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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
エピローグ
139/158

第一話

「御髪に、触れさせていただきます」

「ええ、お願い」


二人の少女の声に紛れ、遠く鎮魂歌が聞こえてくる。麗らかな陽光に照らされた屋敷の中、リディアナは古びたドレッサーの前に置かれた椅子に腰を掛けていた。後ろの赤毛の少女によって、自分の亜麻色の髪が梳かされていくのをぼんやりと眺めながらも。鏡に映る自分の瞳は、見慣れた青ではなく色濃い紫であった。母のものでも、父のものでもない。そんな宝石が自分の眼孔に嵌っているのには、何日経っても慣れることが出来なくて。


「……少し、違和感ですね」

「……ふふ、そうね」


リディアナと同じことを思ったのだろう。鏡に映るリディアナの姿を見てか赤毛の少女、ミランダは喉に小骨が引っかかったかのような表情を浮かべる。首を傾げて眉を顰めたミランダに、リディアナは笑みを零しながらも頷いた。この色に変わって数日が経ったが、やはり慣れないものだ。この色も、今自分が暮らしている、この部屋も。

そう考えたリディアナは頭を動かさないように気をつけながらも、その視線だけを部屋に向けた。この部屋は少し視線を動かせば事足りるほどの狭い部屋で、リディアナの私室であったあの部屋とは比べ物にならない程に質素だ。だがこの狭さは妙に落ち着くものだと、リディアナは内心苦笑した。存外自分は広すぎたあの部屋よりも、こんな風に狭い部屋の方が性にあっているのかもしれない。実際この部屋で過ごした日々のほうが今までよりもずっと、快眠できたくらいだ。それは禁術から解放されたおかげでもあったのかもしれないけれど。


「でも、私はこの色が好きなの」

「……そうでしたね」


そしてこの部屋を好ましく思うのと同じように、薄金の髪と濃い青の瞳よりもリディアナは今の色が好きだ。鏡に映るのは、かの少年と同じ亜麻色と紫。それを視界に収めて満足気に微笑んだリディアナに、ミランダは一度瞳を瞬かせた後ゆっくりと頷いた。無表情なその顔に、不器用な薄い笑顔が浮かぶ。それは事情を知らない人間が見れば下手くそな愛想笑いに見えたのかもしれない。しかしリディアナはミランダのその笑顔が、彼女にとっての心からの笑顔だと知っていた。


「その色も、よくお似合いです」

「……ありがとう」


外で演奏されていた笛の音が高く鳴り響き、庭の方からは弔う牧師の声が聞こえてくる。悲しげにさざめいているその声を僅かに耳に入れながら、リディアナはミランダの褒め言葉に薄く微笑んだ。一切髪を結わうこと無く下ろした鏡の中の人物は、その色彩も相まって自分ではない他の誰かのようにも見えて。いや、そう見せるためにわざわざ彼の手によって色を変えてもらったのだが。

ミランダが足を一歩引くのに合わせて、リディアナはドレッサーの前の椅子から立ち上がる。質素なドレスに身を包んだその足元は、もう揺らがない。そうしてふらつかない足取りで、リディアナは部屋の隅に置かれた小窓の方へと近づいていく。窓の外に視線を向けたリディアナの視界に映ったのは、黒い服に身を包み悲しみにくれたような表情を浮かべる人々の姿であった。


「……不思議な気分よね、自分の葬儀を見るって」

「……中々に、ないことかと」

「ふふ、そうね」


人々は並んだ二つの棺桶に向けて、まるで見舞うかのように花と祈りを捧げている。それをぼんやりと見下ろして、リディアナは苦く呟いた。ミランダが至って真面目な返答を返してきたことに小さく笑みを零しながらも、その視線は窓下の人々を悲しげに見下ろしていて。

一人、また一人と列になって並んだ人々が鎮魂歌の中その棺桶に花を手向けていく。ティニアでは葬儀の際には白い百合を手向けるのが一般的であったが、棺桶を飾る花は白薔薇が殆どだ。きっとそれは、とある令嬢の社交界の異名に則ってのことなのだろう。残念なことにその中に、いつかミレーニアと見たフリルドレスのような秋薔薇は見つからなかったが。まぁあれは低木の中に咲く花なのだから、仕方ないだろう。そんなことを考えながらも、リディアナは多くの人が訪れてくれたその葬儀をぼんやりと眺めていた。


