憶しかないということは、リディアナはこの医務室に来るよりも前に倒れたということだ。それならば誰かがリディアナを運んでくれたというのだろう。

レンが運んでくれたのだろうか。けれど魔法が使えるとはいえ、少年の姿をしている彼が体格が殆ど同じリディアナを運ぶのは難しいような。首を傾げたリディアナにどこか不機嫌そうに眉を顰めたレンは口を開きかけて、けれどそこで扉の方へと視線を向けた。釣られるように視線を向けたリディアナが扉を見た瞬間、そこで扉が開く。


「……リディアナ嬢、目が覚めたようで何よりだ」

「!……クラウディオ、殿下」


そこに立っていた赤毛の青年に、リディアナは思わず目を見開いた。一瞬見えた特色のある赤にミレーニアが心配してお見舞いに来てくれたのかと思ったが、どうやらもう一人の方だったらしい。それにしても何故クラウディオが? そう困惑してレンの方へと視線を向けたリディアナは、そこで不満そうに眉を顰めている少年の表情に気づいた。


「……こいつが、あんたのこと運んだ」

「えっ!? というか、こいつって……」

「別に気にしなくていい。気を使う必要は無いと、俺が彼に告げただけだ」


無愛想なレンの言葉に小さく微笑んで、そうしてクラウディオはレンの隣の椅子に腰掛ける。そんなクラウディオにふんと鼻を鳴らして、そっぽを向くレン。いつもなら擬態しているはずの可愛らしい少年の姿は、そこにはない。ただいつも通りの不遜とも言えるその姿に、リディアナは首を傾げた。

リディアナが意識を落としていた間に何があったのだろう。未だ思考が追いつかずに混乱していたリディアナだったが、そこではっと思い至る。何はともあれ、クラウディオに運んでもらったというのならそのお礼は告げなくては。


「その、運んでくださりありがとうございました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「いいや、気にしなくていい。貴方には何度も世話になっている身だからな」


ベッドに座りながらも深々と頭を下げるリディアナに、困ったように微笑みながら首を振るクラウディオ。そんな二人をレンは面白くなさそうに見つめる。そこにはあの時少年の君では無理だろうと、そうしてリディアナを自分から奪う形で抱き上げた男への苛立ちが見て取れた。運ぶその姿が危なげなかったことが、余計にレンにとっては気に食わない。


「……別に、俺だって運べたからな」

「いや、君の身長では流石に厳しいだろう。ああいう時は遠慮なく大人に頼るべきだ」

「……お前、無神経ってよく言われるだろ」


悔し紛れの言葉に真面目な顔をしてそう言い切ったクラウディオに、レンは眉を顰めた。きょとんとその言葉に目を丸めたクラウディオには恐らく、悪気は一切ない。天然で相手を傷つけるその姿に自分の幼馴染を思い出して、そうしてレンは少年らしくない溜息を零した。


そんな二人をリディアナは目を丸くしながらも見つめる。レンがメアリやリディアナ以外の人に素のまま話しているのを、初めて見たからだ。どこか嬉しいような、けれど悔しいような、そんな感情にリディアナは戸惑う。良いことではあるはずなのに、そこには懐いていた猫が他の人に懐いてしまったようなそんな悔しさがあった。

いやいやと、リディアナは小さく首を振る。レンのこの態度は心を許しているか、許し始めている証拠とも呼べるのだ。人嫌いの彼に同性で、しかもコルトに比べれば断然歳が近いそんな相手が出来たことを素直に喜ばなければ。けれど嬉しいという感情のどこかに、悔しい感情が浮かんでしまうのがやはり抑えられなくて。


そうして室内には妙な沈黙が訪れる。唯一深く考えていないクラウディオだけが、難しい顔をして黙り込んでしまった二人に首を傾げていた。彼に打算も何もないことが余計に悔しいのかもしれないと、そこでリディアナは苦い笑みを浮かべる。彼としては恐らくただ純粋に、誰かを助けようとしてくれただけなのだろう。それでは悔しく思ったところで、余計な敗北感を感じ取ってしまうだけだ。


「……そういえば、クラウディオ殿下は何故神殿に? ミレーニア様よりお忙しい身だとお聞きしたのですが」

「……ああ、そうだったな」


いつまでも黙り込んでいてはクラウディオを困らせるだけだと、リディアナはそこで柔らかい笑顔を浮かべてそう尋ねた。そう歩いた記憶がない以上、恐らくクラウディオはメアリの部屋の近くに居たのだろう。そこに何か目的があったのか、はたまた迷い込んでしまったのか、それに関してはわからないが。その言葉に青灰色の瞳が瞬かれて、そうして何かを思い出したようにクラウディオは頷く。


