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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第一章
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第四話

私や神殿関係者は彼に嫌われているのでついていくと逃げられるかもしれません、そう苦笑したコルトは先程まで辿ってきた道の方角を指差した。その道は先程メアリが走って行った道でもある。確か、祈りを捧げに行く時間だと言っていたか。


「恐らく彼は祈りを捧げているであろうメアリの傍、大聖堂付近に居ます。そこにメアリが居るなら、神殿関係者が居ようと彼には関係ないので」

「……わかりました。それでは失礼させていただきます」


ここまでの道は覚えている、恐らくコルトに案内されなくても大丈夫であろう。そう考えたリディアナは急ぎ足で来た道を戻っていった。その背を無言で見送ったコルトはそっと胸に掲げていたタリスマンを取り出すと、握りしめる。リディアナの背を見つめるその表情は、どこか憐憫を宿しているようにも見えた。


そんなコルトの様子に気づかないまま、リディアナは出来る限り急いで道を戻って行った。そうして足を動かしながらも、コルトが彼と呼ぶ存在のことを考える。自分に先程幻覚を見せたその存在のことを。

話をしたいとは思っているがそもそも人の話が通じる生き物だろうか、彼と呼ばれているのなら性別はあるのだろうか、彼はメアリにどんな関わりがあるのだろうか。様々な疑問が浮かんでは消えていく。


しかし、その彼が人ではないことは確かだ。コルトは彼がリディアナだけに幻覚を見せたと言ったのだから。そういった類の違法薬物があるのは聞いたことがあるが、きっとそういう類の物で起こした幻覚ではないはずだ。故意に対象を決めて幻覚を見せるのならきっとそれは遥か昔に失われた、人が使うことの出来ない魔法としか考えられない。

人の身には魔力が宿る。けれど人はその魔力を力として外に放出することが出来ない。何百年前の戦争が繰り返された時代、終わることのない人々の蛮行に怒った女神フェリスがその能力を取り上げたからだ。それは誰もが幼少期に聞かされるお伽噺であり、古い歴史に起きた真実である。


ただ、魔法が使えなくなった今の時代でも魔力というのは重視される。たとえ魔法を使うことが出来なくとも、魔力が多い者はその分だけ神や妖精たちに愛されているという考えは古くから変わらないからだ。

とはいえ平民たちの間では生活に何ら関係ない魔力を重要視するものは少ない。魔力を重要視するのは名誉や権威を大切にする貴族たちで、彼らにとっては高い魔力というのは一種の大事なステータスの一つにもなる。家に一つ高額な魔力測定器を置く家もあるほどだ。


「……いえ、急がなくちゃ」


そこまで考え、けれど思考を振り切るようにリディアナは首を振った。そんなことを考えている場合ではないのだ。彼と呼ばれるそれが人であろうと無かろうと、リディアナには関係ない。話が出来る相手であればいいが、そうでなくてもリディアナがすることは変わらないのだから。


漸くたどり着いた大聖堂。どこか不思議そうな目で走ってきたリディアナを見やる人達に柔らかく微笑みかけて、ステンドグラスが輝く内部を見遣った。シスターたちが慌ただしそうに動いているのを見るに、まだ祈りの時間は始まっていないようである。

彼とやらはどこだろう。そう言えばコルトに外見の特徴を聞くのを忘れてしまったと内心頭を抱えながらも、リディアナは辺りを見渡す。一目で人じゃないとわかる存在であるのならばいいが、そうでないのなら見つけ出すのは困難だろう。


けれど視線を彷徨わせたリディアナがそこで見つけたのは彼ではなかった。祈るための白い衣装に身を包んだメアリが、大きくそびえ立つ大妖精像の直ぐ側に立っている。一人の少女と話しているメアリは、どこか暗い表情でもう一人の少女の話を聞いていた。何かあったのだろうか、心配で思わず近づいてみると、二人が話す声が聞こえてくる。


「今日で五人目だっけ? またすぐ居なくなるんじゃない?」

「……でも、そんな人には見えなかったです」

「貴族なんてみんな同じでしょ。また変なこと起きたんだったら、その人だって怖がって居なくなるよ」


気の強そうな赤毛の少女がどこか呆れたように言った。その言葉にメアリはますます俯いてしまう。どうやらリディアナの話をしているようだ。まぁ俗っぽい話が少ない神殿では、四人の教育係が去っていったという話はゴシップにもなるだろう。リディアナは若干呆れながらも頷いた。

何やら勝手なことを言われてはいるが、生憎と何があってもリディアナはここから去る気はなかった。元々自分で考えて決めたことを投げ出す気はなかったが、実際にメアリに会ってその気持ちは更に強くなった。だから何を言われてもリディアナにとっては痛いものではない、けれど。


