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聖女の教育係  作者: 楪 逢月
最終章
107/158

第四話

「そういえばお嬢様、そのネックレスはどうなされたのですか?」

「あぁ……」


それから落ち着いたミランダと、たわい無い会話を交わしていたリディアナ。しかしふとミランダから問いかけられた言葉に、リディアナは苦い笑みを浮かべた。確かに気になるだろう。これは先程の身支度の時には付けていなかった、ミランダにとっては見覚えのないネックレスなのだから。


「先程訪ねて来られたお父様にいただいたの。折角だから付けていこうかと思って」

「そうでしたか……」


ちゃらりとネックレスの鎖を揺らしながら、そうしてミランダの方を見て微笑んだリディアナ。それに神妙に頷いて、ミランダはじっとリディアナの胸元のそのネックレスを見つめる。今日も透き通った草原のようなその瞳は、美しい宝石を見てかいつもよりもどこか輝いているようにも見えた。

どうしてもミランダのその瞳は、見透かされているようなそんな気分になる。今ミランダが見ているのはリディアナではなくタンザナイトだというのに、おかしな話だ。そんなことを内心考え怯えながらも、リディアナはそれを気取られないように笑みを携えたままミランダを見つめていた。そうして暫くの間の後、ミランダは深く息を吐く。


「……青みの濃い、綺麗なタンザナイトですね」

「あら、博識ね」

「これでも一時は聖女候補でしたので」


それは見惚れていたことが心から伝わってくるような、感嘆の込められた溜め息であった。年不相応に落ち着いているミランダではあるが、年頃の少女らしく宝石への関心はあるらしい。褒め言葉の中に滲まされたその博識さに、リディアナはおどけたように驚いてみせる。それに冷静に言葉を返されたことに、口角を上げながらも。

タンザナイトの価値と言うのは、言ってしまえばその石によって大きく上下する。タンザナイトは青みが薄く小粒の物ならば、一気にその価値を落としてしまうようなそんな石なのだ。しかしその点このタンザナイトは濃い青色に大粒と、かなり上等な物に分類される。


「まるでお嬢様の瞳のようです」

「……残念だけど、これは私の瞳を模して作られたものではないの」

「……?」


しかしそこで重ねられたミランダの言葉に、リディアナは瞳を伏せた。ロイヤルブルーに限りなく違い、このタンザナイト。確かに何も知らない人間が見れば、この石はリディアナの瞳に沿うように選ばれた石のように見えるだろう。しかしそれは少し違うのだ。

首を緩く振ったリディアナに、不思議そうに瞳を瞬かせるミランダ。そんな彼女にリディアナは薄い笑みを浮かべて、優しく告げる。胸元の銀で作られた鎖を、静かに揺らしながらも。


「これは昔、お父様がお母様に贈ったものなの」

「旦那様が……」

「そう、自分の瞳としてね」


昔母から教えてもらったことがある。母がお守りだとそう言って良く付けていたこのネックレスは、母が父と結婚する前に貰ったものなのだと。当時反対されていた二人の結婚、しかし必ず迎えに来るという言葉と共に父は母にこのネックレスを渡したらしい。自分の瞳を渡すような、そんな決意の証明として。

リディアナもいつか、好い人から自分の瞳の色のネックレスを貰えたらいいわね。そう言って楽しげに微笑んでいた母の姿を思い出す。緑の石かしら、そう言って楽しそうにしていた母のその意図を、当時のリディアナがわかることはなかったのだけれど。


「だから残念、ミランダの予想は外れね」

「……成程」


冗談めかしてリディアナは笑う。しかしその表情にどこか切ない色を見つけてしまったミランダは、そんな彼女に合わせるように楽しげに笑うことが出来なかった。眉を僅かに寄せて困ったように微笑むミランダに、リディアナは一瞬だけ拳を握りしめる。悟られしまったかと、そんな思考を頭に過ぎらせて。

寂しげに笑うリディアナの、その胸中は実際複雑に折り重ねられている。母の宝物を父の手から預けられたことは嬉しかったけれど、それは暗に母がもうこのネックレスを付けることが無いということを突きつけられたような気がして。もう死にゆくだけの母がこれを付けることはないだろうと、そんなことくらいもうリディアナにだって分かっているのに。


