第九話
「……その、ミレーニア様」
「あら、いつものようにレニーでいいわよ。リディ?」
そして翌日、いつものメアリの部屋には奇妙な光景が広がっていた。人懐っこい笑みを浮かべてリディアナの隣に座る赤毛の少女。そんなミレーニアに対面側のメアリは表情を青褪めながら、緊張するようにその身体を硬くしている。リディアナもまたこの状況を理解出来ずに、表情を困惑に染めた。そんな二人の態度を見てか、メアリの隣に座るレンはその瞳を眇める。
どうしてこんな事になったのか。それを説明するには少し時間を遡らなければいけない。いつものように神殿に来たリディアナは、入口で待っていたレンと共にメアリの部屋までの道を歩いた。当たり前のように挨拶を交し、短い雑談を楽しみ、そうしてメアリの部屋までやってきた二人。
しかしそこで二人を待っていたのは緊張から青褪めた表情を浮かべたメアリと、昨日の態度からは考えられないほどに友好的な笑みを向けてきたミレーニアだった。理解できない光景に硬直したリディアナはしかしそのまま促され、今こうしてミレーニアの隣に座っているというわけである。
「……その、どうしてここに?」
「神殿長さんから許可を貰ったの。リディの友達のあたしなら、見学をしても構わないって」
取り敢えず状況を理解しようと、そう尋ねたリディアナ。けれど返ってきた答えはまたしても、リディアナの理解が及ばないものだった。コルトは何を言ってくれたのだろうか、思い浮かんだそんな恨み言に慌てて首を振る。八つ当たりは良くないだろう。
美しい顔に可愛らしい笑みを浮かべ、リディアナを見つめるミレーニア。それは一見、友人に向けるただ愛らしいだけの表情に見えた。けれどリディアナには分かる。その瞳のその奥に、どこか探るような色があることを。完全に友好的とは言えないそんな雰囲気だから、困惑しているのだ。果たしてここに訪れた彼女の目的は、何なのだろうかと。
「……そう、でしたか」
「……つれないわね? 昨日はお友達って言ってくれたのに」
「ええと、ごめんなさい……?」
ぎこちない動きで相槌を打つリディアナ。そんな態度に拗ねたように唇を尖らせるミレーニアに、リディアナは僅かに笑顔を引き攣らせる。昨日のあれは事を穏便に済ませるための方便で、事実ではなかったはずなのに。あまりにも自信満々に告げる彼女を見ていると、もしかして事実ではなかったのかとそう思えてしまいそうになる。
「……でも、あまり面白いものはありませんよ。仰々しい名前が付けられただけの、家庭教師のようなものです」
けれどそんな思考を振り切って、リディアナは恐る恐ると告げた。聖女教育はその名前だけは大掛かりなもののように聞こえるが、告げた言葉通り実際はただの家庭教師のようなものだ。教えるのが令嬢ということから、むしろそれよりも価値が低いものになるのかもしれない。
「いいわよ、そんなのは求めてないから。見聞のためだと思ってくれれば分かりやすいかも」
「……そうですか」
「そうよ。だからあたしのことは無いものと扱ってくれて構わないわ」
ミレーニアが期待しているようなものは何も無い。言外にそう告げたリディアナに、ミレーニアは笑みを引っ込めて頷いた。そこまで言われてしまえば他国とはいえ王族である彼女に、一介の貴族であるリディアナは何も言葉を返せそうにない。リディアナは笑みを形作って頷く。どうやら覚悟を決めるしかないらしい。
頬杖を付いてこちらを見つめるミレーニアから視線を逸らし、リディアナは対面に座る二人の方に向き直る。未だ青褪めた様子のメアリが、リディアナの視線にその肩を跳ねさせた。リディアナはそんな彼女に安心させるように微笑みかけ、隣の方にも目を向ける。
