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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第一章
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第一話

「……こんな感じでいいかしら」


手に持っていた絵本を閉じて、少女は一人呟いた。机の上に出来ていた絵本の山にまた一つ手持ちの絵本を重ねて、真剣な表情で机の上を吟味する。その机には絵本の他にも羽ペンや紙と言った筆記用具などが並んでいた。それと可愛らしい包装に身を包んだお菓子なども。


「勉強は嫌いではないけれど、人に教えたことはないのよね……」


憂うような溜息が一つ。少女はその宝石のように美しい青い瞳を翳らせて考え込む。そんな表情でも陰ることのない美貌は、大陸一とも騒がれるに相応しい輝きを秘めていた。

年頃の少女の部屋にしては落ち着いた装飾が多い一室で考え込む少女、リディアナ・フォンテット。フォンテット公爵家の令嬢である彼女は更けていく夜の中、その立場を忘れて一人家中の絵本を探し集めていた。手元のランプで山になった絵本を照らし、眺めるその表情にはどこか不安が滲んでいる。


「リディアナお嬢様、夜分遅く失礼いたします。よろしければ明日の準備を……あら?」

「……こんばんは、アンリ。気持ちは嬉しいけど、もう準備は終わってしまったの」


そんな彼女の部屋に訪問者が一人。品のいい使用人服に身を包んだ女性は、扉を開けて見えた机の様子に苦笑した。申し訳無さそうに眉を下げるリディアナに「遅かったようですね」と小さく笑い、引いてきたワゴンに目をやる。

釣られるようにワゴンに目を向けたリディアナは、そこで少し驚いたように目を開いた。ワゴンに載せられていたのはティーポットにカップ、砂糖やミルクなど。どうやら調べ物をしていたリディアナに気遣って、心休めるものをと彼女が用意してくれていたらしい。リディアナの表情に彼女の専属侍女であるアンリは悪戯っぽく笑った


「それではよろしければ、紅茶などいかがでしょうか?」

「……ええ、いただくわ」


誘いに答えるがまま一度本の山になっている机から離れ、アンリの持ってきたワゴンへと近づくとリディアナは嬉しそうに微笑んだ。リディアナが好んでいる茶葉の香りが漂ってきたからである。癖が強いため普段使いすることはなく、倉庫の深いところに仕舞われている茶葉だ。気遣い上手なこの侍女は、どうやら主人の不安を汲み取ってわざわざこんな夜に準備をしてきてくれたらしい。


「ごめんなさい、気を使わせてしまって」

「いいえお嬢様。今回の大抜擢、使用人としては大変誇らしいですが、お嬢様からしてみれば不安で仕方のないことでしょう」

「……そうね」


優しく微笑むアンリに、リディアナは静かに頷いた。今回の件は予想にもしなかったことで、嬉しさよりも戸惑いのほうが勝っているのだ。まさか自分が聖女の教育係として選ばれるなんて。未だざわめく心を落ち着かせるように、リディアナは紅茶を口に含んだ。


聖女の教育係。それは古くからこのティニア王国にある習慣の一つだ。この国を見守っているであろう大妖精様に祈りを捧げる聖女と、その聖女に教育を施す教育係。それは文字にしてみれば軽いものに聞こえるが、どちらもこの国では重大な意味を秘めるものになる。


まず聖女。緑と働き者を愛した大妖精様のために、聖女は平民の中から緑の瞳と強い魔力を持つ少女が選ばれる。少女である理由は大妖精様が少女の姿をしていたからだという伝説も残ってるが、それが定かなのか今はもうわからないのだとか。

そしてその条件を満たす国中から集めても少ない候補者たちに教育を施すのが、今回リディアナが選ばれることとなった聖女の教育係だ。教育係は貴族令嬢や貴族婦人から選ばれ、聖女が式典や夜会などで恥をかかないように、大妖精様への感謝を忘れないようにとマナーや歴史を教える。理由付けとしては、平民と貴族の間の隔たりを無くすという目的があったとも言われている。


そうして一定の期間を設け、何人かの聖女候補と教育係の中で最も聖女に相応しいと判断された少女が聖女になるのだ。選ばれた聖女に教育を施した教育係も、令嬢や婦人として素晴らしい女性だという誉を受ける。この国の女性において、それはもっとも名誉なことだと尊敬の目を向けられるのだ。


