第1話 千年杉に腰かけて
ここは、お気に入りの場所だった。
裏山にある千年杉。その枝に腰をかけ、父さんの帰りを待っている。
ここからだと、ラボス村がよく見えた。集落の外にひろがる段々畑まで見通せる。
今日は風が強いみたいだ。黄金に実った一面の小麦が、旗のように波うっている。麦穂の色からすると、もうすぐ収穫だろう。
麦畑のむこうに人影! たぶん父さんだ。千年杉からすべりおり、山の斜面を駆けた。
ぼくの名はアトボロス。
さっき見えた父さんは、ここラボス村の村長だ。遠くの王都アッシリアに呼びだされ、しばらく留守にしていた。
ぼくは父さんと呼んでいるが、血はつながっていない。ひとめ見ればわかる。ぼくは人間で、父さんは犬人だから。
山をおりて村の道へでる。すでに父さんはさきを歩いていた。栗みたいな毛色のうしろ姿。駆けよって飛びついた。
「父さん、お帰り!」
背負い袋の上から抱きつき、首のうしろの長い毛に顔をうずめる。子供のころから、こうするとなぜか落ちついた。
「おお、アト、荷物が重いのに、おまえまで飛びつくな」
ぼくは腕をといて地面におりた。
犬人族にくらべ人間族は背がひくい。十五歳になったけど、父さんの胸ぐらいしかなかった。
いや、ぼく以外の人間を見たことはない。人間の背がひくいのではなく、たんに、ぼくの背がひくいだけかもしれない。
「おお、そうだ」
父さんがなにか思いだしたようで、ぼくの頭をなでた。
「土産に黒砂糖を買ってきた。母さんに堅焼きを作っておもらおう」
「黒砂糖!」
思わず飛びあがった! 前に旅人からもらったことがある。黒砂糖を練りこんで焼いた堅いパンは、それはそれは、おいしかったのだ。
「早く帰ろう!」
「おい、アトよ、父さんは長旅でだな・・・・・・」
父さんの毛むくじゃらな手をひく。
人間のぼくは体毛がない。一五歳になったいまも手足はつるつるだ。頭だけ黒い毛が生えるので、うしろで結んでいる。
ぼくのことをこころよく思わない人は
「毛なし」
とも呼んでいる。
よく猿人族ではないか? とも言われるが、猿人族はもっと耳が大きく、小さい鼻が上をむいているそうだ。
村の長老が大昔に、一度だけ人間族の旅人を見たことがあるらしい。その旅人と特徴がおなじなので、人間であることはまちがいないと言っていた。
父さんが読んだ歴史書によると、はるか昔であれば人間もいたようだ。小さな国が乱立し、いろいろな種族がいたという。そのなかには人間族の国もあったそうだ。
でもいまは、このアッシリア国には犬人族しかいないし、おとなりのウブラ国は猿人族の国だ。ぼくを捨てた人間族は、このあたりの者ではないのだろう。
ぼくは赤ん坊のころに村の入口に捨てられていた。父さんが拾ってくれなければ、きっと生きていない。すこし胸がつまったような気がして、引っぱっていた父さんの手を、強くにぎった。
「そんなに急がなくても、黒砂糖は逃げんよ」
手を引かれる父さんが、のんびり言った。逃げないかもしれないけど、黒砂糖と聞いておなかがぺこぺこだ。
村の大通りから道をおれて坂をあがる。父さんのうしろにまわり、尻尾をよけて背中を押した。
「父さん早く!」
「わかった、わかった。まったく食いしん坊はだれに似たんだか」
「父さんだよ!」
「そうか。では食い意地のほんきを見せてやろう!」
いきなり父さんが駆けだした。
「ああ、ずるい!」
坂を駆けあがる父さんの背中を追いかける。
坂の上、ぼくの家が見えてきた。
夕食時、食卓には黒砂糖の堅焼きパンがどこにもない。
「母さん!」
母さんも、父さんとおなじ茶色い毛をもつ犬人だ。銅鍋からスープを皿にそそいでいた母さんが、顔をあげた。
「せっかくだから、なにか、お祝いの日に作りましょうね」
がっかりだ。お祝いの日なんていつになるだろう。
かわりに父さんから雑記帳をもらった。これもぼくの土産にと王都で買ってくれたそうだ。
雑記帳は高級なパピルス紙を綴じていて、皮の表紙もついている。
「字を書く練習にするといい。日記でもつけてみなさい」
学術はきらいだ。でもせっかくもらったので、自分の部屋に帰り机にむかう。
このぼくの部屋は二年前に作ってもらった。
父さんが村長をしているからといって、家はとくべつ大きくない。ラボス村の家は、だいたいどこの家も木造で三つほど部屋があるぐらいだ。
さて、なにを書こう。この田舎で書くことなんて、なにもない。
アッシリア王国の最北に位置するのが、ここラボス村だ。これより北に人は住んでいない。
「死の山脈」
と呼ばれる万年雪を帽子にした険しい山々が延々とつづく。その手前にある小さな辺境の村、ラボス村。書くことなんてとくにない。
なにか面白いこと、起きないかな。ぼくは結局、書くことが見つからないので、雑記帳を閉じた。
この時は思わなかったけど、次の日に、ぼくはおおいに反省することになる・・・・・・