リディアナ・フォンテットは死んだ。毒の後遺症と、最愛の母であるアナスタシア・フォンテットが亡くなった、そのショックで。


「……私、存外好かれてたのね」

「当然です。お嬢様は、心優しく美しい理想的な令嬢でしたから」


そう公にされたのは、三日程前になるだろうか。自分の死を悼んでくれる人々に感謝と申し訳なさを抱きつつ、リディアナはぽつりと呟いた。即座に返ってきたミランダのその言葉に、大袈裟だと苦笑を浮かべながらも。

今日はあの事件が起こったパーティーの日から、二週間後。リディアナ・フォンテットは毒による即死こそは免れたものの後遺症が残り、その後遺症に母が亡くなったことも重なり心を病んで死んだとされた。他でもないアラン、いいやクロードの言葉によって。自分とアナスタシアの棺桶の前に参列してくれている人々を眺めながら、リディアナは二週間前のあの日を思い出していた。リディアナは死罪となると言った、クロードのその後の話を。


『……とはいえ、君にその罪を背負わせれば我が国は滅びかねない』


死罪になる、そう告げたクロードはしかしその直後にそう告げたのだ。心底困ったかのような、そんな苦笑を浮かべながら。だがそれは決して冗談なんかではなかった。実際リディアナを死罪としてその首を落としていれば、ティニアは滅んだことだろう。

なんせあの場にいた全員、レンは当然としてエリックもルージュもリディアナの味方だったのだ。エリックは何とか命を繋ぎ止めた親友を喪いたくはなかったし、ルージュだって愛し子を命懸けで助けてくれた少女を嫌いになれるわけもない。レンなんてもはや言うまでもないだろう。あの時今後ティニアを揺るがすことが可能である三人が、揃いも揃って大罪を犯したリディアナの味方だったのだ。エリックはともかくとして、ルージュやレンまでをクロードが操ることは出来ない。そう考えたクロードは三人の敵意を帯びた視線に突き刺される中、こんな提案をした。


『なので、死んだことにするというのはどうだろうか』


緊張したような面持ちで、クロードは語る。誰にも被害を出していないとはいえ、禁術を使った人間を無罪放免とする例を作る訳には行かないと。その一例が、今まで堅実で頑強であったティニアの施政を崩すことになりかねないから。王たる者が、私情で特別扱いをする訳には行かない。例え自分という存在が、玉座に相応しくない紛い物であったとしても。

クロード当人としては、兄の形見とも言えるエリックを助けてくれたリディアナに罰を下したくはなくて。けれど彼女が手を染めてしまったのが禁術だから、という苦渋に満ちた決断だったのだ。呪術だったのなら喜んで無罪放免としただろうし、その力で仮に誰かを傷つけていたとしても見ないふりをしただろう。しかしリディアナが使ったのは禁術、決して使ってはいけない力だった。公爵家の生まれであるリディアナが王家の信頼を裏切って禁術を使ったこと、それを重く見たのである。


とはいえ、リディアナが命懸けでエリックを助けたことに変わりはない。そうして禁術を使いはしたが、誰も傷つけなかったこともまた。故にクロードは提案したのだ。リディアナ・フォンテットという存在が死ぬこと、それをリディアナの罰にしてはどうかと。当然そこにはリディアナを直接害するのを避けることで、人外の怒りを買わないようにとそんな配慮もあったのだろうが。


「……陛下には申し訳ないことをしたわ」

「ひどい騒ぎだったそうですね」

「ええ、本当に」


だがそんな最大限の譲歩をしてくれたクロードに飛び交ったのは、非難の嵐であった。あの日の怒り狂う彼らを宥めるのは大変であったと、リディアナはどこか遠くを見つめる。そんな主の味わった苦難を分かち合うかのようにミランダは頷いた。自分がそこにいれば、リディアナを困らせる側に回っただろうとは思いつつも。


『そんなの、ひどいです!』

『そうよ! なんならリティエがリディを引き取るんだから!』


そんなミランダの表情に何かを感じ取って眉を下げつつ、リディアナはあの日を思い出した。クロードを襲った非難の嵐とは比喩ではなく、まさしくそのままの光景だったのである。どこから聞いていたのか、そこで部屋に飛び込んできたのはメアリとミレーニアであった。どこから話を聞かれていたのかと目を剥くクロードに、しかし臆すること無く二人の少女は言い募って。