メアリの隣に座るレンはいつもの不遜な表情を引っ込め、天使のように微笑んでいた。その表情は一見ミレーニアを歓迎するものだが、恐らく警戒してのものなのだろう。そう考えて苦笑しつつも、リディアナは今日持ってきたバスケットから本を取りだした。
「さてと、始めましょうか」
「はい、フォンテット様」
「……えっと、でも」
レンはその言葉に愛らしい少年の顔をしてただ頷き、リディアナから一冊の本を受け取ると読み始める。それは昨日約束した魔術関連の本であった。しかしそうしてすぐ夢中になった彼とは違い、メアリは上手く気持ちを切り替えることが出来ずにいるようだ。僅かにミレーニアの方へと視線を向けるメアリ。むしろそんな彼女の態度の方が、当たり前とも呼べるだろう。
「……そうね、メアリ。これは緊張しなくなるための授業だと思えばいいわ」
「緊張しなくなるための、授業」
だからそんなメアリの緊張を解すように、リディアナは優しく語りかけた。メアリは前向きではあるものの、一大事という場面では過度に緊張してしまうことがある。そのことから失敗をしてしまうことも多く、それはメアリやリディアナにとっての悩みの種となっていた。大きな行事の主役となることが多い聖女にとって、それは致命的になるだろうから。
だから寧ろミレーニアが訪れたことを不幸と思うよりも幸運と考え、その存在を教材として扱えばいい。リディアナは思考の切り替えが早かった。それはその話を本を読みながら聞いていたレンが、僅かに呆れたように目を眇める程に。
「王族であるミレーニア様なんて、何よりも確かでありがたい教材だと思わない?」
「……確かに! そうですね!」
微笑みを浮かべながらミレーニアを教材扱いするリディアナ。しかしそこに悪気はなかった。寧ろ感謝の念しか込められていない。きっと彼女の前で勉強をすることはメアリにとっていい経験になるだろうと、それくらいの考えしかリディアナにはなかった。
そうしてメアリも、はっとしたように目を見開くとその言葉に頷いた。大概こちらも抜けている。そんな態度はリディアナを心から信頼しているから故なのかもしれないが。目を輝かせるメアリに、リディアナは安心したように頷いた。どうやら今日も問題なく授業が始められそうだ。
「……教材として扱われるのは、初めてね」
すっかり二人の空気に置いていかれたミレーニアの、その微妙そうな感情を含んだ呟き。生憎とそれが届いたのは熱意に燃える二人ではなく、素知らぬ顔で一人本を読むレンだけだった。
そうして始まった授業は、その始まりこそ奇妙なものであったが結果としていつもより充実した時間となる。それはひとえにミレーニアの影響が大きかった。授業内容がこの国の歴史やマナーに関してのものが多かったからか、習うメアリとはまた別にミレーニアも時折質問を投げかけてきたのだ。
リティエとティニアの歴史の違いは当然として、そのマナー形式もだいぶ異なるものとなっているらしい。一応ティニアにとって周辺国とは言え、リティエは国を幾つか挟んだ先にある国だからだろう。他国からの客人故の斬新な視点での問い掛けに、メアリは勿論リディアナも良い刺激を貰った。
「……それにしても、この国ってだいぶ固いわねー」
「……確かに。ミレーニア様のお話を聞くに、リティエ王国よりも古い形式のものが多いかもしれませんね」
授業の最中、ミレーニアは疲れたように伸びをする。そんな彼女のぐったりとした呟きに、リディアナは苦笑を浮かべて言葉を返した。古くからの歴史を持つティニアと、周辺国の中では新興国と言っても差し支えのないリティエ。その二国間の常識は、想像よりも差異が多い。
まずリティエには信仰という概念が薄いとのこと。それはこの国を見守っている大妖精に対し厚い信仰心を向けるティニアの国民達との、大きな差である。リティエは小さな商業地区が発展して国になった場所でもあるので、国の成り立ちにそういった人外が関わっていないのが、恐らくその信仰心の薄さに現れているのだろう。