けれどそうやって聖女に選ばれたとしても人は人。永久を生きることはできない。現聖女が年老いてその役目を全うできないと判断されると、今度は聖女代替の儀と呼ばれるものが始まる。読んで字の如く、新たな聖女を選ぶ儀式のことだ。

そうしてその儀が今年から始まったのだ。現聖女を務める女性がそろそろ限界だと、そう告げたことから。


「ラウ様、お体に何もなければいいのだけれど」


現聖女である老婦人のことを思い出してリディアナは小さく呟いた。聖女ラウ。直接話したことこそないものの、立場上式典などでその顔を見ることはあった人物である。長年この国のため聖女としての重き責を果たしてくれたこともあり、リディアナは素直にその聖女の身が心配であった。


「そうですね……お元気そうに見えたのですが」

「気丈な方と聞いているし、弱さを見せるのを嫌がっていたのかもね」


カップに注がれた水面を眺めながら、リディアナはただ考える。聖女ラウの身が心配なのも確かなのだが、更にリディアナには考えていることがあった。

聖女の教育係は本来リディアナのような年若い公爵令嬢ではなく、知識豊富で聡明な婦人や神殿関係者の令嬢から選ばれる事が多い。それなのにこの異例とも呼べる大抜擢。更に聖女候補の教育は一月ほど前から既に始まっていたはずなのだ。それなのに一月遅れの今になって自分が選ばれること。この二つの不自然な状況は、リディアナに疑問を募らせるには十分なものであった。


「私が選ばれることはない、と思っていたのだけれど」

「あら? でもお嬢様でしたらご結婚されたあとに選ばれる可能性はあったと思いますよ」


考え込むリディアナに視線を向け、アンリは不思議そうに首を傾げる。リディアナほど優秀と言われる令嬢であったら、婦人になって教育係に選ばれることはあるだろうと考えたからだ。現聖女であったラウの時代もしばらく続くと思われていたし、そうなったらもう少し年老いて更に聡明になったであろう彼女が教育係に選ばれないほうが不自然である。そうして今でも十分に聡明な主がその可能性を考えていないというのも、彼女をよく知るアンリにとっては不自然なことであった。


「……そうかしら」


空になったカップをソーサーの上において、アンリの言葉にリディアナは曖昧に笑った。その儚い笑顔にアンリは眉を下げる。時折この主はどこか未来が見えていないような素振りを見せるのだ。

美しい容姿と才覚に立場、そうして心優しい性根。誰もが欲する全てを持っている彼女の未来は明るいはずだ。なのに時折不安になるのだ。朝になればこの花のように美しい少女が、花のように散ってしまうのではないかと。


「……そうですよ! 今回の大抜擢で求婚相手もまた増えてしまいますね!」

「あら、お父様をまた困らせてしまうわね」

「ですが奥様はお喜びになると思いますよ」


奥様、その言葉にリディアナは表情を明るくした。消え入りそうな雰囲気が消えたその様子にアンリもほっとして小さく息を吐く。少女らしいとは到底言えない主は、母親である彼女の話をすると年相応な面を見せる。その花開くような表情は、それを知る者しか見ることができないのだろう。けれど。


「ふふ、少し元気が出たわ。お母様に素敵な報告をするためにも、頑張らなくちゃね」

「ええ、どうかお嬢様に幸がありますように」


ありがとう、そう微笑むリディアナにアンリは内心胸を痛めた。お母様と、その名前を呼ぶときにだけ無邪気に笑う彼女だって知っているはずだ。彼女が愛するその母親の命がもう一年も持たないものだということを。


時折アンリは思うことがある。彼女の未来に期待しないような態度は、母親の死を考えることを拒絶してのことなのかと。けれどこの儚く見えて強い努力家である己の主が、そんな逃避をしたりするのかとも、また考える。

その真意はアンリでは永遠に読むことができないのかもしれない。だからせめて少しでも主の心が軽くなるように尽くせればと、今日もフォンテット家の令嬢の忠臣はそう考えるのだ。

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