表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の教育係  作者: 楪 逢月
最終章
137/158

第三十四話

「……だからエリック、王位を継ぐのはお前なんだよ」

「……叔父、上」

「お前だけが、正当な王の子なのだから」


そうして言葉を纏めて、クロードは話し終えたと言わんばかりに息を吐く。しかしそんなクロードを見ても尚、誰も声を発せずにいた。リディアナは起き抜けに衝撃の事実が重ねられ過ぎたが故に、エリックは今まで自分が抱えていたもの全てがひっくり返されたが故に。

自分の頭を撫でていたクロードの手が引いていった瞬間、力なくエリックはベッドの方へと座り込む。彼はクロードによって話された本当の真実を、直ぐに受け止めることが出来なかった。それも当然のことだろう。自分は間違っているのだと、過ちなのだと、エリックは魔眼の意味を知ったあの日からずっとそう考えていたのだ。しかし肝心の王が偽者であったというのなら、その前提は全て覆ってしまって。


「……エリック」

「……ルージュ、様」

「私が傍に居るよ、大丈夫」


そんな茫然自失といった様子のエリックを宥めるかのように、ルージュはそっとエリックのその頬に手を伸ばす。小さな手から伝わってきた温かな温度に、エリックは小さな声を零した。迷子のように震えてみっともないと自分で感じたその声を、しかしルージュは決して笑ったりはなくて。ただ聞かされた衝撃の事実に戸惑うエリックを、ルージュは優しく見つめていた。

心配そうに揺らぐ赤の瞳が、エリックの緑の瞳へと映る。ただただ案じていることだけが伝わるその瞳は、長年生きてきた存在とは思えないほどに無垢な色だった。だからこそエリックは言葉を失って、そうして俯いてしまう。知ってしまった事実を受け止めるのに、時間が必要なこと。それを目の前の存在が許してくれたかのように思えたから。


「……で、話は終わりかよ?」


けれどそうして慰め合う二人を全く眼中に入れずに、漸く話が終わったと言わんばかりに一人の少年は声を上げる。それにぎょっとした視線をリディアナから向けられても、一切気にすることなく。

レンにとってはエリックの出生なんぞ、どうでもいい事に過ぎないのだ。興味が無い、まさしくその一言に尽きる。それでもクロードの話を最後まで聞いていたのは、自分がクロードに聞きたいことがあったから。紫の瞳は獲物を見つけたかのように鋭く光ると、クロードを捉えた。それに気圧されたかのように、クロードは浮かべていた微笑みを引き攣らせる。


「……君は、確か魔法使いの少年だったかな」

「そうだけど。つかそんなのどうでもいいだろ」


敵意すらも感じられるレンのその視線に動揺しながらも、クロードは冷静に努めて言葉を返した。穏やか且つ、宥めるかのように。けれどそれに返ってきたのもまた、取り付く島のない冷たい声で。酷薄めいて輝く紫の瞳は、クロードを見つめている。飲み込まんとばかりの、深淵の如き深さを持って。


「お前に聞きたいことがある」


そうしてレンは仮にも一国の王であるクロードを、お前とそう呼んだ。兵を呼ばれても仕方がないような殺気に近い威圧感を向けながらも。そんなレンの背中を、リディアナは心臓が凍るかのような心地で見つめる。恐れるかのようなクロードの様子を見るにレンが兵に捕らわれるような心配はいらないのだろうが、それでも目の前の大切な少年が必要のない危険に足を突っ込んでいるのに変わりはないのだ。


「……その、一応国王陛下なのよ? あんまり乱暴な口調は駄目」

「……今更だろ」

「今更でも、駄目」


結局緊張感が増していく二人の間の空気に、一番最初に耐えられなくなったのはリディアナだった。恐る恐るという風に後ろからリディアナはレンの服の袖を引く。そんなリディアナの手によって、レンは瞳に浮かべていた氷を溶かした。素直にこちらを振り返った少年は、リディアナが知るいつも通りの温度を持ってこちらを見つめていて。

温度を取り戻した紫色に安堵しつつも、リディアナは振り返ったレンをそうして窘める。その言葉によってレンが不満そうな表情を浮かべたとしても、一歩も引かずに。青い瞳はただレンを案じるかのように、不安に揺らいでいた。それは例えるならば、懇願するかのような色とも言えただろう。


