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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第二章
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第二十六話

「……なんだよ、さっきの」


どれくらい時間が経っただろう。両者無言の静寂の中に落とされたその言葉に、抱きよせられていたリディアナは苦い笑みを浮かべた。伏せていた瞳を開いてそっと上を見上げたリディアナの視界に、案じるような表情を浮かべるレンの顔が映る。

レンの手の震えはもう無くなっていた。大分冷静になったのだろうかとそう考えつつも、リディアナは小さく首を振る。


「……言えないって言ったら、困るかしら」

「……疑問は抱く」


曖昧な表現で答えるリディアナにレンは顔を顰めた。けれど詰問するようなことはせず、彼は言葉を選ぶような素振りで辿々しく言葉を返す。今こうして垣間見えたリディアナの傷が、どんなものかわからないからなのだろう。手探りで傷口を抉らないようにする、そんな少年の不器用な優しさにリディアナは笑みを深めた。


そっと起き上がろうとする。一瞬止めるようにレンの腕が動きかけたが、リディアナの笑顔に黙殺されてその腕は躊躇うように行き場を失うそうして起き上がり立ち上がったリディアナは、辺りを見渡した。

自分が零したはずの血はもう欠片もない。完璧にレンが消し去ってくれたのだろう。そのことに安堵して、リディアナは同じように立ち上がったレンを見下ろした。


少年は戸惑うようにリディアナを見上げている。ゆらゆらと揺れる紫の瞳は相変わらず息を呑むくらいに綺麗で、その瞳に見つめられるだけで全てを話してしまいそうだ。けれどそうして話す事はできないし、許されない。


「助けてくれて、ありがとう」


葛藤を押し込んで薄い微笑みを浮かべ、そしてリディアナは頭を下げた。誠実なこの少年に事情を話せないという不誠実さを、同時に詫びるように。けれど普段通りに振る舞う、そんなリディアナを見てもレンの瞳はまだ不安げに揺れていた。

その紫の瞳が雄弁に語る。何故と、どうしてと。瞳の中で疑問が立ち上って揺らめいては、消えないまま降り積もっていく。けれどそんなレンを見ても、リディアナはそれ以上何も語らないまま。ただ困ったように、悲しげに、そんな薄い笑みを浮かべて彼を見返すだけだった。


「……あんた、死ぬのか」


けれどレンは優秀だ。思考を巡らせている内に彼の中で何かの確信に辿り着いたのだろう。疑問ではなく断定系で問いかけてきたレンの表情や声は、彼こそが死んでしまうのではないかと思ってしまうくらい落ち込んだものだった。


「……それも、答えられないわ」


けれどリディアナはそんな質問にも答えられない。確信を突く問いかけに動揺しながらも首を振ったリディアナ。そんなリディアナを見て、レンの瞳は伏せられた。

何故ならばその答えられないというのが実質の答えなのだから。死なないのならば、死なないと言えばいいだけの話だ。そう答えられないのなら、つまり。


木々が風に揺れて不穏にざわめく。二人の間に開いた一歩分の距離は、まるでお互いの心の距離を表しているようだった。共に過ごすのは楽しくて、お互いを心配していて、何かあったのなら迷いなく互いにその手を伸ばすだろう。

けれど心に抱いたその大きな闇に、消し去ってしまいたい過去。そんな自分の深い事情には触れさせない。手が届きそうで届かない、もどかしくも確かに引かれた一線。それを少し前にリディアナはレンの中に見たが、きっとその一線を今見ているのはレンなのだろう。だから彼は戸惑いながらも、疑問を抱えながらも、それでもその線を無理矢理に越えようとしない。先に線を引いたのは、自分なのだから。


「……俺じゃ、助けられないのか?」


けれどレンは戸惑いながら、躊躇いながら、それでもリディアナに問い掛けた。その言葉にリディアナは目を見開く。線のぎりぎりに触れないようにして、そうしてレンはリディアナに手を伸ばそうとしているのだ。

じわりとリディアナの心を満たしていったのは喜びだろうか。彼は事情を知らずとも、その事情をリディアナが話さずとも、それでもリディアナを助けようとしてくれている。その信頼が嬉しくて、けれど悲しくて。リディアナは泣き笑いのような表情を浮かべ、しかし首を振った。


「助けられないし、助けてはいけないの。これは私の罪だから」

「……罪」


短く反復するレンに頷いて、リディアナはそっと彼に背を向ける。これ以上その目を見ていたら、その優しさに触れていたら、全てを話してしまいそうになってしまう。それではいけないのだ。罪を背負ったのなら背負ったなりに、その責任を最後まで果たさなくてはならない。この重荷を誰にも預けてはいけない。だから。


「……勝手な願いだけれど、出来れば誰にも話さないでほしいの。メアリにも」

「っ!」


リディアナは自分の不誠実さや勝手さに嫌悪感を覚えつつも、背を向けた先の彼にそう告げた。息を呑むような声は聞こえたが、表情を窺うことは出来ない。背中を向けている彼は今どんな顔をしているのだろう。

不快げに眉を顰めているのか、悲しげに瞳を伏せているのか。どちらにしたって胸が締め付けられることに変わりはない。けれどそんなリディアナの想像を裏切るように、その背中に真っ直ぐな声は掛けられる。


「……言わない」

「っ、……!」

「言わねぇよ。あんたがそう、望むんなら」


今度息を呑んだのはリディアナの方だった。こんなにも不誠実で身勝手な自分に、それでもレンは誠実に真摯に言葉を返してくれる。二度も繰り返して告げられたそんな約束に、どうしようもないくらい泣きじゃくりたくなった。