「……奥様と同じように好い人にもらうのならば、お嬢様は何色の石がいいですか?」

「……え?」


しかし切なさに胸を駆られ俯いていたリディアナは、突如としてミランダから問いかけられたその言葉に目を見開く。見開かれた視界には、真剣な顔をしてこちらを見つめるミランダが居て。

何色の石がいいか。そう問い掛けてきたミランダの姿に、かつての母の姿が重なる。母に冗談めかして告げられたその石の色は、緑色だった。当時はよく分からなかったが、きっと母はエリックのことを言いたかったのだろう。しかし当時ならともかく、今リディアナが緑の石を贈られることはもう決してない。欲しいとも、あまり思わない。だってリディアナが彼に感じていたのは親愛と友情で、そこに恋心なんてものはなかったのだから。


「……なに、いろ」


ぽつりと呟く。もし好い人から石が貰えたら、そんな母の笑顔が再び脳裏に浮かんだ。もしリディアナが誰かに石を貰えることがあるのなら、それならばその色は。


「……紫ですか?」

「っ!」


しかしリディアナが告げるよりも早く、待ちきれなかったのかミランダがその色の名前を零す。そのミランダの言葉にばっと顔を上げたリディアナに、ミランダは楽しげに微笑んでみせた。相変わらず僅かに口角を上げたような不器用な笑顔はしかし、どこかからかうような色が滲んでいるような気がして。


「……違うわ」

「あら、また外れだったでしょうか? 今度こそ当たりだと思ったのですが」

「……ミランダ、今日は意地悪ね」


唇を尖らせて、そうしてじとりとした視線をミランダへと向けるリディアナ。そこにはもう切なそうなその表情は残っていなくて。ミランダはそんなリディアナを見て、悪戯な笑みの裏内心安堵した。

雇い主をからかうなんて侍女としては落第点で、許されることではないだろう。しかしそれでも、憂うような表情を浮かべていたこの美しい人の霧を晴らせたのなら。ミランダにとって深い恩があるこの人に、少しでも報いることが出来たのなら。それならば少し侍女の枠を外れるくらいは、なんて事ない。優しい彼女であるならば、きっとそれを許してくれるだろうから。


「申し訳ありません。侍女には過ぎた領分でした」

「……気にしてないわ。だって今の貴方は私のお友達で、同士だから」


だがそれはそれとして、ミランダは謝ることは忘れなかった。自分とリディアナの立場には天と地ほどの差があることを、ミランダは正しく理解していたから。こうして同席を許されているのは、単にリディアナの人が良いからに過ぎないと。

けれど慇懃な態度で謝ってみせたミランダに、リディアナは眉を寄せながらも首を振る。その表情はミランダの意図を正しく理解して、しかしそれを拒むようなそんな表情にも見えた。普段は使用人とその主という関係である自分たちではあるが、この紅茶を飲んでいる時だけは友人であるというそんな認識がリディアナにはあったから。それをわかってほしいと、そうしてどこか眇めた瞳でミランダを見つめるリディアナ。その可愛らしい傲慢さに、ミランダは眉を下げてみせる。


「……それでは、友人である私から一言よろしいでしょうか?」

「? ええ、どうぞ?」


そうして結果としては、その無言の争いはミランダが押し負ける形となった。困ったような表情を浮かべながら、しかしリディアナのその言葉に甘えることにしたミランダ。このお嬢様が自分を友人扱いしてくれるのなら、それならば思っていたことを全て言ってしまえと、ミランダはそんな大胆な思考のまま問いかける。不思議そうに首を傾げたリディアナを見て、僅かに瞳を伏せながらも。


「その、リディアナ様からすればそのネックレスには複雑な思いがあるのかもしれないのですが……」

「……そうね」

「……はい、しかし」


言葉を詰まらせて、そうして躊躇いながらもミランダは恐る恐ると紡ぐ。自分の言葉にリディアナが憂うような表情を浮かべたことに、若干の罪悪感を抱きながらも。しかしこの言葉がその憂いを払うようなそんな言葉になればいいとそう願って。僅かに乾いたミランダの唇から、そうして言葉が零れる。


