第三話
「それでは、お邪魔しましたわ!」
「失礼しましたー」
ドレスの色や段取りの話がまとまると、そんな台詞を吐いてクレアとエレンは部屋を出ていった。ようやく去っていった嵐を見送りつつも、リディアナはほっと息を吐く。悪い人たちでないのは知っているのだが、あの二人が現れるとどうにも調子を崩されてしまいがちなのだ。
一人残ったミレーニアは、いつもの様に机に頭を預けて伸びをしている。午前中からあの二人に振り回されたのだろう。その歳よりも大人びた美貌には、やはりどこか疲れたような色が滲んでいた。
「……ミレーニア様、大丈夫ですか?」
「んー、大丈夫よ。まぁちょっと疲れたけど」
リディアナの心配するような声に、ミレーニアは苦い笑みを浮かべて手をひらひらと振った。平気だと告げるようなその仕草に、リディアナは安堵の笑みを浮かべる。正直な彼女のことだ。本当に平気でないのなら素直に伝えてくれるはずだろう。
「ところで聞きたいんだけど、来月のパーティーって具体的にどんな事をするの?」
「ああ、そうですね。ちょうど御三方が来られる前にも、その話をしていたのです」
首を傾げたミレーニアに、リディアナは頷いた。他国からの使者である彼女が来月のパーティーについて把握していないのは、ある意味当然のことだ。先程段取りについて話してた時も、話にいまいち付いていけていなかったようだし。
リディアナはそこでふと思いついて、メアリの方へと視線を向けた。その視線にどこか緊張したように、メアリはその背を正す。自分が説明をしてもいいがメアリの復習としても丁度いい機会だろうと、リディアナはそう考えてメアリに微笑みかけた。
「メアリ、今までの学習の復習も兼ねてミレーニア様に説明をしてくれるかしら?」
「は、はい! 不束者ですが……頑張ります!」
両手で拳を握って、やる気十分といった所だろうか。可愛らしいそんな姿に笑みを深めて、リディアナはミレーニアと共にメアリの説明を聞くことにした。ドレスの話には興味がなさそうに隅で本を読んでいたレンも、メアリからの説明ということで興味を持ったらしい。本へと落ちていた紫色の瞳のその視線は、隣の幼馴染へと向けられた。
「えっとまず来月のパーティーの大きな目的は、私とエレンさんの二人の聖女候補を、貴族の皆さんに紹介するのが大きな目的になります!」
「……えっと、それはさっき聞いたわね」
「あ、そうですよね……」
やる気も気概も充分ではあったのだが、しかしどうやら最初から躓いてしまったらしい。リディアナが浮かべていた笑みに若干苦いものが入り交じる。幼馴染を見守っていたレンも、どこか呆れたようにその瞳を眇めた。苦笑交じりのミレーニアの声にメアリはしょんぼりと落ち込みつつも、直ぐに顔をあげる。そこで直ぐに挫けないのがメアリの美点であった。
「……それとですね、王族の方々と神殿の方々の仲良しに見せる意味合いもあるそうです! 」
「仲良し?」
「はい! その仲良しを証明する聖杯の儀式、っていうのをお手伝いするのが私達聖女候補のパーティーでの大きなお役目なんです」
しかし躓いた後の滑り出しは順調だった。どこか幼く拙くもわかりやすく、一生懸命に説明をするメアリ。そんな説明にミレーニアの瞳も好奇心に輝き始める。特に口を挟むようなところも見当たらず、ただリディアナは黙ってそんな二人を微笑ましげに見守った。
「ティニア王国には聖水という神殿が管理している特別なお水がありまして、それは邪気を払ってくれると言われています。実際呪術に使われた媒介等も、浄化できるものなんです」
「……聖杯の儀式ってことは、盃にその聖水を注ぐってこと?」
「はい! 聖女候補が盃に聖水を注いで国王陛下にお渡しすることを、聖杯の儀式と呼びます! 貴重なお水を王家の方々に神殿が捧げることで、仲良しだと証明するそうです」
わかりやすい説明だと、リディアナは頷いた。ミレーニアもどうやらしっかり理解出来ているらしく、リディアナと同じようにどこか感心したように頷いている。他国から来た彼女から見ればティニア国にとっての伝統的な儀式は、不思議なものに思えるのだろう。
さて続きはと、リディアナはそこでメアリの方に視線を向けた。けれどそこまで滑らかに話していたメアリは、そこで言葉を詰まらせる。視線を彷徨わせどこか困ったように眉を下げたその姿に、そういえば先程の確認はこの話までで終わっていたとリディアナは思い出した。リディアナは苦笑を浮かべ、萎れた様子のメアリに優しく声を掛ける。