「さっさと村に帰ったら? あたしの教育係もメアリのこと落ちこぼれって言ってたし、あんま聖女に向いてないんだよ」

「……でも」

「ほら直ぐ俯く。そんな弱々しくってさ、ほんとに役目が果たせると思ってる?」


赤毛の少女は見下すようにそう言って笑った。俯いたメアリがその服の裾を握りしめているのに気づいているのかいないのか。そうしてそんな二人の様子に気づいている者はリディアナの他に何人か居るようだが、誰も仲裁に入ったりはしない。気まずそうに視線を逸らす者や、あからさまにメアリに不躾な視線を投げかける者。まるで針の筵だと、リディアナは顔に苦いものを浮かべた。


リディアナには痛くなくても、きっとメアリには痛いのだろう。そう考えてリディアナは二人の方に更に近づく。

メアリは四人が居なくなった理由が、全て自分が至らないからだと考えている。そして他の真実を知らない神殿関係者やあの赤毛の少女もまた、メアリが不出来だから呆れて教育係が去っていったと考えているはずだ。実際に出会ってあのことを体験する前のリディアナが、同じことを考えていたように。

やはり彼とやらとは話をしなければならない。けれどまずはメアリの助けに入ることが先決だ。そうして未だ話に夢中な彼女たちに声を掛けようとして、しかしそこで振り返る。背後になにか冷たいものを感じたからだ。


入り口だった。シスターたちが慌ただしく動く最中、一人だけ止まってこちらを、いや二人の方を見つめる人影が居る。亜麻色の髪を揺らし紫の瞳で二人を見つめる、整った顔立ちのまだ幼い少年。けれどその表情は、到底ただの子供が浮かべるとは思えないほど冷たい色をしていた。


彼だと直感したリディアナは、その少年が手を持ち上げるのを見て慌てて駆け出す。きっとさっきもそのようにして、リディアナに幻覚を見せたのだろう。だとしたら今回の彼の標的は、あの赤毛の少女だ。

なるべく音が響かないように走って、彼の上がりかけていた腕を掴む。そこでリディアナに初めて気づいたのか、少年の瞳は驚いたように見開かれた。妙に印象に残る鮮やかな紫色の瞳にリディアナはどこか心を惹かれつつも、けれどその細い腕を強く握って首を横に振る。強く、強く、間違っていると伝えるために。


「その守り方は、違うわ」

「っ、!」


その言葉にますます見開かれたその瞳に小さく笑って、そうして手を離しながら背後を振り返る。相変わらずシスターたちは忙しそうにしているし、二人は一方的とも呼べるようなお喋りを続けている。誰にもこの異変が気づかれなかったことに安堵しつつ、今度こそとリディアナは少年を置いて二人の方へと近づいていった。その背を少年が見ていることに気づきつつも、今度は振り返らずに。


「メアリ、見に来たわ」

「っ、リディアナ様!?」

「え、誰……?」


なるべく柔らかい声で二人に声を掛けると、二人は同じタイミングでこちらを振り返る。メアリは驚きつつも嬉しそうに、赤毛の少女は本当に驚いたように。そんな二人に美しい笑みを浮かべると、完璧なカーテシーで赤毛の少女の方に挨拶をしてみせる。


「初めまして、本日からメアリ・カーラーの教育係を担当することとなったリディアナ・フォンテットです。ご歓談中のところ、お邪魔してしまい申し訳ありません。メアリと話させていただいてもよろしいでしょうか?」

「え、えっと……だ、大丈夫、です……」


先程の勢いはどこにいったのか、まごつきながらも返事を返した少女にリディアナは更に笑みを深める。聖女に選ばれて教育を受けたとはいえまだ一月分ほどの教育しか受けていない彼女と、落とし穴だらけの貴族社会を生きてきたリディアナでは社交に関する経験値が違いすぎる。

どこか不満そうな表情で去っていった少女を見送り、一度少年の方へと目を向けた。眉を顰めた彼に微笑みを返すと、彼はその溝を更に深くしてこちらを睨みつける。無表情のように見えるが、存外わかりやすい質らしい。そのことに若干安堵しつつ、今度はメアリの方へと振り返る。メアリは戸惑いながらも、少女が去っていったことに安心している様子だった。


「メアリ、この祈りの時間って見学をしても大丈夫かしら?」

「え!? えっと、一般の方も見に来ますし、大丈夫だと思います……?」

「ふふ、それなら見ていてもいいかしら。いいタイミングで来れたようだし」


嬉しそうに顔を綻ばせて頷いたメアリに、リディアナもまた微笑みかける。先程リディアナが感じたように、きっと彼女から見ればこの神殿内は敵だらけなのだろう。落ちこぼれだとそんな風に同じ聖女候補から揶揄されることだってあるし、周りからの目だって冷たい。それでも先程彼女は諦めたりせずに少女の言葉に反論をしようとしていた。拙くとも足掻こうとするメアリ、そんな彼女の絶対の味方でありたい。


