第四話
とりあえず来月のパーティーに関しては一通り説明を終えただろうか。話し終えたことに息をついて、リディアナは感心したように頻りに頷くミレーニアに微笑みかけた。リディアナが話さなくとも時期が近づけば、いずれ神殿側の説明があったかもしれない。けれど情報を事前に把握しておくことは、彼女に不都合があることでもないだろう。
「大体わかったわ。ところで思ったんだけど……そんなあからさまな自国の催しに、他国の使者であるあたしたちが参加しても良いのかしら?」
「それは……」
けれど頷いていたミレーニアは、そこで問いかけて微妙そうな表情を浮かべた。リディアナが感じた違和感は、どうやら説明したことでミレーニアにも伝わったらしい。やはり違和感に感じるか、と気まずそうに顔を歪めるミレーニアにリディアナも苦笑を浮かべる。
「私が調べた限りだと……他国の方がこのパーティーに参加したという話は聞きませんでしたね」
「リディが調べてそれって、絶対前例がないじゃない! もうお兄様ったら、何考えてんだか」
「あはは……」
頬杖をついて不満そうに兄への文句を告げるミレーニアに、困ったように苦く笑うメアリ。そういえばメアリはクラウディオに会ったことがないのだと、リディアナはそこで思い出す。故にどんな反応をしていいか分からないのだろう。メアリと同じように困った笑みを浮かべていたリディアナは、そこでもう一つ思い出した。
ミレーニアの兄であるクラウディオは、今回のパーティーに出ることを目的としてティニアに訪れたらしい。けれど妹であるミレーニアは何を目的にこの国に訪れたのだろう。話を聞く限り目的は違うようだが。
しかし訪ねても良いことかわからずに、リディアナは眉を下げた。第一王女であるミレーニアの目的ならば、国家機密に関わるようなことである可能性もある。気になりはするが、下手に尋ねるのはあまり褒められたことではない。けれどもしその目的に自分が手伝えることがあればと、リディアナはそう考えておずおずと問い掛けた。
「その、ミレーニア様」
「ん? どうしたの?」
「ええと、聞いてはいけないことでしたら申し訳ありません。クラウディオ様の来訪の目的がパーティーだったのなら、ミレーニア様の目的は何なのかと気になりまして」
「……!」
何かお手伝いができることはありますか、そう続けたリディアナにミレーニアの瞳が見開かれる。何故かはわからないが、ミレーニアはメアリの教育に力を貸してくれている人だ。実際他国からの視点や歴史を事細かに聞くことは、メアリにとって良い息抜きになっていた。それにミレーニアに出会ったことでメアリの貴人に対する苦手意識も、僅かに取り払われるようにもなったのだ。そんな彼女が何かに困っているのなら、手を貸せることがあればいい。
善意から伝えた言葉にミレーニアはしかし、そこで黙り込んでしまう。やはり聞いてはいけないことだっただろうかと、リディアナは眉を下げた。けれど謝って撤回しようとしたその瞬間、ミレーニアは小さく言葉を零す。
「……じょ」
「え?」
「……聖女を、探しに来たの。あたしはね」
それに呆気に取られたのは、リディアナとメアリだった。レンはその言葉に僅かに眉を顰めて、警戒するようにミレーニアに視線を送る。けれど俯いているミレーニアは、少年の棘のあるその視線に気づかない。青灰色の瞳はどこか焦燥感に駆られるような、そんな色を秘めていた。
「……ま、無理言ってお兄様に付いてきたけど、結局無駄足だったわね。もう諦めてるから良いの、気にしないで」
「……ミレーニア様」
けれどその焦燥感は一瞬で消え、ミレーニアの表情にはいつもの明るい笑みが浮かぶ。そんなミレーニアの名前を案じるように呼ぶことしか、リディアナには出来なかった。気にしないでとそんな風に柔らかく拒絶されてしまえば、もう尋ねられることは何もない。
ミレーニアが言う聖女とは、恐らくティニア国で呼ばれる聖女とはまた別物だ。いつか彼女が話してくれた、緑の手をもつ豊穣の手助けになる存在。それが確かリティエでは聖女と呼ばれていたと、リディアナはそう思い出す。商業が盛んな新興国とも呼べるリティエと違って、ティニアは古い歴史を持った緑溢れる美しい大地だ。この大陸で緑といえば、誰もがティニアを思い起こすくらいには。
