表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の教育係  作者: 楪 逢月
最終章
127/158

第二十四話

くるりと、指を回す。言葉を紡ぎ終えて、そうして少年は瞼を開けた。もうここは華やかで壮大なパーティー会場なんかではない。彼女と初めて話した大聖堂、人々が祈る場所。あの日彼女と初めて言葉を交わし、そうして手を引かれた時の衝撃をレンは決して忘れない。ここに来たのは無意識に、その記憶が浮かび上がってしまったからなのだろうか。

だが今はそんな思い出に浸っている場合ではない。早く治療を始めなければと視線を下げたレンは、しかしそこで瞳を眇めた。月明かりに照らされたステンドグラスが儚い光を放ち、二人分の人影を照らしている。どうやら転移の際に余計なおまけが付いてきてしまったらしいと、少年は呆然とリディアナを抱えるエリックに短く舌を打った。


「……こ、こは」

「……大聖堂。あそこじゃ集中出来ねぇからな」


リディアナを大事そうに抱えたまま呆けたような声を上げるエリックに、渋々という形でレンは言葉を返す。その声で初めてレンの存在に気づいたのだろう。こちらに向けられた緑色の瞳に、レンは片眉を上げた。戸惑うように視線を向けてくる彼の緑の瞳は、前に出会った時の彼とは別人かと思うほどに透き通り輝いていて。


「……どいてろ、邪魔」

「っ、」


だが今はそんな余計なおまけのことを気にしている暇はない。思考を切り替えたレンは、未だ状況についていけていないエリックの方へと近づいた。そしてそのままリディアナを抱えていた彼を乱暴に押しのけると、その代わりだというようにリディアナを抱え込んだ。今も聖水の影響で苦しんである彼女になるべく負担を掛けないようにと、まるで壊れ物を扱うかのような指先で。

自分の腕の中に抱え込んだリディアナを、レンは静かに見下ろす。青褪めて瞳を閉じるリディアナは、しかし変わらず美しくて。ただそれでもレンが好きな彼女の表情は、こんな痛々しいものではない。去り際に向けられた綻ぶような微笑みを思い出す。脳裏にどんな花よりも美しい笑顔を描くと、レンは瞳を赤く染めながらも彼女を見下ろした。


「……君は、リディアナに何をする気だ」

「…………」


だがまずはそうしてリディアナの状態を見極めようとしたレンを、無理にどかされた男は睨んでくる。何をするも何も、レンはリディアナを救おうとしているのだが。ただエリックの視点から見れば、レンは自分とリディアナを突如として攫ってきた怪しい人物にしか見えないのだろう。無理に逆らわないのは、恐らくレンの手の中にあるリディアナの安否を気にしてだ。暴挙に出ないその賢さは認めるが、しかし。


「この人を殺したくねぇなら、黙って見てろ」

「っ!」

「……お前を殺すのは楽だけど、そうしたらこの人は悲しむんだよ」


ただそれでもレンは苛立つような言葉を止めることが出来なかった。こうして会話を交わす時間でさえもレンにとっては惜しくてたまらないというのに。この会話の間でさえ、リディアナの命は削られていっている。エリックのそれはリディアナを慮っての言葉ではあったのだろうが、最悪それこそがリディアナを殺す要因にもなりかねないのだ。

殺気を込めて睨みつけたレンに、エリックは息を呑んだ後黙り込む。どうやら邪魔はしないほうがいいと悟ったのだろう。もう邪魔はしないと言わんばかりに口を閉ざしたエリックに溜飲を下げると、レンはふっと視線を逸らした。リディアナが今死にかけているのはこの男のせいであるが、この男を殺したところで何にもならない。起きた後のリディアナが悲しむだけである。そう考えて必死にエリックへの殺意を抑えると、レンは今度こそリディアナの状態を確認するために瞳を輝かせた。


「……おい」

「……何だろうか」


頭からつま先まで、レンはリディアナを余すことなく観察した。聖水が現在どこまでリディアナを蝕んでいるかを確認するためである。しかしその結果発見した異物に、レンは眉を寄せてエリックの方に視線を向けた。話しかけられるとは思わなかったのだろう。リディアナに案じるような視線を向けていたエリックはその声に一度驚いたように肩を跳ねさせて、しかし緊張した面持ちで冷静に言葉を返してきた。前とは全く異なるエリックの態度に違和感を覚えながらも、しかし今はリディアナの身が優先であるとレンは言葉を続ける。