「……その後のことは、忘れてしまった?」
「……す、すみません」
どうやら図星だったらしい。どこかしょんぼりと視線を下げたメアリ。けれどそれはそんなに気にするようなことでもない。聖杯の儀式さえ済んでしまえば、聖女候補である彼女はそれ以上やることなんてないのだから。故にそれ以降のことは詳しく覚えている必要は無いのだ。寧ろあれだけマナーの授業を詰め込んだというのにそれだけでも覚えていたのなら、上等だと言えるだろう。
「いいのよ。マナーの授業を大分詰め込んでしまったし、短期間で知識を蓄えるのは中々難しいことだわ」
「確かにそうよね。ありがとねメアリ、わかりやすかったわ」
「……はい!」
二人の慰めるような優しい言葉に、落ち込んでいたメアリの顔にはほっとしたような笑顔が浮かんだ。そこで卑屈にならずに素直に言葉を受け取れるメアリが、リディアナにとっては好ましい。さて自分の聖女候補が頑張ってくれたことだし、これから先はリディアナが引き継がなかければ。こほんと咳払いをして、リディアナはメアリの言葉を引き継ぐ形で説明を続ける。
「大きな催しはその聖杯の儀式となります。けれどその後も二つ程、普通のパーティーとは違う催しがあるのです」
「ふーん? 普通パーティーって言ったら立食とか、ダンスとかだけど……」
「いえ。料理は用意されませんし、音楽も用意されていないんです」
ミレーニアの言葉にリディアナは首を振った。そのことに青灰色の瞳が丸くなる。それは当然の反応であろう。ミレーニアの言った通り、それら二つはパーティーの定石だ。それらが行われないパーティーなど、珍しいと言う他ないだろう。
本来パーティーとは主催がどれだけ来賓を持て成せるか、それを試されるものだ。会場の飾り付けから招待客の質、それから先程述べたように料理やダンスまで。それらがないパーティーは、もはやパーティーと呼ぶかも難しいところである。けれどこれは主賓とも呼べる聖女候補たちへの、王城側の合理的な配慮があってこその話なのだ。
「普段学びに励む聖女候補に負担をかけないようにと、夜会とは大分異なる形式なのです。なのでパーティーが長引くような要因のその二つは避けられています」
「成程。ほんとに儀式的な意味合いが強いわけね」
ミレーニアの言葉にリディアナは頷く。パーティーとは銘打ってはいるがそこから想像する字面とは裏腹に、行われるのは厳粛な儀式のようなものなのだ。聖女教育や神殿に関わることが少ない家では、赴いて見て初めてその荘厳な雰囲気に呆気に取られたというような話もあるらしい。
「それで? その普通とは違う催しって何?」
「主に二つ程あります。まず一つ目に、聖貨祈願と呼ばれる催しですね」
「せいか、きがん?」
納得したらしいミレーニアは、次の質問を投げかけてきた。けれど淡々と答えたリディアナに、その表情は困惑で歪む。聞き慣れない音だったのか、ぎこちなくリディアナの言葉を繰り返すミレーニア。それを可愛らしいと内心微笑ましく思いつつ、リディアナは説明を続けた。
「パーティーの会場は王城となるのですが、その日にだけその会場に小さな泉のような物が置かれます。そちらに神殿側が祈りを込めた特別なコインを、招待客の方々が投げ込む催しですね」
「……それ、何の意味があるの?」
「この国を見守ってくださっている大妖精様に、感謝を捧げる意味合いがあるそうです。それと願いを込めてコインを投げれば、それを気まぐれに大妖精様が叶えてくれるなんて話もありますね」
「へぇ……!」
躓くことのないリディアナのその説明に、訝しげに瞳を細めていたミレーニアはそこで感心したように頷いた。青灰色の瞳が知らないお伽話を聞いた子供のように、楽しそうな色を湛えて輝く。そんな反応にリディアナはどこか懐かしくなった。
家庭教師が付くようになってから再び学んだことではあるが、最初にリディアナにこの話をしてくれたのは母のアナスタシアだった。その時のリディアナも願いが叶う、なんて言葉に胸を踊らせていたことを思い出して。幼少期のリディアナともう成人しているミレーニアを、そうして重ねてしまうことは失礼かもしれないが。
「それは誰でも出来るの?」
「ええ、招待客の皆様全員にコインは配られますよ。ただ噂では、願いを叶えてもらえるのは一人だけらしいですけれど」
「……当たる気がしないんだけど。だって国中の貴族が集まるんでしょ?」
