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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
最終章
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第二十五話

かくして大聖堂でレンが選択を迫られるよりも少し前、レンが転移した後の王城もまた混乱の真っ只中にあった。


「……最っ悪! あのクソガキ!!」

「……レニー、流石に口が悪い」


混乱とざわめき、戸惑いと不安の声。それらが闊歩し混沌に入り交じるパーティー会場の中、一人異色の表情を浮かべる少女。怒りからか赤く染った表情は、何の因果かその見事な赤髪とドレスに揃えたような色合いであった。

しかし口汚く罵る少女に、兄であるクラウディオは落ち着くようにと言葉をかける。だが彼もまた、冷静に見せかけた表情の下置いてけぼりを食らったことに対する憤りはあったのだが。せめて少年が姿を消すと事前に予告してくれていれば何か違っただろうにと、クラウディオは胸中で一人愚痴る。あの少年はことメアリとリディアナから枠が外れる事柄に対し、途端に興味を失う悪癖があるらしい。それは尻拭いをさせられるこちらとしては、たまったものではなかった。


「……リディアナ様」


しかしそんな風に憤る二人の隣、青りんご色の瞳を不安で翳らせたメアリは一人何かに祈るように手を合わせる。それは去っていったリディアナの安否を祈る祈りであったし、彼女を攫っていったであろう幼馴染に願いを託す祈りでもあった。

儀式のために離れていたせいでメアリは今何が起こっているのか、その事情を何も知らない。しかしそれでも、リディアナが何か譲れない事情があって聖酒を飲んだことはメアリだって理解が出来る。それならば後は、レンが何とかしてくれる事を祈るしかない。きっとその為にメアリの幼馴染は、リディアナをこの会場から連れ出したのだから。


「大妖精様の御加護が、リディアナ様をお守りしますように……!」

「…………」


どうしてこんなことに、と思う気持ちはあった。叶うことならばあの時泣き喚いてでも、壇上で微笑みを湛えたあの人を引きずり下ろしてしまいたかった。けれどそんなことをしてもリディアナを困らせるだけだと、メアリはそうわかっていたから。だから後はレンに願いを託して、リディアナが無事であることを祈るだけ。それがメアリに出来る精一杯だ。

そうして不安を押し殺し、懸命に祈るメアリの姿に何を思ったのだろう。クラウディオとミレーニアは強く願うメアリのその声に眉を下げて、その後瞳を鋭く細めた。憤るのならば、かの少年が帰ってきた時に気が済むまで文句を告げてやればいい。二人が今するのは怒りに我を忘れることではなく、友を守ろうと身を捧げた献身的な少女の帰る場所を用意することなのだから。


そう考えた二人は完璧に揃った深呼吸の後、静かに視線を上げる。先程までリディアナとエリックが立っていた、事が起こった壇上の方へと。最も今そこに立っているのはかつてないくらいに顔を険しくしたコルトと、そんな彼をきつく睨みつけるアランではあったが。


「神殿長殿、これは一体どういうことだ」

「……国王陛下」


壇上は二色の赤い液体で汚れていた。リディアナが零した血と、そうしてエリックが持っていたワイングラスから零れ落ちた聖水入りのワイン。それを見下ろして、国王であるアランは短くも厳しい声音でコルトへと問いかける。ティニアの王族が持つ特徴的な深い緑の瞳。今の彼のその瞳には大事なパーティーに水が刺されたせいか、それとも息子が連れ攫われたせいか、焦燥の感情が滲んでいた。


「……私の失態ですな。申し訳ありません」

「……そうであろうな。原因はなんだ」


しかし国王である性か、焦りを滲ませながらもアランは現状を探ろうとコルトを問い質す。それに眉を下げたコルトは、そっと片方のワイングラスを手に取った。内部に僅かに残った液体を観察すると、コルトは扇ぐように手を動かす。それは劇物の臭いを探るような仕草であった。

それを見ていたミレーニアとクラウディオは焦りを募らせる。あの聖酒には毒なんて入っていない。リディアナが倒れたのは禁術と聖水の拒否反応のせいなのだから、あの聖酒は潔白なのだ。それを誤魔化すために二人は誰よりも早く壇上に飛び込まねばならなかったのに、急すぎた魔法使いの行動のせいで初動が遅れてしまった。後悔するミレーニアと、次の案を考えなければと頭を巡らせるクラウディオ。しかしそうして焦りを募らせた彼らの耳に、次の瞬間予想外の言葉が届く。


「恐らく、天使の眠りかと」


天使の眠り。即効性かつ致死性の高い毒物として有名なそれの名前を、コルトは静かにあげる。その言葉に不安げに見守っていた観衆はざわついた。勿論それに呆気に取られたのははクラウディオとミレーニアも同じで。まさかあの聖酒に本当に毒が盛られていたというのか。


「……どういうこと?」

「……恐らく、毒も盛られていたのだろう」


困惑に満ちたミレーニアの言葉に、同じ感情を抱きながらもクラウディオは答えを導き出す。毒という物騒な単語に顔を青褪めさせたメアリに一瞬だけ気遣うような視線を向けながらも、クラウディオは考え込んだ。なんの不幸か、それとも幸運か、本当にあの聖酒には毒物が盛られていたのだ。

天使の眠りとは、無味かつ服用者になんの区痛も与えずに命を奪うという効果からその名が付けられた毒物だ。特徴としては仄かに蜂蜜に似た甘い香りを放つくらいのもので、劇薬であるというのに存在感が薄い暗殺向きの毒物である。香り高いワインに混ぜこまれれば、余程警戒している人物でもない限り気づくことがないだろう。ましてや神殿に全幅の信頼を置いて開催された、このパーティーならば。


