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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第三章
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第十六話

そうしてレンに手を引かれて連れてこられたのは、いつか二人で訪れた寂れたベンチだった。相変わらず寂しくも見えるその姿に、リディアナはあの日を思い出す。打った頭の痛みをレンが魔法のように消してくれたあの日のことを、リディアナの心を満たしてくれた頼れという言葉を。


「座れ。疲れてんだろ」

「……ええと、身体面に問題があるんじゃなくて、」

「座れ」


自分の上着をベンチの上に引いたレンは、そこでリディアナの方を振り返る。遠慮から首を振ったリディアナであったが、有無を言わさぬ口調に押し負けるようにしてその椅子にそっと座った。先程崩れ落ちて、座り込んだリディアナを心配してくれての言葉なのだろう。座ったベンチは木目が軋むような音がした。

その隣、上着が敷かれていない部分にレンもまた腰をかける。一人分空いた席はいつもの二人の距離感で、けれどリディアナはそんなレンの裾を遠慮がちに引いた。彼が敷いた上着のスペース余裕はまだあるのだ。


「……もう少し、こちらに寄ったら?」

「……馬鹿」


けれどそんな素っ気ない言外の拒否に、リディアナは眉を下げる。どうやら彼はこの距離を詰める気は無いらしい。服が汚れてしまわないかと心配しつつも諦めから裾を離した手は、けれどレンの手に捕まえられた。驚くリディアナの手を丁度同じくらいか、自分よりも少しだけ大きい手が包んで。指先同士が触れ合うのが少し擽ったくて、リディアナはそっと目を逸らした。

何だろうか、この感情は。幾度もこの問いかけを思い浮かべているというのに、リディアナの中で一向に答えは見つからないまま。寧ろ答えを出すのを恐れているような、そんな感覚が喉に引っかかって取れないままなのだ。だから好奇心のままに感情を引きずり出せず、後一歩のところで尻込みしている。そして今もまた、それまでと同じように。


「……三ヶ月前」

「!」


けれどそんな躊躇いにも似た感情は、静かに告げられたその言葉で一気に吹き飛んだ。どこか緊張感を孕み始めた空気に息を呑んで、そうしてリディアナは隣の方にそっと視線を向ける。繋いだ手の先、彼は少年らしくない憂うような表情を浮かべていた。


「前聖女が退去するって噂が流れた。それで新しい聖女が決まるって噂も同時に」

「……確かに、市井に話が広まるのはそれくらいの時期だったわね」


レンの言葉にリディアナはその頃の記憶を思い浮かべる。貴族間ではその話はとうの昔に広まり、教育係が選ばれるところまで話は着いていた。けれど市井に話が広まり始めたのは彼の言う通り、それくらいの時期だったのだろう。前聖女ラウがその退去を自らの口で語ったのが、彼の語るその時期だ。


「で、メアリが候補者に選ばれた。魔力が強くて、目が緑だったから」


リディアナはまた頷く。魔力の話をしたことはなかったが、メアリの持つ魔力は聖女候補として選ばれるだけあって強いものらしい。そのことにじわり浮かんだ痛みを振り切って、リディアナはじっとレンの言葉を待った。

紫の瞳は夕日に照らされ赤さを増したまま、ゆらゆらと揺らめいている。何かを戸惑うようなそんなレンに問いかけることはせず、ただリディアナは次の言葉を待っていた。僅かな沈黙の後、そうして葛藤に揺れる言葉が絞り出される。


「……俺は、反対だった。村の奴らはみんな名誉だとかそんなこと言ってたけど、当の本人はあんまり嬉しそうじゃなかったから」

「……そうね、確かに聖女候補は名誉なことであるけど」


レンの言う通り、聖女候補は確かに名誉な身分だ。小さな村の身分の低い少女が特別に選ばれるそれは、周りの目から見れば物語の世界のように輝いて見えるだろう。けれど聖女候補として選ばれること、それは決していい事ばかりではない。

