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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
第二章
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第七話

次に目を覚ました時、リディアナの視界に一番に入ったのは真っ白な天井だった。見慣れた家のものとは違う余計な装飾のない作りの天井に、リディアナは自分はどこにいるのかと混乱する。しかし次に覗き込むようにして自分の視界に入り込んできた紫に、一瞬で全てを思い出した。

そうだ。確かレンの様子がおかしくなり、それを心配したメアリが階段に近づいて落ちかけたのだ。リディアナは落ちかけたメアリのことをなんとか救助して、そうして……どうなったのか。


「……メアリは、大丈夫?」


頭に感じる鈍い痛みに顔を顰めつつ、リディアナはまずレンにそう問いかけた。ベッドに寝かされているリディアナを見下ろすようにしていたレンはその問いかけに苦い表情を浮かべ、けれど頷く。何故彼がそんな表情を浮かべているかはわからないが、ひとまずメアリが無事だったことにリディアナは安堵した。リディアナはちゃんと自分の聖女候補を守れたのだ。


「なら、よか、っ……!」

「っ、馬鹿! まだ寝てろよ!」


それならばひとまず起き上がらなければ。そんな思考のまま普段どおり起き上がろうとしたリディアナは、そこで頭だけではなく背中までもが痛むのに気づいて顔を更に顰めた。どうやらあの時に背中も打っていたらしい。

そんなリディアナにレンは声を荒げ、慌てて起き上がろうとしたリディアナを押し返す。そうして再びベッドに横になったリディアナは、レンに掛けられた言葉に思わず目を丸くした。けれど直ぐにその顔に笑みを浮かべる。


「……んだよ」

「いえ、ふふ。馬鹿なんて言われたのは初めてだなって思って」

「……言っとくけど、結構あんた馬鹿だからな」


寝転びながらくすくすと笑い出したリディアナに、レンはじとりとした目を向けた。ただそんな視線は笑っているリディアナには何も響かない。追い打ちのように告げたレンの言葉にも、ますます笑みを深めるだけである。

小さく響くその笑い声に何だか気まずくなってレンはベッドから少し遠ざかると、近くにあった椅子に座った。こうすれば複雑な表情を浮かべている自分を見られなくて済むだろう。無邪気な少女のように笑うリディアナの顔も、見なくて済む。


「……ふふ、おかしかった」

「……そりゃ良かったな」


一頻り笑った後、リディアナは小さく息を吐いた。婉曲的な悪意や嫌味なんかは聞き慣れたものの、ストレートで悪意のない悪口はリディアナにとって初めての体験だったのだ。決して褒められているわけではないのに、どこか嬉しいと感じてしまうほどに。

少しは心を許されたと思って良いのだろうか。レンが座った方向を見て、リディアナは小さく微笑んだ。自分の言葉にどこか投げやりな返事を返してくれたレンが、今どんな顔をしているのか。それを見ることが出来ないことを若干惜しく思いつつ。


「笑ってしまってごめんなさい。それで……あれからどうなったの?」

「……まずあんたの怪我だけど、神殿の医者曰く軽く打っただけだから痛みはするだろうが問題ないってよ」

「そう、よかった」


さて、いつまでもこんな他愛のない会話をしているわけにもいかない。それはこの件が片付いて三人揃ったときの楽しみにでもしておくことにして、リディアナは今度こそ起き上がった。彼の話を聞くに体にそう大きな問題はないようだし。

頭や背中を気遣うようにして起き上がったリディアナをレンは顔を顰めて見ていたが、今度は止めなかった。ただ見ているだけでは居られなかったのか、椅子から立ち上がりその背中とベッドの間に挟むようにして隅に積まれていた枕を敷く。ありがとうと返された言葉に頷きつつ、起き上がろうとするリディアナをサポートするように簡易的な柔らかい背もたれを作り上げていった。


「次に、あれからそんなに時間は経ってない。一時間くらいだ」

「そう……ポプリは?」

「俺がジジイに渡した。で、今メアリが経緯を話してる」


リディアナの背もたれが出来た後、椅子に腰を落ち着けたレンは端的にリディアナに今の状況を語った。ポプリはレンの手からコルトに渡り、メアリが事情を話している。進展がそうあるわけではない、けれど特に問題のなさそうな状況にリディアナは頷いて、それから少し考えた。


リディアナが覚えている限りでは、元々メアリが階段から落ちかけたその始まりは、レンの様子がおかしくなったからだ。そこから先は恐らくメアリを呪う不幸によるもので彼に責任はないが、今その記憶を思い出すと、あの時のレンの様子がリディアナには妙に気にかかった。

彼がメアリについていかず、こうしてリディアナが目覚めるまで待っていたということは、レンもどこかしら悪いのではないかと。だからメアリに休むように言われたのではないかと。そんな不安が芽生えたリディアナは、恐る恐るレンへと問いかけた。


「貴方は、大丈夫?」

「……別に。あの一瞬だけだ」


けれど不安そうにしているリディアナにレンは首を振る。その言葉通り、確かに見る限りでは今はどこも問題はなさそうだ。顔色が悪いわけでも、どこか怪我をしているようにも見えない。