けれどミレーニアは続けられたリディアナのその言葉に、どこか拗ねたように唇を尖らせた。そんな彼女に苦笑を浮かべつつも、確かにと同じような感想を抱く。ティニア国の国中の貴族を集めてしまえば、恐らく百人は降らないだろう。そんな中から一人なんて、当たった人物はとんでもない幸運の持ち主だ。そんな幸運の持ち主ならば、一人で願いくらい叶えてしまいそうとも思える。
「まぁ当たれば幸運だった、ということで。それでもう一つは、聖酒交換の儀式ですね」
「……? それさっきと同じじゃない?」
「いいえ、聖杯の儀式とはまた別なのです。これはこの国の第一王位継承権を持っている人間と、その人物に選ばれた方が聖水の入ったワインを乾杯する儀式となっています」
聖杯の儀式と、聖酒交換の儀式。確かにその二つは似てはいるものだが、概要や意味合いはだいぶ異なるものとなる。聖杯の儀式の主役となる人物は国王陛下だが、聖酒の儀式の主役は第一王位継承権を持つ者。今回で言えば第一王子であり唯一の直系の王子であるエリックとなる。その名前を思い返して胸に返り咲いた痛みを抑え込みつつ、リディアナは笑顔を浮かべたまま説明を続けた。
「聖酒交換の儀式を行うと、その二人の親交を大妖精様が祝福してくれるそうなんです。過去には王太子殿下とその婚約者がその儀式を行ったとか」
「え! ロマンチックね」
「ふふ、そうですね」
年頃の少女らしくそういうことに興味もあるらしい。頬を薔薇色に染めて瞳を輝かせたミレーニアに、リディアナは微笑んだ。対面側のメアリもミレーニアと同じように瞳を輝かせている。どうやらメアリにもそういう事に関する関心はあるらしい。その隣で話に納得したように頷いているレンだけが恋に恋する少女だけの空間で妙に浮いていて、リディアナは少しおかしくなった。
とは言えリディアナもそういう話にあまり関心がないと言ってしまえば、そうなのであるが。素敵な話だとは思うが、それに憧れを寄せるようなことはない。もう時期終わりを迎える自分の生涯において、恋や恋に近しい感情を抱くことはないのだとそう考えているからだろうか。
「それってエリック殿下が自分で選ぶの?」
「はい。特に当日指名でも問題がないことから、前もって決まっているようなものでもないですし……!」
自覚なくそんな物悲しいことを考えたリディアナはミレーニアの質問に答えて、そこであることに気がついた。瞳を微かに見開き、ずっと頭の隅を燻っていた疑問に目を向ける。何故自分は、今まで聖酒交換儀式のことを忘れていたのだろう。そこに答えはあったのに。
聖酒交換の儀式の主役はエリックで、交換相手はエリックが選ぶ。けれどリディアナにとっても悲しいことだが、エリックは国内において悪評高い王子だ。誠実や有能だと言われるような令息や、評判の高い令嬢に悪辣な絡みを十年間繰り返してきたが故に。
そんな彼と聖酒交換の儀式を行うことを喜ぶものなど恐らく、国内には居ないだろう。どんな欲深い人間であっても、あからさまに周りから嫌われている王子との縁を望んだりはしない。そこまで考えてそれがエリックの自業自得であるとはわかっていても、かつての友人のそんな現状にリディアナは胸が痛んだ。
それはともかくとして。クラウディオがこの国に訪れた目的は、その聖酒交換の儀式に参加するためなのかもしれない。正確には、クラウディオを参加させるためにエリックが呼んだという方が正しいのかもしれないが。
先程ミレーニアが、クラウディオはこのパーティーを主な目的としてこの国に訪れたと言っていた。それは異例なことである。しかし聖酒交換の儀式の相手としてエリックがクラウディオを呼んだのなら、全てのことに納得ができるのだ。この時期の他国からの訪問も、神殿にその二人が滞在していることも、パーティーに参加することも。
「……リディ? 急に黙っちゃってどうしたの?」
「っ、あ、申し訳ありません。少しぼうっとしてしまいました」
ミレーニアの心配そうな声に、そこで思考に浸っていたリディアナは現実へと帰ってくる。案じるように自分を見つめるミレーニアに微笑んで、リディアナはそのまま細かな説明を続けた。それを楽しそうに聞いてくれるミレーニアに表面上は笑みを浮かべつつも、リディアナの心に浮かぶのは切なさだった。
ただの推測に過ぎないかもしれない。けれどもしこの推測が正しいのなら、国内の儀式に他国から人を呼ぼうとするほどに、エリックは自分が周りに嫌われていることを自覚している。そうして彼はリディアナでさえもそのうちの一人だと思っているのだろう。それがもうわかりきっていたことでも、やはり悲しくて。