しかもそれに乗じてエリックやルージュまでもが文句を告げ始めたのだ。四方八方から告げられる抗議の声にクロードは目を白黒とすることしか出来ず、当人であるリディアナが宥めようとしてもその声は届かず。その騒ぎは少し遅れてやってきたクラウディオが、発端である二人を回収するまで続いた。


『……とりあえず、当人であるリディアナ嬢の意見を聞いたらどうだろうか』


あの時困ったような笑みで事態を収束させたクラウディオは、まるで神様かのように見えたとリディアナは頷く。大混乱を宥めた彼への感謝を忘れることは一生ないだろう。そうして助かったという風に表情を緩めるクロードに、心底申し訳なくなったことも。

常ならば王である彼は、冷たく黙るように言い放つことが出来ただろう。しかし今回の場合、相手が相手だったのだ。聖女候補とはいえ平民であるメアリと、名義上は自分の息子のエリックならばその対応で良かったかもしれない。だがあの場に居たのはティニアを守護してくれている大妖精と、他国の王女であるミレーニアだ。ミレーニアにそんな言い方をすれば最悪国家間に亀裂が入るし、人外を相手にそう言い放った後の光景をリディアナは決して見たくない。最悪国が滅ぶ危機にもなりかねなかっただろう。


そうして結局、クラウディオの鶴の一声で最終判断はリディアナへと委ねられた。クラウディオに宥められた彼らは、揃って不満そうな表情でリディアナを見つめていて。きっとそれは、リディアナに委ねてしまえばどうなるかがわかっていたからなのだろう。そうして彼らの予想を裏切ることなく、リディアナはクロードの言葉に頷いた。


『……その処罰を、受け入れます。陛下の寛大なお心に、心からの感謝を』

『……本当に、良いのかな』


リディアナがあっさりと頷いたことに、複雑そうな表情で問いかけたクロード。王の立場としては受け入れさせなければいけなくて、だがクロード個人としては抵抗してほしくて。しかしリディアナは自分が処罰を拒絶できる立場ではないと、そんな思いで頷いた。本来禁術に手を染めるということは、問答無用で首を撥ねられても構わないだけの覚悟があるということである。ところがそうはならずにリディアナ・フォンテットとして築いてきた全てが奪われるだけならば、それは限りなくぬるい温情であったのだ。


『はい』


本来は、死ぬべきだったのだろう。リディアナにとっての正しいは、きっと正しい形で断罪されて死ぬことであった。けれど生と死の波際で交わした母との約束が、出会いで溢れかえったこの三ヶ月間の思い出が、リディアナを引き止めたのだ。だからこそクロードのその処罰にリディアナは心から感謝した。例え自分が死んだことになって、今まで重ねてきた自分の令嬢としての全てが奪われるとしても。それでもリディアナは全てを失くさずに済んだのだから。

頷いたリディアナに、クロードは深い溜息の後に頷き返した。リディアナが頷いてしまえば、他の誰もが文句を言うことも出来なくて。ある者は悔しげに、ある者は悲しげに、しかし最終的には誰もがリディアナの選択を受け入れてくれた。自分は恵まれていると、その時リディアナは心底思ったものである。自分を自分以上に大切にしてくれる人が、こんなにも居るのだから。


「……アナ様、そろそろお時間です」

「ええ、そうね」


リディアナ・フォンテットは今日葬儀を迎えた。禁術で死んだことにしようと言ったリディアナの案は却下され、母の死に心を痛めた結果として。それはクロードの気遣いであり最大限の礼であった。それくらいの名誉は守らせて欲しいとそう国王に請われれば、リディアナは断ることが出来なくて。

そうして本来は名誉も何も無いまま死んでいくはずだったリディアナ・フォンテットは、令嬢としての名誉と共に死ねたのだ。人々を騙している罪悪感に胸を痛めつつ、しかしリディアナはミランダのその声にくるりと振り返った。リディアナは今日、母と共に空の向こうへと見送られたのだ。だから、ここにいるのはもうリディアナではない。


自分はアナ。これから聖エドリック教会へと旅立つ、身寄りのない少女だ。

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