ただそれでも目には見えない異常があるのではないかと、リディアナはレンをじっと観察した。それに居心地悪そうにレンが視線を逸らす。少し経った後、その手が視線を払うかのように軽く振られた。レンがまた声を荒げてリディアナを睨む。


「ほんとに! 何もない。……ただジジイが、俺は呑み込まれそうになったんじゃないかって」

「……呑み込む?」

「っ!」


そこでレンはしまった、というように目を見開いた。けれどその表情は一瞬のことで、直ぐに仏頂面に戻って黙り込む。その反応は言うつもりのなかった言葉を不意に言ってしまったことへの焦りのように見えた。

リディアナもまた、言いたくなかったことなのだろうかとそれ以上の質問を避けた。けれどだからといって別の質問をするような空気ではなく、何を言うべきなのと言葉を迷わせる。結局寝起きの頭では何も思いつかずに口を閉ざし、そうして気まずい沈黙が流れ出した。


片方は口にするのを躊躇うように、片方は踏み込むのを怖がるように。そうして訪れた沈黙は、レンの小さな溜息で解けた。眉を下げてこちらを見つめるリディアナの、その心配そうな顔に絆されたのか。散々躊躇った後にレンは小さく口を開く。


「……俺が人じゃないのは、あんたも知ってるだろ」

「!……ええ」


初めて本人の言葉で告げられたそれに、リディアナは目を丸くしながらも頷いた。レンは遠い昔に人が取り上げられた魔法に似た、不思議な力を使う。それが使えることが、彼が人ではない証拠だ。今人が使用を許されている力は、魔眼くらいで魔法は使えないのだから。


「だから、呪術の媒介とか……そういう精神が込められたものに敏感らしい」


ジジイが言ってた。そうやって相変わらず教会の最高権力者を雑に呼ぶレンに苦笑しつつ、リディアナは納得した。あの時ポプリが熱くなったように感じたのは気の所為ではなかったのだ。

恐らくあの媒介であるポプリは、一定の時間が経てば不幸をばらまくように作られていたのだろう。そしてあの時が丁度そのタイミングで、それによってレンは体調を崩し、そうしてメアリは不幸な目に遭った。


「それであの時、あのポプリの力に当てられたということかしら。……でも、それならメアリの部屋にあのポプリが置かれた時点で気づいても良さそうだけれど」


リディアナの言葉に相槌を付くように頷いていたレンは、途中でその表情を硬くした。そうしてひどく不満げに唇を尖らせると、ふっと視線を逸らす。どこか子供のようなその仕草にリディアナが目を丸くすると、レンは低い声で告げた。


「……未熟なんだと。そういう気配を探る能力が低いってあのジジイが……」

「そ、そうなのね……」

「呪術なんて知らなかったんだから気づかなくて当然だろうが……それなのにぐちぐち言いやがってあの野郎……」


どうやら触れてはいけない場所に触れてしまったらしい。明らかに苛立ったレンを宥めるように今度はリディアナが相槌を打つ。それにしても、レンとコルトの仲は険悪だと思っていたのだが、そうでもないのだろうか。


「大体普段は普通の子供で居ろとか、力は使うなとか言うくせに……ああいう時だけ文句つけやがって」


その言葉に頷きを返しながらもリディアナはレンを見つめる。その表情は不満そうではあるし苛立っているように見えるが、出会ったばかりの頃リディアナに向けたような冷たい色を浮かべては居なかった。

コルトはリディアナに神殿は彼に嫌われていると言った。メアリの経緯もあって、レンが神殿を良い目で見ていないのはリディアナも事実だろうと思う。けれどコルト単体のことは、レンはそう嫌っては居ないのかもしれない。だってコルトに文句を言うその表情や声に、嫌悪は見えないのだから。


「……それならこの神殿で貴方が人じゃないって知ってるのはメアリと神殿長と私ということなのね」


素直じゃない少年の態度が少し微笑ましくて、リディアナは微笑みながら相槌を打った。普通の子供で振る舞えとコルトから指示を貰い、その通りにレンが振る舞っているとその言葉から何となく読み取れたからだ。

けれどその言葉にレンはまた表情を硬くした。けれど先程の硬直とは何かが違う。柔らかいところに何かを刺されたような、どこか傷ついたようにも見えるその表情にリディアナは息を呑んだ。今度こそ本当に触れてはいけない場所に触れたと、どこかで直感する。


「……いや、メアリは知らない」


レンは自嘲するような笑顔を浮かべると、ただ首を振った。初めて見るその表情にリディアナは何も言えないまま、ただレンを見つめていた。凍りついたように固まるリディアナの目に紫色が焼き付く。リディアナが好ましいと思っていたその色は普段の強く輝く光を失い、代わりにどこか消えそうな儚い色を宿していた。


「メアリは俺を、人だと思ってる」


それきり沈黙が訪れ、流れ、広がる。踏み込んでは行けない境界線、それが見えたリディアナはまた黙り込んだ。今この線を踏み越える資格は自分にはないのだと、その事実に不可解な胸の痛みを感じながら。

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