視界に映らなくなった紫は今どんな色をしているのだろう。勝手に背を向けたのに、見ることが出来ないことがわけもわからないくらい惜しかった。


声が震える。これで正しいのかと、本当に話さなくていいのかと、リディアナの中の絶対の天秤が僅かに揺れた。けれど結局それは全てをひっくり返すくらいには至らずに、リディアナは何も話せないままレンの方を振り向く。そうして泣きそうな声で、泣きそうな顔で、か細い感謝を告げる。


「……あり、がとう」


振り向いたレンはその言葉に頷いた。彼もまた辛そうに眉を下げている。それでも何も聞かずに、そっとリディアナに手を差し出して不器用な笑顔を浮かべた。その手にリディアナの白魚のように美しい手が重なる。温かい温度が、少しだけ冷たい温度が、そうして二人の温度となって交わった。


「メアリがそろそろ探しに行こうとするから、戻るぞ」

「……ええ」


こうして手を差し伸べられて、手を取る。全てがそれくらい簡単に、誰も傷つかない形で上手く行けばいいのに。そんな思いをかき消してレンの言葉に頷いたリディアナは、いつも通りの笑顔を浮かべる。そんなリディアナにレンも生意気そうな少年の表情を浮かべ、歩き出した。


「あ、レン! リディアナ様も!」


少し歩いたところで、明るい声が二人に掛けられる。頬を少しだけ紅潮させたメアリが、少し離れたところで二人の名前を呼んだ。子犬のように駆け寄ってきたメアリに、二人が繋いでいた手はどちらともなく離される。リディアナは何故かそれを、少しだけ惜しく思った。


「メアリ、ミランダ様達はもういいの?」

「はい! 今日は最後だから三人でご飯食べようって、後はその時にお話します!」

「……食い過ぎんなよ」

「うっ!……どうしてこういう時にそういう事言うかなぁ」


けれど自分の中に生まれた寂しさとそれに対する戸惑い。そんな態度をおくびにも出さず、リディアナは柔らかい笑みでメアリに問いかける。弾けるような笑顔で頷いたメアリに、リディアナは少しだけ釣られるように晴れやかな気分になった。自分にとって慰めてくれるのがレンなら、元気を分けてくれるのはメアリなのかもしれないと内心思いつつ。


「あ、そうだ! ……あの、ギブソン様ってどこに行ったかわかります?」

「? もうお帰りになられたわよ。日を置いた後に修道院に行くわけだから、その準備も必要でしょう?」


レンに痛いところを突かれたのかもごもごと文句のようなものを呟いていたメアリは、けれどそこでハッとしたようにリディアナに問い掛けた。そんなメアリに首を傾げつつ、リディアナはサラは帰ったとそう告げる。そんなリディアナの答えに、メアリは少しだけ残念そうに視線を落とした。


「あー、そうですね……」

「何かあったのか?」


何かサラに話したいことでもあったのだろうかと、リディアナがそう問いかけるよりも早くレンが問い掛ける。そんなレンの疑問に、メアリは少しはにかむような笑顔を浮かべて頷いた。


「宣戦布告をね、しようと思って」

「……宣戦布告?」

「はい!」


メアリが告げるには少々物騒な言葉に、リディアナは目を少しだけ見開く。けれど思わず聞き返したリディアナに、メアリは無邪気な笑顔で頷いた。そうしてくるりと一度回転してみせると、その顔に自信に満ちた笑顔を浮かべる。

緑の瞳が太陽の光の下美しく輝く。その瞳に宿った信念と覚悟は可愛らしいメアリの姿には一見見合わないが、リディアナの目には妙に噛み合って見えた。そうしてリディアナの聖女候補の彼女は無邪気に、けれど強い覚悟を持って笑う。


「私が聖女になってみせるって、そんな形であの人に復讐しようと思って。きっとそうしたらあの人、悔しいですよね」

「……ふふ、素敵な復讐ね。私も頑張らなくっちゃ」


薄暗さのないそんなメアリの復讐に微笑んだリディアナ。そんなリディアナの言葉に、笑顔に、メアリは増々嬉しそうに笑顔を深めた。

誰も救われないこの一件でメアリはその身に傷を増やしたかもしれない。けれど強い彼女はそんな傷を新たな夢へと昇華させて見せたのだ。その強さがリディアナには嬉しくも、少し眩しい。それは自分には無かったものだから。


「はい! だから早速勉強しましょうリディアナ様」

「ええ、行きましょうか……でも、走っては駄目よ?」


駆け出そうとしたメアリを笑って咎めるリディアナ。そうしていつもよりも早い速度で歩いていく二人を、レンは後ろから見つめていた。暫く見つめた後、リディアナのその揺らぎのない足取りにレンは漸く安心したようにその瞳を和らげて、二人の後を付いていく。

こうして一連の事件は片が着き、リディアナ達は再び聖女を目指し研鑽を重ねる日々へと戻っていった。一人に夢を、一人に焦りを、そうして一人に新たな覚悟を宿させて。


その日の月も浮かばぬ新月の夜、紫の瞳が一つの本をその目に映す。「魔法使いと女の子」そんなタイトルを眺めながら彼はその本を手にとって、夜が深まっていく中とある場所へと向かった。いつも向かう幼馴染の部屋ではなく、彼にとって不得意な相手が居る部屋へ。


その目的は、その本が何も述べずとも語っていた。


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