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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第一章
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第二話

翌日、アンリを筆頭とする使用人たちに見送られてリディアナは公爵家の屋敷を出た。昨夜から更に厳選を重ねた絵本に、城下町で美味しいと言われてる焼き菓子、それに花や薬草などの図鑑を持って。


自分が教える聖女候補の話は少し聞いている。とは言っても容姿や性格といった個人を指すものではなく、南の気候が温暖な農村で育ったという出自に関してのものだけだが。

けれど南の方で育ったというのなら、花や薬草といった植物類に馴染みは深いだろう。聖女として植物類に知識が深いのはプラスな方面に働くであろうし、何より慣れない環境に四苦八苦しているであろう聖女候補に少しでも心を開いてもらえたらと考えて持ってきたのが図鑑だ。役に立ってくれるといいのだが。


「それと、お菓子」


家が所有する馬車に揺られながらリディアナはバスケットの上に載せた焼き菓子を見た。赤いリボンで封がされたそれは、下の城下町で人気のものらしい。これは先日、アンリに無理を言って買ってきてもらったものだった。年頃の少女であるならば焼き菓子が嫌いな子のほうが少ないだろうし、何より食べ物というのは会話を円滑に進めるのを役立ててくれるものである。令嬢たちが集まるお茶会にお茶とお菓子が欠かせないように。


「喜んでくれるかしら」


馬車を運転する御者に聞かれないようにと、小さな声でリディアナは呟いた。つい先日までは平民の少女であった聖女候補を萎縮させないように、今回の外出は侍女などを付けていない。それはリディアナにとっても初めてのことであり、何か悪いことをしたような緊張感がずっと胸を満たしていた。心臓が少し痛むような、そんな感覚に心臓を抑える。


「……大丈夫、大丈夫」


また一人、ぽつりと呟く。幼い頃から何度も自分に言い聞かせてきたその言葉を。大切な人から教えてもらった魔法の言葉を。白い手をぎゅっと握りしめて、その美しいかんばせに完璧な笑顔を乗せて、そうして彼女は頷いた。


「お嬢様、神殿に到着いたしました!」

「! ありがとう。お疲れ様」


けれどその表情は御者に声を掛けられたことで剥がれる。弾かれたように少し俯いていた顔を上げ、バスケットを片手に馬車の扉が開かれるのを待つ。感じていた胸の痛みは、扉が開かれる頃にはもうなくなっていた。


扉が開かれ、御者にエスコートされる形で地面に再び足をつける。太陽に目を瞬かせながらも見上げた神殿は、今日も厳粛な雰囲気を保ってそこに建っていた。清廉さを感じる白い外壁はきっとシスターたちがしっかりと掃除しているのだろう。そのまっさらな白さは太陽の光に照らされて、どこか眩しいくらいだ。

まばらに見えるのは祈りを捧げに来た熱心な信者たちや、協会に住み込みで暮らすシスターたちだろうか。神殿に訪れる機会が少ないからか、人々が慎ましく穏やかに過ごすその場所がリディアナにはどこか真新しいものに見えた。


「それではお嬢様、またお時間になりましたら迎えに来ますので」

「ええ、お願いね」


馬車と共に去っていく御者を見送り、リディアナは一人バスケットを片手に神殿の入口で立ち尽くす。さすがこの国で最も大きいと言われる王都の神殿だけあって、その規模感は王城に勝らず劣らない。あまり訪れる機会もなかったことから内部の道も把握しておらず、これでは不用意に足を踏み入れれば迷ってしまうことだろう。


確か迎えのものを出すとの話だったが、とリディアナはゆっくり辺りを見渡した。教育係に任命された後、神殿とは手紙越しにいくらかのやり取りを交わした。その過程の中でそういった話も決まっていたはずだった。

そこでリディアナは気づく。神殿内部と思わしき方からこちらを見据えて歩いてきている存在に。カソックに身を包んだ威厳溢れる雰囲気のその老紳士は、神殿とは関係の薄い自分でも顔と名前を知っている人物であった。


「失礼、リディアナ・フォンテット様でございますか?」

「……はい、フォンテット公爵家のリディアナと申します。失礼ながら、神殿長様でしょうか?」

「なんと、こんなに美しいお嬢様に覚えていただけているなんて光栄です。それでは改めて、ここの神殿長を務めるコルト・ギュスターヴと申します」


リディアナは微笑む老紳士に美しい笑顔で挨拶を返しながらも、内心少し困惑していた。いくら自分が公爵令嬢とはいえ、忙しい身であろう神殿長がわざわざ挨拶に来るものだろうかと。それとも神殿はやはり聖女候補とその教育係を重要視しているのだろうか。


「……混乱なさっているようですな」


その困惑を見抜いたのか、コルトは少し困ったような笑みを浮かべた。その表情を見て、今回自分を彼が迎えに来たのは何かしらの特例であるのだろう、リディアナはそう考えた。そしてそれは自分が異例の大抜擢を受けたことや、任命の時期の遅れの理由にも何かしら関わっているのかもしれない。


「……重ねて失礼に値するかもしれませんが、今回の件にはいくつかの疑問があります」

「いいえ、失礼などと。そう思われるのは当然のことでしょう。こうして私が来たのも、そのお話をさせていただきたかったからなのです」


よろしければ中へ、そう導かれるままにリディアナはコルトの後ろを付いていった。

そうして足を踏み入れた神殿内部は貴族の屋敷に比べれば装飾等の飾りは少ないものの、寧ろ飾り気のないその雰囲気こそが神殿の厳粛さを保っている気がした。神殿内を満たす空気も、リディアナにはどこか澄んだもののように感じる。