「……国王陛下。お話が済んだのなら、僕からお聞きしたいことがあります」

「あ、ああ……」


その瞳にレンは息を詰まらせて、そうして結局。リディアナの懇願にレンは折れた。真っ直ぐに向けられた瞳がひたすらに自分を案じていたからこそ、その言葉に従わざるをえなかったのである。先程までの言葉遣いを無かったことにするかのように、慇懃な口調でレンはクロードに向き直った。手のひらを返すかのように変わった態度にクロードが困惑の表情を浮かべていたことに関しては、無関心故に見ない振りをして。

一方クロードと言えば、自分の想像よりもリディアナとレンが深い仲であったことに困惑していた。二人は親しいとクラウディオから聞いていたとはいえ、その親密さが予想以上だったのである。三日前エリックと共に戻ってきたこの少年は、誰の言うことだって聞かずに王城の一室を私物化した。誰も立入る事のないようにと命じ、その腕にリディアナを抱え決して離すことなく。


「構いませんか?」

「……ああ、何かな?」


あの夜の彼は人と一線を置いた、人外そのものという姿であった。故にクロードはレンのことを傲慢且つ強情な人外だと思っていたが、その予想は存外外れていたらしい。少なくとも背後の美しい少女に対しては、柔らかい態度を取る程度には。そう考えると目の前の少年が、見た目通りの年齢のようにも感じてしまって。何となく微笑ましい気持ちになって、クロードはレンの言葉に頷いた。柔らかい笑みを浮かべたクロードに眉を僅かに動かしながらも、レンは静かに問いかける。


「クラウディオ殿下から、貴方はどこまで聞きました?」

「…………」


しかし、その問いによって柔らかく微笑んでいたクロードはその表情を消した。柔らかく和んでいた緑を細めて、自分を探るかのように見つめてくるレンをクロードは見返す。再び緊張感が増していった室内に、リディアナは無意識の内に手を握りしめた。

エリックに関する話が衝撃的過ぎたせいで忘れかけていたが、そういえばリディアナは聖酒を飲んだ結果公然の場で倒れたのだ。それはつまり、リディアナが呪術や禁術のいずれに手を染めたということが周囲に知られたということで。そうしてレンがずっとリディアナに付いてくれていたというのなら、事情の説明はクラウディオに一任されたのだろう。故にレンは問いかけた、クロードがどこまで今回の事態を把握しているのかを。


「……全てを、といえばわかるか?」


少し経って、重苦しい雰囲気を背負いながらクロードはレンの問いかけに答えを返した。低く零されたその声に当てられてか、リディアナの肩が小さく揺れる。王たる雰囲気を持った今のクロードは、きっとアランなのだろう。その雰囲気にか言葉にか、相対していたレンは警戒を募らせてクロードを睨みつけた。しかしそんなレンを宥めるかのように、クロードは一度ゆっくりと首を振る。やがてその視線は剣呑さをしまい込み、そうしてリディアナの方へと向けられた。


「そもそも、君はどこまでリディアナ嬢に話した?」

「え……?」

「……この様子だと、何も話していないらしいな」


突然視線と言葉を向けられたリディアナは、思わず困惑の声を上げる。どこまでとは、一体どういう意味なのか。バツが悪そうにそっぽを向いたレンと、何も理解できないと言わんばかりに困惑するリディアナの姿に全てを悟ったのだろう。クロードは溜息混じりの言葉を紡ぐと、混乱から目を白黒とさせているリディアナの方に向き直った。その視線に硬直したリディアナに、クロードは穏やかに語りかける。必要以上の緊張を彼女に与えれば、彼女を守護する魔法使いの怒りを買うと学んだがために。


「リディアナ嬢、事態は君が思っているような深刻なものにはなっていない」

「……それは、どういう」

「君が禁術を使ったことは、一部の人間しか知らないということだ」


事態が深刻なものではない、それはつまりどういうことなのか。何も理解が出来ないというように眉を寄せたリディアナに、クロードは端的な答えを返す。その言葉にリディアナの瞳が見開かれたのを見て、苦笑を浮かべながらも。

どうやら横でクロードに睨みを効かせているレンは、病み上がりのリディアナに余計な負担を掛けたくなかったらしい。だからこそ深い事情を話さなかったし、今も余計なことは話さなくていいとばかりにクロードを見つめている。浮かべた苦笑は、想像よりもずっと彼がリディアナを大事にしていることが伝わってきたが故のものであった。


しかし事情を知らずに居るのはリディアナにとって不安なことだろう。だからこそクロードはレンの怒りを買わないように簡潔に、あの夜リディアナが倒れた後のことを説明した。ギブソン伯爵が致死性の高い毒を盛り、パーティーを失敗させようと企んでいたことを。実行犯と計画犯は共に牢に入れられ、後は沙汰を待つ身であるということを。毒が盛られたことになっているから、リディアナやエリックの呪術や禁術に関しては周知の事実にならずに事態が収束したことを。


