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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第一章
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第三話

しかし、想像と現実は案外異なるものである。


「は、初めまして……!」

「……初めまして」


くるみ色の柔らかそうな髪を肩まで伸ばした愛らしい少女は、少し震えた声で挨拶をすると、その可愛らしい顔立ちにこわばった笑みを浮かべた。青りんごのような大きな瞳が印象的で少し焼けた小麦色の肌が健康的なごく普通の少女。そんな彼女が先程説明を受けたメアリ・カーラーらしい。

その姿はリディアナが想像していた姿とは全く違っていた。別段変わったところなどない、少し怯えた様子ではあるもののどこからどう見ても素直そうで可愛らしいただの少女に、リディアナは困惑の表情でコルトへと目を向けた。けれど彼は何も語らずに、ただ鷹揚と笑って二人を眺めるばかりである。


あれから。どんな少女なのかと緊張しながらも案内されたのは、あの小部屋よりも更に奥の方にある居住区だった。最も住み込みで暮らす者たちとは分けられた、聖女候補専用の空間らしいが。その一室で出会ったのが、今もこちらをどこか不安そうに見つめてくる彼女である。

もっと初動で物を投げてくるような乱暴な少女であったり、怯えてまともな会話すらも成り立たない少女であったのならリディアナは「問題」とやらをすぐに理解できただろう。けれどこれでは、彼女の問題が何なのか全く理解できそうになかった。


「……ええと、自己紹介が遅れてごめんなさい。私はリディアナ・フォンテットと申します。今回、貴方の教育係を務めさせていただくことになりました」

「あ! わ、私こそ……! ええと、メアリ・カーラーです!」


ひとまず挨拶をしなければと、リディアナは困惑を隠しながら自己紹介をした。そんなリディアナに習うように自己紹介を返してくれた彼女は、あわあわとした動作も相まってリディアナの目にはどこか小動物めいているようにも見える。第一印象だけで言えば、彼女が四人の教育係を追い出したなんて到底思えないほどだ。


そんなメアリは、先程からどこか落ち着かなさそうに手を握りしめている。瞳こそ合わせてくれているものの、恐らく緊張しているのだろう。聖女候補に選ばれた特別な存在とはいえ、つい先日まではただの平民であった少女なのだ。平民としての意識がまだ抜けきっていないのも当然であるし、リディアナの容姿はどこからどう見ても貴族の令嬢だ。接し方に戸惑いや恐怖があるのだろう。


「……あまり、緊張しないでくれると嬉しいわ。私は確かに貴族の令嬢ですけれど、まだまだ未熟者だから。けれどこうしてお役目をいただいたのだから、出来得る限りは貴方が聖女になるための力添えをしたいと思っているの」


少しでも緊張を解せたらと、リディアナは言葉を選びながらメアリへとそう告げた。その言葉に、緑色の瞳が大きく開かれる。そうして戸惑うように視線を彷徨わせながらも頷いてくれた彼女に、リディアナは柔らかい笑みを浮かべた。

これはリディアナが聖女の教育係に選ばれたときから考えていたことでもある。年月と共に知識を深めた婦人たちや、神殿関係者でその知識に造詣が深い令嬢たちにリディアナは恐らく敵わないであろう。けれど選ばれた以上、努力を重ねて自分の聖女候補に尽くしたいと、そう考えているのだ。


「あの、あの、勿体ない言葉です……! 私、聖女候補に選ばれた人達の中では落ちこぼれで……教育係の人にもすぐ呆れられてしまうし。だから、聖女として相応しくないかなって思ってて」


リディアナに触発されてか、か細い声で語りだしたメアリの声は妙にリディアナの耳に残った。落ちこぼれ、そんな言葉に胸が痛くなる。大きく印象的な緑色の瞳は、言葉を紡ぐたびに涙を耐えるように揺れていた。何か教育係であった誰かに、心無い言葉でも掛けられたのだろうか。

何となく放っておけずに、リディアナはゆっくり彼女の方へと近づいた。自分の言葉でいっぱいいっぱいになって溺れそうになっている彼女の手を、そっと優しく握る。そんな行動でメアリの涙腺は容易く決壊した。


「っ、でも、でも……私、フォンテット様と頑張りたいです! 胸を張って、聖女だって言えるようになりたいです……!」

「ええ、一緒に頑張りましょう。あ、それと」


良かったらリディアナって呼んでくれるかしら、その言葉にメアリは泣きじゃくりながらも笑みを浮かべて、頷いた。リディアナもまたメアリを落ち着かせるように優しく微笑む。メアリのどこに問題があるのか、それはまだわからない。けれどリディアナの中で自分と頑張りたいと言ってくれた少女の力になりたいと思う気持ちは、聖女係の話が来たあの日よりもずっと強くなっていた。

一連の会話を見守っていたコルトも、穏やかな空気が流れ出した少女たちに笑みを深める。彼の心にもまた、彼女ならばとそんな期待の感情が宿っていた。


しかし、瞬時の間にコルトの表情は険のあるものへと変化する。部屋の入口の方を振り返った彼は、その存在を確認してますます表情を険しくさせた。けれどコルトが制止の声をかけるよりも早く、誰にも気づかれぬままいつの間にか扉の前に立っていた少年はその手の中の魔力を解き放った。


