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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第三章
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第十話

そうして昼時になっても、ミレーニアはメアリの部屋から去ることは無かった。いつものように祈りの時間だと駆けて行ったメアリを見送って、リディアナは机に頬杖を突く少女を見つめる。変わらず美しいその姿は、しかし朝出会った時よりも少しくたびれたように見えた。


「……大丈夫ですか、ミレーニア様」

「……別に、これくらい大したことないわよ」


心配から声を掛けたリディアナに、少し気まずそうに視線を逸らすミレーニア。言葉ではそう強がっているが、きっと疲れてしまったのだろう。明らかに覇気のないその声に、リディアナはそっと眉を下げた。

恐らくこの国にきてまだ間もないことだろうし、そんな最中新しい知識を詰め込めば疲れるのも当然のことだ。生憎とリディアナはこの国を出たことがないから体感したことはないけれど、そう想像することは出来る。けれど強がる彼女に心配と言う名の親切を押し付けるのも何か違う気がして、リディアナは少し頭を悩ませた。そして一拍置いた後、名案を思いついたというように手を打つ。


「その、よろしければ少しお散歩をしませんか?」

「散歩?」

「ええ。私で良かったら簡単にご案内させていただきます」


柔らかな笑みを浮かべて問いかけたリディアナに、ミレーニアは少しの沈黙の後、黙って頷いた。のろのろと椅子から立ち上がり、リディアナを見つめるミレーニア。そんな彼女を他所に、リディアナは同じく立ち上がろうとしたレンに声を掛ける。


「それじゃあ少しだけ出かけてくるわね」

「……はい、お気をつけて」


素直な少年のように微笑み、頷いたレン。けれどリディアナはその紫の瞳の奥に隠された苦々しい色に気づいていた。立ち上がった様子から考えるに、恐らくリディアナ達に付いてこようとしていたのだろう。

けれどリディアナはそれに気づいた上で、あえて断った。それには様々な意図が含まれる。レンが付いてこようとすることをミレーニアに奇妙に思われるかもしれないだとか、帰ってきた部屋に誰も居なければメアリが寂しいだろうとか、そんな様々なことを。


けれど一番の理由は、最近自分がレンに頼りすぎているからというものだ。思えばこの神殿に来て彼と出会い、何度もレンに助けられてきた。それらは彼にとっては気まぐれのようなものだったかもしれない。けれど彼のような存在は、リディアナにとっては何よりも得難いものであったのだ。昨日ミランダと話して、リディアナは漸くその事を自覚できた。

だからこそ、頼り過ぎてはいけない。甘え過ぎてはいけないのだ。いつかのためにリディアナは一人で立たなくてはいけないから、誰かの助けに縋ってはいけない。レンが側にいると、九年近く守ってきたそんなリディアナの自我が壊れそうで怖かった。だから不満を告げる彼の表情に、あえて気づかないふりをする。


「ミレーニア様、行きましょうか」

「!……ええ、わかったわよ」


レンの物言いたげに見える視線から目を逸らし、リディアナはミレーニアの手を取った。突然リディアナに手を取られたことに、ミレーニアの瞳が見開かれる。けれどそれを振り払うことなく、ミレーニアはそっとリディアナの手を握り返した。

複雑そうにその青灰色の瞳が細められる。ミレーニアの手は温かかった。リディアナの凍りついたように冷たいその手とは違って。その温度にか、表情を暗くするミレーニア。けれど背中を向けていたリディアナは、そんな彼女の表情の変化にまでは気づかなかった。


レンの視線から逃げるように扉から外に出て、リディアナは小さく息を吐く。太陽の光を吸い込んだ神殿は相も変わらず真っ白で、いっそのこと眩しいくらいだ。その光に目を細めたリディアナに釣られてか、顔を上げたミレーニアもまたその眩しさに瞳を細めた。


「……ふふ」

「! な、何よ」

「あ、申し訳ありません。その、可愛らしかったので」


猫の仕草にも似たその動きに、リディアナは思わず小さな笑いを零す。そんなリディアナをミレーニアは間の抜けた表情から一転、眉を釣りあげて睨みつけた。けれど可愛いと、そう言ったリディアナにその眉は下げられる。


「なんか、貴方に言われても嬉しくないわね」

「あら」


どこか拗ねたような口調に、リディアナは困ったように笑った。けれど再びミレーニアの手を引いて、太陽の光が射す渡り廊下を歩き出す。歩き始めはおぼつかない足取りで足を縺れさせていたミレーニアも、次第にリディアナのその快調な足取りについてこれるようになった。心なしか部屋にいた時よりもその顔色も良くなっている。