大理石で出来た渡り廊下を、コルトに導かれるがままに付いていく。何個かの入り口らしき場所を通った後、神官騎士が立っていた入り口を通って奥へ奥へと。神官騎士が立っていたのを見るにここから先の道は一般の立ち入りが許可されていない施設に繋がっているのだろう。神殿長であるコルトが一緒なこともあって一礼されるだけに済んだが。

挨拶以降無言を保ったままのコルトに引きずられてか、リディアナも何故か言葉を発するのに躊躇いがあった。これから自分が教えることになる聖女候補の重要と思われる話をするのだから、お喋りをする気分ではないのも確かだが。


「……着きました。お話はこの部屋でさせていただいてもよろしいでしょうか」

「っ、はい」


そんなことを考えているといつのまにか目的地についていたようだ。佇むようにしてひっそりと構えた一室の扉を開いて、コルトはリディアナの方を見て柔らかい笑みを浮かべた。その笑顔に誘われるように、リディアナはその部屋に足を踏み入れる。


その部屋は大きな机が一つといくつかの椅子が置かれた閑散とした雰囲気の場所だった。不清潔といった印象こそ受けないものの、どこかくすんで見えるような部屋は、神殿内部の清廉とした雰囲気にどこか似合っていない気がする。

コルトが左側の椅子に腰を落ち着けるのを見て、リディアナはその対面側に座る。持っていたバスケットも自分の隣の椅子に置かせてもらい、どこか緊張しながらコルトに目を向けた。未だ柔らかな笑みを浮かべてはいるものの、その瞳に真剣なものが宿っているコルトにその緊張はますます増していく。


「……三人、いや四人でしたかな」

「……え?」


しかしその緊張は突拍子も無いコルトの言葉にどこかへと飛んでいった。思わず困惑したように声を上げたリディアナにコルトは失礼とそう微笑み、机の上で指を組む。


「聖女候補とその教育係について、貴方様は努力家であるとよくお聞きしますので、知っておると思います」

「いえ、そんな」

「ご謙遜なさらずとも結構。ですが一般には知られていないことがあるのです」


一般には知られていないこと。その言葉にリディアナは表情を固くした。そのことが今回の自分の件に関わってくるのだろう。その表情のまま、コルトの言葉を待つ。

コルトもまた少し躊躇うように一度息を吐いて、そうして困ったような笑みを浮かべた。そうしてその口を開く。


「聖女候補も、教育係も人なのです。そうして人には相性というものがある」

「……はい」

「まぁ早い話が、聖女候補の教育係が変わることもあるんですよ」


例は少ないですがね、とそうあっけらかんと打ち明けられた事実にリディアナは一瞬思考がついていかなかった。これは一般常識的に、聖女候補と教育係は一度選ばれれば不変なものだという考えがあったからである。だが今目の前の、神殿内部でも最高峰の権力者とも呼べる人物からの言葉が嘘だとは思えない。


「相性が合わなかったからという理由で変えるのも、国を上げて行われる聖女教育からすれば外聞が悪いものでしてね。基本的にこの情報は秘匿されておるのです」

「なる、ほど……」

「さて、ここからが本題なのですが」


本題を前に随分と衝撃的な事実を聞かされたものだ、そう思いながらもリディアナは頷いた。よくよく考えれば当然のことである。コルトの言う通り人間同士相性というものは当然あるし、それが致命的なまでに合わないのなら変わることもあるだろう。聖女候補者は人数が少ないのだから、教育係の方を変えるというのも納得ができる話だ。

納得するリディアナを他所に、コルトはそこで深い溜息をついた。どこか疲れたようなその声を聞いて思わず心配の目を向けたリディアナに、今度は取り繕うように笑みを浮かべる。彼が言う本題というのは、どうやらコルトを深く悩ませている問題らしい。


「今回の候補者の一人であるリディアナ様に担当していただくこととなった少女、メアリ・カーラー。彼女に少し問題がありましてね」

「問題、ですか」

「ええ、その問題のせいで教育係の方を四人程この神殿から去らせておるのです。困ったことに」

「四人!?」


はい、と思わず声を荒げてしまったリディアナにコルトはそう苦笑して頷いた。聖女教育は一月ほど前から始まっていたはずだ。その間に四人の教育係たちと相性が合わないと判断されたのなら、その聖女候補者は一体どんな性格をしているのだろうか。戸惑うリディアナにコルトは笑みを深めると、立ち上がる。


「とりあえずお会いしてみませんか? きっと彼女に会えばその問題がすぐわかると思います」

「……わかり、ました」


出来れば口頭でどのような問題があるのか訪ねたかったが、きっと神殿長である彼は忙しいのだろうとその考えを振り払う。こうして説明にわざわざ時間を割いているのも、本来は異例であるのだろうと。

椅子から立ち上がりまたコルトに案内をされながら、リディアナは考える。先程例は少ないですがね、と言ったコルトの話を思い出したのだ。一般に明かす必要がないだけあって、その例とやらはその言葉通り少ないのだろう。それなのにたった一月で四人も教育係を変えることになった聖女候補、メアリ・カーラー。その彼女には一体どんな問題があるというのだろうか。

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