緑の手は緑溢れる大地で生まれた子が、時折その手に宿す不思議な力。ミレーニアはそんな緑の手の持ち主を探してこの国に来たのだろうか。けれど諦めるようなその瞳は、もうその持ち主を探し出すことを放棄してしまったようにも見えた。
そうして部屋は静寂に満ちていく。先程あんなに騒がしかった部屋とは到底思えない程に。いつもは明るいミレーニアが浮かべた一瞬の暗い顔に、リディアナは未だ言葉を失っていた。尋ねたことを謝るのもなにか違う気がして、けれどどう声を掛けるべきなのか迷って、そうして言葉が出てこない。
「あ、あの話は変わるんですけど……どうしても聞きたいことがあって」
「……メアリ?」
「えっと、あの……聖水についての話なんですが」
けれどそんな沈黙に一石が投じられる。おずおずとしたメアリがそんな空気の中、躊躇うように口を開いたのだ。それに無意識の内に視線を下げていたリディアナは、今度は視線をメアリの方へと向けた。黄緑の瞳はミレーニアを案じるようにしながらも、僅かな期待を秘めているようにも見える。聖水についての話というと、パーティーのことで何か疑問点があったのだろうか。促すようにリディアナはメアリを見つめた。
「その、聖水って呪術の媒介を浄化できるんですよね?」
「ええ、そうね」
「……うちの国にもそういうのあるわよ。どの国にも一つはそういうのあるわよね」
おずおずと尋ねてきたメアリに、リディアナは疑問を抱きつつも優しく頷く。黙り込んでいたミレーニアも調子を取り戻したらしく笑顔を浮かべ、メアリに話を合わせるように頷いてくれた。ミレーニアの様子がおかしかったことに疑問は未だ残っている。けれどひとまず今はそれを置いておくこととして、リディアナはメアリの言葉を待った。
「その、それでミランダさんの代償を祓うことって……」
「っ、それは……」
「……代償?」
けれどどこか期待が込められたメアリのその言葉に、リディアナの心はまた重く沈んだ。なんて答えるべきか、青い瞳が沈痛な色を宿して揺らぐ。唯一サラが黒幕となって起こした事件も、ミランダのことも知らないミレーニアは、きょとんとその瞳を丸めていたが。
ティニア国の神殿が有する聖水は、呪術が込められた媒介を浄化することができる。それは魔法が取り上げられた今の人類が、呪術に対抗する術の一つだ。だからこそメアリは思ってしまったのだろう。魔法のようにミランダが背負っているその代償も、浄化することが出来ないだろうかと。
「……無理、なんですね」
「……ええ」
けれどリディアナが説明するよりも早く、メアリはリディアナの表情から何かを悟ってしまったらしい。黄緑色の瞳が悲しげに揺らぐのを、リディアナはまたしてもただ、黙って見ていることしかできなかった。本当は可能だと、そう言えたのならどれだけ良かったか。
きっとメアリはパーティーで聖水を使うことから、その存在を思い出したのだろう。それでその奇跡のような存在に淡い期待を抱いた。けれどそんな魔法のように簡単に奇跡は起こらない。聖水はあくまで物を浄化する効果を持つだけだ。それも呪術に汚染された物を。人を浄化するものではなく、ましてや代償を取り払ってくれるようなものでもない。それに。
「……昔聞いた話だけれど、呪術に手を染めた者が聖水を飲むと、死ぬような苦痛を受けるとされているわ」
「……!」
「体に残った呪術の残痕と、聖水が拒絶反応を起こすらしいの」
息を呑むような声が聞こえた。聖水はミランダを助けられるどころか、彼女にとって毒になるものなのだ。揺らいでいた黄緑の瞳は今では驚愕によって見開かれている。残酷な事実ではあるが伝えておかなくてはならない。万が一でも一縷の希望に縋ってメアリが、ミランダを傷つけるようなことにならないように。そうして結果的にメアリが傷つくようなことが起きないように。それが例えメアリの希望を奪うことになっても。考え込んだせいか、また頭が鈍く痛んだ。
「……ちょっと、いまいち付いて行けないんだけど? そもそもミランダさんって誰?」
「あ、すみませんミレーニア様……」
そうして再び訪れた沈黙。期待が粉々に砕かれたメアリは、先程のミレーニアのような沈んだ表情を浮かべていた。けれど今度そこに一石を投じたのはミレーニアで。話に付いて行けなかったと、どこか不満そうに頬を膨らませるミレーニア。大人びた容姿だと言うのにそんな仕草が似合うミレーニアに、沈痛な表情を浮かべていたメアリは思わずという風に小さな笑みを浮かべた。