「……こうやって手を引かれると、子供の頃を思い出すわ」

「あ……少し、子供っぽかったでしょうか?」


庭に差し掛かったところで、拗ねたように黙り込んでいたミレーニアはぽつりと呟いた。そんな呟きを拾い上げて、リディアナは眉を下げる。殆ど無意識のうちにその手を引いてしまっていたが、よくよく考えればあまり褒められたことではなかった。

知り合ってまだ間もない彼女の許可もなく、その手を繋ぐなど。冷静に考えてしまえば、乱暴に振り払われてもおかしくは無かっただろう。不快にさせたかと握っていた手を離そうとしたリディアナ。しかしミレーニアは僅かな微笑みをその顔に浮かべて、リディアナが離そうとしたその手を強く握る。


「……別に。あたし達はお友達なんだから、おかしくないわよ」

「……はい、そうでした」


つっけんどんとしたその口調は、冷たくもありながら温かくもある不思議なものだった。リディアナはそんな彼女の言葉に柔らかな微笑みを浮かべ、頷く。そうして一度は離そうとしたその手をもう一度握り返し、庭へと足を踏み入れた。

メアリの部屋の窓から見えるこの庭は、少し肌寒くなってきたこの季節にも白い花を咲かせている。貴族の庭のように細部まで美しさにこだわっているわけではないが、手入れされた緑の中に咲く白い花はどこか愛らしくも美しい。ぼんやりと辺りを見回していたミレーニア。しかし彼女はある一角を見つけると、立ち止まっていたリディアナの手を引いてその場所へと近寄った。


「ねぇ、白薔薇よ」

「……あぁ、秋薔薇でしょうか」


樹木に疎らに咲く白い薔薇たち。薔薇の本来の見頃は春の終わりから夏の始まりに掛けてだったはずだが、恐らく品種が違うのだろう。見慣れた薔薇よりもその花弁を密集させて、薄い色をその中心で描く薔薇。まるでドレスのフリルかのように咲く花にリディアナはそっと手を伸ばした。自然とミレーニアと繋いでいた手が解ける。

冷たい手のひらの中で小ぶりなその花が揺れた。樹木の中に咲くその薔薇の香りは、嗅ぎ覚えのない香りだ。果実のように香るその白薔薇は、リディアナの憂うような表情を宿した美貌によく似合う。思わず見惚れたことに咳払いをしつつ、ミレーニアはからかうように笑った。


「白薔薇の令嬢、でしょ? さすがよく似合うわね」

「……どこでその噂を?」


ミレーニアの口から告げられた少し気恥ずかしいその呼称に、リディアナは視線を下げて苦く笑った。ミレーニアが今呼んだその呼称は、社交界で自分が呼ばれている名前である。サラが白百合と呼ばれていたように、社交界の花だとされる美しい令嬢達にはそんな呼称がつくのだ。大輪の花とも大陸一とも呼ばれる美貌を持つリディアナに、その名前が付いていないわけがなかった。


「もう少し自分が有名人ってこと、自覚したほうが良いわよ」


悪戯っぽく笑うミレーニア。だから彼女はこの場所まで自分を引っ張ってきたのだろうか。そう考えたリディアナの隣で、ミレーニアもまたその白い薔薇に触れる。繊細な手付きで、崩さないように壊さないように。触れたせいか、果実のような香りがより一層強く香った。


「貴方、容姿に白要素ないでしょ? だからなんでかって気になったのよ」

「……それは、」

「話さなくてもいいわ。もう知ってるから」


ミレーニアの言葉にリディアナはますます視線を下げる。あまり知ってほしいことではなかったからだ。決して悪い意味でリディアナはその名を冠しているわけではない。けれどその意味は大袈裟なように聞こえて、誇らしいという感情よりも気恥ずかしさが全面に出てきてしまうから。


「白薔薇の花言葉は深い尊敬。数々の令嬢からそんな感情を向けられる貴方を喩えて、そう呼ばれるようになったって」

「……大袈裟です。私はそんな大した人間ではないのに」


吟遊詩人のように高らかと語るミレーニアを困ったような笑みを浮かべて見つめると、リディアナはそっと触れていた薔薇から手を離した。そんな風に語られるほど自分は大した人間ではない。ただ完璧を装ってるだけの欠陥だらけの人間だ。