「それじゃ、あそこの彼と見てるわね。知り合いでしょう?」

「え……あ、はい! あの子は幼馴染なんです。二人が見てると思うと、ちょっと心強い気がします……」


リディアナが指した方向を見て、メアリはその表情を輝かせると元気に頷いた。軽く少年の方に手を振ったりと嬉しそうにしている。少年はリディアナに指差されたことに動揺していたが、メアリが嬉しそうに手を振るのを見て厳しかったその表情を緩めて手を振り返す。そんな様子にリディアナは一つ確信した。


最後の準備をしてきます! そう言ったメアリが大聖堂の奥の方に消えていくのを見送って、リディアナは少年の方へと近づいた。途端に厳しい表情になった少年に少し苦笑しつつ、彼が腰掛けていた椅子に人一人分を開けて座る。冷たくはないけれど明らかに警戒している紫の瞳は、じっとこっちを見つめていた。


「……あんた、何だよ」


先に声を掛けたのは、少年の方だった。行儀悪く椅子に足をかけ、その膝に頭を載せて尋ねてくる。その姿はどこからどう見てもただの子供で、明らかな人外を想定していたリディアナにとっては予想外の姿だった。今日は予想が外れてばかりだと内心苦笑しつつ、少年に言葉を返す。


「何、と聞かれると困るわね。貴族令嬢って答えが正しいのかしら」

「貴族令嬢がただの平民庇ったりしないだろ。少なくともあの四人はそうだった」

「あら、メアリはただの平民じゃないわ。聖女候補に選ばれた稀有な存在よ」


苦々しく言葉を噛み潰す少年に微笑みかけて、段々と静寂に染まってきた大聖堂のステンドグラスを見上げる。赤が目立つこのガラスは、この国を見守ってくれている火の大妖精様を象徴として描かれたものらしい。指す日差しが赤く染まっているのを眺めるのは、少し不思議な気分だった。


「……さっき言ってた、守り方ってなんだよ。少なくともあの方法なら嫌なやつはもうメアリに近づかないだろ」

「そうかもしれないわね。それに結局私達に実際に何か起こったわけじゃないから、メアリを責めることが出来ない」


またしても少年の言葉で会話が続いた。私達、その言葉に少年は少し気まずそうに俯く。どうやら人を害した自覚はちゃんとあるらしいようだった。やはり少し大人びているようには見えるが、その見た目の通り子供ではあるらしい。現実の痛みではなく幻覚を使うという発想に至ったことを考えるに、頭も悪くないはずだ。


「でも、それは一度だけのことよ。何度も同じことが続いたのなら、メアリに疑いの目が向くわ」


けれど、そうなのだ。リディアナの言葉に驚いたような表情をした少年を、リディアナは真っ直ぐに見下ろした。メアリの傍に居た人間が次々に恐ろしい幻覚を見るようになったなんて話が流れれば、きっとメアリは今の状況以上に厳しい場所に身を置くことになる。それは弱った彼女を更に追い詰める行動に他ならない。


「本当に彼女を守りたいのなら、貴方の行動は間違いと言わざるを得ない」


静かな声で断定されたそれに、少年は悔しそうに顔を歪めた。反論しようとしたのか開いた口は、けれど何も言葉を出さずに閉口する。頭が悪いわけではない。けれど先の先を考えられるほどの余裕が彼にはないのだろう。今のメアリを守ることしか出来ないのだ。

沈黙が少し続いた。俯いた少年が何か言葉を探しているように見えたので、リディアナはあえて何も言わずに彼の言葉を待つ。やがて少し経って、少年は再び口を開いた。


「……じゃあ、どうすればいいんだよ。ここには俺しか居ないんだよ。あいつの味方になれるのなんて」

「昨日まではそうだったわね。でも今日から私がここに居るの」


俯いていた少年が顔を上げた。その目に宿っているのは疑心か、期待か。例えどんな感情が宿っていたとしても、リディアナは彼に認めてもらわなければならない。それが彼にとってメアリを守るための一歩になるのだから。

少年は何度か迷うようにゆっくりと瞬きを繰り返し、視線を彷徨わせ、そうして時間をかけて、けれど頷いた。疑うような色は未だ残ってはいるが、とりあえずはリディアナを信じてみる気にはなったらしい。そんな少年にリディアナはにっこりと笑って、告げた。そろそろ、祈りの時間が始まる。


「そうね、今日から貴方も一緒に勉強すればいいわ」

「……は?」


呆気にとられて大きくなった紫の瞳は、やはり綺麗だ。何よりも美しいなんて持て囃される自分の瞳なんかよりも、よほど。そんなことをぼんやり考えつつ、リディアナは何も答えずに少年から視線をそらす。祈りの時間が始まったのだ。

大妖精像の前で白い衣装に身を包んで祈りを捧げるリディアナの聖女候補は、清廉として美しかった。そんな彼女に習うようにして、リディアナもまた瞳を瞑って大妖精様へと祈りを捧げる。そんなリディアナを、隣の少年はどこか眩しそうに見つめていた。

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[気になる点] 異世界のお話しなのにキリストの象徴である十字架がでてくること。
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