そしてミレーニアの話を聞くにリティエの貴族文化もまた、ティニアのそれに比べると自由なものに聞こえた。まず家同士の結びつきについても自由恋愛、というよりも自由を重視する。つまりはティニアでは一般的な貴族的な婚約というものが、リティエではあまり良い目で見られていないというのだ。
身分も関係なく、好きあったり共に有りたいと思った恋人達を祝福する。それは身分差に厳しいティニアの考え方から見れば、信じられないことだった。少し国を跨ぐだけでこんなにも文化の違いが出るのかと、リディアナも驚くくらいである。
「……んー、でも聖女って概念はあるわよ」
「聖女、ですか?」
ぺたりと机に頭を預けながら呟くミレーニア。それに興味を強く惹かれ問い掛けたのは、メアリだった。自分も聖女を目指しているだけあって、ミレーニアのその言葉に心惹かれたのだろう。会話を交わしたことで、メアリの王族であるミレーニアへの緊張も少し解けていた。
興味を持った様子のメアリに、ミレーニアは疲れたような表情を浮かべながらも微笑ましそうな視線を向ける。メアリの緊張が解けたのは彼女のそんな態度も大きかった。良い意味で彼女は王族らしく無く、身分差のあるメアリにも面倒見良く朗らかに対応してくれている。それはリティエの自由を重んじる国風によるものが大きいのだろうか。
「そう、聖女。この国みたいに大妖精様? に祈りを捧げるとかそんな感じじゃなくて……特別な力があって、豊穣を願ってくれる人のことよ」
「成程……緑の手の持ち主ってことですね」
「……リディってほんと手広いのね」
ミレーニアの言葉で全てを理解したリディアナは、相槌を打って頷く。そんな答えが返ってくるとは思わなかったのだろう。呆れたようにしながらも感心したような目を向けるミレーニアに、リディアナは少し視線を下げた。臆面もなく自分の知識が認められたことが少し、気恥ずかしくて。
「あの、緑の手って……?」
「うーん、簡単に言えば植物を上手く育てられる手の持ち主ってこと。あと体が丈夫だったりとかするらしいけど」
「緑が多い大地で生まれた子が、極稀に緑の手を持つことがあるらしいわ」
けれどメアリにとってはその説明は役不足だったらしい。首を傾げて問い掛けたメアリに、ミレーニアは簡単な説明をする。自分の知識との差異がないことを確認しつつも、リディアナは補足を入れた。本で読んだ知識だが、どうやら間違ってはいないらしい。リディアナの言葉に頷いてみせたミレーニアに、リディアナはそっと安堵した。
緑の手とは、多くの魔力を持ちそれを植物に分け与えることが出来る人物のことである。魔眼とはまた違い、人が使える魔力の一種と呼べるだろう。とは言え本によると緑の手の持ち主はそんな力を無意識に使っており、分かりやすい魔眼とは違い一生自覚できないこともあるらしいが。
「まぁ、ティニアは緑が少ないから国で聖女が生まれることが少ないんだけどね」
「……ミレーニア様?」
納得した様子のメアリに微笑みながらも、リディアナはミレーニアの小さな呟きに首を傾げた。何でも無いようなそんな呟きに、切望するようなそんな声が混じっていた気がしたのだ。けれどそれは一瞬のことで、ミレーニアは首を振ると本の一部分を指差して問い掛けてくる。
「……ううん、何でも無いわ。あ、それでリディ、ここに書かれてるマナーには何の意味があるの? 無駄じゃない?」
「ああ、ええとそれは……」
そんな彼女の明るい態度に気の所為だろうか、リディアナはそう思いつつも説明を始めた。リディアナの話に頷くミレーニアはやはり先程までと何も変わらないし、対面側のメアリも違和感を感じていない。レンはずっと本を読んでいて、視線が合わない。結局その心に僅かな引っ掛かりを残したまま、リディアナはそのまま授業を続けた。