「私から見れば、そのネックレスはまるで旦那様と奥様からの贈り物のように思えるのです」

「っ!」


その言葉に、ミランダの想像通りリディアナの瞳は見開かれた。胸元で輝くタンザナイトと同じように、いいやそれ以上にその瞳は美しい。それはきっと、リディアナの心が澄み切って美しいから。瞳の輝きは心を映す鏡であると、ミランダはよく知っている。かつては輝いていた黄金色の瞳を、いつからか濁らせてしまった彼女。あの人のことを、ミランダは一生忘れることが出来ないから。


「……私の村では、母親が一人前になった娘に服を織るという伝統がありました」

「……素敵な伝統ね」

「はい。私は生憎、時期がずれたせいで貰えていないのですけれど」


動揺から視線を彷徨わせたリディアナを他所に、ミランダは話を続ける。それは彼女の故郷の話だった。その服が婚儀の際の衣装にもなると、どこか懐かしそうに語るミランダ。そんな彼女の話にリディアナは口元を和らげて相槌を打つ。母が娘に婚儀の衣装を作るなんて、素敵な話だとそう思いつつ。

しかし結局ミランダは何が言いたいのか。ミランダの故郷の話と、このネックレスが何か関係があるのだろうか。そこで首を傾げたリディアナの疑問を見抜いてか、ミランダはそこで優しく告げる。時折見せる、年長者のような雰囲気をもって。


「だから私の村の伝統のように。そのネックレスは旦那様が動けない奥様に変わって、リディアナ様に贈ったのではないかと」

「……!」

「……なんて、何も知らない他人で使用人が言うべきことではないのかもしれませんが」


その言葉にリディアナは目を瞠った後、唇を噛み締めた。申し訳無さそうに後付を語るミランダに首を振りながらも、しかし返す言葉が見当たらなくて黙り込む。

俯いた先のネックレスは相変わらず輝いていた。リディアナにとって先程までのこのネックレスは父から贈られた、母の物でしかなくて。それ故に勝手にこのネックレスを付けることにどこか後ろめたいような、そんな感情を抱えていたのだ。しかしミランダの言葉によって、その思考は別の考えに染まっていく。


このネックレスは父が母に変わって、リディアナに贈った物。これから一大事を迎えるリディアナを守ってくれるようにと、そういう意図を込めて贈られた物。そう考えると重かったネックレスが軽くなっていく気がして、リディアナは苦い笑みを浮かべた。我ながら現金なものだ、この思考が正しいのかもわからないというのに。しかし母ならそう思ってくれるだろうと、リディアナはそう知っている。いつだって誰よりも優しく、リディアナを心から愛してくれる人だったから。


「ねぇ、ミランダ」

「はい、リディアナ様」

「……私、一人前になったのかしら」


問いかけた声に帰ってくるのは、お嬢様ではなくて自分の名前だ。それは当然である。だって今の自分たちは、身分を気にしなくていい友人なのだから。母が好きだった紅茶を好んでくれる、そんな友人にリディアナは微笑みかける。少し冗談めかした言葉尻にだってミランダは真剣に頷いて、そうして答えてくれた。


「……きっと旦那様は、そうお考えなのだと思います」


ミランダのその声は、リディアナの心に入り込むように耳に流れ込んでくる。その言葉に目を伏せて、しかしリディアナは頷いた。実際に父がどう思ってるのかなんて、きっと彼女にもリディアナにもわからない。けれどリディアナは少し前の父の言葉を思い出す。自分やアナスタシアが思うよりも、リディアナは強かった。そうアーノルドは言ってくれたのだ。それはきっとリディアナ自身を認めてくれた、そんな言葉だった。禁術なんて関係ない、リディアナの心の強さをただ。

このネックレスを贈られた理由が、ミランダの言う通りならばいい。リディアナはそう思ってネックレスを見下ろすと、その輝きに笑みを浮かべた。少しだけ取り繕うことが出来なかった、いつもよりも不器用な笑顔を。

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