きっと完璧のその裏を見てしまえば、誰もが自分を蔑むことだろう。だからそんな風に語られていることをリディアナは受け入れこそしたが、認めてはいなかった。


本当に白薔薇と呼ばれるべきは、リディアナの母のアナスタシアのような人物だろう。自分が辛い時でも誰かに変わらずに優しく接することが出来るような、そんな辛抱強さと慈愛を持ち合わせたような人。だからリディアナは何人に白薔薇と呼ばれようとも、その違和感を拭うことが出来ない。何故なら己の心の中にはずっと、自分よりも美しい白い薔薇が咲き誇っているのだから。


「……あたしも最初は、そんなわけ無いって思ったの」


けれど母のことを考えて僅かに感じ始めた痛みは、ミレーニアのその言葉に裏書きされた。リディアナを見つめるその青灰色の瞳はどこか困ったような色を宿して揺れている。リディアナの濃い青とミレーニアの薄い青が、交わった。

ゆらゆらと、ぐらぐらと、まるで己の価値観をひっくり返されたように揺れるその青灰色は昨日も見た色だ。昨日の夕暮れ、振り返ったリディアナにミレーニアが向けていた視線。そんな感情をその瞳に宿しながらも、ミレーニアはふっと笑う。どこか気が抜けたようなそんな表情で。


「でも貴方、ちゃんと白薔薇よ。今日わかったわ」

「……そう、でしょうか」

「ええ、あたしが褒めたんだから素直に受け取りなさいよね」


強気な言葉にリディアナは苦い笑みを浮かべた。どうにも彼女の言葉には人を本気にさせてしまうような、そんな色があっていけない。それは王族であるが故のカリスマとも呼ぶのだろうか。苦笑を浮かべながらも頷いたリディアナに、ミレーニアは満足気に笑った。けれどそんな表情は直ぐに掻き消え、悲しげなものへと移り変わる。


「……ミレーニア様?」


その表情の変化にリディアナは思わずミレーニアの名前を呼んだ。けれどその呼びかけに答えること無く、ミレーニアはくるりとリディアナに背を向けた。問い掛けや質問を全て拒むようなその背中に、リディアナは思わず押し黙る。緊張感を孕んだ空気が辺り一帯を満たしていった。

風が強く吹き、白い花々がその強風に揺れる。天候さえもミレーニアの様子に影響されたかのように揺らいでいくその光景に、リディアナは胸に不安が灯った。声を掛けるべき、なのだろうか。けれど迷うリディアナがそんな均衡状態を破るよりも早く、背を向けたミレーニアが口を開く。


「……貴方に聞きたいことがあったの」


それは静かな声だった。快活な雰囲気の彼女には似つかないそんな声に息を呑み、リディアナは何も返せないままただ言葉と共に振り返った彼女の瞳を見つめる。思慮を宿すその瞳は、ただ真っ直ぐにリディアナを見据えていた。リディアナが隠しているその完璧の裏を、見通すようなそんな強さを持って。

その視線にリディアナは少し恐ろしくなった。気付けるわけがないのに、まるで自分の罪に全て気づかれているようなそんな心地になる。緊張から握りしめた自分の手は凍るように冷たい。ほのかに温かいあの手が恋しくて、けれどここにはないことに気づいた。とっくに縋ってしまっているのか、どこか冷静な思考がそう自嘲する。


「でもそれを聞くのは、もう少し後にするわ」

「……え?」


けれど抱いた恐怖心や自嘲は、再び快活に笑ったその表情に流されていった。握りしめていたリディアナの手をとって、ミレーニアはその手を労わるように優しく握る。慣れ親しんだものよりも温度の高いそれが、冷たい手を温めていった。徐々に温度が移っていくリディアナの手に安堵からか柔らかい笑みを浮かべて、ミレーニアは呟く。


「……まだ貴方と話していたいから」


リディアナは何も聞けなかった。ミレーニアの聞きたいことが何なのかも、悲しげな表情を浮かべた理由も、どうして最初はリディアナに対する態度が警戒しきったものだったのかも。けれどミレーニアの言葉に黙って頷いて、自分の手を握るその手を握り返す。

その温度は高い。自分のものと比べても、彼のものと比べても。柔らかく嫋やかな女性の手は、いつも自分の手を引いてくれるあの硬い手とはまるで違うものだ。そのことに違和感を覚える自分に、リディアナは密かに苦い気持ちを抱いた。思ったよりも彼への感情は己の心を深く蝕み、リディアナの絶対の天秤を揺るがしている気がして。

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