「っ!?」

「えっ!?」


リディアナとメアリ、二人が立っていた壁のすぐ横で何かが爆ぜる音がした。背後で事が起きたせいで状況が飲み込めないまま、けれどメアリを庇うようにリディアナは彼女の頭を抱きかかえる。その行動に少年の瞳が見開かれたのも知らないまま、リディアナはメアリを守るために彼女の体ごと倒れ込んだ。


「っ、怪我はない!?」

「え、え? だ、大丈夫です……?」


突然の出来事に思考がついて行かず目を白黒とさせるメアリのその返事に、リディアナはほっとして小さく息を吐いた。押し倒す形になっていた彼女の体からその身を起こし立ち上がると、唯一何が起きたかを知っているであろうコルトの方に目を向ける。

彼は厳しい顔つきで扉の外を見つめていた。その先には、もう誰もいない。もっとも誰かが居たという事実さえ、リディアナは知りはしないが。


「神殿長様、一体何が起きたのですか?」

「……問題、ですよ」


問題、静かな声で告げられたその言葉にリディアナは目を見開いた。メアリの元から四人の教育係が去って行った問題、それが今の爆発音に関係しているのだろうか。けれど今のタイミングでは、どうあがいてもメアリが何かしたようには見えない。だって彼女はリディアナの手を握りながら泣いていただけなのだ。爆発音にも心底驚いたようで今も混乱しているし。


とりあえず未だ地面に腰を付けて混乱しているメアリに手を差し出し、立ち上がらせる。ありがとうございます、と小さく礼を告げながら立ち上がる彼女に本当に怪我はないようだった。

リディアナはそこで背後の壁を振り返る。爆発が起きたと思われていたはずの壁には何の痕も残っていない。ならばあの時起こったのは、爆発音だけなのだろうか。それならあんな直ぐ側で爆発が起きて二人共怪我の一つもしてないことに頷ける。そうだとしてもなぜ、安全なはずの神殿であんな爆発音が突如として起こったのだろう。


「……さてメアリ、気になることもあるだろうがそろそろお祈りの時間だよ。行ってきなさい」

「で、でも……」


考え込むリディアナを他所に、コルトはのんびりとした口調でメアリへと告げた。聖女候補は祈りの時間に必ず顔を出すようにと、それが義務付けられているとの話はよく聞く。大妖精様に尽くすことが聖女の一番の務めであるからだ。とはいえ今起こったことへの説明が何もないのは、如何なものなのだろうとリディアナはメアリを見遣った。

けれどメアリが気にしているのはどうやらリディアナのことらしい。困ったようにリディアナを見つめるその視線には、その身を案じているような色があった。どうしたの、と問いかけるとメアリは躊躇しながらも口を開く。


「あ、あの……待っていていただけますか?」

「……ええ、待ってるわ」

「! あ、ありがとうございます!」


深く頭を下げてはにかんだ少女は、行ってきますという言葉を最後に慌ただしく部屋を後にした。その背中を見送りつつも、リディアナはコルトに視線を向ける。先程の爆発音に疑問を覚えているのは、どうやらこの中でリディアナだけのようだった。その視線にコルトは申し訳無さそうに頭を下げる。


「きっと恐ろしい思いをなさったでしょう。私の読み間違いです。大変申し訳ありません」

「……それは、一体どういう意味でしょうか」


深く頭を下げた後、その顔を上げたコルトの顔には苦い笑みが浮かんでいた。そこには様々な葛藤や責任感が浮かんでいるように見える。読み間違いと、彼は言った。恐らくそれは本当で、本当にリディアナを恐ろしい目に合わせる気はなかったのだろう。

けれどそれ以上に気になるのは「きっと」その言葉だ。そんな言い方はまるで、先程の爆発音が彼に聞こえていなかったようではないか。


「今、何も起きていなかったと仰っしゃれば、貴方は信じるでしょうか」


けれどそんな疑問を確信に変えるように、コルトは静かな声でリディアナに問いかけた。目を見開いたリディアナに、コルトは頷いてみせる。それだけでもう、全てがわかってしまった。


「先程、爆発音のようなものが直ぐ側で聞こえました。それはもしかして、神殿長様やメアリには聞こえていなかったのでしょうか?」


あれは確かにあったことだと、リディアナは確信している。けれどメアリからは爆発音による恐怖や混乱は見えなかった。きっと彼女の困惑は、リディアナが突如として自分を抱きしめ押し倒したことから来ていたのだろう。だから突然そんな奇行に走ったリディアナを、心配するような目を向けていた。


「ええ、お察しのとおりです。その爆発音が聞こえたのは、恐らく貴方だけでしょう。貴方が体験したのは幻覚で、この神殿にはそれを貴方に起こした者が居ます」


震える声で尋ねたそれにあっさりと頷かれ、どこか眩暈がした。そんな幻覚のようなものを作り出す事ができる存在が、どうやらこの神殿にいるらしい。

けれど。そこでリディアナは表情を引き締めた。四人の教育係が去っていったと言われるメアリの問題。それは彼女の内面的な問題ではなく、彼女に関わる外的要因だった。そうして今リディアナに幻覚を見せたのがその外的要因で、それこそがメアリ、彼女自身に落ちこぼれだなんて言わせた原因。


「その問題にお会いする勇気が、貴方にはありますか?」


静かながらも威圧感のある声でコルトが問いかける。リディアナはただ真っ直ぐにコルトを見つめて、そうして頷いた。今考えたことが全て正しいのだとしたら、リディアナはその人かどうかもわからないその存在に伝えなくてはいけないことがあるのだ。

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