「メアリ嬢、だったか。今日は時間が空いたから、ミレーニアがいつも世話になっている彼女に挨拶をできればと。貴方やクレア嬢、エレン嬢にはもう挨拶を済ませているが……」

「メアリはまだ、なんですね。それなのにお時間を使わせて申し訳ありません」

「いや、気にしなくていい。俺がしたくてやったことだ」


申し訳なさから眉を下げたリディアナに、首を振るクラウディオ。彼とはこうして話した回数こそ少ないが、何度かの邂逅で律儀な人物だということは知っている。そんな彼であるからこそ、ミレーニアと交流の深い全員に挨拶を済ませて起きたかったのだろう。そうしてタイミングが合わずに顔を合わせられなかったメアリに、今日こうして挨拶を済ませる予定だった。それはリディアナさえ倒れなければ、の話ではあったが。

意図したわけではないが結果的には邪魔する形になってしまったらしい。そのことを申し訳なく思いつつも、リディアナはそこで思いついた。運んでもらったお詫びになるかはわからないが、この後自分がメアリを紹介すればどうかと。未だ頭こそ痛いが、紹介ぐらいならば出来るはずだ。


「その、まだお時間がありましたら……今からメアリの部屋までご案内いたしましょうか? 私が紹介致します」

「は? 駄目に決まってんだろ、寝てろ」

「……だ、そうだ」


けれど名案というように思いついたそれは、レンに呆気なく却下を食らってしまった。苦笑を浮かべたクラウディオも、レンの言葉に同調するように苦笑を浮かべながら頷いている。もう平気だと、そう言おうかとも考えたがレンは恐らくもうそんな言葉を信用してはくれないだろう。リディアナはまたしても眉を下げた。


「俺としても今日は休むほうが良いと思う。休養に徹して、明日取り掛かるほうが効率がいいこともあるだろう」

「……はい」


クラウディオにまでそう言われてしまえば、もう何も言うことは出来ない。おずおずと頷いて、クラウディオの言う通りリディアナは今日は休むことにした。そうした方が良いことはリディアナも、わかってはいたので。また倒れでもすればレンに暫くここには来るなと、そう言われかねないことだし。


「それでは俺はそろそろ失礼する、公務があるのでな。養生してくれ、リディアナ嬢」

「はい。クラウディオ殿下、今日は本当にありがとうございました」

「気にしないでほしい。俺も貴方に何度も助けられたのだから」


諦めてベッドの背に寄りかかったリディアナに、これ以上話すことはないとそう判断したのか。クラウディオはそう告げると座っていた椅子から立ち上がった。温かい言葉と運んでくれたことにもう一度礼を告げ、リディアナはそうして去っていくその背中を見送る。レンも言葉こそ無かったが、その視線は去っていこうとするクラウディオの方へと向いていた。


「っ!」

「っあ、すみません!」

「ちょっとメアリ何して……って、お兄様?」


けれど二人が見送る中そのまま扉から出ていこうとしたクラウディオは、扉が開いた瞬間にぶつかってきた何かに小さな声を漏らした。謝る声と、その後ろから聞こえてきた声には聞き覚えがある。メアリとミレーニアの声だ。

そういえば自分がどこで倒れたかはわからないが、二人にも心配を掛けてしまったことだろう。倒れる前のリディアナの様子は、明らかにおかしかっただろうし。リディアナはそう思い至って小さな苦笑を浮かべた。きっと二人はリディアナのお見舞いに来てくれたのだろうとも。


「……貴方、は」

「お、お兄様って……、え、あ、ぶ、ぶつかって申し訳ありません!」


けれどどこか呆然と呟いたクラウディオのその声に、リディアナは違和感を覚える。それに違和感を覚えたのは、そそっかしい幼馴染に呆れたような表情を浮かべていたレンも同じだったらしい。眉を寄せた少年は、扉でぶつかったばかりの二人の方へと視線を向けた。

こちらに背を向けているクラウディオの表情はここからでは伺えない。けれど顔を真っ青にしたメアリと、困惑するように兄であるクラウディオを見上げているミレーニアの表情ならば伺える。肝心のクラウディオは何も言わないまま、そうして頭を下げたメアリをじっと見下ろしていた。


「あ、あの……?」

「……いいや、すまない。それでは急いでいるので、失礼する」


無言の圧力に怯えてか、そこでメアリは恐る恐るという風に頭を上げる。けれどその瞬間に謝り返したクラウディオは、気にしなくていいという風に首を振ると足早に部屋を去っていく。残されたのはぽかんとその背を見送ったメアリと、彼の態度にそれぞれの違和感を覚え首を傾げる三人だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