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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
エピローグ
146/158

第八話

「そ、れは……」


レンの言わんとしているところは、リディアナにはすぐに分かった。レンは探しに来たと、そう言ったのだ。武力ではなく言葉を持って、花に集る蝶のように集まってくる欲深い人間を蹴散らす人材を。冷静に考えて、そんな人物がこんな森深くに居るわけはない。つまるところ彼が探しに来た人物とは、恐らく。

それを察したリディアナは、思わず一歩と足を引いた。しかしそんな逃避は許されることなく、リディアナの考えを見抜いていたレンによってその手は掴まれて。


「メアリを守る役、メアリに教える役」

「…………」

「それがあんた以上に相応しい人間は、居ないだろ」


リディアナの温かい手を握るその手は、人外らしく冷たかった。けれどリディアナを真っ直ぐに見据えるその瞳は、燃えているように見えるほど熱くて。言葉が出ないほどに動揺しているリディアナの手を、レンは優しく握る。いつかリディアナを導くかのように手を引いてくれた、あの時のように。


「だから、迎えに来た」


リディアナの手を握って、真っ直ぐにリディアナを見つめて、そうしてレンは静かに告げる。紫の花畑と同じ色の瞳に、確固たる強い意志を宿して。握ってくるその手は決して強い力ではないのに、けれどリディアナはその手を振り払うことが出来なかった。ただレンの向けてくる視線、そこに含まれた思いを受け止めることしかできなかったのだ。

迎えに来た、彼は言う。レンはその為だけに馬車を切り離して、この花畑にリディアナを連れてきたのだ。そこには勿論、この紫の花畑をリディアナに見せたかったという意図もあったのだろう。けれど彼の一番の目的は、きっと。


リディアナを、聖エドリック教会に向かわせないことだ。


「……ごめん、なさい」

「…………」


それならば、リディアナが返す返事は一つしかない。ゆっくりと首を振って、リディアナはレンの強い視線から目を逸らした。そうでなければその視線に気圧されるがまま、その甘言に頷いてしまいそうだったから。だからリディアナは、逃げた。

けれどそうして視線を逸らした先でも、彼と同じ紫はそこら中に咲き誇っていて。なんだか周りの花全てから見つめられている気分だと、リディアナはついにその視線を俯かせた。俯いてもその足元には、花が咲いていたのだけれど。足元の花が風に揺られてその小ぶりな体を揺らす。リディアナの拒絶に、本当にそれで良いのかと問いかけるように。


「……私は、罪を償いたい」

「……なんのだよ」

「全部よ。禁術を使ったのも……今日私を見送ってくれた人を、騙していることも」


咲き誇る花々に責められているような気分になりながらも、リディアナは自分の手を掴んだままのレンに静かに告げた。それに不機嫌そうな声が返ってきても、自分の意思を曲げることなく。視線は合わせられなくても、それでもリディアナは自分の考えを曲げる気は無い。

辛いのだ、ただひたすらに。例え大切な人に幸せに生きるよう願われても、でもリディアナの心には罪が残る。禁術を使ったこと、それを隠して人々を騙しながら生きていくこと。この心にその罪がある以上、リディアナは心から幸せを享受できない。それならば償う方に一心に目を向ける方が、楽なのだ。時折影のように落ちる罪悪感に、これからを苛まれ続けるくらいなら。一人幸せの中、罪を背負い続けるくらいなら。


「だから、貴方とは行けない」


だからメアリのためでも、レンに望まれても、リディアナはその手を取ることができない。自分でも思う、なんて面倒くさい人間なのだろうと。周りが許しているのならそれでいいと、そう思えたらどれだけ楽だっただろう。でも後ろめたさは、この二週間どうしても消えてくれなかった。彼によって罪の痕跡が消えても、これまでに背負った痛みをどうしようもなくリディアナは覚えている。自分が罪を犯した記憶を、自分だけは忘れられないのだ。今日の葬儀でそれは余計に突きつけられた。


「……じゃあ、俺の隣で償えばいいだろ」

「……え?」


けれど首を振って確かに拒絶を口にしたリディアナを見ても、レンが引いてくれることはなくて。さらりととんでもない事を告げた少年に、リディアナは目を丸くする。その言葉の意味はと視線を再びレンの方へと戻せば、そこには変わらずにリディアナを真っ直ぐに見つめているレンが居た。変わらない強い視線に、息が詰まりそうになって。


「なんでわざわざあの教会に行くのかがわかんねぇ、って言ってんの!」

「っ、きゃ……!」


しかし息が詰まって呼吸が止まるよりも早く、リディアナはレンによってその腕を強く引かれた。紫の花びらが宙に舞うのと同時に、二人分の影が花畑へと沈んでいく。引かれた手は変わらず痛くはなかったけれど、突然過ぎたその行動にリディアナは抗うことが出来なくて。