「そういうこと、だったのですね……」

「ああ、とはいえ君が命懸けでエリックの命を名誉を守ろうとしてくれたことに変わりはない」


クロードからの説明を聞いて、納得したようにリディアナは頷く。まさかあの時口をつけたグラスに毒が入っていたなんて。そんなことを考えもしなかった故に、聞かされた話にはどこか現実味が無い気がした。とはいえそんな趣味の悪い嘘を吐く理由はクロードには無いし、恐らく真実であるのだろう。


「……この国の王として、そうしてエリックの叔父として、君には頭が上がらない。本当にありがとう」

「っ、そんな……!頭を、上げてください……!」


しかしゆっくりと現実を受け止め始めていたリディアナは、そこで突如頭を深く下げたクロードに目を見開いた。礼を告げてくるクロードに慌てふためきながら頭を上げるように言っても、クロードはそれに応じてはくれずに。深く頭を下げたクロードから告げられた礼によって、リディアナの心に再び負い目が浮かんだ。困惑してクロードを見つめ首を振りながらも、リディアナは眉を下げる。


「……私はただ、倒れただけなんです。周りが助けてくれただけで、私は何もしていないんです。なので……!」


言葉にすれば負い目は増々大きな形となって、リディアナの心に重く伸し掛かった。自分はただ毒杯を飲んで、残りのことは全て周りに任せて、そうして倒れただけ。礼を告げられるべくはエリックの呪術を見抜いたミレーニアや、事態の収集を図ってくれたらしいクラウディオ、そうして何よりもリディアナを助けてくれたレンなのに。リディアナは、本当に何もしていないのだから。


「……それでも、君が動いたから。だからこそ君の周りは動いたんだ。特に魔法使い殿は、君の頼みじゃなかったらエリックを助けたりはしなかっただろう」

「……当たり前だろ。利点がない」


しかしそれでもと、俯きかけたリディアナにクロードは言葉を募らせた。その言葉に、リディアナは恐る恐ると視線を上げる。リディアナが動いたからと、クロードはそう告げた。そしてレンもまた、当然だというようにクロードの言葉に頷く。リディアナの頼みでもなければ、レンはエリックを助けたりはしない。リディアナが命を懸けようとしたから、そんなリディアナを守るためにレンは手を出したのだ。この国の行く末にだって、関心がなかったわけであるし。

戸惑うリディアナに、別の方向からの視線も突き刺さる。それは茫然自失と視界を見失っていた、エリックからの視線であった。そこに込められた感謝の色に、リディアナは唇を噛み締める。例え自分にとっては負い目であっても、周りからは別の形として映るのなら。それならばその感謝は受け取らないほうが無礼だろう。


「……身に余る、光栄です」


そうしてリディアナは、クロードの言葉を受け入れた。本当にこの言葉を差し向けられるのが自分で正しいのかはわからなかったけれど、それでも。リディアナが感謝を寄せられた分だけ自分もまた、助けてくれた人への感謝を忘れないこと。それのほうが大切だとそう思ったから。


「……だからこそ、君に謝らなければならないことがある」

「え……?」


困ったようにはにかみ、言葉を受けとったリディアナに頭を上げたクロードは微笑んで。しかしその表情には直ぐに影が落ちていく。自分の言葉にリディアナが驚いたように青い瞳を見開いたこと、それにますますとクロードの表情は落ち込んでいった。いつもよりも気弱に見えるその顔に浮かぶ表情は、罪悪感に似ている。

謝らなければいけないこと、それも王であるクロードがリディアナ個人に対して。全く心当たりが思い浮かばずに、リディアナは眉を下げる。エリックに関することならばもう十分すぎるほど、頭を下げてもらった後だ。それなのにこれ以上、何があるというのだろう。


「……あのパーティーの翌日、事態が収束した後」

「っ、おい!」


困惑するリディアナを見つめながら、クロードは低く言葉を落としていく。それに怪訝そうにクロードを見つめていたレンが吠えるように口を開くも、それはクロードの言葉を止めるまでに至らなくて。レンが魔法を振るって強制的にクロードを黙らせるよりも早く、クロードは起きてしまった残酷な事実をリディアナへと告げる。後から知る方が痛みを増してしまうと、彼はかつて大切な人を失った経験からわかっていたから。


「君の母親である、アナスタシア・フォンテット夫人。彼女が亡くなった」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