「見つけましたわよ、神殿長様」

「っ、離して……!」


会場が物騒な毒物の名前にざわめく中、しかしそこに更に一石は投じられる。凛とした声で横断幕の向こうから出てきた黒髪の少女、クレア・ロビンソン。彼女はシスター服に身を包んだ女性の手を乱暴に引きながら、壇上へと躍り出た。抵抗する女性を華奢な見た目に反する強い力で引きずっていくと、クレアはコルトの方へと女性を突き飛ばす。それは優美な彼女に珍しい、いつになく苛立ったような素振りであった。


「きゃっ……!」

「抵抗は見苦しくてよ。自分のなさったことにくらい責任を取られたら?」


呆気に取られたような表情のコルトの足元に、突き飛ばされた女性は小さな悲鳴を上げて転がる。そのシスター服の裾を逃げられないようにか、ヒールで踏みつけるクレアの薔薇色の瞳はいつになく冷たかった。見下すという表現が限りなく近いその姿は、令嬢というよりも最早女王のような風格を持っていて。そんなクレアの姿に、ざわついていた観衆は静まり返る。

姿が見えないかと思えば、もう犯人探しへと出向いていたらしい。壇上に主役のように現れたクレアに、ミレーニアは思わず苦い表情を浮かべる。よく考えればリディアナが倒れたというのに、あの令嬢が黙っていられるはずがないのだ。隠してはいるつもりなのだろうが、クレアがリディアナに向ける好意はあまりにもわかりやすい。最もその好意は、当の本人であるリディアナにだけ上手く伝わっていないのだけれど。


「クレア様、これもー」

「ええ、今日はいつになく仕事が早くて何よりでしてよ」

「さすがにこんな緊急事態じゃあね」


静まり返ったパーティー会場、しかしそんな中クレアの独壇場は更に続いた。クレアが出てきた横断幕から、また一人の少女が姿を見せる。女性にしては少し短めの金の髪を揺らしながら少女、エレンはクレアの方へと軽やかに駆け寄った。その手に握られた小袋を見てか、コルトの足元で転んだまま呆然としていた女性の顔色は変わる。逃げ出そうとしたのか起き上がろうとした彼女は、しかしクレアに服の裾を踏みつけられていたせいでうまく立ち上がることすらも出来なかった。


「この方がどうやら薬を盛ったようですわね」

「っ、違う!」

「でも、貴方以外に盛れる人なんていないよ?」

「……!」


淡々とした声で断じられることに焦ってか、顔を青褪めさせて強く首を振る女性。動揺を誤魔化すためか彼女はそのまま胸に掲げたロザリオへと手を伸ばすも、その手はエレンの冷たい言葉で中途半端な形で止まる。震えながら見上げた女性の視界に映ったのは、いつになく冷たい深緑色の瞳をこちらへと向けるエレンの姿であった。ひゅ、と呼吸にも声にもなれなかった出来損ないの音がその喉から微かに零れる。


「貴方、ミランダのこと好きだったもんね。で、僕とメアリのことは大嫌い」

「…………」

「だから僕らのお披露目パーティーを台無しにしたかった? それで何の罪もない人に毒を盛った?」


僕と、そう自分を語るエレンのことを会場の誰もが違和感に感じなかった。そう告げるエレンの姿に、後ろめたさというものが一切なかったからである。隣のクレアもまた、いつもならば止めるエレンのそれを止めたりはしない。正確には冷静に見える表情の裏で、怒りを煮え滾らせているが故に止める余裕がなかったという方が正しかったのだが。

エレンの冷たくも正確な声に、女性は唇を噛み締める。彼女は何故真面目で清廉であったミランダが神殿を追い出され、不真面目なエレンと評判の悪いメアリが残っているかが理解できなかった。そうして行き過ぎた信望は、いつしかありもしない妄想へと変わっていく。エレンとメアリが共謀してミランダを追い出したのだと。それならば大妖精様は悪人である二人を追い出すことを望んでいると。だからこそ彼女はこのパーティーを失敗させなければならなかった。リディアナには申し訳ないと思いつつ、強い信仰の元彼女のワイングラスに毒を盛ったのだ。しかし。


「っち、違う! 私じゃない! 私はただ、頼まれただけなの……!」

「殺せ、って?」

「違う!……そ、そんなに強い毒なんて、知らなくて……! 少し体調を崩すくらいの毒だって、そう言われて……!」


彼女は青褪めながらも懸命に募る。敬虔たるシスターであった彼女には、流石に人を殺すほどの度量はなかった。そんな彼女を晒し、そうしてこの毒を盛るように言ってきた人物が居るのである。しかし自分を見下ろすエレンの瞳は信じられないと言わんばかりに冷たくて、壇上の下の観衆の視線もまた針のように突き刺さる。そんな針の筵の中でシスターは絶望した。人を殺めてしまった上に、この罪は全て自分の物になってしまうのだと。

 

「まぁ、黒幕はわかっていますわ」

「え……?」


しかし一拍の後続けられたその言葉に、シスターは絶望から下げていた視線を上げた。顔を上げればもうクレアもエレンも自分を見ていなくて。観衆の視線が、神殿長の視線が、国王陛下の視線が一人の教育係の方へと集中する。何を言っているのだと、そう言わんばかりの視線たちが。

しかし見られることに慣れているクレアはそんな視線を物ともせず、静かに瞳を伏せた。心の中で滾る溶岩のような熱を落ち着けるように息を吐いて、そうして薔薇色で飾られた唇を開く。その紅と同じ色の瞳は真っ直ぐに一角を突き刺した。濁った黄金色の瞳でこちらを見つめる男を、怒りに燃える薔薇色が捉える。


「壇上に上がられてはいかがですの? ねぇ、ギブソン伯爵」

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