「毒を盛られる心当たりはあるか?」

「……!」


レンの言葉にエリックは目を見開いた後、眉を寄せて黙り込んだ。その反応にどうやら当たりらしいと、レンは元々寄せていた眉を更に険しく顰める。魔力を使ってリディアナの体の現状を確認したところ、聖水への拒絶反応とは他にまた別の拒絶反応が見られた。レンの知識が正しければ、これは毒に対する拒絶反応である。


「……僕の評判は、底辺だ。次代の王として相応しくないと考える者も多いだろう」

「……自覚してんのな」

「そう思われるだけのことは、やってきたからね」


苦々しい声音で告げられたエリックの言葉に、レンは冷静に言葉を返しながらも内心焦りを募らせた。貴族同士のいがみ合いや権力争いなどはどうでもいいが、毒が盛られていたとなると話が変わってくるからである。禁術の反転と、そうして聖水の進行阻止。本来であればそれを同時に行うことで、リディアナを救う手筈だった。禁術の反転にさえ成功すれば、今リディアナの体を蝕んでいる聖水はその効果を失う。そうすれば結果的にリディアナは助かるはずだったのだ。

しかしそこに更に毒の除去まで追加されたとなると、レンの頭の中に一つの懸念事項が生まれた。それは魔力が不足するかもしれない問題である。人外であるレンの身には、人の身では何人束になっても届かないだけの魔力が有されている。かつてはその魔力を使って、腐っていた使者達の血の海を作り出したこともある程だ。しかし禁術の反転、並びに聖水の進行阻止にはあの時の比喩でない程の魔力が必要となる。そこに毒の治療まで重ねられれば、人の身には到底有せない魔力を持ってしても足りるかどうか。


「解毒法は」

「……毒の特定が出来ないことには、何とも」


魔力をコントロールして聖水がリディアナの体を蝕んでいくのを食い止めながら、レンは端的にエリックへと問いかける。そこに帰ってきた悔しげな言葉に、レンはまた舌を打った。魔術に関する知識は豊富であっても、毒に関する知識は皆無である。探ろうとしたところでその毒の効果さえわかっても、そこから特定の毒を導き出すことは不可能だろう。

そもそも毒の種類がわかったとて、そこから薬などで解毒をするのは現実的ではない。何故ならばここは大聖堂である。薬屋でもないというのに都合よく毒を除去できる薬草があるわけがない。解毒できるだけの薬草を探しに行ってそうして余計に時間と魔力を費やすくらいならば、毒の効果を魔術で打ち消すほうが合理的だ。魔力の余裕がない今なら、尚更。


「……『消えろ』」

「!」


そう考えたレンは熱を持ち始めた瞳に違和感を感じながらも、まずリディアナの体内で牙を剥こうとしている毒の除去を始めることにした。聖水の進行制御はそのまま、更に魔力を行使していく。聞き取れない言葉を紡いだレンに傍に居たエリックが息を呑んだ気はしたが、そんなのを気にしている余裕すらも今のレンにはなくて。毒の残骸その全てが消えたのを確認して、そうしてレンは額に汗を滲ませる。この後聖水の制御はそのまま、禁術の反転を行う。果たして今の自分にはそれが可能であるのか。


「……っくそ」

「…………」


優秀な脳内は直ぐに答えを弾き出す。そもそもにして聖水の制御も禁術の反転も、決して同時に行うような術ではない。成功すればどちらもそれだけで奇跡だと、そう呼ばれるような部類の術なのだ。そこに毒の治癒まで重ねられれば、レンの膨大な魔力と言えど賄えるはずがなくて。短く悪態をついた少年を、エリックは不安に揺れる瞳で見つめていた。

人外は人の身では到底敵わないだけの力と寿命を有している。しかしそれは、膨大過ぎる魔力の代償であり恩恵であった。魔力が全て失われれば、人外の者たちはその命を失うことになる。レンもまたその例に漏れず、身に宿す魔力を使い果たせば命を失うことになるのだ。ただ使い果たさねば、リディアナを救うことは出来ない。


逡巡する。自分の命か彼女の命か、その天秤は当然リディアナの命の方へと傾いた。当然だ。レンにとってリディアナは命よりも大事な存在なのだから。だが自分が死んだら、残された彼女はどう思うのだろう。きっと自分のせいだと、そうして再び自分を責めて殻に閉じこもることになるはずだ。人一倍の責任感と罪悪感を抱える彼女なら、きっと。