突然の衝撃に短く声を漏らしながらも、リディアナはレンを下敷きに花畑へと倒れ込む。花のクッションのお陰か痛くはなかったと小さく安堵して、けれど自分の下敷きになってしまった少年は大丈夫かと思わず瞑ってしまった目を開けば。そこには口角を上げて愉しそうに笑う少年が居た。ぱちりと目を瞬いたリディアナに、レンはその笑みをますます深めて。


「……は、変な顔」

「……! 貴方が急に、腕を引っ張るから……!」


笑う少年に、リディアナは思わず反射的に言い返す。だがそんなリディアナを見ても、レンは何処吹く風というように含み笑いを浮かべるだけで。心配して損をしただろうかと、リディアナは瞳を眇めて下敷きにしてしまったレンを見つめる。怪我をしていないのなら、それでいいのだが。何となく釈然としない気持ちだ。

釈然としない感情を抱えながらも、リディアナは下敷きにしてしまっているレンからその身を引いた。人外の魔法使いとは言え、彼は少年の姿を取っている。さすがに自分よりも小柄な少年をいつまでも下敷きにしているのには、罪悪感があるのだ。押し倒してしまっていた態勢から身を引き、そうしてリディアナは花畑に座り込む。突然のことに驚いたせいか、何故か再び立ち上がる気力はすっかりと抜けてしまっていて。


「……なぁ」

「……どうしたの?」


ぼんやりと座り込んだリディアナに、何を思ったのだろう。同じく寝転んでいた態勢から起き上がったレンは、リディアナの隣に座り込んだ。ちらりとこちらを見つめてくるその瞳には、もう先程までの熱量はない。それにどこか安堵しながらも、リディアナはその問いかけに声を返す。冬とは思えない程の暖かい風が二人をすり抜けていく中、レンは口を開いた。その瞳にどこか躊躇うような、そんな色を残しながらも。


「あんたを助けたのは、俺だ」

「……!」

「だから俺は、あんたのしたいことがよくわからない」


吹き抜ける風に後押しされるように、一度は離された手が再び繋がれる。手の中の温かい温度に安堵したのか表情を弛めながらも、レンは静かに告げた。誰も居ない静かな空間だからこそ、小さくとも確かな声はリディアナの耳に明瞭に届いて。

いや、仮に知らない誰かがこの場所に居たとしても同じだっただろう。例え他に誰が居たとしても、今のリディアナがレンの言葉を聞き逃すことはなかった。他の全てが目に映らないくらいに、今のリディアナの視界にはレンしか居なかったのだ。彼が自分の作り上げた天秤を、世界を壊す存在だとはわかっていても。それでもリディアナはレンの言葉から、耳を塞いで逃げることが出来なくて。


「教会であんたを助けなかった神様とやらに祈って、償うのはおかしいだろ」

「っ……!」


決定打とは、まさにこんな瞬間のことを言うのだろう。その言葉を聞いた瞬間、リディアナの世界にひびが入った。凝り固まっていた固定概念を崩されて、蝋で塗り固められていた天秤をひっくり返されて。そうしてまたしてもリディアナが頭に思い描いていた正しいは、彼の言葉でばらばらに引き裂かれていった。息を呑むリディアナを、レンは複雑そうに見つめる。そんな視線にさえも、リディアナの中の絶対は溶かされていって。

厳しい環境下で神に仕えることで、リディアナは罪を償いたかった。神に仕えて正しく生きることで罪を拭ったと思い、そうして心から笑えるようになりたかったのだ。神殿の下自分に厳しい罰を課せれば、誰にも裁かれなかったリディアナが神に裁いてもらっているかのように思えたから。そうしてこの心の中の罪悪感を、いつしか払拭出来る日が来ると思ったから。


けれどその償いに意味はないのだ。だってリディアナを助けたのは彼の言う通り、神様なんかではない。リディアナを心ごと救ってくれたのは、今目の前でリディアナを見つめている彼だ。自分を助けてくれなかった神様が、自分を裁いてくれるわけがない。償いの対象として神様に仕える道を選ぶのは、最初からおかしな話だったのだ。

どれだけ厳しい環境に身を置いて償えたと思っても、それは傍から見ればただの自己満足にしか映らないだろう。きっとそれに気付かされてしまったリディアナは、もういつまで経ってもこの心の罪悪感を拭うことは出来ない。もう神殿へと向かう、意味がない。


「……じゃあ、誰に」


落ち込んでいく思考を形にしたように、リディアナの口から喘ぐような声が零れる。唯一の拠り所を見つけたと思ったのに、それは根本から破壊されてしまった。神様に祈りを重ねても償えないのなら、リディアナはこの心に残る罪悪感をどうすればいいのだろう。どうすればリディアナは、誰にも裁かれない罪を裁くことが出来るのだろう。