確かに金銭は手に入るだろう。名誉な立場であるし、一生の暮らしは安泰になる。けれどそれと引き換えになるのは自由だ。どこに行くにも護衛に守られ、実家に帰るにも難解な手続きを済ませなくてはならない。望郷の念を抱いても、老いるか病にかかりでもしない限り決して一度上がったその舞台から降りることは出来ないのだ。


「だから聞いたんだ。俺の力なら逃がしてやれるけど、どうする?って」

「……少し前のメアリは貴方の力のことを知っていたのね?」


今度はレンが頷く。今のメアリはレンが不思議な力を使えることを知らない。幼馴染だと言うのに奇妙な話だと思っていたが、最初に彼が言った通り、つまりそういうことなのだろう。彼はメアリが聖女候補になった後、何らかの形でその記憶を奪った。そして今彼が語ろうとしているのはその何らか、だ。


「メアリは首を振った。そうしたら家族に迷惑が掛かるかもだからって」

「メアリ、らしいわね」


きっと困ったような笑顔で彼女はそう告げたのだろう。想像のつく表情にどんな顔をしていいかわからず、リディアナはそっと目を伏せた。聖女候補に選ばれたものは基本的に辞退できない。少例ではあるものの、かつてその役目から逃げようとした少女も居たという。けれど結局彼女は捕まって、そして一年程の神殿生活を余儀なくされたらしいが。

ミランダの事を語る時、メアリは確かに言っていた。ミランダと共に夢を抱く前は、村に帰ってしまいたいと思っていたと。レンの語る言葉通り、少し前のメアリは聖女になりたいとは思っていなかったのだろう。けれど家族に迷惑を掛けるのを恐れ、そうしてそのどうしようもない現状を受け入れた。


「それからの日々は居心地が悪かったな。メアリが居なくなるってことで、俺の扱いにも村の奴らは困ってたし」

「……貴方の?」

「ああ、俺は化け物だからな」


けれどメアリの当時の感情を考えていた頭は、呆気なく告げられたその言葉に真っ白に染まる。あっさりと告げられたその言葉に、リディアナは思わず息を呑んだ。メアリ以外の村の奴等からは嫌われてるし避けられてると、そう続けたレンにもう何も言葉が出てこなくて。

何の感慨もなく、何の悲しみもなく、そして目の前の少年は自分をあっさりと化け物だと呼んだ。当たり前のように、ただの事実を述べるように。重ねていた手に思わず力が籠もりそうになって、リディアナは慌てて心を宥めようとする。


「それで……どうした、変な顔して」


何も気にすること無くそのまま語ろうとしていたレンは、沈痛な表情を浮かべてしまったリディアナに気づいて不思議そうな視線を向けた。痛かった。化け物と自分をそう呼んで、全く傷ついた素振りを見せない彼のその姿が。それがどれだけ周りから積み重ねられた言葉かどうかが、その態度でわかってしまったから。


「……だって、違うわ」

「……何がだよ」


ふるふると首を振るリディアナを見て、怪訝そうに首を傾げるレン。きっと本当に彼には、リディアナがそんな表情を浮かべている理由がわからないのだろう。そんな姿に想像した、村の中で小さな彼が周りに異端な者だと目を向けられる姿を。そしてそれに気にしない顔をして、メアリの傍にいる彼を。それはどれ程の年月、無意識下に彼の心を蝕んだのだろう。

確かに彼は異端な力を持っているかもしれない。けれどそれ以外は聡く根が心優しい、そんなただの子供だったはずだ。それなのに周りがそんな態度を取っていては、人嫌いになってしまうのも当然だろう。彼が人を嫌うのも、人を警戒するのも、神殿に来てからではなかった。レラの件があるよりもずっと前から、彼のそんな土台は積み上げられていっていたのだ。


