第2話 グール
「なにか起きないかな」
そう昨日に愚痴ったせいだろうか。ラボス村はちょっとした騒動だ。
もう日が暮れて外は暗い。それでもまだ解決しておらず、村の人たちは総出で見まわりをしている。
どこも今夜は灯りをともし、万事にそなえていた。ぼくもこうして油燭のそばで日記を書きながら、となりには弓矢を置いている。
それは昼すぎのこと。
西の森へ、女の人たちがきのこ採りにでかけた。
そこで普段ならめったに見かけない獣と遭遇したのだ。
グールは呪われた生き物だ。どの動物にも属さない。獰猛かつ凶暴。人でも家畜でも、見れば襲ってくる。
運よく女の人たちは逃げだせた。知らせを聞いた守兵が森をさがしたけど、グールは見つからなかった。遭遇したひとりの話では、大きさは小鹿ほどだという。
小さいからといって油断はできない。グールであれば、大人が二人がかりでもあぶない。
数年に一度は、このあたりにもグールが出没する。
「上級獣」
と呼ばれるさらに強い獣も、遠い異国の地にいるらしい。
なにか起きないかな、などと昨晩に思った自分をしかりたい。
村長である父さんは、村の中央で篝を焚いて待機している。朝まで悪いことが起こりませんように。
豊穣の神デーメ・テールに祈りをささげ、ぼくは寝よう。
だれかの声で目がさめた。
「いたぞ、そっちだ!」
また聞こえた。声は外からだ。
寝床から飛びおき居間にいくと、父さんがいた。
テーブルの上に食事がある。夜食を食べにもどってたみたいだ。
父さんは腰に剣をさして出かけようとしている。ぼくも壁にかけてある自分の弓をつかんだ。
「おまえは家にいなさい」
「そんな! 山鳥だって打ち落とせるのに!」
「家を守りなさい!」
ほんきで怒ったときの顔をした。あきらめたほうがいいだろう。
しぶしぶと父さんが食べていた残りのムサカを食べる。ジャガイモとひき肉のかため焼きだ。冷めていても母さんのムサカはおいしい。そう思っていたら、となりから女の子のさけび声が聞こえた!
弓をつかんで飛びだす。となりの家を見ると、窓の外から獣が前足をかけてよじ登ろうとしている!
すぐに弓をかまえ、無我夢中で放った。胴体のやや下に当たる。
ぎゃっと獣は鳴き声をあげ、落ちるやいなや、今度はこっちにむかって駆けてきた!
あわてて矢をつがえようとしたが、間に合わない! そのとき、うしろから冷たい水を浴びせられた感覚になった。
だれかが水の精霊呪文をかけた。そう思ったけど、そのまま気が遠くなっていった。
気がつくと、父さんがいた。
ぼくの頭を父さんが抱きかかえている。
「大丈夫そうだな、アト」
頭がぼうっとした。上半身を起こしてみる。たぶん大丈夫だ。
「許せ、アト。味方にも『氷結の呪文』を当ててしまうとは」
そう声をかけてきたのは、村で一、二を争う戦士であり、守兵副長のトーレスさんだ。
「気をつけろ、この子は人間だぞ」
村のだれかが注意した。
「いや、息子は精霊を使えないが、弱いわけでは無い」
父さんがぼくをのぞきこんだ。
「アトボロス、起きれるな?」
「もちろん」
ぼくは立ちあがった。ふらついたけど、ラボス村の男は弱音を吐かない。
「父さん、グールは?」
「いい腕してるぞ、アト」
答えたのはホントスだった。矢の刺さったグールをぶらさげている。ぼくより少し年上のホントスは、半年前から訓練兵をしていた。今夜も見まわりに参加していたらしい。
ぼくが射たグールは、小鹿というより形は土竜に近かった。ただし、針のような歯が三列にならんでいる。その凶暴な姿に、女の人たちは顔をそらした。
村の人が口々にもらす声が聞こえる。
「見たことがない種だな」
「北の山か?」
「いや、こんな種は山にはおらん、西の谷じゃなかろうか」
これまでのグールとは違うらしい。
グールがどこからくるのか、どうやって生まれるのかは謎だった。異種交配の呪いによって生まれると言い伝えられている。
「アト、母さんに湯をわかしてもらいなさい」
父さんは、そう言ってぼくの背中を押した。
家に入ろうととしたら、となりに住む女の子、ニーネに抱きしめられた。あの悲鳴はニーネだろう。無事でよかった。
お風呂につかりながら、今日の一日をかんがえる。
ぼくも精霊が使えればいいのに。
ぼくは、まったく精霊が使えない。うそだろう、犬人族の人ならそう言うと思う。犬人族なら水の精霊がとくいだ。物心ついたあたりから、水玉遊びはだれでもする。でも、ぼくは水玉どころか、一滴の精霊すらあつかえない。
父さんがいろいろ調べてくれたけど、人間はどうやら精霊が使えないらしい。これがほんとにくやしい。
父さんは昔、優秀な精霊戦士だった。母さんは今でも村で一番の癒やし手だ。
血はつながってないけど、両親のどちらも優秀な精霊使い。なのに、息子はまったく使えないなんて。
でも精霊が使えなくても戦士なら、あれぐらい倒すだろう。
自分の非力さがくやしい。まあ、ニーネが無事だったので、よしとするか。
氷結呪文を受けていたせいか、ニーネはとても温かかった。それに女の子でほそい身体だった。彼女を守れるぐらいにはなりたい。
なんだか、むしゃくしゃしてきた。
目をとじて、ざぶんと湯船の中に頭までもぐる。今日の一日を忘れるまでもぐってみよう。そう思ったが苦しくなってすぐに立ちあがった。
「ぶはっ!」
「アト!」
湯小屋の戸があいていて、母さんがのぞいていた。
「湯甕で遊ばない!」
「はいっ!」
「明日は水汲みしてね」
「……はい」
怒られてしまった。でも自分が使ったのでしょうがない。起きたら小川まで水汲みにいこう。
村の高台にある家は、みはらしはいいけど、水汲み場まで遠いのが難点だった。