俯くと同時に、リディアナの思考と視界は徐々に暗くなっていった。どうすればいいのかわからない、迷子のような心細さがその心を埋めていく。誰にも裁かれないリディアナは、神様にも裁いて貰えないリディアナは、どうやって心の中を満たす罪悪感にケリをつければいいのだろう。


「だから、俺の隣で償っていけばいいって言ってるだろ」


けれどそこで差し込んだ一筋の光に、リディアナは顔を上げた。自然と伏せていた瞳を開けば、そこには呆れたような顔をした少年がリディアナを見つめている。最初からそう言っているだろうと告げるような、そんな顔をして。


「……貴方に?」

「……他に誰が居るんだよ」


問いかけたリディアナに、レンは間髪入れずに頷く。この少年の隣で償っていく。それは確かに、自分を救わなかった神様に祈りを重ね、償うよりは道理ではあるのかもしれない。リディアナを助けたのは彼なのだから、彼にはリディアナを裁く権利がある。けれどリディアナの心を埋めるのは、一つの懸念事項だ。


「……貴方が、裁いてくれるの?」

「いや」


そう、この少年はリディアナを裁いてはくれるのかと。その一つの懸念事項は、あっさりと否定されてしまって。それならば意味が無いでは無いかと目を見開くリディアナに、レンは愉しげに笑う。そうして声も出ないまま困惑しているリディアナに、彼は言葉を続けた。


「俺がするのは、あんたと一緒に背負うこと」

「っ、」


言葉と共に、レンは立ち上がる。手が握られているから、彼が立ち上がると同時にリディアナは引っ張られて。そうしてあんなにも立つのが億劫だったというのに、リディアナは再びあっさりと立ち上がることが出来た。ふわりとスカートの裾が、春のような風に揺れる。

立ち上がって、レンは一度空いている方の手で指を鳴らした。そうすれば風に揺れるリディアナの髪は、亜麻色から金色へと染まって。そうして驚きレンを見つめる紫の瞳も、彼女本来の青へと塗り変わる。自分の色も悪くはなかったが、彼女はやはりこちらの方がいい。そんなことを考えながらも、レンは青くこちらを見返すその瞳を見据えた。


「あんたを助けたのは俺だ。だから、俺はあんたの共犯者だろ」

「共犯者……」


リディアナは言う、禁術を犯してそれを裁かれない自分は罪深いと。誰が許しても、リディアナはその許しを自分自身が認められない。けれどレンはどうだろうか。レンはリディアナの禁術を解いた救世主でもあり、しかしその反面原因とも呼べた。リディアナにその罪を背負わせたのは、レンなのだ。つまるところレンは、リディアナの大犯罪の共犯者とも呼べる。


「一緒に辛くなってやるし、一緒に苦しんでやる」


だからレンはリディアナにだけ、その罪を背負わせるつもりはない。人を騙している罪悪感はレンにはないが、リディアナが言うのならいくらでもそれを共に背負って見せよう。かつて禁術を使っていたことを負い目に思うのなら、その痛みだって共有して見せよう。そうするだけの価値が、レンの中のリディアナにはある。

重すぎる罪悪感を一生一人で抱えることが出来ないのなら、それを半分に。幸せの中に暗く落ちる影に怯えるのなら、何度だってその暗闇を照らして。レンはもう、決してリディアナを一人で苦しませたりはさせない。リディアナが重ねた孤独の九年を、レンはもうリディアナに繰り返させたりはしない。


「……だから、俺の隣で俺と一緒に償えばいいだろ」

「……!」


レンはそこで言葉と共にリディアナの手を離した。突如離された手に怯えたように瞳を揺らす少女を、手を差し出したままの体制でレンは見つめる。自分から手を掴めと、そう言わんばかりに。そうしなければ意味がなかったから。今回ばかりはレンがその手を取るのではなく、リディアナに縋って貰わなければいけなかったから。

あの日非難轟々に騒ぐ周りに便乗すること無く、レンが沈黙をここまで保っていたのはこのためだ。レンはリディアナが素直に手を伸ばせないのをよく知っている。美しいこの少女は、しかしその反面酷く強情であるから。人の目があれば、多くの人に言葉を重ねてもらわなければ、リディアナは迷うことすら無くその手を突っぱねたはずだ。けれど今日まで重ねられた言葉があるからこそ、レンの言葉は決定打となってリディアナを揺らしている。


一秒だったか、十秒だったか、その間は分からないけれど。おずおずというような仕草で、リディアナは手を伸ばして。そうして戸惑うような、躊躇うような、そんな指先を少女はレンの手に重ねた。拙くとも確かに手を伸ばした少女に、レンは小さく微笑む。


「……それでいい」


これでいいのかと、レンを見つめる青い瞳は未だに揺れている。それでもリディアナは確かに自分から、手を伸ばしたのだ。一緒に背負うというレンの言葉を、受け入れたのだ。迷うリディアナを肯定するように頷きながら、レンはその手を握り返した。漸く届いたその温度に、確かな満足感を重ねて。

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