「その、化け物じゃなくて……私にとって貴方は」

「……俺は?」


また首を振る、小さくも強く。きょとんと丸められた紫色に、そう呼ばれていたことは決して正しくないのだと告げるように。けれど浮かんだ言葉はとても稚拙な幼い少女のそれで、告げることを一瞬躊躇う。けれど促すような静かな瞳で問い掛けられては、浮かんだ言葉がどんな稚拙な物でも告げる以外の選択肢がリディアナにはなかった。


「……貴方は、魔法使いなの。優しくて素敵な」

「!」


心から思っている言葉ではある。けれど告げてからやはり稚拙で幼いような気がして、リディアナは思わず俯いた。気恥ずかしさに頬が熱くなり、その白い肌が朱色に染まっていく。もっと素敵な言葉で、もっと色鮮やかな言葉で、そうして彼を彩ることが出来ればよかったのに。そうすれば少しでも、彼も気づいていないその闇を取り払えたかもしれないのに。自分の力不足がリディアナは悔しかった。

けれど俯いていたリディアナは気づかない。魔法使いだとそう告げられた瞬間に、レンのその紫の瞳が恒星のように輝いたことを。躊躇いや葛藤が押し流され、ただ静かな星の海のように凪いだことを。その言葉が彼にどれだけの影響を与えたかを、羞恥から顔を下げた完璧ではない少女は気づかない。


「あんたの?」

「……え?」


沈黙をそんな声が切り裂いた。自分の中に渦巻く感情に翻弄されていたリディアナは、そこで恐る恐ると顔を上げる。静かな瞳がこちらをじっと見つめていた。その瞳が先程よりも輝きと深みを増している気がして、リディアナは首を傾げる。けれどそんなリディアナの態度に焦れたように、レンは再び同じ質問を投げかけた。


「あんたの、魔法使い?」

「……そうかも、しれないわ」


言葉にするとやはり気恥ずかしい。リディアナは童話を夢見る少女というわけではないのだ。けれど魔法使いである彼本人からそう問い掛けられては首を振る事もできず、リディアナは躊躇いながらも頷いた。けれどそんな曖昧な頷きに、レンは綻ぶような笑顔を浮かべる。決して演じているわけではない、彼本来のものでありながらも可愛らしい笑顔が。


「……それなら、化け物よりそっちの方が良いな」

「……本当?」

「ああ」


それは本当に初めて見る表情だった。心から喜んでいることが痛いほどに伝わってくるような、そんな表情。そんなレンの顔にリディアナは今までの羞恥心も忘れて、ただ良かったとそう思った。自分の言葉が彼を無意識に翳らせていた暗雲に一つの光を射せたような、そんな気がして。

けれどそこで気づく。あの絵本に擬えると、レンはリディアナではなくてメアリの魔法使いではないのかと。彼が守りたかったのも、彼を唯一差別しなかったのも、メアリなのだから。それなのにメアリではないリディアナが頷いてしまって、本当に良かったのだろうか。そう考えて胸を刺した鈍い痛みに、小さな戸惑いが広がった。


けれど言葉を撤回しようとしても機嫌良さげに目を細めているレンに何も言えず、リディアナは少し視線を落とすと黙り込む。罪悪感と戸惑いが交差してリディアナの中で揺れている。そうして結局リディアナが何も言えないまま、レンの話は再開された。


「……続き。それで、俺は旅に出るつもりだった。メアリが居ない村に居る意味はなかったから。でも」

「……でも?」

「……あの日にそれは、全部壊れた」


躊躇いを飲み込み聞き返したそれに返ってきたのは、確かな重みが込められた憎らしげな声で。少し強さを持って握られた低い温度の手を握り返し、リディアナは相槌を打つように頷いた。夕焼けの空を飛ぶ黒い鳥が鳴く。その心に不安に響き渡った鳴き声は、これから語られる話の不穏さを予感しているようにも聞こえた。

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