第29話 ラボス村へ
帆かけ舟の漁師は、約束どおり待っていた。
先行する二十人が乗りこむ。小さな舟は二十人も乗ればいっぱいだ。荷物を置き、あぐらをかいて座ると舟は埋まった。
まずはカルラ運河までくだることになる。
「山のなかを行きゃ早えんだ」
舟の中央あたりから声が聞こえた。ひたいに傷のある大男、昨日も話しかけてきた人だ。
「おれはこのあたりの山だけじゃねえ、アッシリア領も北部の山はようく知ってる。尾根づたいに行きゃ、意外にラボスは近え」
たしかに、テサロア地方の縦にながれる運河を中央とすると、北のはしがヒックイト族のいるアグン山。北西のはしがラボス村となる。
「イブラオ、そいつあ駄目だ。山にグールがひそんでいたら、こっちが不利になる」
舟の後部にいたラティオが答えた。ぼくとグラヌス、ヒューは舟のへさきにいる。ラティオは後部で年老いた猿人と話をしていた。
「けっ、山の民が山での戦いを恐れてどうする」
あの人はイブラオというのか。ひたいの傷は切ったというより、一度ずるむけたように赤っぽく肌の色がちがっている。その傷のためか、生え際は禿げていた。
禿げていて、口まわりには髭もあるので年齢が高く見えたが、よく見るとそれほど歳はいってない。
「おい、お童、グールが怖えか」
うっかり見つめていた。となりにいたグラヌスが、ぼくに身を寄せる。
「イブラオ殿、と申されたな・・・・・・」
「てめえにゃ聞いちゃいねえ!」
怒号がひびいた。
さらに口をひらこうとしたグラヌスを、ぼくはうなずいて止めた。
「怖いです。意気地がないかもしれませんが」
虚勢を張るつもりはなかった。ぼくは村でなにもできなかったし、村を出たここまでも、なにもできていない。
「それでいい」
イブラオは怒ると思いきや、静かに言った。
「おめえぐれえの年じゃ、いきがると死ぬ。おとなを頼れ。おれも守ってやる」
イブラオはすこし笑った。その顔、なんだかおぼえがある。
ぼくはうなずきながら、どこで会ったかを考えた。ぼくの顔を見てグラヌスが耳打ちしてくる。
「アト殿、だいじょうぶか?」
「どこかで会った気がする」
「イブラオ殿と? ラボス村に猿人族がきたことがあるのか?」
いや、それはない。猿人族を見たのはバラールの都が初めてだ。
「そら似かもしれない」
「近場で言えば、ドーリクと似ておるな」
あの巨漢の副隊長。身体の大きさといい、四角い顔といい、たしかに似ていた。
「あの副隊長さんは、ふたりとも、とても強そうだった」
たたずまいを見ただけだが、ほかの兵士とはちがった。
「うむ。南部のおなじ村から出てきた幼なじみで、イーリクは精霊も使う」
あの細身の副長は精霊戦士だったのか。それに幼なじみ。となりのニーネが男の子だったら、おなじように戦士を目指したのかもしれない。
「自分の隊が使えればな」
グラヌスは悔やむように口元を引き締め、舟のさきを見つめた。
「それは悪手だ」
ふいに口をひらいたのはヒューだった。
「悪手、失敗すると申すか、ヒュー殿」
グラヌスがヒューを見る。ヒューは舟の走るさきを見つめたまま答えた。
「牢屋で聞いた話では、通常なら、おとなの足でラボス村からコリンディアまでが、五日」
グラヌスがうなずく。
「では、往復では?」
「十日、なるほど、こっちのほうが早いのか!」
「さらに」
「ほう」
「グラヌスの隊が遠征するとして、すぐにでれるのか?」
グラヌスは、ばつが悪そうに結んだ口を曲げた。そして唸るように声をもらす。
「でれぬ。遠征の用意、もろもろの手続き。三日、いや、悪ければ五日かかる」
「では、あわせて十五日」
「そうか。紆余曲折したつもりが半分の日にちで・・・・・・」
ヒューがぼくを見て、すこし笑った。
「どちらの運か知らぬが、そうとう強い運を持っているようだ」
「けっして自分ではない自信がある。アト殿だな」
ヒューとグラヌスの会話は理解できた。もともとの計画より、かなり早く進んでいるということだ。
「しかし、ヒュー殿は冷静だな。よく全体を見ている」
「鳥人族は鳥の目で見る、とは、よく言われる」
鳥の目、ああそうか、上空からの目線か!
それからも舟は順調に進んだ。
しかも川は登るより、くだるほうが早い。昼すぎには運河の交差する地点までおりることができた。
へさきを西にむけ、今度はアッシリア領へと入っていく。
ヒックイト族の人は、みんなアッシリア領が初めてではないか。そう思ったがちがった。父さんぐらいの歳より上の人は、何度かは来たことがあるらしい。数十年前の大戦から交流が途絶えたようだ。
「アト、グラヌス」
舟の後方にいたラティオがやってきた。
「予定どおり、昼夜ぶっとおしで走らせよう。いいか?」
犬人の歩兵隊長はうなずく。
「それはよいが、舟をおりて動けぬ状態も困るぞ」
「ああ、着いたら三刻ほどは休憩にしよう」
ラティオはそう答え、うしろへ帰る前にぼくに言った。
「無理にでも寝とけよ。着いてすぐ戦闘もありえる」
ラティオが人や荷物をまたいで帰っていく。そのうしろ姿を見ていると、ため息が出た。
「どうした? アト殿」
「さっきのヒューといい、ラティオといい、自分の頭の足りなさが嫌になる」
グラヌスは、いかめしい顔でうなずいた。
「自分を戒めるのはよいこと」
そして顔をしかめつつ笑った。
「そして、アト殿、実は自分もそう思う」
グラヌスもなのか。つられて笑っていると、グラヌスは持ってきた荷物を引き寄せた。
「頭を使うには、まず、することがある」
「おなかがすいた」
「そのとおり!」
「それは頭とは関係がない」
ヒューがあきれた顔をしたが、こっちをむいて座りなおした。食べるようだ。
グラヌスが、ラティオのお母さんが用意してくれた背負い袋をあける。ラティオにも声をかけたが、あとで食べると言われた。
帆は風をうけ、舟は順調に進んでいた。早く村に着きたいが、いまできることはなかった。
グラヌスがわたしてくれた肉にかぶりつく。ぼくは肉を咀嚼することで、はやる気持ちをどうにか押さえつけた。