レンが残してくれた命だからと、自分で命を断つことはしないだろう。しかしそれはつまり、残された生涯を悔恨と罪悪感に満たされて過ごすということになる。レンにとって何よりも愛おしい、綻ぶような笑みを浮かべることなんて一生ないまま。一度は持ったはずの希望をその足で踏み潰して、そうしてリディアナは決して癒えることのない傷を抱えて生きることになるのだろう。


「……魔力が足りない?」

「!」


どうすれば彼女を救うことが出来るのか、その笑顔を守り抜くことが出来るのか。それは時間にして数秒の逡巡にしか過ぎなかった。しかしそこで聞こえてきた声に、レンはリディアナを見下ろしていた視線を上げる。レンに声をかけたのはここにいるもう一人、エリックであった。レンの視線の先にはそれまでの困惑や混乱を消して、そうして静かにこちらを見つめるエリックが居て。そんな彼の瞳に初めて一国の王子たる風格を感じて、レンは瞳を細める。


「……だったら、なんだよ」

「それなら、助けになれるかもしれないと思ったんだ」


エリックの言葉を、レンは否定しなかった。自分の力不足を叩きつけられるようで悔しくてしょうがなくて、村が襲われたあの日無力だった自分の情けなさを思い出しそうになって。ただそれでも自分の無力さを認めないことが一番の足枷となることを、レンは知っていたから。

唇を血が滲むほどに噛み締めて、いっそのこと睨みつけると言っても過言ではない程の視線をエリックへと向けたレン。そんなレンに一瞬だけエリックは苦い笑みを浮かべた。その表情に既視感を感じてレンは息を呑む。エリックが浮かべたその笑みは、リディアナが浮かべるものとよく似ていて。しかしそれは瞬きの間に掻き消えて、レンが瞳を再び開けた時にはエリックはもうそんな笑みを浮かべては居なかった。覚悟を決めたような真剣な面持ちで、そうしてエリックは真っ直ぐにレンを見つめる。助けになれるだなんて、そんな言葉を告げながら。


「……助け、って」

「……人の身に流れてる魔力はもう魔法に変換できない。それが神様が僕たちに与えた罰だ」


いまいち状況が掴めずに、レンは眉を寄せる。こうして耳を傾けている間にも、リディアナの体は着実に死へと向かっているのだ。だからこそこの状況でエリックの言葉に耳を傾けるなんて、時間の無駄でしかなくて。何故ならばエリックの言う通り人間の魔力では魔法を使うことは出来ない。だから彼がレンの助けになることはできない。なのに真剣な瞳が揺らがないままレンを突き刺すから、レンはその瞳から目を逸らすことが出来なかった。


「ただ一つだけ例外がある」

「っ!?……それ、は」


しかしそれは結果として正解と言えた。エリックのその瞳から一瞬たりとも視線を逸らさなかったからこそ、レンは決定的な瞬間を見逃すこと無くその目に収めることが出来たのだ。エリックの瞳が輝く。クラウディオやミレーニアが、魔眼を行使する時と同じように。弱くもその瞳は確かな光を持って、レンを見つめた。その瞳が見せる輝きにレンは思わず息を呑む。

例えるならば、人の身に流れる魔力は静の魔力だ。魔法に変換することは出来ず、ただそこにあるのみで。しかし人間の一部には動の魔力、つまりレンが宿しているような魔力を持つ者が居る。彼らはある特定の部位に動の魔力を宿し、魔法に比べるとちっぽけで限定的な力を使うことが出来る。それはメアリが宿すような緑の手であったり、双子の王族が持つ魔眼であったり。


そうしてエリックもまた、それを持っていたのだろう。困ったように微笑んだ王子は、そっと頭だけを差し出す。いいや、正確には彼は瞳を差し出したつもりだったのだろう。好きに使えと言わんばかりの表情を浮かべて、エリックは真っ直ぐにレンを見つめた。そこにもう揺らぎはない。


「……この瞳を魔力として使い、そうしてどうかリディアナを助けてほしい」


静かな声が大聖堂に響いた。それと同時にリディアナの頬を透明な雫が伝っていく。それは痛みに耐える中、体が防衛本能で零した涙だったのかもしれない。しかしレンにはその涙は、別の意味で流したもののように思えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