きっとわざとだと、リディアナはぼんやりとした思考の中そう思う。ミレーニアは気が強そうに見えて、深刻な話に何も知らないまま口を挟むような性格ではない。きっとメアリが萎れてしまったのをみて、元気づけるように口を挟んでくれたのだろう。少し色を取り戻したメアリの顔色に、リディアナもまた小さく安堵の息を吐いた。けれど浮かび上がった頭の痛みは依然として治まらないまま。
「ええと、ミランダさんって言うのはその、私のお友達で……」
「へぇ、どんな子なの?」
ミランダについて二人が話し始めるのを、リディアナは痛みに耐えながら聞いていた。そこで一人黙って傍観していたレンは、リディアナの様子が何やらおかしいことに気づく。先程までミレーニアを警戒するように見ていた少年は、今ではリディアナに注意を移していた。紫の瞳がぼんやりとしたリディアナを案じるように揺らぐ。
そんなレンに気づかずに、リディアナはぼんやりとする視界の中笑いあう少女たちを見ていた。ミランダを自分の恩人だとそう語るメアリに、微笑ましそうに相槌を打つミレーニア。和やかな雰囲気に戻してくれたミレーニアに、リディアナは内心感謝していた。
けれどそんな中、自分もこういう風に出来ればという無力感が胸を満たす。どうすればミレーニアのように優しく、人の心や痛みに寄り添う事が出来るのか。いつだって自分で手一杯だったリディアナとは、生き方が違ったのだろう。けれど胸を満たす無力感がどうしても辛くて。そうして思考の深みに陥る度に、どこか視界が暗くなっていくようなそんな感覚がした。
「……それで、ってあ! すみません、そろそろ勉強を始めないと!」
「あ、そうよね。じゃあまた今度……って、リディ?」
「っ!」
どこか思考がぼうっとする。ぐらぐらと沸騰するような熱が体を満たしていくのを享受しかけて、けれどそこでリディアナの意識は再び現へと戻った。心配そうにリディアナの腕を掴むミレーニアのその手の感触に、リディアナは無意識の内に伏せていた瞳を開ける。気づけば個性豊かな三色の瞳が、こちらを見つめていた。そのことにリディアナは瞳を瞬かせる。今自分は、何を考えていたのだろうかと。
「……あ、申し訳ありません。ちょっとぼうっとしてしまって……」
「……リディアナ、随分熱いけど」
「いいえ、大丈夫です。心配をおかけしてすみません」
先程と同じような台詞を繰り返していることすら、リディアナは自覚していなかった。腕を掴んでいるミレーニアがその温度にか、眉を下げる。リディアナの普段の体温は、決して高いとは言えないものだ。手を繋いだことのあるミレーニアはそのことを知っている。だからこそ明らかに異常に高いその体温に、心配を募らせた。
けれどリディアナはただ緩慢に首を振る。別に騒ぐ程の体調不良ではない。これならあの日の吐血の方が苦しかったし、痛みも激しかったから。それよりもメアリの言う通り、そろそろ勉強に取り掛からなければ。しかしそうして本を開こうとしたそのリディアナの手に、同じ大きさの手が重なった。
「……え?」
「おいメアリ、医務室行ってくる。ここに居ろよ」
「えっ!?……あ、うん、わかった!」
気づけばリディアナはその手に引かれるような形で、立ち上がっていた。ぼうっとする思考のせいで現実に追いつけないまま、リディアナはただ瞬きを繰り返す。自分の手をどこか落ち着く体温の何かが、握っている。そうして漸くその視界に、眇られた紫色が映りこんだ。こんなに薄れた色だったろうかと考えて、そこで漸くおかしいのは自分の視界なのだと気づく。
「えっ、口調ちが……」
ミレーニアの呆気に取られたような声が遠くに聞こえた。けれどその意味を知覚することも出来ずに、リディアナはその手に引かれる形で歩いていく。扉が開いたような音がする、誰かが自分を導いてくれているような気がする。けれど視界には靄が掛かっていき、それを正しく読み取ることが出来ない。
「……おい、まだ倒れるな、っ!」
「……リディアナ嬢?」
意識が落ちていく。視界が真っ暗に染まっていく。ぐらり傾く身体が誰かに支えられた気がしたが、それを理解することも出来ずにリディアナは眠りに落ちていった。後ろから聞こえた声も、どこか聞き覚えのある声だったがやはり思い出せない。でもその声が聞こえた瞬間彼の手が離れていったような気がして、ただそれを惜しいなとそう思った。




